金髪ロリ僕っ娘ラノベ

第三話

 体調を持ち直したルーシュは街の案内をアリスに買って出た。

 数日だけ彷徨った経験しかない彼女に対して、彼は生まれてから数年間を過ごした場所なのだと言う。そこで件の噂を探しつつ、一先ずは街を一巡してみようという話になったのだ。無論、そこには今日の晩に口にするものを探す、という意味合いが多分に含まれている。けれど、他方で村を一度として出たことが無いというアリスの言葉を重く受け止めたルーシュなりの心遣いでもあった。

 二人が何より最初に足を向けたのは、アリスが噂を聞いたのだと言う市である。ルーシュの語りによれば、市は隔日で開かれており、街の誰もが格安で店を出すことのできる街一番の寄り合い場所だと言う。

 王族には縁遠い場所ではないか、との質問に彼は、良くお忍びで遊びに来ていたのだと返した。山中での割と健脚な姿といい、こうして下町の様子を知っている知識といい、アリスが想像した以上に活動的な王子様であった。

「ここで母さんの話を聞いたのかい?」

「ああ、この辺りで男が二人、話しているのを聞いたよ」

 数日前と同じ場所に立ってアリスが言う。

 そこは市場の一角に在って、例の露天が並べられていない外壁の突き出た場所である。並ぶ店舗の数々は以前に彼女が見たときと大差ない。遠く一方的に見知った顔もちらちら見受けられた。

「なるほど……」

「特に役人とか兵士とか、そういった類の人間じゃあなかった」

「特徴とかは覚えている?」

「中肉中背、三十を少し越えた頃合の男二人で、無精ひげが生えていたくらい」

「そうか……」

「損だの得だの言ってたから、商人だったかもしれない」

「商人?」

「あと、一人がジョンって、誰かの名前を呼んでいた。なんでも近く笑えないほどに損をした人物らしくて、二人が君の母さんの処刑、そのごたごたに巻き込まれて彼みたいになりたくない、とか語っていた」

「ん、それは大きな取っ掛かりになりそうだよ、アリス」

「けど、同じ名前の人が何人くらい居るのか、この街だと探すのが大変そうだよ」

「だけど、知っているのと知っていないのでは大違いだ」

「そうかな?」

「まずは商人、ジョン、大損、そして僕の母さんの処刑、これらキーワードで色々な人に話を聞いてみよう。そこから何かしら見えてくるものがあるかもしれない。いや、きっと何か見えてくる筈だ」

「うん、分かった」

「それに案外、相手の方から僕達に喰いついて来るかもしれないしね」

「……噂でも流すの?」

「急ぐのなら、それもありかもしれない」

「でも、また役人に追われるようなのは御免だよ?」

「ああ、そこはしっかりと気をつけるよ」

 ルーシュの母親の仲間だろう者達が復権を狙っているならば、ルーシュこそが母親にも増して大きな鍵となるのは間違いない。彼の生存を知ったのなら血眼になって探すのは間違いない。それは追っ手に見つかるリスクを多分に増やすが、非常に効果的な手段だと言えた。

「あ、それとお願いがあるんだけど、一ついいかな?

「何?」

「君には悪いけれど、僕は母さんの処刑日が知りたいんだ」

「うん、それじゃあまずはそれから尋ねていこうか」

「ありがとう」

「君が直接に聞いて回って顔が広がるといけない。人に尋ねるときは私が代わりに聞いて回るとする。だから、その間の道案内は任せたよ。人の集まりそうな場所とか、まだあまり良く知らないんだ」

「ああ、その辺りは任せてくれ。しっかりエスコートさせて貰う」

「うん、ありがとう」

 そうして早々に今日一日の二人の予定が決まっていく。

 今まで寝込んでいた分だけ鬱憤が堪ったのか、そうして語るルーシュは山中にも増して活動的であった。その姿に頼もしいものを覚えて、アリスもまた幾分か気分を良くして歩みを早める。

 幸いにしてルーシュの母親、前王妃の処刑日時はすぐに彼等の知るところとなった。大々的に公開処刑が行われるらしく、市場を多少だけ歩いたところで、公衆の面前にあり瓦版に示されているのを見つけたのだ。

 そこで次なる目標をジョンという男に決めた二人は、手始めに付近での聞き込みを始めることとした。

 市場は物と共に人も多分に集まる。噂話を聞くには都合が良い場所だろう。特にファーレンほどの都市ともなれば、街の外から集まってくる者も少なくない。上手くいけば追っ手の情報も得られるだろうと期待していた。

 しかし、二人の姿はその場に酷く分不相応だった。幾度かアリスが声を掛けてみるも、満足に取り合ってくれる者は一人としていない。たまに話を聞いてくれるものがあっても、それはいつぞやの男と同じように彼女の身体を舐めるように眺めるのだから、ルーシュがその手を取って逃げるように後とすること度々。

 そこで仕方なく二人は場所を変えることとするのだった。

 市場を後として向かった先は貧民街と表通りとを繋ぐ辺り。

 安く汚い酒を出す酒屋や、女が身体を売る店が延々と連なる界隈である。路地は細く道端には柄の悪い人間があちらこちらに腰を落ち着けている。誰かはぎんぎんと鋭い目つきで辺りを威嚇している。誰かはしなをつくって道行くものを誘惑している。誰かは道行く者達へ死んだ目を移ろわせている。誰かは満足に動かなくなった身体を道に横たえ幻覚に震えている。

「流石にこの辺りは話に聞いた限りで、こうして実際に来たのは始めてだ」

「むしろ足繁くこういった場所へ通っていたらどうかと思うけど」

「それもそうか」

「うん」

「でも、興味はあったんだよ。そこどういったところなのか、後々に国を治める立場へ至ろうと言うならば知っている必要があると思った。だから何度となくお母様や爺に頼んでいたんだ」

「でも駄目だったのでしょう?」

「ああ、だから、いざ足を踏み入れてみて、皆の言っていたことが良く理解できた」

「世の中、上が知らぬまま通したほうが上手く回ることもあると思うよ」

「だけど、それでも僕は知りたかったんだよ。今も強請ったことを後悔していない。それに、そのお陰でこうして今二人でこの場に立っていられるんだ。そう考えれば何事も興味を持ってみるものだよ」

「まあ、今回に限ればそれは正しいかもしれないけど……」

 子供二人で道を進む。

 当然、事前にアリスは自分達の姿を理由にして彼の提案を否定した。

 しかし、ルーシュは自らの魔法を理由に彼女を説得した。曰く、その魔法は国一番とも語られる王家にあっても、自分もまた人よりそれなりに力を使えるのだと言う。そして、極めつけは数日前に這々の体を救われた一件である。それを引き合いに出されては彼女も頷くしかない。少しばかり卑怯ではないかと非難する彼女に、彼は絶対に君を守るからと笑顔を返すのだった。

 何の力も持たないアリスはルーシュの隣を肩が接する間隔で歩んでいる。

 その手は互いにしっかりと握られていた。

 本来ならば、街の人間でも滅多なことでは足を運ばない界隈なのである。全うな人間が過ごしては一日と経たず死体を晒すことも珍しくない。この一角ばかりは国の役人や兵であろうと滅多に足を運ばないのだ。

「アリス、大丈夫?」

「ん、何が?」

「いや、ほら、随分と心配していたみたいだから……」

「あぁ、別になんともないよ。ただ、なんか私が居た村と雰囲気が似てる気がする」

「……そうか」

 何気ないアリスの呟きにルーシュが些か声の調子を落とす。

「大丈夫だよ、気にしてくれなくても」

「本当、君は強いな。僕と大して変わらない歳なのに随分と大人に思える」

「……そう?」

「ああ、だから一緒に居てとても落ち着くんだ」

「知ってると思うけど、私を褒めたって何も出てこないよ?」

「別に何を出してくれなくても構わない。ただ、一緒に居てくれればそれでいいんだ」

「そ、そう……」

 なんて青臭い台詞だろう、などと声に出して言うには憚られる雰囲気であった。真摯な瞳で己を見つめてくるルーシュを前に、アリスはただ小さく頷いて応じる。幾ら薄汚れても伊達に王子様をしていないと、何よりの寸簡はそんな具合であった。

 やがて、しばらく歩くと二人は一軒の酒場まで辿り着いた。

 そこは先刻にアリスが路上に座り込んだ浮浪者より聞き出した一件である。この界隈にあっても特に人が多く集まることで有名な店なのだそうだ。曰く、子供が近づいていい場所じゃない、とのお達しである。

「大丈夫? 昼間なのに人が大勢だけど」

「ああ、街のごろつき共からすら君を守れないほどに僕は弱くない」

 何気なく尋ねたアリスにルーシュは堂々として情熱的な言葉を向ける。

「でも、それだと前に村の倉庫で転がってたときはどうなるの?」

「あ、あれは、その、従者を人質に取られて……」

「そっか……」

「だけど、もう二度と同じ轍は踏まないよっ! 誰も僕の前で死なせたりしない」

「随分と頼もしいね」

「頼りにしてくれていいよ。今度は僕が君を守る番なんだからさ」

「となると、その次は私が君を守る番?」

「いいや、これからはずっと僕が君を守っていけばいい」

「そこまで言ってくれるなら、任せるよ」

「信じてくれてありがとう、大丈夫、安心して」

 そうして二人はゆっくりと酒場へと足を踏み入れる。

 扉を押しのけて敷居を跨ぐと、室内に犇く者々から一斉に視線を向けられた。大半は男にあって、昼から酒を飲んでいるだけあり人相の悪い者ばかりである。加えて言うなら図体の大きな者が多い。誰も彼も子供の二人からすれば一回り二回りどころの話でない。

「…………」

「…………」

 もくもくと立ち込める煙草の煙を掻き分けるように二人は奥へと進む。

 目指すところはカウンター席だろう。

 しかし、そこへ達するまでを誰もが黙って通すことはしなかった。並び進むアリスとルーシュを見るや否や、何処からともなく嘲笑の声が飛んで来る。手にしたグラスの数々が揺れて、店のあちらこちらで酒が床やテーブルに染みを作る。

「おいおい、こんなところに何のようだ?」

「小汚ねぇガキだなぁ、おい」

「売りか? 売りに来たのか? 俺だったら二人とも頂いちゃうよ? 勿論ただで」

 豪快に唾を飛ばしながら男達が囃し立てる。

 その物言いを眺めて、別所より更に笑い声が当たる。

 喧騒は瞬く間に伝播して、客達の注目は一挙に二人へと向かうこととなった。

 けれど、それも事前に話を合わせたとおりである。アリスとルーシュは特に何を言うまでもなくカウンターへと歩み寄る。その内で店を切り盛りする人間も周囲と同様に声を上げているのだが、微塵として気にした素振りを見せることはない。場に飲まれたら終わりだとはルーシュの談である。

 多少を歩いてカウンターを挟み二人は店主らしき男の前まで至る。

「おいおい、ガキが俺の店に何の用だ? まさかエールでも飲みに来たか?」

「あっはっはは、エールだってばよっ!」

「今日日(きょうび)エールなんて赤ん坊でも飲まねぇよっ!」

 誰かしらから二人に向けた一言一句が放たれる度に場がわっと沸く。

「エールは結構です。代わりに聞きたいことがあります」

 目元をフードに隠したルーシュの代わりにアリスが言う。

 自然と口調が丁寧語になっているのは彼女なりの処世術である。

「聞きたいことぉ? 子供が何を知りたいんだよ。赤ん坊の作り方でも尋ねに来たか?」

「おっ、そりゃいいや、是非とも俺に教えさせてくれよっ!」

「そういうことなら俺の息子が黙っちゃいねぇぜっ!?」

「うひぃ、実を言うと俺ってばこういう子供の方が好きなんだよなぁっ!」

 一斉に沸き立つ男達。

 ルーシュがぎりりと歯を鳴らして一歩を踏み出す。

 それを危ういところで制したアリスが言葉を続ける。

「この場で教えて頂けなくとも、赤ん坊の作り方は十分に知っています。それより一つ、人を探しているのですが聞いて貰えませんか? ジョンという名前の商人なのです。何かご存知ありませんか?」

「おいおい、聞いたか? なんてこっただろ、十分に知ってるとのお達しだぁ!」

「本当か? 俺ってば実は知らないんだよ。是非とも教えて貰えねぇかっ!?」

「いいねぇ、そっちの相棒と実演してくれよ、このテーブルの上でさぁ!」

「おいおい、そっちも女じゃないのか? レズってくれよ、レズって」

「子供のレズとか堪んねぇじゃん。っていうか、混ぜろ、俺も混ぜろよこの野郎っ!」

 他に娯楽が少ない為か、男達は下らないことに甚く反応して二人を囃し立てる。

 そんな男達の態度がどうしても気に入らないのか、ルーシュは襤褸の下で硬く拳を握りふるふると怒りに震わせている。それを袖の下にあって他者に知られぬよう片手で制しつつ、アリスは男に同じ言葉を繰り返す。

「ジョンという男です。知りませんか?」

「知らねぇよ、知らねぇ。っていうか、知ってても誰がただで教えるもんか」

「そうですか、知りませんか……」

「ああ、そういう訳だから、二人並んで大人しくテーブルの上で股を広げろよ」

「…………」

 店主らしい男が言うと、客達が次々に席を立ち始める。

 そして、まるで呼吸を合わせたが如く、瞬く間に二人の周りを取り囲むよう配置へと付くのだった。十数人からなる屈強な体躯の男達である。自らの身を守る術を持たないアリスは自然と及び腰になった。意識せずともルーシュへ寄り添ってしまう。

 そんな彼女の態度を受けて、ようやっとルーシュは自らの思うところを吐き出せた。

「ならば……、このような店は早々に潰してやる」

「……あぁ?」

 ルーシュの言葉に男が眉を顰める。

「このような界隈をうろついている者達が相手ならば、僕も躊躇なく腕を奮えるものだ」

「このガキ、男だったか」

 ルーシュの語り調子を耳にして男が言う。

「だったら丁度いい、その尻穴は俺のもんだな、ひひひ」

「誰が貴様らの汚らしいものを受け付けるものかっ!」

 その場の誰よりも大きく声を張り上げて、ルーシュは身に纏った襤褸より身を晒す。ばさりと布のはためく音が綺麗に辺りへ響いた。それと同じく、床を蹴ったルーシュが片腕にアリスを抱えて大きく宙を舞う。

「っ!?」

 驚いたのは抱えられた側だ。

 身を強張らせて思わず目を彼へと向ける。

 すると、周囲の景色が勢い良く流れるなかで相棒は何やらぶつぶつと呟いていた。耳を澄ましても何を言っているのか聞き取れない。アリスの全く知らない言語をつらつらと並べているようであった。

 男達は急に飛び上がったルーシュに度肝を抜かれて一時(いっとき)だけ硬直する。

 その間に彼は客の包囲を超えて、店の隅に置かれたテーブルの上へと降り立った。身体の重みを感じさせない不自然な動きや、自分の身体を何の苦も無く抱き上げる力は間違いなく魔法とやらの賜物だと、アリスは彼の胸に収まったまま確かに理解する。

「このような店、無くなったところで誰も困りやしないだろう?」

 鋭く釣り上がった眦を向けて問いかけるルーシュ。

「こ、このガキゃぁあ、こっちが大人しくしていれば好き勝手いいやがってっ!」

「殺しちまえっ!」

「いいや、縛り上げてレーベンの親方へ売っぱらっちまえっ!」

「そうだ、それがいいっ!」

 子供に良いようにあしらわれたことで男達が逆上する。

 手にした酒の満ちるグラスを捨てて、皆々が一様に拳を握り挙げる。なかには懐より刃物を取り出した者すら居る。誰も彼もが容易に激昂して、血走った目を卓上に立つ二人へと向けていた。その様相と言えばならず者の集まりだけあって、凄まじい迫力を伴って思える。

 しかし、ルーシュは微塵も動揺していなかった。

 アリスを傍らに下ろしつつ、悠々として声高々に言葉を続ける。

「仮に困ると言うのならば、その困るものも今この場で焼き払ってくれる」

 その一言一言を発する姿は、身に纏う衣服こそ浮浪者に違いないけれど、まさしく王として群集の上へ立つに相応しい有様であった。凛として響く高い声の発するところが、男達の意識を一点に集めて尚も自らを輝かせる。

「クソッたれ、やっちまえっ!」

「死ねぇええっ!」

「おぉぉおお犯せっ! 上も下も右も左も犯しちまえぇっ!」

「んだらぁあああっ!」

 ルーシュの言葉へ応えるように、男達が一斉に駆け出した。

 両者の間には机数個の距離しかない。その間隔は瞬く間に詰められて、先陣を切った一人の手にする刃物が二人へと伸びる。一口に刃物と言っても刃渡りは人の肘から指先まで、非常に大型のナイフである。僅かでも掠れば皮膚が裂けて血が噴出すのは目に見えている。それを二倍以上の身の丈の男から振るわれたのだから、常人であれば容易に気圧されて、何をする間も無く刺されて切り刻まれて終わるだろう。

 だが、ルーシュは決して終わらなかった。

「灰になって永遠に眠るがいいっ!」

 アリスを抱えていたのとは反対の手を前に突き出して唸る。

「この僕の魔法でっ!」

 応じて五指のぴんと伸ばされた手の平が眩い光を発し始める。

 慄いたのは男達である。

「なっ!?」

「ま、魔術師だとっ!?」

「ぬぉおおおおおおっ!」

 勢いづいた身体は止まらない。

 そして、ルーシュの手の平の発光も止まらない。

 男達は群となって彼の下へ殺到して、その光に身を焼かれる羽目となるのだった。手の平から少し前へ生まれたのは床から轟と立ち上がった巨大な火柱。建物の天井すら突き抜けて炎を吐き散らす燃える壁だった。

「ぎゃああああああああああああっ!」

「があああああああああっ!」

「おんどるぅああああああああっ!?」

 男達が次々と火柱へ突っ込んでいく。

 たとえ踏みとどまっても後続に押されて燃えざるを得ない。顔を恐怖に歪めながら火の中へと飛び込んでいくのだった。彼らを燃やす火炎は他に木造の建物を焼いて、瞬く間に周囲を火に包んでいく。炎は見る見る間に規模を増して、やがては全てを飲み込まんと建物の建つ敷地全体を覆うにまで至る。

 唯一、例外はルーシュの立つ周りだけだった。

「なっ、なっ……」

 大きく口を開けたまま硬直しているのはアリスである。

 何が起こったのか理解できずに立ち尽くしている風であった。

 それもその筈だろう。自身の四方八方、全てが炎に埋め尽くされているのである。爆ぜる炎の合間より辛うじて燃える家屋の姿が見える意外、他は炎、炎、炎。その燃え上がる中に取り残された形に等しいからだ。

「る、ルーシュ!? これは一体……」

「だから言っただろう、僕は君だけは絶対に守ると」

「いや、しかしこれは……」

 凄まじい勢いで燃え上がる炎を前にして、アリスはまともに言葉を返すことができなかった。手を伸ばせば触れられるのに全く熱を感じない。その不思議な感覚が彼女の正常を完全に奪い取っていた。恐怖すら失せて思える圧倒的な力であった。

「アリス、平気かい?」

「今この場で平気かと聞かれたら、あまり平気じゃあ居られない……」

「あぁ、すまない。炎はすぐに消すよ」

 アリスの呟きに応えてルーシュが何やら短く呟く。

 それは宙を舞った際に彼女が耳とした謎の言語の一端である。

 彼は何をしたのだろうか。そう疑問に感じた次の瞬間には、彼の言葉に応じて炎が一斉に勢いを失った。永遠を思わせる地面から生え出た燃える壁は、しかし、音も無く霧散するのだった。それこそ蝋燭の火を扇で扇ぎ消したが如く、何の苦も無く火柱は散ってしまった。

「……ふぅ」

「…………」

 その後に残っていたのは、僅かばかりの骨組みを残して全焼した家屋の姿である。何処に円卓が並べてあったとか、何処にカウンターがあったとか、そういった瑣末な名残すら見て取れぬほどに何もかもが燃え尽きていた。

「これで良いだろう」

「あ、ああ、そうだね……」

「アリス、怪我は無かった?」

「無かった、うん、掠り傷の一つもなかった……」

「良かった」

 問うてくるルーシュにアリスは首をかくかくと振って応える他に何もできなかった。

 彼女は自分がこの世界に存在する魔法という現象を大きく侮っていたのだと知った。あまりにも圧倒的で、強烈で、凶悪で、一介の人間が操るには過ぎた力ではないかと、社会制度の根底を成すに十分な影響力を持つのだと、身を持って理解するのだった。

「……歩ける?」

「う、うん、大丈夫。歩ける」

 そうこうしている内に付近には騒ぎを聞きつけた近隣住民が集まってくる。幾ら無法者の住まう一帯にあっても、一軒家がものの十数秒で灰となれば注目を浴びずに済まな。数分と経つ間に敷地の周囲は人垣によって囲われる羽目となった。

 そんなだから、調査も何もあったものではない。流石にこれ以上の面倒は御免だとばかりに二人は早々その場を後とする。再びアリスを両手に抱えたルーシュが、家屋の連なりを蹴って目にも止まらぬ勢いで疾走する。

 目まぐるしい勢いで流れる貧しい風景。

 轟々と耳に届く風きり音。

 自分が想定していたものとは何かが違うと、アリスは心の内で強く思うのだった。

◆ ◇ ◆

「ルーシュ、君は凄いね……

「そうかい?」

「あぁ、まさかこれほどまでとは思わなかった」

 炎上した酒場より離れてしばらく、アリスとルーシュは人通りも多い表通りの一角にあった。路上に並んだ小奇麗な縁石の上に座り込み、何をするでもなく言葉を交わしている。道行く誰もは小汚い装いの二人に意識を向けることも無い。

 ほとぼりが冷めるまでこの辺りでゆっくりしようというアリスからの提案だった。

「いや、あれは二流の魔術師でも十分に利用可能な範囲だよ」

「……本当?」

「ああ、相手にそれ以上の魔術師が居たら反撃が来ただろう」

「そ、そうなんだ……」

 そして、次々と明らかにされる驚愕の事実を前に彼女は身を打ち震わせている。

「あの時点では僕が特別に凄いとか、そういうことも無いと思う」

「じゃあ、もっと凄いこともできる?」

「もっと凄いがどう凄いのかは分からないけど、できると思うよ」

「な、なるほど……」

 自ら尋ねておきながら、アリスは返される言葉へ素直に頷くしかなかった。

 今までに魔法という現象の威力を意識したことが無かっただけに、彼女が受けた驚きは大したものだった。それこそ野山で手にした銃器の比ではない。彼を追って来た者達を前に立ち回った自分はなんだったのか。そんな疑問すら生まれる始末だ。

「もしかして、私が助けなくても全然平気だった?」

「え?」

「ほら、その、山の中で役人に追われた時とか……」

「あ、いや、あの時は正直、もう駄目だと思ってた」

「そうなの?」

「君が銃で撃ち殺した相手はこの国でも有数の魔術師だ。幾ら素質があるだとか、両親から引き継いだ力だとか崇められたところで、実力を並べたのなら、僕なんかじゃ足元にも及ばなかっただろう」

「そ、そうだったの……」

「以前に城で魔術の教えを受けたこと経験があるから間違いない」

「うん……」

「まさか彼も自分が魔術でなく銃で殺されるとは思わなかっただろう」

「…………」

 今更の種明かしだった。

「だから、君が彼を撃ってくれたおかげで無事に抜け出すことができた。周囲の者達も彼が撃たれたことで酷く狼狽していた。おかげであのような渦中から逃れられることができたんだよ」

「そうして言われると、なんだか急に怖くなってきた……」

「はは、確かにそうかもね。僕もだ」

「今こうしていることに至上の喜びを感じるよ」

「違いない。僕もこうして君の隣に座っていられて幸せだよ」

「……ありがとう」

 素直に頷いてアリスは顔を地面に落とす。

 世界は自分が想像していた以上に大したものだと理解したのだった。

「ところで、済まない。折角の提案だったが駄目にしてしまった」

「あ、ああ、確かに当分はあの界隈へ足を運べないね」

「他に何処か、僕らが聞き込むのに都合が良い場所はあっただろうか……」

「ごめん、私はもう何も思いつかない」

「ならば意地でも僕が思い当たってみせる。すまない、少し考える時間が欲しい」

「うん」

 二人並んで通りに影を落とす。

 頭を悩ませるルーシュを傍らにおいて、しかし、同時にアリスは少しだけ、自分達の今後に安堵を覚えていた。これほどまでに強力な力を持つ彼だから、きっと、無様に野垂れ死ぬのだけは避けられるのではないかと。きっと彼の今の余裕もそこから来ているに違いないのだと。

 そうして、しばらく二人は互いにああでもないこうでもないと今後の足取りを巡り意見を交し合っていた。ともすれば、段々と硬い石の上に尻を押し付けておくのが辛くなってきた頃合である。不意に彼らの頭上より届く声があった。

「すみませんが、一つよろしいですか?」

「「え?」」

 それは襤褸を纏う二人に対してかけるには過ぎた言葉だった。

 だから自然とアリスとルーシュは口を揃えて疑問を並べる。

 けれど、顔を上げた先にあったのは間違いなく自分達を見つめる、否、特にルーシュを見つめる男の姿であった。それも随分と恰幅の良い格好をして、手には金色に光る指輪を幾つも嵌めている。

「なっ……」

 次いで声を上げたのはルーシュだった。

「おぉ、やはり、やはり私の目は間違っていませんでしたなっ!?」

「お、お前は……」

「ご無事でありましたか、ルーシュ様っ!」

「ゴメス、お前、生きていたのかっ!?」

「はい、貴方様のお父様に危ういところを助けて頂き、こうしてありますともっ!」

 ゴメス、そう目の前の男を呼んでルーシュは勢い良く立ち上がった。それに合わせて相手もまた居住まいを正し彼に向き直る。ふっくらと盛り上がった腹を懸命に押し下げて、背筋をぴんと伸ばす様は決して浮浪者に向けるそれではない。

「しかし、どうしてお前がここに?」

「ルーシュ様がご存命との噂を信じて、我々も必至に探していたのです」

「なるほど、そのような噂が既に流れていたのか……」

「はい、王子の捜査に当っていたケルンが撃たれたとの話を聞いて、これはもしやとも思い街中を駆けずり回っておりました。しかし、まさか本当にこうして出会えるとは、私は今日と言う日の運命を神に感謝せずには居られない。本当に、ご無事で何よりですルーシュ様」

「ああ、君こそ無事で良かった」

 二人の親しげな会話を耳にして、アリスもまた、相手の男が自分達にとって害でないことを理解した。それと同時に彼を王子と呼ぶ相手の存在を受けて、偶然にも彼の願いが叶ったのだと知る。

 ゴメスとルーシュとは甚く感激した様子でしばらくを語らい合っていた。

 しかし、一頻りしたところで自然とその注目はルーシュの隣に座る浮浪者、アリスへと向かうこととなる。自らの君主に率先して口を開いたのはゴメスだった。彼は彼女を指差してルーシュに問いかける。

「ところで、こちらの浮浪者はなんですか?」

「ふ、浮浪者とか言うなっ! 彼女は僕の命の恩人だぞっ!?」

「あ、や、これは失礼しましたっ! すみません、なにとぞお許しをっ!」

「ま、まあ、いい。今のは許す。しかし、次からはないと思えよ」

「はい、重々承知しておりますとも」

 王子様の威厳とは伊達でないらしい。

 一括を受けて限りで男は恐れおののき彼に頭を下げてしまった。

 その様子を傍らに眺めて思わず息を飲んだアリスである。自分に関わる話ということもあって、そこまで顕著に反応されると申し訳ない思いが先にたった。幾ら彼に庇われたところで自分が一介の浮浪者に過ぎないことは重々承知しているからだ。

「ところで、お母様の処刑に既に関しては知っているな?」

「はい、存じておりますとも」

「それなら話は早い。できる限り即急に手を打ちたいんだ」

「それも理解しております。我々も既に水面下で動いておりますので、その為にもルーシュ様は絶対に必要なお方。なんとしても見つけねばならぬと、城より逃げ延びた一同、必至になって探しておりました」

「そうか、それは助かった。ありがとう」

「いいえ、ファーレンハイトに仕える身として当然にございます」

「いや、それでも僕はここまで尽くしてくれる君に感謝しなければならない」

「これ以上のお話は、この場では人目を引いてしまいます。どうか我々のアジトへと一緒に参っては頂けませんか? 私、今の姿のルーシュ様を眺めるのは苦しゅうございます。どうぞ、お願いします」

「分かった、そういうことなら頼みたい」

「ありがとうございます」

「けれど、それだったら彼女も一緒にだ。いいか?」

「はい。ルーシュ様の命の恩人というならば是非にでも」

「そう言ってくれるだろうと信じていた、ゴメス」

「いえ、当然にございます」

 そうして、アリスの与り知らぬところで話は勝手に進んでいった。彼女に何ができたかと言えば、黙ってその様子を眺める限り。そして、最後にルーシュの言う、さぁ、一緒に行こう、との言葉に頷く限りであった。

◆ ◇ ◆

 ゴメスに連れられて向かった先は値の張りそうな宿屋の一室であった。

 アリスにしてみれば、こちらの世界へ訪れてより自宅以外で他所様の家に身を置いた経験がない。また、極めて豪勢な調度品に溢れる同部屋は、この世界に所在を限定しなくとも、過去に覚えの無い絢爛な様相を持って彼女を迎え入れたのだった。

 毛の長い絨毯は一歩を歩むだけで身を沈ませて、硬くて薄い靴底に慣れた彼女には、普通に歩むだけでも違和感を与える。そして、男の案内により通された一室は、それこそ彼女の実家の家屋がまるまる納まっても、まだ余裕が伺えるだけの広さがあった。椅子やら机やらの家具にしても実家で見たものと比べては随分と大きく作られていて、小柄な彼女からすれば巨人の棲家ではないかと疑ってしまいそうになる。

「このような場所に隠れていたのか」

 部屋を一望してルーシュが尋ねる。

「はい。幸運にも資産を移す余裕がありまして、なんとか……」

「そうか、それは幸いであったな」

「おかげでこうしてルーシュ様を迎えることができます、はい」

「しかし……私が言うのもなんだが、良くそれだけの余裕があったな?」

「それは、ええ、家の者が機転を利かせまして、私も猶予を得た次第にございます」

「なるほど、となれば、お前は今後その家の者には頭があがらんな」

「ええ、全く持ってそのとおりにございますな」

 ルーシュに言われてゴメスは快活に笑って見せる。

「とは言え、まあ、何はともあれ互いに無事で良かった」

「はい、ルーシュ様もご無事で何よりです」

「こうして再び私をルーシュ様と呼んでくれること、感謝する」

「いえいえ、勿体ないお言葉です」

 ルーシュは傍らに畏まる男へと労いを与える。

 アリスは自らの場違いを強烈に感じて、部屋の入り口に留まったまま先へ進むことが叶わなかった。部屋前の廊下には屈強な男達が強面で列を成し、部屋にはゴメス、ルーシュがある。そして、それぞれが一様に彼女の一挙一動を見つめていた。頭上から注がれる視線の雨に、慣れない場に立ったこともあって緊張は頗る。

「どうしたんだい? アリス」

「あ、い、いや、なんだか私が入っていいものか……」

「入って良いも何も、部屋へ入らずにどうすると言うんだい」

「それは、まあ、そうなのかもしれないけれど……」

 アリスは恐る恐るといった風に数歩を踏み出してルーシュの元まで向かう。

「ゴメス、僕と彼女の着替えを用意して欲しいんだが」

「それならば既に容易を整えてございます」

「おぉ、随分と用意の良いことだな」

「ルーシュ様にそのようなみすぼらしい姿格好を晒させる訳にはいきません。使いの者を走らせて街でも指折りの仕立て屋から、質の良い数着を見繕ってございます。どうぞ湯浴みなりなんなりと」

「ありがとう」

「ありがたきお言葉、勿体のう御座います」

「それじゃあ、しばらく僕とアリスは身体の汚れを落とすこととするよ」

「それでしたら、私の従者となってしまいますが、すぐに使いの者を向かわせ……」

「いや、それはいい、自分の身体くらい一人で洗えるから、お前達はお前達で寛いでいるといい。従者もお前達が好きに使うといい。この度の苦労は私も感謝している。この場は好きなようにしてくれ」

「よろしいので?」

「ああ、そういう訳だから、この一室は私とアリスで使わせて欲しい」

「そういうことでしたら、分かりました」

「ありがとう」

「いえ、滅相もありません」

 ゴメスはルーシュに恭しく頭を下げる。

 そして、廊下に身を立てている部下へ目配せをすると、そのまま部屋の外へと出て行くのであった。ぱたんと音も小さく扉が閉められてしばらく、つらつらと靴音の連なりが小さくなっていくことを確認して、ルーシュは閉まったばかりの戸に錠を落とした。かちゃんと乾いた音がして鈍い光沢を放つ重々しい金具がかみ合う。

「ふぅ……」

「鍵?」

 その後姿を眺めながら、アリスがルーシュに問うた。

「ああ、湯を浴びるにしても少しばかり面倒があるんだよ」

「面倒?」

「まあ、そうだな……。色々とね」

 そうして彼は振り返ると、ゆっくりとアリスの側へ近づいていく。いや、その傍らに置かれたソファーへと歩み寄る。そして、身に纏う襤褸を一枚だけ脱いで、やれやれだとばかりに肩など回して見せた。

「……お風呂に入るのに何かあるの?」

「ああ、それなんだが……」

 上に着たローブを脱いで人心地ついた彼が、不意にアリスへと向き直る。

 彼女はルーシュの傍らに立ったまま、これから何をするつもりなのかと指示があるのを待っている。この期に及んでは何をするにも彼を頼る他にないと彼女もまた強く理解していた。

 その様子をジッと見つめて、なにやら頭を悩ませるのがルーシュである。

「どうしたの?」

「どうしたというか、なんというか、その……」

「やっぱり私が邪魔?」

「い、いや、そういう訳じゃないんだ。ただ、ただちょっと……」

「邪魔?」

「だから、違うってっ!」

 眉をハの字にひん曲げてルーシュが言う。

 どう答えたら良いか分からずに困った様子である。けれど、そう長く悩むことも無かった。同じ繰り返し、アリスとの問答を二、三だけ続けたが後に、最後、彼女からの問いを耳として彼は大きく息を吐いて胸を張る。

「じゃあ何?」

「分かった。決めた。もう決めた」

「何を?」

「君に助けられた命ならば、君に殺生与奪の権を握られても良いだろう」

 アリスの問いを受けて、ルーシュは何やら声も大きく吼えるように言う。

 そんな姿に多少だけ気圧されて語られた側は身を硬くする。一体何をするつもりなのかと、次なる言葉を待って静かに相手を見つめる。この期に及んで彼から語られる文句にアリスは覚えが無かった。

「実は僕は君に一つ嘘をついているんだ」

「……嘘?」

「ああ、それも割と大した嘘だったりする」

「嘘って何?」

「本当は黙ったまま通そうと思ったんだけど、この際だ。いいだろう」

「何か教えてくれるの?」

「ああ、出来れば驚かないでくれると嬉しい」

 しかし、それも僅かなやり取りで即座に思い至って明るみ。

「貴方が実は女の子だっていうことを?」

「ぶぇえええっ!?」

 アリスの言葉にルーシュが素っ頓狂な声を上げて身を硬くする。

 それとなく目を伏せたり、顔を背けたりと雰囲気を作っていた彼である。それが彼女の何気ない発言から水泡に帰す。大きく瞳を見開いて、更には口まで開けたまま閉じることなく、目の前の人物を凝視する。今までの取り繕いは霧散して、一方的な驚愕だけが一帯に渡る。

「あ、アリス、君はどうしてそれを……」

「体調を崩した時に服を着せ替えたんだけれど、その際に貴方の裸を見たよ」

「そ、そうだったのか……」

「うん」

「まさか、まさか君に僕の秘密を知られていたなんて……」

「けど、それがどうかしたの?」

「それがどうかしたのって、そりゃ、あぁ、凄くどうにかしてしまう事実なんだが……」

 何気ない風に問いかけるアリス。

 ルーシュは額を片手に押さえて、傍らのソファーの背へ空いたもう一方を突く。首筋にはじっとりと汗の雫が浮かんで見える。今度のそれは決して演出の類ではない。心の底から湧き上がる驚きと戸惑いである。

「そうか、君は村から出たことがないと言っていたね」

「ええ、言っていたよ」

「だったら説明するよ」

「ありがとう」

 ゆっくりと頭を起こしてルーシュはアリスに向き直る。

 そんな彼にアリスもまた正面から向かい合う。

「簡単に言うと、王族としては珍しいことなんだけど、僕は一人子なんだ」

「一人っ子?」

「そう、一人っ子だ。姉や妹、兄や弟は一人もいないんだ」

 短く語って彼は部屋にぐるりと視線を巡らせる。

 そうして、他に誰も人の目が無いことを確認した上で言葉を続ける。

「お父様が妾を作ることなく母さんだけを愛していたからね」

「けど、だとしても他に男の子を作ろうとはしなかったの?」

「そのつもりは十分にあったらしいんだけれど、どうやら僕だけを生んだ際のこと、母さんが子供を作ることができない身体になってしまったんだ」

「なるほど……」

「まあ、その事実を知っているのは城でも一部の人間だけだけどね」

「それが貴方の男装の理由なの?」

「そういうこと。だから、僕は生まれてよりずっと男として育てられてきたんだ」

「となると、将来は王様ということ?」

「本来はそうしてお父様の後を告ぐ筈だった。勿論、男としてね」

 はぁと思い溜息を吐いてルーシュが言う。

「出産に立会った医者は……その……言葉は悪いがお父様が殺してしまったらしい。だから、この事実を知っているのは僕とお父様とお母様、他には誰も居ないんだ。強引に何とかする予定だったみたい」

「それはまた凄い出自だね」

「けど、そうしないと王家が滅びてしまうからね。勿論、話を知った後の数ヶ月は両親が信じられなかった。けれど、やっぱり家族は家族だし、決して最後まで嫌うことはできなくて、今あるとおりだよ」

「なるほど……」

「それにこうして歳を多少でも重ねれば、まあ、助産婦を殺したことは今でも頂けないけれど、お父様の言葉もなんとなく分かるようになってきたんだ。だから、僕も自らの役目を全うせんと生きている」

 そうして語るルーシュは少しだけ胸を張って思えた。

 想像以上に複雑な友人の身の上を耳として、アリスは大人しく口上に付き合う。

「だけど、ここへきて貴方のお父様が討たれた……と」

「更にこの身体が世間にしれては、王家の復興など夢のまた夢となるだろう」

「それはまた、随分と難儀な話もあったものだね」

「それをいきなり君に問われたのだから、ああ、今は平静じゃいられなかった。すまない。一瞬は君を間者だと疑ってしまった。この場で殺すべきかとも思案してしまった。どうか許して欲しい。すまない」

「いいよ、別に」

 知らぬ間に命を狙われていたと知って、アリスもまた内心どきどきだった。

「けれど、そういうことならもはや隠す必要はないな」

「そう?」

「ああ、少なくとも君の前では服を脱げるだろう?」

 そう語ってルーシュはローブの下に着ていたシャツを軽快に脱ぎ捨てる。そして、同じくズボンもするすると脱いで、瞬く間に一糸纏わぬ姿となるのだった。同性とは言え微塵の恥じらいも無い。これが王族というものかとアリスは関心した。

 ルーシュの肉体には彼女が生前に見慣れた男性器など見当たらず、代わりにまだ毛も生えぬ丘が一つ、ぷっくりと座していた。晒された肌は数日の強行に随分と荒れているものの、それでも元来の艶やかさはおぼろげに感じられて、それは男と言うより十分に女としての魅力をアリスの目に映した。

 骨と皮しかない彼女からすれば、どっちが男か分からないという思いだろう。

「ほら、そっちに浴槽があるだろうから一緒に行こう」

「あ、い、一緒に、入るの?」

「服はここで脱いでくれて構わないだろう。君の分の衣服も用意させてある」

「……ありがとう」

 呆気からんとして語るルーシュに戸惑いながら、アリスもまた彼の前で服を脱ぐ。そうして二人は一緒に湯船へと浸かる運びとなるのだった。彼にしてみれば数日振り、彼女にしてみれば、こちらの世界へ生まれ出でて初めての入浴である。

 その暖かなお湯の感触に感動して、彼女がしずしずと堪えきれぬ涙を流したのは瑣末な出来事である。そして、それにまたルーシュが湯面をばしゃつかせ慌てたのも瑣末な出来事である。

 村を出てより、ようやっとアリスは一息をつくことが叶ったのだった。

◆ ◇ ◆

 風呂へ入って、服を着替えて、食事を取って、しばらくが経てば日が暮れた。

 夕食後の席でルーシュとゴメスは今後を巡り、何やら相談をする運びとなった。おかげで門外漢のアリスは他にやることもなく、与えられた宿の一室で一人、何をするでもなく時間を潰していた。

 ガラス戸を開けた先のベランダ、そこに身を置いて夜の街を眺める。街路や家々には疎らに明かりが灯り、穏やかな夜の態を晒している。彼女が知る数多の夜景と比べれば随分と大人しい。住居の密集具合こそ大したものだが、夜の景観としては、別の世界の片田舎に構えた実家の近辺が似たような具合だと彼女は思う。灯る全ては決して目を刺すような煌びやかなものではなく、じんわりと暖かみの感じられる明かりである。

「…………」

 けれど、それすらも滅多なことでは拝めなかった彼女だから、遠く眺めるに至って色々と感慨深いものもあるのだろう。思慮深そうな顔で延々と外の様子を見つめていた。外へ出てより小一時間は経ったろうか。

 昨今の暖かな気候も手伝って、幾ら外で過ごしたところで身体を崩すことは無い。柔らかく頬を撫でる風に当たりながら、アリスは自らの今後を静かに思うのだった。全ては明日以降、自らの行く先である。

「……どうしよう」

 父親が向かわんとした街に着いたものの、彼女一人では何もできないのだ。

 かと言って村へ帰ることも難しいのだから困ったものであった。

「…………」

 まさか延々とこの宿に止まっていられる筈もなく、自らの食い扶持は自らで稼がねばならない。そう思うと、両親の庇護なしでは村に居ようと街に居ようと、自らの立場は変わらぬのだと彼女は強く思う。

 腹一杯にご馳走を食べて、長々と風呂にも入って、更には上等な服を着せて貰って、そうして生まれた余裕から、ふと沸いて出た今後への不安が彼女を苛んでいるのだった。

「はぁ……」

 自然と溜息も洩れる。

 見上げた夜空は数多の星を並べて煌びやかにも輝いている。

 その澄み切った空気と満天の星空が、今の彼女には世界の自分に対する皮肉にすら思え足りるのだった。昔は幾ら眺めても排ガスにくすんだ空しか見えなかったのに、とは既に語ることもできない思い出だろう。

「…………」

 最悪、ルーシュに何とか頼み込んで、下働きでもさせて貰えないだろうか、そんな風に思いながら、アリスは悶々と一人不安を溜め込む。既に重々承知していたにも拘らず、今更ながら生きることの大変さを身に染みて理解する次第であった。

 そうして、どれくらいの時間を過ごしただろうか。

 不意に彼女の背後でガラス戸の開く音が響いた。

「アリス?」

「何?」

 呼ばれて振り返ると、そこにはルーシュの姿があった。

「何か変わったものでも見えるのかい?」

「変わったものと言えば、こうしてみる夜景は初めてなものだったから……」

「……そっか」

 小さく頷いてルーシュはアリスの傍らまで歩を進める。

 二人はベランダの手摺りに身を寄せて、横に並び立って外を眺める。

「なかなか大したものだろう? ファーレンの街は」

「ええ、私の居た村とは雲泥の差」

「僕も随分と久しぶりに帰ってきたけど、やっぱり良いもんだよ」

「そうだね」

「こうして上の方から眺めると、大切にしなきゃなぁ、とか思うんだ」

「それは王様として?」

「さぁ、どうだろう? でも、お父様も大切にしてきたものだからさ……」

「そっか……」

 交わす言葉は短くて、ぽつり、ぽつりと、眺める景色より零れるように語りは続けられる。割と快活とした性格のルーシュであったから、アリスはゴメスとの相談で何かあったのだろうと当りをつける。

 そして、僅かばかりの躊躇の後に自ら口を開いた。

「……何かあったの?」

「…………」

 問われて一瞬、ルーシュは口を噤む。

 けれど、それも僅かな間に合って、すぐに答えて全てを吐き出した。

「ああ、どうやらお母様の処刑が明日に早まったらしい」

「明日?」

「そうだ、明日なんだ」

 それは急な話であった。

 二人が市場で知った情報によれば、ルーシュの母親の処刑までは後十数日の猶予があった筈である。それがいきなり明日ともなれば、幾ら覚悟していたとは言え、気分が振れるのも当然だろう。

「随分と急な話、だね」

「ああ、ゴメス達も聞いたばかりだったらしくて、驚いていたよ」

「それじゃあ、ルーシュはどうするの?」

「どうするも何も、僕は行くよ」

「何か算段はあるの?」

「一応、ゴメスとその部下達が策を巡らせてあるらしい」

「なるほど……」

 淡々と語るルーシュの言葉を耳に、アリスもまた身体の強張るのを感じた。

「やっぱり、ルーシュも行くんだよね?」

「ああ、当然だよ」

「そっか……」

 本当に助け出せる可能性があるのか。何の情報も持たないアリスは彼の言葉に小さく頷く他にない。折角、地獄を渡るが如き苦労を重ねて助けた相手が、しかし、自ら死地に飛び込むというのは、何より平穏を求める彼女にとって非常に心苦しかった。生まれて初めて心の底から信用できるだろう相手とめぐり合えたにも拘らず、こうしてすぐに分かれなければならない今が悲しかった。

「だから、アリスに伝えたいことがあるんだ」

「……何?」

「君は僕の他に、誰かこの街に頼れる人はいるかい?」

「ううん、誰も居ないよ」

「そうだと思ったから、だから、これを貰ってくれないか?」

「え?」

 ズボンのポケットより、不意にルーシュが何かを取り出した。

 片手の平に乗っけてアリスへと差し出す。

「……宝石?」

「ああ、売ればそれなりの金になるだろう」

「これを私に?」

「君一人残して行くのは忍びない。しかし、まさか君を巻き込むわけにも行かない。だから、どうか君だけは幸せに生き延びて欲しい。僕もゴメスに頼んでできるかぎり手を回してある。しかし、その後はどうなるか分からない」

「…………」

「だから、なんとか、頑張って欲しいって、思って」

「なんか、演技でもないことを言うね」

「そ、そうかな?」

「ええ、凄くそう」

 差し出された宝石を前に、どうしたものかとアリスは戸惑う。

 対するルーシュは酷く真面目な顔で彼女を見つめている。その眼差しには有無を言わさぬ迫力があった。その姿が同い年にも関わらず妙に大人びて見えて、アリスはどうしたものかと前にも後ろにも躊躇してしまう。

「どうか、貰ってくれないか?」

「…………」

 キラキラと月明かりを浴びて輝く宝石は、物の値打ちなど知らぬアリスにも大層な代物に思えた。愚直に考えるなら、貰えるものは貰っておくべきだと彼女は考える。けれど、それは同時に自分の友達の今後を否定するようで辛かった。

 だから、アリスは一頻り悩んだ。

 どうしたものか悩んだ。

 そうして悩んだ結果、一つ適当な語り文句に思い至った。

 それこそ、彼女にしたって自分が使う日が来るとは思わなかった代物だ。

「分かった、それなら、しばらくの間だけ預かっておく」

「預かる?」

「だから、次に合うときはお母さんと一緒だね」

 なんて臭い台詞もあったものかと、自らの行いながらアリスは鳥肌の立つのを感じていた。魔王を討たんと旅立つ勇者様にお姫様が語りかける、幼い頃に読んだ御伽噺にそんな一節があったなぁと、遠い過去を思い起こす。それが今は浮浪者がお姫様兼王子様に語らっているのだから笑えない、とは心中の呟きだ。

 けれど、一方の相手はそれが甚く心に響いたらしい。

 唐突にも語る彼女の身体をぎゅっと抱き締めた。

「ありがとう、アリスっ……」

「い、いえ、どういたしまして……」

「僕も母さんも、戻るよ、戻ってくるよ、絶対に……」

「うん、……頑張って」

 その腕に篭められた熱が妙に暖かなものであって、知らず、アリスもまた彼の背に自らの腕を回し答えているのだった。

 そして、そこで胸を重ね初めて理解したのが、早鐘を打つように鼓動を高鳴らせるルーシュの心臓である。肌はじんわりと汗を浮かべて、体温も僅かばかり平時と比べて高く思える。耳に触れると吐息の繰り返しも、幾分か熱を孕み荒く感じられた。

 どくんどくんと身体中の血管が痛いほど大きく脈を打っていた。

「…………」

 そのような彼の様子を受けて、自然とアリスは自らの心の落ち着くのを感じていた。ルーシュもまた自分に同じく必至なのだと、素直に理解が叶ったのだった。何も不安なのは自分だけではないのである。

 そして、それと同時に思い起こされたのは数日前の出来事である。自身の目の前で竜に食われた母親の姿である。父親の死を嘆いて、自ら竜に喰らわれてしまった、血塗れの姿である。

 思い起こしただけで怒りやら悲しみやら後悔やら様々な感情の溢れ出る。多少だけ触れた程度でも平静で居られない。しかし、今だけは、今にだけ限っては、何故だろう、目の前の相手への糧となって、自然とアリスの心を穏やかなものへ至らしめたのである。

 凄く嫌な筈なのに、自分も相手も、その内より一滴の救いを見つけたのだった。

 何故かはアリス本人にも知れない。

 だけれども、それは確かに彼女の心を穏やかに、そして暖かに包み込んだ。

 だから、自然と続く言葉は洩れていた。

「大丈夫だよ、きっと」

「……そうかな?」

「きっと上手くいくよ。君は大した魔法使いじゃないか」

「けど、だけど、その……、わ、私は、私は……」

「お母さんが大切なら、きっと、幾らでも頑張れるよ、ルーシュは」

「……アリス……」

 震える背を撫でるように、アリスは穏やかな口調でルーシュに語る。

 特に意識するでもなく、彼女は柔らかな笑みを浮かべて彼に言葉を向ける。

「君は凄く強いんだから、誰が来たところでどうにでもなる」

「でも、私は、まだ子供だし、全然だし……」

「街の不良を相手にあれだけ暴れまわったんだ、大したものじゃない」

「だ、だけど相手は、こんどは凄いんだよ? そんなのを相手にしたら……」

「きっと大丈夫だよ。そう思っておけば何が来ようと、やっぱり大丈夫だよ」

「アリス、意味が分からないよ……」

「うん、私も少し分かってないけど、でも、前向きな方がルーシュらしいから」

「私らしい?」

「そう。だから、後悔の無いように頑張って欲しい」

「…………」

 そうして、ジッとアリスはルーシュの顔を見つめる。

 ルーシュは眦に僅かばかり涙を浮かべながらもアリスを見つめる。

 二人とも微動だにせずにジッと向き合ったまま、互いに互いを抱き締めたまま、鼻頭が接するほどの距離でそれぞれの瞳を見詰め合う。瞳に映る自らの姿すら捉えうるまま、瞬きすら忘れて延々と時間を過ごす。

 それからどれだけ時間が過ぎたろうか。

 アリスは段々と胸の鼓動を落ち着かせ始めたルーシュを意識する。

 とくん、とくんと、動悸の治まるのを理解する。

「……ルーシュ」

「アリス、すまない」

「……何が?」

「いや、ほら、僕としたことが、とんでもない無様を晒した……」

 ぽっと顔を赤らめてルーシュが言う。

「……そう?」

「でも、君の言葉は嬉しかった」

「そ、それは、良かった……」

 ルーシュの言葉を受けて、アリスもまた自身の頬が高潮するのを感じた。

 そうして、なんて柄にも無い事をしたのだろうと強く疑問に思った。

 けれど、決して悪い気はしないとも同様に感じていた。

「ありがとう、これなら僕は明日を頑張れそうだ」

「うん、その意気だと思う」

「ああ、そうだな」

 そうして二人はゆっくりと腕を離す。

 やがて、どちらともなく傍らへ身体を向けては、その先に臨む夜景へと意識をゆっくり移した。夜の街は既に音を失って静まり返り、時折、姿も知れぬ獣の遠吠えや、虫の音が届けられる程度にある。

 そんな空間にあって、並び立つ二人は何をするでもなく、ジッと、目に映る光景を眺め続けるのであった。