金髪ロリ僕っ娘ラノベ

第四話

 翌日、アリスは静寂の中で目を覚ました。

 傍らで眠っていた筈のルーシュは既に姿なく、起き上がり与えられた部屋を見て回っても、誰の姿も見当たらない。唯一、彼女の下に残されていたのは一枚の置手紙。そこには短く、行ってくる、今までありがとう、とだけ短く示してあった。

「……ルーシュ」

 昨晩に伝えられたとおり、彼は母親の処刑を阻止せんと仲間を率いて、既に部屋を発った後であったらしい。彼女は慌てて寝間着から外着に着替えると、自らに宛がわれた一室を後とする。

 廊下に歩み出た彼女は、まず近隣の一室、ゴメスと呼ばれた男が寝泊りしていた部屋へ足を向けた。けれど、幾らノックをしても人の声は返ってこない。思い切ってドアノブを捻ってみれば、扉は容易に開いて見せる。けれど、そこに彼女の求める人の姿はなく、荷物の一切合財すら運び出されて、既に蛻の殻となっていた。

 せめて最後に送り出すくらいは、などと考えていたアリスだけに、その喪失感はかなりのものであった。他に誰か彼の付き人が一人くらい残っているのではないかと、ゴメスの部屋を後として、宿屋の内をうろついてみる。

 右へ行ったり左へ行ったり、階段を上ったり、降りたり。そうこうしていると彼女は正面より歩み寄るメイド姿の給仕に出会った。からからとワゴンを押して廊下を対面より歩み来る。

 これ幸いとアリスは彼女に話しかけた。

 今の自分なら身形も場に相応だし、何より宿屋の客であるし、話しかけても殴られることはないだろうと今一度だけ確認しての上である。とは言え、今までの経験から見知らぬ大人にトラウマも少なからずあって、語り掛けるに際してはどきどきである。

「すみません、一つ尋ねたいのですが、いいですか?」

「はい、なんでしょうか?」

「昨日の晩まで止まっていた、ゴメスという方は既に宿を出てしまっていますか?」

「あ、はい、あの方でしたら数刻前にお出かけになられました」

「そうですか」

「はい、何か御用がありましたか? 言伝等ありましたら承りますが」

「いえ、結構です。どうもありがとうございます」

 ルーシュの計らいで上質な服を着ていたことも功を奏した。相手はアリスの身形を一目見て良いところのお嬢様だと勘違いしたのだろう。子供相手にも関わらず恭しく頭を下げて丁寧にも答えてくれた。

「何か御用がございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」

「どうもありがとうございます」

 そんなだから、根が小心者の彼女は慌てて頭を下げる。

 そうして、そそくさと逃げ出すように場を後とするのだった。

 背後にメイド姿が見えなくなったことを確認して、ほぅとアリスは胸を撫で下ろす。それと同時に、これから先をどうしたものかと頭を悩まし始める。廊下の隅で立ち止まり、それとなく懐へ手を伸ばす。ともすれば、指先は昨晩にルーシュより貰い受けた宝石につんと当る。

 それを慎重に取り出して、両手の上に乗せてジッと見つめる。

「……ルーシュ」

 アリスはルーシュの動向が気になって仕方がなかった。

 こうなることは理解していた。けれど、実際に自分一人が残されてみると、気が気でなかった。それこそ数年を掛けた試験の結果を延々と待つような、そんな如何ともし難い緊張が胸を締め上げる。

「…………」

 ぎゅっと両手の平に冷たい感触を握り締める。

 宝石は本来の持ち主を失って、その輝きを昨日より少しばかり落として思えた。

「……あ」

 そこで不意にアリスは失念していた事柄を思い起こす。

 彼の母親の処刑は市井全てに開放された公開処刑である。王族一派を取り押さえた大臣側派閥が以降、復権への道を完全に絶たんととして行う見せしめである。そして、会場は広くファーレンのそこらかしこに掲示されて、アリスが市場に見たに同じく、大多数の市民の知るところとなっていた。

 ならばこそ、会場は人でごった返しているに違いない。

 そこで彼女のような小さな子供一人を誰が見咎められるものか。

「……行こう」

 誰に言うでもなく呟く。

 決して来るなとは言われていない彼女である。自らの友人が確かに目的を果たすことが叶うのか、そして、叶った後には何が起こるのか。それを自身の目で確認する為に、アリスもまた宿を後とするのだった。

◆ ◇ ◆

 一方、ところ変わって処刑会場の真下、下水を流す地下道にルーシュの姿はあった。傍らにはゴメス以下、彼の仲間である男達が幾人も並んで、彼の母親の奪還を目指し、虎視眈々と時機を狙っている。

「ゴメス、あとどれくらいだ?」

「はい、もう少しでルーシュ様のお母様が断頭台へ上けられる筈です」

「それまで、どれくらいの時間があるんだ?」

「私の仲間より合図が入る筈ですから、今しばらくお待ちください。もうすぐ、数刻と待たずに訪れる筈です。ですから、ルーシュ様はいつ飛び出しても構わないよう、準備を万全にしておいてください」

「ああ、言われずとも分かっている」

「作戦は先程に説明したとおりです。ルーシュ様の魔法によって憲兵を牽制、その間に我々がルーシュ様のお母様を助け出します。その後は群集に混じって、それぞれ別に集合地点まで向かう形です」

「お母様の安全は、ゴメス、お前に頼んだ」

「はは、この身に代えましても必ずやお守りして見せます」

「ありがとう。僕は絶対にお前達を守り通してみせるからな」

「ルーシュ様にそう言って頂けるとは、私、感動にございます」

「絶対に、絶対に成功させような」

「はい、絶対に成功させましょうぞ」

 十数人から成る隊列の先頭に立って、二人はぐっと深く頷き合う。

 それからしばらく、暗闇に身を潜めていると、頭上より僅かばかり明かりの差し込むのが皆の目に映った。それは綺麗な一本の線となって、下水の流れる水面へ差し込む太陽の光である。

「ルーシュ様、合図が参りました」

「分かった。行くぞゴメス、皆っ!」

「「「はっ!」」」

 ルーシュの声に従って全員が一様に頷く。

 次いで足音を殺すこともせずに勢い良く駆け出す。

 向かう先は頭上。各々は魔法を使うことで身を宙に浮かせて、頭上より差し込んだ光の根元へと突っ込んでいく。先頭を進むルーシュが腕を突き上げる。それに応じて、僅かだった陽光が溢れんばかりに膨れ上がり、薄暗い地下道を白昼に晒す。

 その白の先へと彼らは飛び立ち、突き進むのだった。

 薄暗い地下から一変して、地上に出た皆々の目を刺すのは日の光。暗闇に慣れた眼には痛いほどの眩さを持って、雲一つ無い空から燦々と陽光が注がれる。それに瞳を細めつつ、ルーシュは周囲の様子を探る。

 彼らが躍り出た場は処刑場、その断頭台の置かれた正面であった。

 まず眼に飛び込んできたのは彼の母親の姿。首をギロチンに押し付けられて、今にも朽ちようとしている。傍らには斧を手にした男の姿があり、その手前にはぴんと張られた縄がある。それが彼女の頭上で重々しく無骨な断頭刃を支えているのだった。

「っ……」

 咄嗟に駆け出しそうになるルーシュ。

 けれど、それを危ういところで留める。

 自分は他にやるべきことがあるのだと自らに言い聞かせる。そして、その両腕を周囲を囲った憲兵達へを向ける。断頭台の周囲は多少の距離を置いて国の兵や警察の類が円を作り囲っていた。その外には更に野次馬の群れが並ぶ。

「なんだっ!? どうした、どうしたんだっ!?」

「あれは王子じゃないかっ!?」

「おい、王子だっ! 王子が来たぞっ!?」

「何が起こったっ!?」

「地面の下からなんか変なのが出てきたぞっ!?」

「イテェ、足踏むんじゃねぇよこのやろうっ!」

 ルーシュ達が飛び出すに応じて周囲にざわめきが広がった。

 公開処刑が執り行われる広場は随分と面積がある。そこへ集まった群集は千や二千では利かないだろう。万を越える勢いで押し寄せた街の人間達の間で、ルーシュの存在が口々に上がる。

 そして、そんな中で彼は声も大きく正目の憲兵達に言い放つ。

「お前達っ! 国の后を取り上げて公開処刑とは何事だっ!」

 凛とした声が辺り一帯に響き渡った。

「このような狼藉はファーレン次期国王たる僕が許さないっ!」

 そう決められた劇の一端を演じるように、ルーシュはその場に居合わせた全ての人間に声高々と宣言した。それと同時に淡い緑色の光が彼の両手に纏わり始める。それは肘から先を包むように、段々と輝きを増してゆく。

「く、曲者だっ! ひっとらえろっ!」

「捕らえろっ! 捕らえろっ!」

「殺すなっ! 生け捕りにするんだっ!」

 彼の宣言より少し送れて、憲兵達が一斉に反応を示す。

 手にした槍を水平に構えてルーシュを威嚇するよう一歩を踏み出す。両者の間には多少だけ空間がある。全力で間を詰めても数秒を要する距離だ。その間を勢い良く憲兵達が駆け寄ってくる。

「僕は君達を手に掛けたくは無い、しかし、それでもやるというのだなっ!?」

「やってしまえっ!」

「ひっ捕らえろっ!」

「逃してはならんぞっ!」

 ルーシュの口上など聞くまもなく両者が接触する。

 そう思われた瞬間の出来事、彼の両腕から炎が迸った。

 轟と大地を揺るがせんばかりの音を立てて、強大な炎の塊が正面より向かい来る兵達を飲み込んだ。槍を両手に下げ駆けて来た男の幾十人が悲鳴を上げる間もなく、炎に焼かれて灰と消える。その傍らで中途半端に焼かれた者達が喉が裂けるほどに断末魔を放つ。

 ルーシュの放った魔法一発はかなりの人間を纏めて焼き倒した。

 その圧倒的な光景から、自然と彼を包囲した憲兵達の歩みが鈍る。顔には焦りと恐れがありありと浮かんでいた。口々に叫ばれていた言葉も止んで、じりじりと後退を始める者すら出始める始末だ。

「さぁっ! お母様を解放するんだっ!」

 その圧倒的な様相を前にして憲兵を除く群集からおぉと声が上がる。

 場は完全に掌握した、そう思わざるを得ない光景だった。

 ルーシュ自身もまた、自らの仕事を無事に果たしたことでほぅと胸を撫で下ろす。すると、時期を合わせたが如く不意に彼の彼の下へ届けられる声があった。それは昨日と今日で利きなれた男の声である。

「ルーシュ様、此方も支度が整いましたっ!」

「ゴメス、良くやったっ!」

 それに応じて勢い良くも背後を振り返る。

「それではルーシュ様。お母様が大切ならば両手を挙げて大人しくこちらへ」

 そこではゴメスの手にした一振りのナイフが、ルーシュの母親の頬に当てられていた。ひたひたと刃を繰り返し女の肌に当てる男は、しかし、見間違いもなく、つい先刻まで彼の傍らに立っていた筈の男であった。にも拘らず、その表情は地下道に見たときと比べて、随分と意地汚い笑みを浮かべていた。

「なっ!?」

 ルーシュの身が硬直する。

「しかし、まさかこうまでも上手く話が進むとは思いませんでしたよ」

「ご、ゴメス、それは一体、何の真似だっ!?」

「何の真似も何もないでしょう? 見ての通りですよ」

「お前、お、お母様に、お母様に何をするつもりだっ!?」

「私も色々と思うところはありますが、自身の身には代えられません。こうしていることに罪悪感を覚えないでもありませんが、そうしなければ代わりに断頭台に立つのは我が身ですからね」

「貴様……図ったなっ!?」

「図らずともファーレンへ戻ってきたルーシュ様が悪いのですよ」

「糞っ……」

 見る見るうちにルーシュの顔色が悪くなっていく。

 その姿を眺めて彼を囲っていた憲兵達の間にざわめきが広がる。

「それ以上、お母様に何かしてみろっ! ただでは済まさないぞ!?」

「そうですか? では、それ以上何かして見なさい。貴方の大切なお母様は貴方の目の前で首を落とすことになりますよ? それとも、この目玉に刃を突き立てて、頭をぐりぐりと抉ってやった方がいいですか?」

「ま、そ、お前……」

「それが嫌ならば大人しくこちらへきて下さい」

「何のつもりだっ!」

「実を言えば、断頭台はこれとは別にもう一つ用意してあるのですよ」

「なっ……」

「つまり、全てはそういうことであった、という訳ですな」

「ご、ゴメス、貴様ぁ……」

 わなわなと怒りに身を振るわせ始めるルーシュ。ぎゅっと硬く握られた拳からは赤いものがぽたり、ぽたりと地に落ちていた。釣り上がった眼差しは嘗て無いほどに鋭く細められてゴメスを睨みつけている。

 そんな滅多でない光景を目の当たりとして、群集から上がっていたざわめきが段々と形(なり)を潜め始める。小さく囁きあうようにして、それまで叫ぶように語られていた言葉の数々が萎んでゆく。

「さぁ、どうぞこちらへ。愛するお母様の隣で死んで頂きましょう」

「んんぅうー! んんん!! んぅううううーー!!」

 猿轡を咬まされたルーシュの母親は呻くばかりで何もできない。ただ、必至になって身を解こうとあがいている。それまでは大人しく掴まっていた彼女も、絶望していた娘の姿を目の当たりとして生を取り戻したらしい。

「しかし、親子の対面としては類稀なる舞台が出来上がりましたね。これだけの観衆の中で、ここまでの大舞台をくみ上げることが出来るとは、私の能力もまだまだ捨てたものではないですな」

「んうぅうううっ! んんっ! んんぅうんっ!」

「まあ、そう吼えないでください。ほら、やって来ましたよ、貴方の息子さんが」

「んんぅっ! んっ! んっ! んぅうっ!」

「やめろっ! その危ないものを引っ込めろっ!」

 ゴメスに言われて、ルーシュは断頭台の袂まで歩み寄る。

 一方で、台を中心として周囲を囲う憲兵達は、少しだけ心持を立て直した様子で、顔付きも厳しくその姿を睨みつけている。場の空気は一変して緊迫したものに変化していた。事の次第を眺める群集にしても、誰も彼も顔色を悪くしていたり、表情を強張らせていたりと、辛辣な空気が流れて思える。

「お前の言うとおり来たぞ、だから、……お母様を介抱しろ」

 断頭台を前として、ゴメス、ルーシュが向かい合う。

「それはできませんな」

「……どうして、どうしてこんなことをするんだ? お前はお父様も非常に目を掛けていたと話に聞いている。それが、どうしてこんな風に、僕だけではなくお母様までをも巻き込んで……」

「私も生き残るのに必至なのですよ、ルーシュ様」

「…………」

「そういう訳ですから、さて、貴方達王家が納めた時代もこれで幕切れです」

「くっ……」

 母親の寝かされた断頭台の隣へ、新たに同じ形の器具が憲兵の手によって運び込まれる。その様子を見つめながら、けれど、ルーシュは黙って拳を握り唇を噛み締める他に術が無かった。

 一人なら、まだ何とかなっただろう。

 しかし、母親を人質に捕られては抗うことも出来なかった。

 言葉も無く黙って台の首上げられる姿を眺める。屈強な男達の手によって、寝かされていたそれが立ち上げられる。重く厳つい刃が上げられて、そこから垂れる縄が地面に打ち付けられた杭に結ばれる。

 そうして多少を待つに過ぎて、ルーシュの分の断頭台もまた出来上がった。

 しっかりと設えられたことを確認して、ゴメスが再び口を開く。

「さて、それでは前王家の公開処刑を始めましょうか」

 声高々に宣言されて、彼の指示に従いルーシュの身が器具に掛けられる。

「くっ、は、離せっ! この、僕に触るなっ!」

「いい加減に諦めたらどうですか? もう貴方達の時代は終わりですよ。これからは議会制の時代がやってくるのです。これは街の、いいえ、世界の流れと言っても良いではないですか」

「な、何が議会制だっ!」

「今までの栄華の皺寄せが貴方達親子に訪れた、ただそれだけです」

「このっ、このっ! 離せっ!」

 ガチャンと金具と金具が咬み合わさって、ルーシュの首が台に固定される。すぐ隣には母親の首が並んであって、それぞれ互いに涙を浮かべる両眼があった。必至に首を振るい逃れんともがいている。けれど、無骨な金属に因る拘束は決して生身の人間に解けるものではなかった。

「さて、それでは時間ですね……」

 ゴメスが広場に集まった群衆を見つめて呟く。

 処刑台は周囲より幾らばかり高い場所に設置されている。よって、周囲の群衆はルーシュ達を臨むことができて、また、ルーシュ達は群集を見下ろすことができる。憲兵の作る輪の更に外側、そこに立つ誰も彼もは何をするでもなく、ただ事の次第を見守っている限りだった。

 大勢の憲兵に囲まれた彼ら親子を救わんと挑み出る者は、誰一人として居なかった。

「それでは、親子同時にあの世へ送るとしましょうっ!」

 ゴメスの言葉に合わせて、断頭台の傍らに控えた男が斧を大きく振り上げる。

「これで千六百年に渡り栄えたファーレン王家の血が絶たれるのです」

 その腕が振り下ろされる。

 応じて、男の手にした斧もまた二人の命を握る綱へと向けられる。

 そんな時だった。

 静まり返った広場に響く声があった。

「ま、待ったっ! 待ったっ! ああもう、待ったっ!」

 応じて彼らに近い位置、先刻にルーシュ達の飛び出してきた地下へと通じる穴より、誰かが顔を出すのだった。埃に汚れているが、それは見事なブロンドであった。髪が見えて、顔が見えて、やがて、なんとか攀じ登った風に全身が地上へと這い上がってくる。

「あ、アリスっ!?」

 その姿を見てルーシュが素っ頓狂な声を上げた。

「そこで見ている誰も彼もっ! この国の王子様とお后様が殺されようって言うときに、ただ見ているだけなのっ!? 何もしないで大人しくしているだけなのっ!? こんな光景を黙って見ていられるのっ!?」

 地下から地上へ現れたアリスは、間髪置かずにそう叫びを上げた。

 憲兵は突如として現れた歳幼い少女にどうしたものか、その指示を仰ぐべくゴメスを見つめている。ゴメスは自分達が現れた穴をどうやってしったのか、その辺りに疑問を感じつつも、見知った相手に顔を歪める。

「これはまた、まさか後を付けられていたとは……」

「別に後を付けていた訳じゃない、色々と聞いて回った結果」

「いずれにせよ、この場へ現れてしまったのなら仕方が無い」

「さっきまでの話を聞いた限り、彼の父親は貴方にとって恩人に当るのではないの?」

「はん、乞食風情が何を語る。おい、さっさとコイツを捕縛しろっ!」

 ゴメスの指示に従って憲兵の幾らかが駆け寄る。

 アリスはそれから逃れんと、断頭台の側へひた走る。向かう先には首を饐えられたルーシュと、彼の母親、そして、ゴメスと彼の指示を待つ処刑人が居る。捕まえられて、断頭台にすら掛けられることなく殺されるのは目に見えていた。

「あのまま大人しくしていれば殺されることもなかったものを」

「…………」

 憲兵はすぐに彼女を捕まえた。

 小さな子供だから、槍を突きつけるまでも無く容易に地へと組み伏せられてしまう。

「まあいい、その身を持って救わんとした相手の死ぬところを眺めるがいい」

「や、止めっ……」

「黙れ、耳障りな声を上げるな」

 声を上げようとしたところで、しかし、上から降ってきたゴメスの足が彼女の頬を踏み潰した。

「んぅぅぶぅっ……」

「ったく、面倒ばかり掛けさせてくれて……」

 そして、仕切り直しするように、彼は断頭台へと向き直る。

 群集の注目もまた、彼が見つめるところへと一挙に向かう。

 アリスという小さな子供の存在など、多くにとっては有象無象の一つに過ぎない。誰も彼女を見ることは無い。そして、公開処刑は当初の予定に違わず、ゴメスの手により執り行われるのだった。

 その筈だった。

 しかし、唯一、彼女を見ていた者が居た。

 その者はこの場の誰よりも大きくて、誰よりも力強い存在であった。

 ふっと、広場に大きな陰りが出来る。

「ん?」

 雲一つ無い晴天にあって、処刑台の全てを覆う巨大な影にゴメスが顔を上げる。

 応じて、その者は巨大な体躯を惜しげなく晒し、大きな声を上げるのだった。それこそ腹を振るわせる、大地を振るわせる、世界全体を振るわせんほどに、人の感覚など容易に殺してしまうほどの一声である。

「人間の子よ、貴様へ我が報復を果たしにきてやったぞ」

 それは一体の巨大な竜であった。

「なっ!?」

 ゴメスの目が驚愕に見開かれる。

 いや、ゴメスだけでなく、その場に居合わせた全ての人間が空を見上げて驚愕に慄くのだった。悠然と浮かぶ竜はあまりに大きい。人一人など、それこそ口元に生えた牙の一本に過ぎないほどの体躯を誇る。

「しかし、そのような者に虐げられているとはつまらんな……」

「お、お前は……」

 アリスは竜の姿を見て思い至る。

 その姿には確かに見覚えがあるのだった。

 他でもない、彼女の家族を食い殺した竜である。瞳に与えた傷こそ癒えているが、その姿は間違いなかった。全身に鉛玉を雨と喰らわせて殺した筈の相手が、悠々と翼を広げて空に浮かんでいるのだった。

 その姿を一目見てアリスの中に激しく燃え上がる何かが生まれる。

 今までの目まぐるしい生活の中で忘れかけていた、彼女の両親を思う気持ちが一気に吹き上がる。それはここ数日に渡り、忙しさから悲しむことすら押さえつけられていた為に、今この場にあって、凄まじい勢いで胸の内に膨れ上がるのだった。

 一方、断頭台の隣にあったアリスを抑える憲兵、そして、ゴメス、更にはその傍らで斧を手にしていた男が逃げ出す。竜の視線はアリスに向かっており、彼女を中心として、誰も彼もは蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのだった。

「う、うおぉおおああああああっ!」

「まって、待ってください、ゴメス様ぁあっ!」

 がつんと放り出された斧は、危ういところで縄を避けてアリスの傍らに転がる。その刃のぎらぎらとした輝きに肝を冷やしながらも、一先ずは身体の自由を手に入れたことに感謝して身を起こした。

「せっかくこうして私が来てやったのだ。まさか、逃げる真似はしてくれるなよ?」

「どうしてお前がここに……」

「あの程度でこの私がくたばったと思ったか?」

「それにしたって、あの時の怪我が全く見られない」

「ふはははははは、あれくらいの掠り傷など怪我のうちに入るものかっ!」

「…………」

 竜は剛毅であった。

 人間とは比べ物にならない大きな声を上げてアリスを笑う。空から降ってくる唾の一滴はまるでバケツをひっくり返した風にあって、ぴしゃぴしゃと汚らしい音を立てて広間を汚した。

「とは言え、人間に与えられた掠り傷としては破格であった」

「……だったら、何?」

「そのお礼参りにやってきてやったんだ。感謝しろよ、人間」

「そう……」

 アリスはぎゅっと拳を握って竜を睨み返す。

「さぁ、この間の続きをしようじゃないか。私はまだまだ足りぬ。お前の泣き叫ぶ声を聞いて、その身をこの爪に引き裂き、牙に串刺すまでは心が落ち着かぬのだよ。そう、人間、お前を殺すまではな」

「……そう」

 竜の語り掛けを受けて、アリスは傍らに落ちた斧に目を向ける。

 それは子供が手にするには過ぎた代物だ。断頭台の縄を切る為に用意された、争いに用いられるそれと比較して小振りの一本。とは言え、小さな彼女からすれば構えるだけで一杯一杯。彼女の身の半分はあろうかと言う凶器である。

 しかし、ほかに彼女に選択肢は無くて、自然と手はそこへ伸びた。

「ほぉ、やはり大人しくは終わらないか、人間」

「父さんと、母さんと、妹の敵……」

「ふはは、ふはははははははは、いいぞ、いいぞ人間っ! それでこそ、わざわざこのような場所までやって来た甲斐があるというものだっ!」

 竜が大きな声を上げて吼える。

 その声を聞いて周囲の人々は今まで以上に逃げ狂う。しかし、大勢の人間が空き間なく集まったものだから、多くは思うように身動きすら取れない。逃げ出そうと必至になれば必至になるほど非難は遅れる。無事に逃げ出せたのは処刑台を囲う円の最外郭にあった者くらいだろう。他は依然として動き無く喚いている限りだ。

「アリスっ!」

 魔法で断頭台を砕いたルーシュがアリスの下まで駆けて来た。

 聞きなれた声を耳としてチラリ視線を向ければ、そこにはルーシュと共に、彼と目鼻立ちの良く似た成人女性の姿がある。どうやらゴメスという枷を失ったことで、母親の救出もまた無事に済んだらしい。

「ルーシュ、逃げて。ここは危ない」

「い、いや、君こそ逃げるんだっ! こんな竜を相手に人間が勝てる訳が無いっ!」

「駄目、これは私の獲物だから」

「獲物って、アリスっ! しっかりしてくれよアリスっ!」

「いいから、ルーシュは逃げて」

「ば、馬鹿っ! そんなこと出来る訳が無いだろっ!?」

 ルーシュはアリスの隣に立って、彼女に同じくキッと竜を睨みつける。

「アリス、そこまで言うならば、僕にも君の手助けをさせて欲しい」

「え?」

「こんな竜を野放しにしたら街にどれだけの被害が及ぶことか。お父様の意思を注ぐならば、僕が、僕こそが撃たなければならないんだっ!」

「……ルーシュ?」

「いいだろう? それに、ほら、君にばかり助けられては居られない」

「…………」

「嫌だと言っても、僕は戦うぞ」

「う、うん……、そういうことなら、分かった」

 アリスは彼の言葉に小さく頷いて応じる。ともすれば、ルーシュはにっと小さく笑みを浮かべて彼女を見つめる。そんな瑣末なやり取りをしていれば、傍らよりはルーシュの母親もまた、ルーシュに並んでその力を振るわんと身を乗り出した。

「まさか、ルーシュがここまで立派に育っていたとは、母親としてこれほど嬉しいことはありません。どなたか存じませんが、私もまた貴方の戦いに足を踏み入れること許してはくれませんか?」

「え、ええ、分かりました」

「ありがとうございます。至上の感謝を貴方に」

「いえ……」

 そうして三人は一列に並び正面より竜に挑む。

 そんな彼女達を眺めて、遥か頭上に浮かんだ竜はニィと口の端を歪めて口を開く。その表情はいつだか、自身の家族を喰らったときに奴が浮かべた表情と同じだと、アリスは更にくつくつ、身の内に怒りが溜まるのを感じた。

「さて、話は終わったか?」

 呟いて竜が羽ばたく。

 そして、人が引いたことで僅かばかり生まれた広間の空間へと、ばさり、ばさり、翼をはためかせながら降りて来た。その圧倒的な風圧に耐えながら、アリスは歯を食いしばって相手を睨む。

 やがてその足が地に着くと、どしんと大地を揺るがすほどに大きな衝撃が広がった。

「さぁ、来い、人間」

「絶対に、許さない……」

「許さないならば、そう、私を倒してみるがいい、人間よ」

「っ!」

 竜が大きく羽ばたく。

 アリスは斧を両手に身構えるしかない。

 そんな彼女の傍らにあって、ルーシュは何やらぶつぶつと小さく呟きを始める。そして、それは彼の母親にしても同じだ。五指を顔の前で組み合わせて、真剣な眼差しで何かを口にしている。

 竜が吼える。

 凄まじい勢いで、その口から膨大な量の炎が吐き出された。

「そうはさせないっ!」

 応じたのはルーシュである。

 短く叫んで両手を前に翳す。

 すると、凄まじい勢いで吹き付けられた炎が、しかし、三人の立つ場所を避けて周囲へと拡散していく。彼女達が立つ場所だけ、透明な目に見えない椀を上から被せたが如く炎が避けて通るのだった。

 そして、竜の炎が途切れた次の瞬間、今度はルーシュの母親が吼えた。

「竜よ、喰らいなさいっ!」

 前方へ突き出した両腕、その周囲に数え切れないほど大量のツララが生まれた。

 しかも一本一本は人間よりも尚のこと太い。巨大な樹木の幹を想像させる強大なツララだった。それが幾本も、幾十本も、瞬く間に現れて、凄まじい勢いで竜に向けて突き進み始めたのである。

「ぬぅううううっ!」

 けれど、それだけの凶器を前にしても竜は怯まなかった。

 ツララにも増して巨大な尻尾を振るって、迫るツララの悉くを身に届く寸前で叩き割ってしまう。がしゃんがしゃんと耳を突くような音と共に、氷の破片と貸したツララが辺りに散らばる。

「アリス、もっと後ろへ下がってっ!」

「い、いや、だってこれは私のっ……」

「そうは言っても、銃もない君じゃあどうやって相手に挑むんだっ!?」

「それは、そ、その……、だけどっ!」

 想像以上に俊敏な竜の動き。

 その振る舞いに慌ててルーシュはアリスを背後へと庇うよう位置を取る。

 彼の言葉はどこまでも正しい。彼女の手には銃がない。斧など構えているのがやっとで、振るうことなど夢のまた夢。彼女自身も自分が何の役に立たないことは良く理解していた。けれど、それを認めるのが悔しくて、一歩を前に踏み出してしまう。

「ルーシュ、次のが来ますよっ!」

「は、はいっ、お母様っ!」

 ルーシュの母親が再び呟きを始める。

 それに習ってルーシュもまた両手を顔の前に構えて魔法の用意を始める。

 竜は炎が利かないと理解すると、今度はその巨漢に全てを訴えてきた。翼を大きくはためかせて、ぶわっと身体を空へ浮かす。アリス達を踏み潰さんと体当たりを仕掛けてきたのである。

「ルーシュっ!」

「アリス、お母様、後ろへっ!」

「ここは私に任せなさいっ!」

 ルーシュの母親が魔法を使う。

 すると、見えない何かが三人の足元を包む。かと思えば、三人の身体は風に流されるようにして瞬く間に場所を移動する。それまで立っていた場所は断頭台を含めて竜の巨体に潰される。一方、アリス達は十数メートルを離れて、それまで竜が身を落ち着けていた場所まで移っていた。

「ルーシュっ!」

「はい、お母様っ!」

 二人は阿吽の呼吸で魔法を繰り出して竜に対抗する。

 移動が済んで直後、ルーシュの両手から先程に彼の母親が放ったものと同じツララが打ち出された。けれど、隙を突いたと思われたそれも、やはり尻尾を振り回す一動作によってあえなく潰されてしまう。

「ふははは、人間、こざかしいなぁ? こざかしいなぁ?」

「くっ……」

 語る竜は余裕の声色で三人を振り返る。

 一歩を動かす毎にどすんどすんと地面が揺れて、その都度、周囲からは人間の多種多様な悲鳴が上がる。依然として避難は滞っているらしい。アリス達の立つ位置からでも人の走る姿が見て取れる。

「やはり、人間とはこの程度のものよ」

「ルーシュ、下がりなさいっ!」

「はいっ!」

「どれだけ群れようとも、私の敵などには成り得ないのだ。そう、未来永劫、永遠に成り得ないのだとも。それを今ここで確りと、貴様らの言う歴史とやらに刻み込んでやろうじゃないか」

 竜が喉を鳴らして唸る。

 それが再び炎を吐き散らす合図と悟って、ルーシュの母親が再び魔法を唱えた。

「くっ……」

 それは先程に同じく竜の炎を見事に防いだ。しかし、炎の勢いは先程に増して強烈であった。アリス達を覆うお椀の大きさはさっきのそれが丼ならば、今は茶碗といった具合であった。また、それを支えるルーシュの母親にしても、苦しそうに顔を歪めて必至の形相にある。

「お母様っ!」

 慌ててルーシュが一歩を踏み出す

 母親に同じく両手を正面に翳して、炎を受けとめんと歯を食いしばる。

 彼が加わるに応じて三人を包む安全地帯は僅かばかり面積を増した。けれど、それでも初回のそれと比べては依然として小さくある。迫る炎は数歩を踏み出せば触れられる位置まで迫っていた。

「ほぉ、頑張るではないか」

「く、こ、この程度、私達親子の敵ではありません」

「お母様、僕はまだいけますっ!」

「ええ、分かっていますとも。私は貴方のことを全て理解しているのです」

 竜は器用にも炎を吐きながら言葉を続ける。

「では、どこまで耐えられるか試してみようではないか」

 その語り草は露骨な侮蔑と有り余る余裕を含んで、必至に耐えるルーシュ達の神経を逆なでするよう広々と辺りへ響く。二人の表情が厳しさを増した分だけ、竜の顔には笑みが増して思える。

「五月蝿い意っ! そのような口を利けるのも今のうちだと知れっ!」

 強がるように吼えるルーシュ。

 そんな彼の隣に立って、その母親が負けず劣らず叫びを上げる。

「ルーシュ、一気に押しのけますよっ!」

「はいっ!」

 二人は時機を合わせた風に一歩を前へ出る。

 それに応じてアリス達を守る領域が一段階だけ拡大した。

「ほぉ……人間にしては根性があるではないか……」

「そうですか? むしろ貴方が竜にしては力に劣るのではないですか?」

「ならば竜の力、その脆弱な身でしかと味わうがいいっ!」

 ルーシュの母親の口上を受けて竜が首を大きく振るわせる。

 開かれた顎が一度だけ引いたかと思うと、再び突き出された口元より炎が勢いを増して噴出す。先刻より延々と止め処ない炎は一向に収まる兆しが見えない。しかも吹き荒れる火の粉は時間の経過と共に激しさを着実に増している。

「くぅっ……」

「なっ……」

 それまでが遊びであったと言わんばかりである。

「お、お母様っ……」

「ルーシュ、頑張るのです。まだまだ、諦めてはいけませんよ」

「大丈夫、わ、分かっておりますっ!」

 二人は必至になって両腕を前へ、前へと掲げる。

 けれど、一歩を進んだきり前にも後ろにも動けなくなってしまった。

 そして、そんな二人をアリスはただ黙って眺めているしかできない。ルーシュ達の作るお椀の外では太陽も斯くやあらんという業火が燃え滾っている。僅か身動ぎすら躊躇われる状況だった。

 手にした斧は持ち上げているだけで精一杯。苦し紛れに投げつけることすら叶わない。ぎゅっと硬く拳を握り締めるだけで、足を引っ張るしか能が無い。口では偉そうなことを語っておきながら、何ら手助けを出来ない自らを彼女は非常に悔しく思うのだった。

「ほら、どうした? 頑張らねば黒焦げてしまうぞ?」

 そして、彼女が悔しさを増すが毎に竜は炎の勢いを増す。

「いや、焦げた姿など晒す間もなく、骨まで燃え尽きて灰も何もなくなろうだろうな」

 巨漢は広場にでんと身をおいたまま動くことも無い。今の状況で尻尾を振り回せば、それだけで三人は容易に絶命するだろう。しかし、竜は自らの力を誇示せんと思う故か、敢えてそれをすることもない。じわりじわりと炎の吹き付ける勢いを増して、三人の焦る様を楽しんでいた。

 ともすれば、ルーシュと彼の母親の限界は訪れた。

「くっ……うぅ……」

「ルーシュ、しっかりなさい、ルーシュっ!」

「は、はい、お母様……」

「それでも私の子ですかっ!? 今を頑張らずにいつ頑張るというのですかっ!」

「大丈夫です、ま、まだまだ……」

「そうです、その意気です。私達の後ろには街の皆々が、そして、何よりも貴方や私を助けてくれた彼女が居るのですよっ!? ここで身を引くようなことがあってはファーレンの名折れです」

「そ、そうですね、お母様、僕はまだまだいけますっ!」

「そうです、その意気ですよルーシュっ!」

 必至に励ましあう二人。

 けれど、それも竜の前にあっては瑣末な鼓舞である。

「ほぉ? ならばこれは耐えられるかな?」

 再び竜の首が後ろへと下がった。

 一瞬だけ炎の勢いが弱まる。

 しかし、次の瞬間にはそれまでとは比較にならない強烈な火炎が三人を襲った。

 まるで嵐に風が吹き荒れるように、赤い赤い炎の荒れ狂うがルーシュとルーシュの母親を襲った。二人はこれ以上を背後へはやるまいと、必至になって、身を絶てとして竜の一撃を防ぎに掛かる。

 炎は二人の服を焼く。

 髪を焼く。

 肌を焼く。

 そうして、アリスを含め三人を後方へと大きく吹き飛ばすのだった。

「うぁあああっ!?」

「ぁあああっ!」

「っ……」

 大きく身を浮かせて、やがて広場の地面へと身体を転がせる。

 咄嗟に顔を庇った為か、二人は共に腕や足といった、それ以外に衣服より露出する部位を焦がすに終わった。竜の吐く炎の勢いを思えば不幸中の幸いだろう。顔を焼かれていたら再帰は永遠に不可能だ。

 それど、それでも焼かれた面積はかなりのものだ。身体を動かすにも痛みが走って、上手く立ち上がることすら叶わない状況だ。特にルーシュの母親は足首から先を完全に炭化させていた。ルーシュにしてもところどころ白いものが見えている。

「うぅ……」

「くっ、ま、まだ……まだ……」

 それまでの威勢も苦痛より瞬く間に失われる。

 悲鳴を抑えるのにやっとといった具合だ。

 そして、そんな中で五体満足のまま、その場に佇む人間が一人。

 他ならぬアリスである。

「さぁて、どうしてくれようか? 人間共よ」

 呟く竜を正面に見つめるよう、彼女は慌てて身体を起こす。二人より後ろに立っていた彼女は特に何処を焼かれることもなく、ただ地面を転がった衝撃に肘や膝を擦り剥いた程度であった。

「まあ、魔法も使えぬお前に何ができることもあるまい」

「…………」

 ぎゅっと、握った斧を正面に構える。

 腰は入っていないし、ゆらゆらと切っ先は泳いでいる。腕は飢餓に痩せ細り、あと数分と支えて入られまい。けれど、彼女は必至の形相で斧を支え、そうして、竜へ一人向かい挑むのだった。

「まだやる気か?」

「…………」

 アリスは答えない。

 ただ、その瞳だけは揺るぐことなく竜の双眸を睨みつけていた。

「ならば、掛かって来るがいい、人間」

「…………」

 アリスはちらり、脇に視線を向ける。

 そこではルーシュとルーシュの母親が苦痛に顔を歪めていた。

「あ、アリス……駄目だ……」

「もう、他にないから……」

 遠路遥々、家族を失ってまでやって来たファーレン。浮浪者の生活は止め処なく、日々残飯を漁る毎日が続くこれから。皮膚に溜まった垢をこすり落とす惨めを思えば、物乞いをして食べ物を得る虚しさを思えば、この場は彼女の為の最後の舞台だった。

「もう、いい加減、頭に来たから……」

 どれだけ努力しようと恵まれない、そんな自分への苛立ちが彼女を奮い立たせる。

「アリス……」

「何もかもが、もう、絶対に許せない」

 そうして、彼女は地を蹴って駆け出した。

「来るか、人間」

「うぁあああああっ!」

 獣のように方向を上げて、アリスは竜の袂へ走り向かう。

 それは酷く頼りない足取りだ。

 けれど、彼女の精一杯が詰まった突撃だった。

 傍目には酷く愚かに映る。けれど、当人は必至だった。否、必死だった。

 以前のように何か策がある訳でもない。かと言って、全てに絶望して自ら死を選んだ訳でもない。決して悲観的な感情を先走らせたものではない。その足の進む一歩、一歩は彼女の正常な意思が故だ。

 幾ら足掻こうとも、どうしようもない強大な力ばかりが周囲を囲って、抗えなくて、打つ手がなくて、だから、その怒りから走り出したのである。それ以外に道が無いと理解しての歩みだった。

「哀れなものだな、人間……」

「うるさいっ! 黙れっ! 黙れっ! 黙れぇええええっ!」

 やがて、アリスは竜の足元に辿り着いた。

 竜は何をするでもなく彼女の姿を遥か頭上より眺めている。

 その足の先の爪を手にした斧で殴りつける。

「っ!?」

 ぐぁんと強烈な振動がアリスの身を揺らした。

 打ち付けた斧の刃は欠けて、小さな欠片が幾らかを飛んで落ちる。けれど、竜の足の爪には微塵として傷一つ与えることは叶わない。巨漢は微動だにせず、淡々と彼女の姿を遥か頭上より見下ろしている限りだった。

「……無様だな」

「う、うるさいっ!」

 再びアリスが斧を振るう。

 また同様にぐぁんと衝撃が彼女を痺らせる。

「……やはり、人間などこの程度のものよの」

「っ……」

 竜の爪には何の影響を与えることも叶わない。

 それでもアリスは三度(みたび)斧を振るわんと腕に力を篭める。

 そんな彼女の姿を眺めて竜は嘆息する。はぁと目に見えて息を吐き出すと共に、静止を保っていた肉体を動かす。足を前方へ振るって、そこに纏わり付いた小さな彼女を突き放した。

「あぐっ!」

 僅かそれだけの動作で軽い軽いアリスは後方へ吹き飛んだ。

 斧は途中で手を離れる。地下道を這いずり回ったことで泥だらけとなった身体は、更に土埃をまぶさんと、地面をごろごろ転がる。やがて、その勢いが失われた頃には、傍らにルーシュとルーシュの母親があった。

 二人とも虫の息で彼女の姿を見つめている。

「っぅ……」

 アリスは慌てて身体を起こす。

 全身に激しく痛みが走った。

 けれど、立ち上がれないほどではなかった。

「無駄なことよ。大人しくこの場で朽ち果てるがいい、人間」

「…………」

 少女は両足を踏ん張らせて竜へ向き直る。

 他方、竜は彼女をルーシュ達諸共踏み潰さんと動く。

 巨大な体躯は数歩を歩むだけで場を移動した。そして、人を一度に幾十人と潰せ得る巨大な足が三人の頭上に影を生む。それを非常に緩慢としていて、敢えてアリス達へ恐怖を与えんと迫るものがあった。

「死ね」

 アリスはそれでも竜を殺したかった。

 自分の家族を奪った竜が心の底から憎かった。

 なにより、こうして自分にとっての悪の全てを体言したが如き存在が、彼女の中に蠢く憤怒の一切合財を奪っていた。こいつに当て付けねば他に誰へ当て向ければ良いのか。斯くもあらんかぎり、彼女にとっての憎むべき対象であった。それは村を脱したあと、竜とは関係ない部分で生まれた何もかもを含む。

 そんなだから、彼女は今ある自分の全てを竜の打倒へ向けるしかないのだった。

 一度だけ定まった矛先は、けれど、二度と照準を違えることはなかった。

 ただ、只管に溢れる憎しみや悲しみや苛立ちが彼女の両足を確と支えていた。

 だから、彼女は倒れなかった。

「これで終わりだ。虫けらのように潰れてしまえ」

 そう短く方って竜は躊躇無く足を踏み下ろす。

 アリスは横へ大きく両手を広げて、最後の最後まで抵抗を試みる。それは傍らに横たわるルーシュを守らんとする為であり、また、その母親を守らんとする為でもある。勿論、実際の効果はさて置いて、彼女自身はそう強く願っていた。

 けれど、誰が見ても自暴自棄としか思えない光景であった。

 頭上より迫る影は瞬く間に色を濃くして三人の頭上へ迫る。やがて、勢いの付いたそれは一番に高い場所にあるアリスの頭まで接するに至った。もう駄目だろう。脇より見つめるルーシュ達もまた瞳を硬く瞑って最後を思う。

 そんなときだった。

 不意にアリスの身体が眩い光に包まれたのである。

「な、なんだとっ!?」

 それと時を同じくして竜より驚愕が上がる。

 今までの高圧的な語り口調から一変して、純粋な驚きを思わせる一声だった。

 そうして耳へ至る竜の言葉を受けて、ルーシュとルーシュの母親は疑問から、一度は瞑った目を再び開いた。すると、彼女達二人も竜に同じく、そこで目の前の光景に驚くこととなる。

「なっ……これは……」

「アリスっ!?」

 アリスの頭上、髪に接するか接しないかといった辺りで竜の足は受け止められていた。まるで見えない壁でも生まれた風である。そして、竜はそれを踏み砕かんとして、必至に下半身へ力を入れていた。

「ルーシュっ!」

 アリスが二人を振り返る。

 そこで再び驚きの光景が生まれる。

 彼女が二人へ注意を向けるに応じて、ルーシュとルーシュの母親、二人の怪我が文字通り瞬く間に治癒されたのである。それは生物が自らの怪我を自然治癒するようにある。けれど、その勢いはものの比ではない。

「け、怪我がっ!?」

「治っていく……」

 黒く焦げた皮膚は元の白さを取り戻し、数え切れないほどの裂傷は血液の付着すら蒸散させて艶やかにも癒える。失われた骨や肉は完全に再生されて、瀕死の重傷が嘘であった風に、完全な治癒が発生した。

「き、貴様、何を……」

 竜が光り輝くアリスを目の当たりとして唸る。

「ルーシュっ!」

「お母様っ!」

 そんな彼女と竜のやり取りを前に、はっとして我に帰ったのがルーシュとルーシュの母親である。互いに視線で意思を通らせると、即座に肉体を奮い立たせる。そして、竜へ向かい身を躍らせたのだった。

「これ以上はさせないっ!」

 吼えたルーシュが氷のツララを打ち出す。

「巣穴へ帰りなさいっ!」

 同じくルーシュの母親もまた、氷のツララを打ち出す。

 その数は幾十、幾百という膨大なものだ。

 竜は慌てて身を引くと、自らの尾っぽで氷の槍を砕いた。しかし、不意を打たれた為か、僅かばかりが鱗を突き刺して、その先端を多少ばかり皮膚内部へと埋める。二人の魔法が始めて竜に通った。

「貴様……」

 けれど、竜は怯まなかった。

 幾らか距離をとった上で、依然として光り輝くアリスを睨む。

「…………」

 一方、アリスは自らが行った全てが理解できていない。ただ、何故か光り輝く自身の体躯が竜を退けるに役立ったのだと、端的に状況を理解していた。原因も理由も何もかもが謎である。

 けれど、彼女はそれでも満足だった。

 今、目の前に居る竜が自らを睨んでいる。

 それだけが彼女の心を甚く充足感に満たすのだった。

「……なるほど、これがお前の奥の手か」

「……だったら、何?」

「…………」

 嘘も張ったりも何もあったものでない。自分に僅かばかり優位を垣間見て、アリスは挑むように竜へ言葉を返す。その姿は、やはり、至極堂々としていて、地に立つ肉体は決して怯えを含まない。

「なるほど、なるほど、あぁ、なるほど……」

「まだまだ、私はお前を諦めない」

 自分でも自分が分からないまま、それでもアリスは竜に言う。

 だから、だろうか。

 竜はふっと、その態度を変えて笑い声を上げ始めた。人間から眺めても険しく映る表情を一変させて、口を大きく開いて、ファーレンの全てへ響き渡らんとする大きな声で笑い声を上げるのだ。

「ふ、ふはははは、いいだろう、いいだろう、人間」

「…………」

 その豹変にアリスは更に重々、身を構える。

 けれど、竜はそれを笑い声と共に一蹴する。

「この勝負、貴様に預けてやる」

「……預ける?」

「いつかまた、必ずや私が貴様を殺す」

「何を言っているの? 今ここで私がお前を殺す……」

 ストレスが溜まり良い具合に切れてしまったアリスは竜を睨みつける。相手の憤怒が狂喜に変わったことで、再び彼女は苛立ちを得た。それが非常に居心地の悪いものだ。自身の勝算も何もかも、全てを忘れて、ただ無我夢中に相手に殴り掛かる。そんな衝動をちくちくち秘めている。

「なぁに、それでは勿体無い」

「勿体無い? 今更なにを……」

「折角、お前と言う存在がこの世に在るのだ。そして、それを私が認めてやろうというのだ。にも拘らず、このような場で殺してしまうのは、なぁ? 絶対の、確実の、完全の勝利とは言えぬだろう?」

「……逃げるの?」

「ふふん、そうして粋がるのもまた良い」

 呟いて、竜の翼が大きく羽ばたかれる。

 けれど、アリス達がそれにより生まれた突風に身を飛ばされることはない。見えない壁は風の荒れ狂うすら遮って、その内に湛える全てを外部からの影響より守っていた。唯一、届けられるのは竜の声くらいなものか。

「いつか、かならず殺し合おうぞ、人間」

「ま、待てっ!」

 そして、それだけを短く言うと、竜は翼を更に強く羽ばたかせて、空へと巨躯を舞い上がらせる。アリスは一歩だけ踏み出して、その後を追おうとした。けれど、相手は空を飛んでいる。憎々しくも拳を握ったところで、その尾の先は手の届かないところへと達してしまった。

「ではな、人間よ」

 最後に響いたのは、そんな呆気無い言葉の一切れだった。

「まだ、まだっ! まだまだな……」

 そこまでがアリスの記憶する全てだった。

 竜の姿が空の小さな点となって消えるに同じく、彼女の身体から不意に力という力の全てが抜ける。応じて、バタンと音を立てて肉体は大地に転がった。膝から落ちて、仰向けに倒れこむ。

 持てる限りの全てを出し尽くして、更には持っていたのかどうか、その存在すら知れぬ何かさえも出して、彼女は空っぽになってしまったのだった。

「アリスっ!」

「大丈夫っ!?」

 ルーシュとルーシュの母親が慌ててその下へと走り寄る。

 ともすれば、アリスはすーすーと静かな寝息を立てて、倒れた姿勢のまま眠りについていた。その表情は何故なのか依然として険しさを伴い、再び目を覚ますまでの間、延々と二人を危惧させるのであった。