金髪ロリお姫様ラノベ

第一話

 翌朝、自宅前の道路で行われる下水管の埋没工事、そこで働く重機の発する騒音によって目が覚めた。寝起きとしては最低の部類に入るだろう。休日にも関わらずご苦労なことである。しかも昨日は夕食前の中途半端な時間に睡眠を挟んだことで、夜、眠りに就いたのは日付が代わって大分経ってからのことだった。睡眠時間を合計すれば小一時間少ない程度だけれど、二つに分けた為か明らかに睡眠不足と思える。

「……どうしよう」

 ただ、依然として口を突いて出る言葉に変化はない。

 よろよろとベッドから起き出してクローゼットへと向かった。

 パジャマから普段着に着替えつつ今日の予定を考える。何をしようか。テレビゲームでもしようか。長編漫画でも読み返そうか。将来へ向けて勉強しようか。色々と多い浮べたけれど、どれも実行する気になれない。

 ちなみに朝食の席は既に終わっている。土曜も休まず働きに出ている父親の為に、僕を除いた家族の誰もが朝の七時には食卓に着く。よって、一人だけ遅く起き出した場合は勝手に冷蔵庫を漁って食事を調達する運びとなっている。

 けれど、今日は朝の食事さえ億劫に思えて、着替えが済むと俺は再びベッドへと仰向けに横たわった。コンクリート粉砕機の放つ耳障りな騒音が、唯でさえ不快な気分を否応無く盛り立てる。

「なんで俺だよ、訳分らないって……」

 昨晩から愚痴ばかり零している自分が嫌だった。

 窓ガラス越しに破壊音を聞きながら、何をするでもなく天井を眺めて過ごす。

 週が空けたら自分はどんな顔をして学校へ行けばいいんだろう。もう残り僅かな学生生活を如何にしたら平穏に過ごせるだろう。どうやって彼等の機嫌を伺えば、卒業式の日を穏便に済ましてくれるだろう。

 そうしてしばらくを悶々としていると、不意に懐かしい思い出が脳裏を過ぎった。

「あぁ、そういえば……」

 それは小学校入学から間もない頃の記憶である。まだ満足に掛け算も出来なかった歳幼い自分が、今と同じように、例えば両親から叱られて気を滅入らせたりしたとき、どんな風にその後を過ごしていたか。そんな至極埃っぽい記憶である。

 当時、俺は自分に気に入らないことがあると、その都度だけ屋根裏部屋に引き篭もって何をするでもなく膝を抱えて過ごしていた。両親に叱られたり、友達と喧嘩したり、理由は色々とあったけれど、ことある毎に足を向かわせた覚えがある。

 一度、階段から足を滑らせて骨折した以来、両親に上ることを硬く禁止された屋根裏部屋は、今居る自室の天井から梯子を伝って上ることが出来る。そして、天井付近に硬く封印された梯子もこの歳ならば問題なく手が届く。

 意識しなくなって久しいその姿は、けれど、今も俺の視界の傍らにあった。

「懐かしいなぁ」

 ふと蘇った思い出に僅かな笑みを取り戻して、俺は立ち上がった。

 勿論、屋根裏へ登る為である。

 過去に聞いた両親の話だと、そこは家を建てて以後、今も倉庫として利用されているらしい。けれど、俺が篭り始める以前も封印された後も、微塵として利用した形跡は見られなかった。階段の上り下りが面倒なのに加えて、庭に別途倉庫があるのが一番の理由だろうか。

 勿体無いな、などと思いつつ、天井より連なる梯子を下ろす。

 幼い自分でも容易に登れたのだから、今ならば何ら問題は無い。それでも一応、足を滑らせないように気をつけながら、ゆっくりと登った。久しぶりに触れる収納梯子は随分と小さなものに思えた。

 天板を開けると、そこは埃だらけだった。

「うぇ……」

 思わず嫌な声を上げてしまう。

 これでも小さい頃は気にならなかったのだろうか。

 今では全く分らない。

「よいしょ……っと」

 最後の一段を上りきって床に登り立つ。

 すると、然して高くない天井が頭の天辺すれすれの位置にあった。昔はある程度の余裕があったのだけれど、まあ、それだけ自分が成長したのだろうと妙な感慨に浸る。それは今の傷心に心地良い薬となって染み渡った。

 しかし、登ってみたは良いけれど何をしようか。

 見渡す限り古ぼけた段ボール箱が数個と、あとは大きめの姿見が置かれているだけだった。あまり倉庫の肩書きに相応しくない光景である。面積自体はかなり広いので、荷物が少ない分だけ閑散として感じられる。きっと、ここまで対象を持ち上げるのが面倒だったのだろう。早々に利用を取り止める決意をした両親の心持が伺える。

「けど、この鏡だけは部屋にあってもいいかもなぁ」

 唯一、それが何であるか傍目に理解が叶う物品へと近づく。

 部屋には手鏡の類しかないので、今後、高校生活を向かえるに当たっては自室に下ろしても良いのではないかと考えた。非常に古めかしい作りをしているけれど、鏡には違いない。それにホームセンター等で買うとそれなりに値の張る品だ。学生身分には丁度良い。

「けど、その前にしっかりと拭かないと母さんに文句を言われそうだなぁ……」

 多分に漏れず姿見は埃だらけだった。

 せめて布でも被せておけと、少し悲しく想いつつ呟いて鏡面を指先で撫でる。

 すると、何故だろう。

 驚くべきことに鏡面に触れた中指がその内へと吸い込まれたのだった。まるで木の葉でも水面に落ちた風に、暗がりにあって自身を映す硬い鏡の全面に波紋が広がってゆく。突き刺さった指先には何の抵抗も感じない。

「うぉぁっ!?」

 慌てて指を引き抜こうとした。

 けれど、それは叶わなかった。

「うぉおおおおおっ!」

 どういう理屈による賜物か。俺の身体は強烈な引力を受けて姿見へ引き寄せられる。鏡面にぶつかると思った瞬間、もう目を開けていることは叶わない。恐怖からぎゅっと硬く眼を閉じて、次いで与えられる何かに身を硬くするのだった。

 すると、何故か足裏にあった床の感触がふっと唐突にも消え失せる。

 足っていられないと感じて、何かに捕まろうと必死に腕を動かした。その為に身体はバランスを崩して正面へ倒れ掛かる。必死に振り回される両腕は、しかし、空を切るばかりで何も掴めない。

 それが僅か数秒の出来事である。

 気づいたとき、俺は何か硬いものに身体の全面を強か打ちつける羽目となった。

◆ ◇ ◆

「に、人間だとっ!?」

 まず耳に届いたのは野太い誰かの叫び声だった。

 鈍い痛みを受けて硬く閉ざしていた目を開く。膝と腕、それに額がズキズキと痛んだ。倒れた際に打ちつけたのだろう。階段を踏み外して落下したのに近い感触と衝撃だった。段々と熱を持ち始める患部を擦りつつ、我が身に起きた不思議を確認しようと、ゆっくり上半身を起こすよう首を擡げる。

「姫様、離れてくださいっ!」

「ま、待ちなさい、殺してはなりませんよっ!」

 すると、そこは今し方までの屋根裏部屋とは似ても似つかぬ場所であった。

「ちょ、おい、何だよこれ……」

 冷たい床は何故か光沢照り返す石作り。見上げた天井は遥か高く頭上数メートル。周囲を見渡せば我が家の敷地面積を上回る広大な開けた空間。立ち並ぶ柱は両腕を回しても足らぬ極太の石柱。そして、多くは良く磨かれてピカピカと美しい光沢を放っている。まるで何処か西洋のお城の内装でも眺めているようだった。

 目を閉じる前までの、薄暗く埃っぽい屋根裏部屋は何処へ消えたのか。

「貴様っ! 何処から侵入したっ!?」

「武器を捨てて腹を床につけろっ!」

「大人しくしなければ身の安全は保障しないっ!」

「えっ? な、何!? なんだよおいっ!」

「黙れっ! 大人しくしろと言うのが聞こえないかっ!?」

「早く両手を床の上へ広げろ、さもなくばこの場で切り捨てるぞっ!」

 そして、何よりも驚くべきは床に倒れ伏した俺へ詰め寄る者達の姿だった。

 その者達は時代物の映画でしか見た事の無い槍や剣といった古めかしい凶器を手に迫り来る。その風貌は人間に遠く及ばない。耳元まで裂けた大きな口や、自分を遥か上より見下ろす巨大な体躯、全身を覆う厳つい鱗。どれをとっても非現実的で、理解の範疇を大きく超えた姿形をしていた。

 けれど、その動きは決してきぐるみの類には思えない。皮膚表面の生々しく脈動し、鱗一枚一枚の重なり擦れる様子は、間違っても作り物には再現できない。どんな金の掛かった映画に見る化け物より更に化け物らしい化け物達が群れを成していた。

「ま、な、ちょっと、なんだよ、な、なんなんだよっ!?」

「えぇい、五月蝿い、黙れ人間がっ!」

「無駄口を叩くならば即座に叩き切る、大人しくしろっ!」

 化け物としか言い様の無い何者かが槍を振るう。

「ひぃっ!?」

 その切っ先が眉間に向けられた。

 慌てて起こしたばかりの腹を床へと這わせる。

 周囲は完全に囲まれていた。

 人と数えれば良いのか、匹と数えれば良いのか。十数名からなる異形の数々に囲まれて、口からは自然と悲鳴が漏れる。思わず尻を床へ付けたまま後ずさると、その足先はすぐに硬い物へ触れた。

「な、か、鏡……?」

 それは俺が今し方に屋根裏部屋で見つけた鏡と同様の品であった。

 固い感触とは爪先が姿見の額縁に触れたものらしい。

「おいっ! 動くなと言ったのが聞こえなかったかっ!?」

「わ、わかりました、わかりましたから刺さないでっ!」

 チクリと眉間を針に刺されたような痛みが走る。化け物の一人が構える槍の先が鼻の上に伸びていた。頭上の照明を反射してキラリ光る刃は、それが決して紛い物でないことを伝えてくれた。

「ならば喋るな、動くな、大人しくしろっ!」

「絶対に動くな、不審な動きをしたらば即座に切るっ!」

「は、はい、大人しくしまうっ!」

 緊張のあまり思わず舌を噛んでしまう。

 その痛みに耐えながら、俺は我が身に起こった不思議に頭を巡らせるのだった。

 周囲を囲っているのはトカゲと人間を足して二で割ったような化け物達である。その数は十匹以上。全員が剣やら槍やらで武装しており、今の状況では逃げ出すことも不可能に近い。

 そんな中で唯一の例外があるとすれば、それは彼等の後ろに控えた可愛らしい女の子だろう。頭に角を生やしているあたり化け物には違いない。しかし、周りを囲う化け物トカゲとは違い、他は人間と同様の姿を晒している。

 そして、そんな彼女は大層驚いた様子で俺を見つめているのだった。

「姫様、如何致しますかっ!?」

「魔法を唱えられては厄介です。猿轡でも構わせるべきかと」

「その前に手足を縛るべきだと私は考えます」

「いえ、いっそのこと両手両足をもいでしまうのが良いと思います」

 少女を守るように構えたトカゲ達が次々と声を上げる。そのどれもは非常に物騒な提案であった。そして、そんな彼等の声が向かう先を鑑みるに、どうやら、人間に近い姿の少女はトカゲ達のまとめ役に当たる存在らしい。

 本来ならば、ここは何処だ? とか、屋根裏部屋は何処へ消えた? とか悩むべきだろう。しかし、額から垂れる赤い雫を鼻頭に感じては、それも瑣末な疑問として処理されるのだった。

 今は化け物トカゲの持つ凶器から逃れるべく脳も含め全てが働いていた。

「待ちなさい、私は召喚主としてその者と話があります」

 少女の凛とした声が、天井の高い広間に反響して強く響く。

「で、ですが、姫様、この者は人間、下手に相手をするのは危険です」

「そうです、前王たるお父上が亡き今、姫様の身に何か遭って国の崩壊です」

「ですが、その者は私の召喚に応じた者です。私達の知る人間とは、また異なった存在かも知れません。特にそのような衣服は私も初めて見ます。縛るにせよ殺すにせよ話を聞いてからでも遅くありません」

「ひ、姫様……」

「私の言うことが聞けませんか?」

「いえ、とんでもない。ご命令のままに」

 そうして語る少女は歳幼い外見ながら随分な滑舌の持ち主であった。

 腰下まで伸びる長い金髪を靡かせて一歩を前に進む。そして、周囲の化け物トカゲが慌てるのに構うことなく言葉を続けた。その姿は姫と呼ばれたとおり、相応、高貴な身分の存在として俺の目にも映った。

「そこの者、私はこの者と少し話をします」

「はっ、心得ましたっ!」

「槍を引きなさい。ただし注意を怠ってはなりません、油断は禁物です」

「は、はい、了解しましたっ!」

 少女の言葉に応じて、眉間に突きつけられていた槍がゆっくりと離れていく。

 周囲のトカゲ達に命令を下しつつ、彼女はゆっくりと俺の下まで歩み寄ってきた。

 そうして、互いに二、三メートルだけ離れたところで足が止まる。

 俺は床に伏したまま顔を上げて相手を見上げる。対する彼女はその場に立ち止まったまま、睨むでもなく威嚇するでもなく、ジッとこちらを見下ろす。まるで見えない線に繋がれたかのように、目と目が合うのを感じた。

 とても綺麗な深い青色の瞳だった。

「尋ねます。貴方は人間で間違いありませんか?」

「は、はい、俺は人間ですっ」

 問われて反射的に敬語が飛び出る。

 今し方に槍を突き付けられたのが効いていた。

「では、貴方が私の召喚に応じた者なのですか?」

「しょ、召喚って何ですか?」

 けれど、次なる問い掛けには明確な答えを返せなかった。

 ただ、年下の少女を相手にしながらも敬語が崩れることはなかった。背後に控えたトカゲの軍団が、隙あらば刺し殺してやろう、そんな風に佇んで思えたからだ。鼻を伝い顎まで垂れた血の一筋が、ぽたりと落ちて小さな赤い点を石床に打つ。

「……召喚を知らないのですか?」

「い、いや、知らないというか、なんというか……」

 俺が答えるに応じて少女の顔に陰りが差す。

「貴方は私の声に応じて現れたのではないのですか?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。応じるも何も、どうして自分はここに居るんですか? 自宅の屋根裏部屋に登った筈なのに、何故にこんなだだっ広い場所に居るのか、訳が分らないんですけど」

「……屋根裏部屋?」

「え、ええ、ちょっと色々あって屋根裏部屋で不貞腐れていたんですけど……」

「では、貴方は何故にこの場に居るのですか?」

「それこそ俺の方が知りたいですよ。そもそも、ここは何処なのか、ああ、なにがなにやら訳が分らない。なんでこんな場所に放り出されたのか意味が分らない。っていうか、なんで角が生えてるのか」

「貴方、少しは落ち着いたらどうですか?」

「いや、だって、屋根裏部屋にしまってあった鏡に触れた途端、いきなり引き込まれたって言うか、引っ張られたっていうか、気づいたらこれですよ。第一、そちらの方々は何者ですか? なんか凄く怖いんですけど……」

 混乱極まる頭を必死に働かせて矢継ぎ早に言葉を返す。

 ともすれば、少女は周囲のトカゲ達を顔を見合わせて何やら渋い表情を浮べる。

「私は外の世界へ助けを求めて召喚の儀を行いました。貴方はそれに応じてこちらへやって来て下さったのではないのですか?」

「しょ、召喚の儀?」

「ええ、外なる世界へ助けを求めて行ったのです」

「助けって、そんな、自分は全然違いますよ」

「……違うのですか?」

「そもそも、助けるって言うなら、むしろ俺の方が色々と助けて貰いたいくらいです。あと、ここは何処なんですか? まさか屋根裏部屋じゃないですよね? 妙に広いし、天井とか高いんですけど……」

「では、貴方は何処から来たのですか?」

「い、いきなり何処って言われても……」

「まさか、エトルリアの人間ですか? それともアティンオキアやペガルモンドといった第三国、若しくは海を隔てて他の大陸を出自とするの人間ですか?」

「いや、あの、どれも知らないんですが……」

「……では、何処の国の民なのですか?」

「それは、まあ、見てのとおり黒髪黒目の黄色人種なんで、日本ですけど……」

「ニホン?」

「は、はい、日本です」

「それは国の名前ですか? それとも地方や街の名前ですか?」

「え? そりゃ国の名前に決まってるじゃな……ですけど」

「国の名前なのですか? 聞かない名前ですね……」

「は、はぁっ!?」

 少女の呟きの思わず声を上げてしまう。

 それはないだろうと。

「こらっ! 姫様の前で不敬を働くなっ!」

「ひぃっ!」

 ともすれば槍が翳されて即座にトカゲの化け物から脅された。ずいと近づいた槍の矛先がチクリと頬を刺す。瑣末ながら痛みが身体を支配して、自然と身体がガクガクと震え始める。なんて生理現象。

「まさか、嘘をついているのではありませんね?」

「め、滅相も無い。っていうか、何処からどう見ても日本人ですよ、これっ」

 自らを指差して精一杯に主張した。

 すると、少女は何やら眉間に指を当てて考える素振りを見せる。

「ふぅむ……」

「…………」

 日本と聞いて何を悩むことがあるのか。知らない? そんな阿呆な話があるか。第一、彼女自身にしてもこうして日本語で話をしている。姿形には疑問が尽きないけれど、その点は間違いない。

 しかし、もしも今の状況が悪質な冗談や悪戯でないのだとしたら、このトカゲもどきは如何なる人種として括られるのか。作り物として括ってしまうには妙に生々しい動きをする化け物達である。

「…………」

 目の前で展開される摩訶不思議に下らない想像がすくすくと育ちゆくのを感じた。

 何気なく指先に触れた眉間の傷口は決して嘘偽りでない。ここまで根性の入った悪戯は滅多でないと思う。根も真面目な両親の行いにしては馬鹿げているし、昨日に本心を知った友人等の行いにしても直接的過ぎる。

「あ、あのぉ……」

 黙ってしまった少女に恐る恐る語りかける。

 けれど反応は無い。

 何やらブツブツと独り言を呟きつつ床を見つめ顔を伏している。

 会話がなくなると居た堪れなくなった。周囲に並び槍や剣を向けくるトカゲ達は相変わらずだ。不動のまま睨みを利かせてくれる。化け物の表情になど理解は無い。けれど、敵意があるのだけは伝わってきた。

 緊張から大声を張り上げて駆け出したくなる衝動に駆られる。

 きっと、滅多刺しにされて終わりだろう。

「あの、できれば色々と説明して貰いたいんだけ……ですけど」

 今一度、少女に語りかけてみる。

 すると答えたのはまたしても傍らのトカゲだった。

「黙れっ! 姫様は今考えごとをしていらっしゃるのだ、大人しく待てっ!」

「は、はぃっ」

 再びぐいと槍の矛先を突きつけられて思わず怯む。

 せめて立ち上がりたいのだけれど、この対応を見る限りそれも難しい願いだろう。俺はいつまで冷たい床に寝そべっていれば良いのか。こんな状況下ながら、冷気が伝わり段々と冷え始めた腹の具合が気になって仕方がない。

 それからしばらく、少女は物思いに耽っていた。

 やがて、続く言葉が返されたのは数分が経ってからのことだった。時計こそ眺めた訳ではないが結構な時間を感じた。それも我が身を置いた場が場なだけに、一分一秒が酷く長いものに感じられた。

「……分かりました」

 何が分かったと言うのだろう。

 呟いた少女の視線が再び俺を捉える。

「どうやら、貴方は私達を知らない人間のようですね」

「た、確かに会うのは初めてだと思いますけど……」

「いえ、そういう意味ではありません。一つ確実に確認しておきたかったのです」

 そうして語る少女の顔は多少だけ緊張が和らいで思える。

 どうやら何かを悟った様子だった。ただ、俺はと言えば一切合財を理解していない。自分ひとりだけ理解するのでなく、俺にも色々と事情を説明して貰いたかった。特にこの城みたいな広間と屋根裏部屋の関係と、二足歩行のトカゲに関わる生命の神秘は気になって仕方がない。

 けれど、それを願おうとこちらから口を開こうとしたところで、彼女はふっと他所を向いてしまった。長い黄金色の髪がきらきらと煌いては宙を流れる。それがあまりに綺麗であって、俺は思わず押し黙ってしまった。

「あ……」

 出鼻をくじかれて声が漏らす。

 一方で彼女は俺から周りを囲うトカゲ達へと意識を移していた。

 俺に背を向ける格好だ。

 彼女の対応に応じて、俺を見張る数匹を除いたトカゲ達もまた少女に注目する。

「皆、まさか人間を召喚してしまうとは想定外でした」

 そして、彼女は何やら尊大に口を開く。

「この国を救うべく、最後の望みを賭けた一策でした。しかし、どうやらそれもここまでのようです。期待してくれた皆にはすまないが、私と共にこの国で散って貰う羽目となりそうです」

 彼女達には彼女達で切羽詰った事情があるらしい。

 それに答えるよう周囲からワッと声が上がった。

「ひ、姫様っ、そのようなことを仰らないで下さいっ!」

「そうです、我々はまだ戦えますっ!」

「人間なんぞに我々が負けることなどあってはならんのですっ!」

「必ずや姫様に勝利を捧げることを約束いたしますっ!」

 それはトカゲ達の咆哮にも似た叫びである。

「ですが、戦況は絶望的です。この期に及んで召喚まで失敗するとは……」

「なんの、それしきのことで挫ける者など一人もおりませんっ!」

「そうです、姫様ある限り我々は戦えますっ!」

「姫様さえ命じてくだされば我々はいつでも敵の下へ打って出ましょうっ!」

 少女の語りに応じてトカゲ達が一斉に声を上げたのである。

「人間共を一匹でも多く倒すのですっ!」

「そうですっ! 我々はまだ負けてなどいませんっ!」

「皆、そこまで想ってくれているのですか……」

 妙に滾る熱気を感じるけれど、それが如何なるものなのかは判断がつかない。そして、彼等は俺を置き去りにして勝手に話を進めてゆく。何か事情があることは伺えるけれど、門外漢にはさっぱりだった。

「…………」

 何がなんだか、サッパリ分からない。

◆ ◇ ◆

「つ、つまり、貴方達化け物勢は、この世界で人間が作る国と戦争をしていると……」

「ええ、そう理解して頂いて構いません」

「それはまた、なんというか、色々と大変だな……ですね」

「全ては人間達が我々を家畜として扱うが故です。これは我々の存亡を賭けて絶対に勝たねばならない戦いなのです。でなければ、この先に待つ未来は人間以外を許さない混沌としたものになるでしょう」

「あ、はい、その辺はさっきも重々説明して貰いました」

 トカゲ達の熱が収まった頃合、俺は少女から色々と事情を説明をして貰う運びとなった。それは彼女達の存在如何から始まって、ここがどのような場所であるか、何を持ってこの場に俺が居るのか。こちらが疑問に思う限りを一通りである。

「ですから、その戦いに勝つ為に、外部からの助力を願って行った召喚の儀なのです。しかし、こちらの作法に手違いがあったのか、書物に記されていた内容が間違っていたのか、貴方という存在を然したる交渉もなく呼び出してしました」

「交渉ですか……」

「本来ならば異世界より巨大な力を持った同胞を呼び出すつもりでした」

「だけど、出てきたのは自分みたいな訳の分らない奴だったと」

「ええ、申し訳ありません」

 そうして語る少女は酷く残念そうな顔をしていた。

「人間達は個体の能力こそ極めて脆弱です。肩を並べて競い合えば決して負けることはありません。しかし、その数が我々と比べて圧倒的に多いのです。物量で押されること数年、今の我々は非常に危機的状況にあります」

「あぁ、なんかどこかで聞いたような話だな……」

「今もこうして居城に篭り、如何に攻め手へ回るか頭を悩ませているのです」

「なるほど、やっと大凡が理解できたと思う……、思います」

 少女の語りはかれこれ数十分に渡った。この場所が如何なるところか、そんな前知識から始まって、自分が呼び出された理由に至るまでである。それが今、ようやく終わろうとしていた。

 勿論、幾ら尋ねても日本などと言う国は彼女の口から与えられなかった。

「けど、それって俺はどうなるんですか?」

「貴方を召喚した魔法の効果は恒久的なものです。そちらの鏡面へ触れれば元の世界へと帰ることができるでしょう」

「鏡に触ればいいの……んですか?」

「はい、そういった仕組みになっている筈です。こちらも如何せん戦時下として慌しい状況にあります。要らぬ混乱を招かぬ為にも、非常に勝手な話だとは思いますが、そうすることを強く願わせて頂きたい」

 そうして語る少女が指差した先には、屋根裏部屋で見つけたものと寸分違わぬ姿見が佇んでいた。

 それが置かれた場所は広間の中央、荘厳な石台の上である。先刻には意識が混乱の局地にあった為に気づけなかった。神とか悪魔とか、宗教的な臭いが漂う舞台である。たしかに、召喚の儀、などと言う大それた催しには相応しく思える。

「それじゃあ、俺はもう帰ってもいいってことですか?」

「はい、どうぞお帰りください。迷惑をかけしてしまいすみません」

「あ、いえ、その辺は大丈夫です」

「この召喚の魔法は、貴方以外の者が貴方を伴わずに通り抜けることは不可能です。ですから、我々がそちらの世界へ干渉することはできません。安心して帰ってください」

「それって、つまり逆にそっちからこっちへ来ることは無理ってことですよね?」

「はい、その点は嘘偽りありませんから安心して貰って結構です」

「そっか、それは助かった……」

 まさか屋根裏部屋がトカゲの軍団に占拠されては敵わない。

「理解していただけましたか?」

「あ、はい、大凡は理解した……ました」

 周りを囲う彼等の警戒は依然として健在である。人間の国と争っているという話だから、俺に対して何某か思うところがあろるのだろう。何が弾みとなって再び襲われるか分らない。彼女の言葉に従って早々に立ち去るべきだろう。

「じゃあ、そういうことなら俺は家に帰らせて貰います。いいですか?」

「はい、ご足労ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ期待に添えなくてすみませんでした」

 訳の分らない世界へ片足を突っ込んでしまい一時はどうなるかと心を痛めた。けれど、こうして帰れるのならば良しとする。本来なら文句の一つも言いたいところだけれど、少女の可愛らしい姿を拝めたことで帳消しとした。下手に食い下がってトカゲ達の気に触れては目も当てられない。多少だけスリリングが過ぎるアトラクションであったと、そう自分に言い聞かせて歩みを鏡へ向けた。

 そして、数歩を進ませ鏡に触れようかとした時だった。

 不意に広間へ爆音が轟いた。

 火薬でも爆発させたような鼓膜を痛いほどに揺さぶる音である。

 それと同時に地震でも起こった風に足元が揺れる。いや、これは地震そのものに違いない。何事かと叫ぶ前に両手は床へ落ちていた。あまりの揺れに立っていられない。揺れになれた島国育ちでも不意にやってくるそれは天敵だった。

「えっ!? な、何っ!?」

 身体はバランスを崩して、自然と落ちた腰に両手両膝を床へ突く。

「な、なんだっ!? 何事だっ!?」

「何が起こったっ!? 警備の者は何をしているっ!?」

「爆発かっ!? 人間の連中の砲撃かっ!?」

「馬鹿なっ、砲撃なんぞで地がここまで揺れて堪るものかっ!」

「では何が起こったというんだっ!」

 化け物達も地面が揺れるのは怖いのか、何が起こったのかと声を荒げ慌てふためいている。怒声が飛び交い、一度は静まった場が再び喧騒に包まれる。瞬く間に場は混乱を極める。

「何っ!? 何が起こったんだよっ!?」

 勿論、自分もまたその一端をしっかりと担っている。

 小学校から都合九年も積み重ねた自身防災訓練は、しかし、いざとなれば微塵と役に立たなかった。まあ、何にも先んじて潜り込むべき机が無いのだから仕方がない。習慣とは恐ろしいもので、その存在を探してしまったのは内緒だ。

「み、皆の者、落ち着くのですっ! 落ち着きなさいっ!」

「姫様っ、こちらへ非難をっ!」

「何が起こったっ! 警備の兵は何をしているっ!? 報告は無かったぞっ!?」

「く、あ、足元が揺れるっ!」

「城はどうなっているっ!? 城は大丈夫なのかっ!?」

「いや、それよりも結界だっ! あれが破られてはひとたまりも無いぞっ!」

 怒声ばかりが右往左往して、肝心なトカゲ自身は混乱の只中だった。

「皆、慌ててはいけません、落ち着きなさい」

「姫様っ、姫様はこちらへ避難をっ!」

 まともに伝令など走る筈もなく、渦中に幾らか時間が過ぎる。

 揺れは数十秒だけ続いた。

 そして、揺れが収まったかと思うと、次に訪れたのは何処からともなく届けられた声だった。それも悲鳴交じりの叫び声である。声の主の姿は陰に隠れて見えないが、男のものに思える。いや、人外の化け物に性別を求めるのは意味のない話か。

「敵だぁっ! 人間共が攻めてきやがったっ!!」

「な、なんだとっ!?」

「敵だとっ!? 守りの結界はどうなっているんだっ!」

「今の揺れで一時的に結界の機能が低下したらしい」

「大変だっ! 数は少ないが堀を越えて城内への侵入を許してしまった。姫様の避難を急いでくれっ! 相手は必死覚悟で攻め入ってきている。急いで大広間周辺の守りを固めるんだっ!」

「城門の防衛で手が空いている者が少ない、この場の人間で何とか対処するんだっ!」

「くっ、なんとしてもで姫様をお守りするぞっ!」

「扉は閉められるだけ片っ端から封鎖しろっ! 凍らせても構わんっ!」

 トカゲ達が右往左往激しく動き始める。

 敵が人間というのが、人間の身分からすればしっくりこない。けれど、敵という単語には危機感を募らせるに十分な重みがあった。全ては先刻に向けられて眉間を裂かれた矛の鋭さが故だろう。

「なんたる失態、父上から預かる城に侵入を許してしまうとは……」

「姫様、今はとにかく非難を急いでください。ここは危険です」

「いや、大将たる私が表に立たずしてどうするのです」

「ですが姫様には他に多く重要な役割がございます。ここで万が一にも怪我を負うようなことがあっては、この国の一大事です」

「くっ……」

「お願いですから今は奥へ下がってください」

 俺の存在など既に忘れられて久しく思える混乱っぷりだった。

 これ以上の長居は無用だろう。慌てて鏡のある側へと駆け出した。彼等の言う敵の侵入で鏡面が割れてしまっては面倒である。今のうちにとっととお暇するべきだろう。俺に出来ることなど何もないのだ。

「そ、それじゃあ、俺はこれで……」

 誰も聞いていないだろうけど、情けなくも小さく呟いて立ち上がる。

 けれど、その足を一歩踏み出したところで気づいてしまった。

 鏡の端に小さく映った人の姿。

 それはトカゲとも少女とも異なって、自分と同じ身体の作りをしていた。つまり、人間。そして、その者はこの場の誰にも気づかれることなく、ひっそりと弓を引いているのである。広間の照明を受けて掛けられた鏃がキラリ色黒く光る。

 振り返った先、その矛先は間違いなく少女を捉えていた。

「お、おいっ!」

 自分でも何を考えてそうしたのかは分らない。

 ただ、危ないと思った瞬間の出来事である。

 鏡へと向かって床を蹴った筈の足は、しかし、真逆に立つ少女の下へと駆け出していた。まるでスローモーションのように周囲の光景が遅れて見える。視線の片隅で敵が弓を弾く。撓んだ弦が見えたかと思うと、同時に矢が打ち出された。

「さ、避けろぉっ!」

 そう叫びながら少女に向かい突進する自分。

 一体何を避けろと言われたのか、当人にはサッパリだろう。だから、こちらを振り向いた少女の顔には大きな疑問と驚きが浮かんでいた。そして、彼女が答えを得る間も無く俺はその身を腕の内へと収める。

「なっ!?」

 怒りか羞恥か驚愕か、少女の瞳が大きく見開かれる。

 けれど彼女に謝罪の言葉を述べている余裕なんて寸毫もない。

 どしゅっと耳障りな音が届けられると共に、抗い難い強烈な痛みが俺の腹部を襲った。僅か一瞬の出来事で腹の奥深くに金属の冷たい温度を感じる。口と瞳が自然と大きく見開かれた。

「っ!?」

 目を向ければ脇腹には見事に突き刺さった一本の矢があった。

 そして、その身は駆け出した勢いを殺すこと叶わず床へと倒れる。何やら周囲から声が上がるものの、痛みによるショックで注意を向けている余裕など無い。ごろごろと冷たい石床の上を、少女を抱えたまま転がった。

「て、敵だっ! 敵が広間に入り込んでいるぞっ!」

「そっちだ、その柱の影から矢が打たれたぞっ!」

「おいっ! さっきの人間が撃たれたぞっ!?」

「探せっ! 姫様に矢を向けた不届き者を絶対に許すなっ!」

「そっちだ、そっちへ逃げたぞっ!」

「絶対に探して八つ裂きにしろっ! 骨まで喰らってしまえっ!!」

 トカゲ達の必死な声が耳に届く。

 そんな怒声の数々を右から左に聞き流しつつ、ジワリジワリと熱を持って疼き始めた傷口よりの痛みに悶絶。過去に経験した如何なる怪我よりも痛くて、痛い痛いと連呼する他にない苦痛があった。

「に、人間っ! 私を庇ったのですかっ!?」

「うぅっ……ぃう…………」

 胸中より語りかけてくる少女。けれど、それに答える余裕すらなかった。まるで焼けた火鉢に肉を押し付けられたような、そんな激しい痛みだけがあった。痛いと叫ばず、呻きに留める我慢だけで精一杯である。いや、それすら難しい。

「しっかり、しっかりするのです人間っ!」

「姫様、早くこちらへっ!」

「い、いや、しかし、この人間が……」

「ならば一緒に来てください。ここは非常に危険です」

 そして、胸に抱いた少女ごと身体の浮く感触に包まれる。

 苦悶のまま顔を上げれば、そこにはトカゲの面が迫っていた。硬い鎧の胸当てが肩に当たる。身の丈三メートル近い巨漢は、見た目に違わぬ力を持っていた。何の苦も無く二人を抱き上げる。

「申し訳ありません、不敬とは思いますが、このまま奥へ向かわせて頂きます」

「わ、私が不甲斐無いばかりに……、面倒を掛けてすまない」

「姫様が気にすることではございません、それでは、急ぎます」

「うぅ……ぃあぁ…………」

「少し揺れますが、申し訳ありません、我慢してください」

 記憶があったのはその辺りまであった。

 そこから先は全てが曖昧だ。

 トカゲから俺へと視線を移した少女が叫ぶように声を上げる。

「人間、気を失っては駄目です、気を確かに持つのですっ!」

「…………」

 少女に何やら語りかけられても言葉を返す事が叶わない。

「眠っては駄目です……、目を閉じ……駄目ですっ! 死にますよっ!?」

 共にトカゲに抱かれながら、少女の必死な形相がすぐ近くにあった。

「このままでは死んでしま……だ……確かに持つの……ですから……です」

 けれど、それもぼやけて段々と明瞭さを失い始める。

「しっかり……、……き…………しな…………い…………さい」

 規則的に上下に揺れるトカゲの腕に抱かれて、段々と意識は薄れていった。それは痛みからの解放でもあり、多少だけ嬉しく思いながらも、あぁ、自分は死ぬのかと、途方もない絶望もまた感じた。

 そして、視界は闇に落ちゆき、やがては全ての感覚が失われた。

◆ ◇ ◆

「んっ……」

 瞼の裏に薄ぼんやりと白いものを感じて意識が戻った。

 瞳を開くとそれが明りだと知った。

「おぉっ! 姫様、姫様っ! 人間が目を覚ましましたぞいっ!」

 それと同時に傍らより大きな声が上がった。

「本当ですかっ!?」

「おぉっ、目を覚ましたかっ!」

 覚醒して間もない脳味噌はまともに働かない。自分は何故に意識を失って、今どういう状態にあるのか。状況を把握すべく身体をゆっくりと起こす。暗闇になれた眼には差し込む日差しが痛かった。

「こ、ここは……」

 溢れんばかり光の奔流を遮るよう眦を指先で擦る。

 白いシーツが滲む視界に確認できた。

 どうやらベッドの上に寝かされているらしい。

「ここはナヴァテアの城の医務室です。人間、怪我の具合は如何ですか?」

「え?」

 言われて声の聞こえてきた方へ意識を向ける。

 すると、そこには記憶に新しい少女の姿があった。

「あぁ、君は……」

 黒いワンピースを着た腰下まで届く長い金髪が特徴的な女の子である。年の頃は二桁に届くかどうかといった頃合。目鼻立ちのしっかりとした風貌は、幼い顔立ちの中にも凛とした意思の強さを如実に感じさせる。

 たしか、さっきは白いローブのような物を着ていた角のお姫様である。

「私はこの城の主、コージマ・トリスメギストスです」

 小島?

「え、あ……、はい、俺は木ノ下浩二っていいます」

 名乗られたからには名乗り返すのが礼儀だろう。

 自然と頭を下げて名乗る自分がいた。この辺りは何処までも日本人だと、思わず自らの出身を感じてしまう。

 先刻は混乱が勝りまじまじと眺める余裕が無かった。だから、今更ながらこうしてジッと眺めてみると分かる。彼女は随分と可愛らしい少女だった。まるで人に愛されることを前提に作られた人形のように思える。

「先程は身を挺してまで助けて頂いて、本当に、ありがとうございました」

「え、えっと……」

 寝ぼけ眼のまま、ぼんやりと定まらない思考を必死に尖らせる。

「大広間で、貴方は私を凶矢より守ってくれました」

「あ、あぁ、そういえば……思い出しました」

 危うい敬語でそれとなく応じる。

 彼女の言葉を受けて、そこで自分が何故にベッドへ横たわる羽目となったのかを思い起こした。そう、阿呆な話もあったもので、目の前の少女を助けようとして自分が矢に打たれてしまったのだ。

「いや、別にそこまで意識した訳じゃないから、気にしなくていいよ……ですよ」

「いいえ、まさか窮地を助けられて気にせずにはいられません」

 少女の傍らには依然としてトカゲの化け物が付き添っている。けれど、その眼差しは倒れる前に見たときよりずっと優しい光を帯びて思えた。手にした槍も矛先は完全に天井へ向けられている。どうやら俺に対する警戒を解いて思えた。

 ただ、彼が広間に犇いていた何れであるかは分らない。少女くらい人間に近い造詣をしていれば良いのだけれど、まんまトカゲを二足歩行に起こした彼等の風貌では個体の識別など無茶な話だ。

「貴方に庇われていなければ、私は朽ちていたと聞きます」

「そ、それは、まあ、お互いに助かってよかったな……ですね」

「はい。この身を助けて頂いて、本当にありがとうございました」

 そうして少女は腰を深く折ると、恭しく礼をするのだった。

 艶やかな黄金色の髪が巻く渦の中心に形の良い旋毛が見える。左右の耳上より頭部に伸びた角は決して紛い物などでなく、根元よりしっかりと皮膚に張り付いていた。傍目にも確かな質感を感じる。

「ああ、まあ、……どういたしまして」

 あまり人に感謝された経験が無かったので返す言葉に躊躇してしまう。

 特に相手が可愛らしい女の子であれば尚更だ。

 そして、彼女に追従するよう野太い声が届けられる。

「人間よ、私からも礼を言わせて貰いたい」

「え?」

 音源に意識を向ければ、それは彼女の右斜め後ろに静々と付き従ったトカゲの化け物である。鎧兜を身に纏い、槍を手にした彼の姿は広間で見た姿と変わりない。ただ、語る調子は穏やかなものだ。

「姫様を救って頂き、我等国の民も非常に感謝している」

 部屋にはそうして語るトカゲの化け物の他、目覚めに声を上げた白衣姿の猿人を思わせる化け物、そして、角を生やした少女の三名がいた。広間にぞろぞろと肩を並べていたトカゲの軍団は見当たらない。まあ、今に居る部屋の規模が大きく劣るので、全てが入る筈も無いのだけれど。

「いえ、それはどうも……」

「お前に対する当初の失礼な態度を許し願いたい。このとおりだ」

「あ、は、はい」

 身の丈三メートル近い巨漢に頭を下げられて内心慌てる。

 全身の鱗より更に纏われた金属製の鎧がガチャガチャと音を立てる。遥か頭上に眺める相手の顔は瞳を閉じて、広間で見た彼等よりは大分温和に思えた。けれど、図体が図体なだけあって威圧感は拭えない。

「矢には竜殺しの呪薬が塗られておった。成竜前の姫様があれを身に受けては、きっと無事に済まなかったじゃろう。姫様の健康を預かる儂としても、是非に礼を申し上げたく思う」

「りゅ、竜殺し?」

「良くぞ姫様を助けてくれた。感謝するぞい」

「え、あ、はい、どういたしまして……」

 そして、最後には白衣の猿人までもが頭を下げてきた。

 その場の誰もが頭を垂れている状況に軽く頭が混乱する。ここまで改まって人から感謝された経験など過去に一度としてない。どうして良いか分からなくて、俺は両手を必死に振りながら言葉を返した。

「で、でも、ほら、別にそこまで畏まらなくてもいいよ……ですよ」

 すると、しばらく黙祷のような何かを続けて一同は顔を上げてくれる。

「けれど、不敬かとは思いますが、これで私は貴方の存在を自分の中で確実なものとして位置づけることができました。人間、やはり貴方は私が知る人間とはまた異なる世界の人間なのでしょう」

「私も初めは人間が我々の盾となるなど自分の目が信じられなかった。しかし、これで先の姫様の言葉にも納得がいく。お前は我々が知るこの世界とは、また別の世界からやって来た人間なのだな」

「そ、そうですか……?」

「私は貴方に助けられて、それを強く理解することができました」

「しかも矢には竜殺しの呪薬。もしも姫様や、その眷属たる我々が見に受けていたら無事には済まなかっただろう。人間であるお前が盾となってくれたおかげで、一切の被害を出さず事無きを得た」

「は、はぁ……」

 何やら語りだした少女とトカゲを前に俺は何と答えれば良いのか。

「あ、そ、そういえば、俺はどうなったんですか? 矢に打たれた後とか……」

 ふと思い出して自らの脇腹を擦る。

 鏃はかなり深い位置まで刺さったものと記憶している。容易には助からないと素人目にも感じられた。慌てて自らの身体を確認すると、治療の為かシャツは脱がされており、腹部には包帯が幾重にもグルグルと巻かれていた。きっと、彼女達が治療してくれたのだろうと理解する。

 しかし、患部に指先が触れても微塵として痛みは感じなかった。

「あれ、痛くないし……」

「怪我はシルフやウンディーネ、エルフ達の魔法で治療を済ませておる。幸い召喚の儀に備えて近くに控えの者達がおった故、大事には至らずに済んだのじゃ。この分ならば傷跡も然して残らぬと思うぞぃ」

「ま、魔法ですか……」

「城でも寄り抜きの術者を集めて治療に当たったのじゃから、病後も具合はだいぶ良いじゃろう。今のように擦って痛みが無いようなら、もう普通に動いて貰っても構わんと思うのぉ」

「いや、術者って、そんな……」

 それは医者じゃないのだろうか。

「それはとても助かりました。幾ら人間とは言え世界を違える存在です。こちらの勝手な都合で呼び出して、あまつさえ怪我を負わせ、それに加えて身に何か残るようなことがあっては不手際も極み。ガロン、治療をありがとう。他の者にも伝えておいて欲しいです」

「ええ、姫様の言葉、確かに皆の者に伝えておきますぞ」

 猿人は妙に人懐っこい笑みを浮かべて少女に応じる。

「な、なんだか良く分からないけど、じゃあ、もう大丈夫なんですか?」

「うむ、治療は完璧じゃ。体内の破片も完全に取り出したし、傷口も完全に塞いである」

「へ、へぇ……、そりゃ凄いですね……」

「魔法技術に関して言うなれば、我々は人間に大きく勝るからのぉ」

 素直に俺が関心していると、ガロンと呼ばれた猿人は嬉しそうな表情を浮べ語ってくれた。生憎、その魔法という単語に混乱しているのだけれど、ちゃんと治療してくれたのだという保障は大きかった。痛みが全く無いのだから、きっと、嘘は言っていないだろう。

「自分が居た世界だと、多分、死んでましたよ、あの怪我」

「ふむ、やはり人間の世界は苦労が多そうじゃのぉ」

「まさか寝て起きて気づいたら治ってるとは思わなかったよ……ですよ」

 色々と気になる説明もあったけれど、全てが元通りだと言うなら文句はない。あまり気にしても仕方が無いので素直に感心しておく。自分もまた彼女達の世界がどれだけ不可思議なものか理解し始めていた。

「ともあれ、人間、貴方が無事で良かったです」

「ええ、私も同感です、姫様」

 そんな彼に続いて少女とトカゲもうんうんと頷いた。

 それには俺も同意である。

「けど、そうなると、俺はもう家に帰っても大丈夫ってことですか?」

「はい、そうですね」

「お前のおかげで姫様は事無きを得て、無事に騒動も治まった」

「そして、忍び込んだ敵は皆の努力によって打ち倒すことができました。城内の哨戒も厳重に行っています。勿論、召喚の鏡も無事です。今度は確実に元の世界へと帰れることを保障します」

「そっか、それは良かった」

 広間が揺れた際には鏡が割れたらどうしようと酷く慌てたものだ。

「本来ならば、貴方の好意に感謝の意を込めて宴を開きたく思います」

「う、宴……ですか?」

「はい。ですが、今は私達にそれだけの余裕がありません。どうか、その印として代わりにこれを収める限りで容赦して頂けませんか? このような形ばかりの謝礼となってしまい、申し訳ないですが」

「……え? 印って?」

 そして、語る少女はベッド脇に置かれた卓上より、何やら岩へガラス片がびっしりとこびり付いたような物体を抱き上げる。そして、それを俺に向け差し出してきた。彼女の両手で一抱えほどの代物である。その物々しい外見からして、随分な重量がありそうだ。

 視界の隅にあったそれは、てっきり置物の類だと思っていた。

「な、なんですか? これ」

「人間達の間ではダイヤモンドと呼ばれている宝石の原石です」

「だ、ダイヤっ!?」

「渦中においては如何な宝といえ食料に勝りません。この城には残る蓄えも侘しく、また街の周囲は人間の軍によって囲われています。このような形での謝礼となってしまい申し訳ありませんが、どうか収めて頂きたいです」

「あ、いや、そんな、ダイヤだなんて大層なものを……」

「これでは足りませんか?」

「め、めめめ、滅相もない。十分です、十分過ぎますっ!」

「そうですか。そう言って頂けると助かります」

 反射的に両腕を差し出すと、少女からダイヤの原石だという塊を渡された。それは想像以上にずっしりと重たく、あわやシーツの上に取り落としそうになった。とてもじゃないが長く持っていられない。

「あの、シーツの上に置いてしまってもいいですか?」

「はい、構いません」

「どうも、すみません」

 抱え込むように股座の合間へと置いた。

 ダイヤだと言われてもしっくりとこない。まるで博物館のお土産コーナーで売られている巨大な水晶の原石のようだった。けれど、彼女の言葉が本当ならば、その価格はゼロの数が二桁を超えて異なるだろう。

「でも、いいんですか? こんな大層なものを貰っちゃって……」

「姫様はこの国を率いて下さる古竜にあらせられる。その命を身を挺して救ったのだから、謝礼としては当然だろう。姫様の御身に代えられるものなど、この世を幾ら探しても存在しないのだからな」

「そ、そうですか……」

「このまま宝物庫に眠らせておいても、いずれは攻め入って来るだろう人間共に奪われてしまいます。ならば、という訳ではありませんが、折角ならば貴方に譲りたい。貰って頂けませんか?」

「そういうことなら、まあ、ありがたく貰いま……いえ、頂戴します」

「はい、そう言って頂けると私としても嬉しいです」

 今一度だけ二人に頭を下げて頷いた。

 正直、貰っても対応に困るのだけれど、今更突っ返すのも申し訳ない。

 穏やかな笑みを浮かべる少女に自然とこちらも優しい気持ちになる。

「ところで……」

 例の姿見は何処にありますか? そう尋ねようとした。

 家に帰れると分かったのならば早々に帰るべきだろう。

 元の世界へ帰る為の姿見は広間にあった。今居る医務室らしき一室からでは道が分らない。この国は戦時下にあるというのだから、再び問題が起こる前にさっさと立ち去りたかった。また面倒に巻き込まれては敵わない。弓矢に撃たれるなど論外だ。

 けれど、そんな俺の問い掛けは部屋の外より飛び込んできた声に掻き消される。

 まさか、また何か面倒事が起こったのかと、自然、身が固くなるのを感じる。

「大変です、姫様ぁっ!」

 ばんと勢い良く扉を開いて筋骨隆々の化け物が部屋に押し入ってきた。

「な、なんっ!?」

 その厳つい強面に思わず悲鳴を上げ損ねる。

 なんだお前はっ! と叫びそうになったところで、危機一髪、声を押し留める。

 その化け物というのは、身の丈がトカゲの化け物にも増して大きい。五メートル近い巨漢の持ち主だった。隆起した筋肉は深く肉体に影を落とし、両の拳は分厚い鉄板でも容易に打ち抜いてしまいそう。肩幅も身の丈に相応で、その全身を囲うには人間が幾人も手を繋ぐ必要があるだろう。加えて、その手には人間の身の丈より更に大きな斧が握られているのだ。並べて見比べればトカゲが可愛く思える。

 そして、そんな化け物が必死の形相で少女の下へ駆けてくる。

 傍らにはベッドとそこに座る俺が居るのだから、こっちは心臓がバクバクだ。

「食料庫がっ! 城の食料庫に火をつけられましたっ!」

 耳が痛いほどの声量で筋肉お化けが吼える。

「しょ、食料庫に火ですかっ!?」

「それは本当かっ!?」

 少女とトカゲが驚愕に声を上げる。

「はいっ、今、警備の者で必死に消火に当たっております。ですが、既に半分が灰となってしまいました」

「な、なんてこと……」

「加えまして、なにぶん燃え易いものが多い場所ですから、鎮火にはしばらく時間が掛かりそうです」

 筋肉お化けの報告を受けて少女はこの世の終わりを見たかのように愕然と呟いた。

 白い肌が更に青白く色を変化させる。

 表情の分かり難いトカゲや猿人もまた、同様に深刻な表情を露とし感じられた。つい今し方までの穏やかに思えた空気が嘘のようだった。

「そ、それで……、忍び込んだ人間は処分したのですか?」

「はい、それは問題ありません」

「そうですか……、ですが、食料庫が失われたとなると、これは……」

「姫様……」

 肩を落とす少女の慰めるようトカゲが声も小さく呟く。報告を運んできた筋肉もまた、同じように持ち前の強面を心痛の面持ちへと変化させていた。どうやら、それは非常に深刻な問題らしい。

「このままでは篭城することも叶いませんね……」

「どれだけの食料が燃え残るか、ともかく人を集めて消火を急がせましょう」

 トカゲが慌てた様子で部屋の外へと駆け出していく。

「自分もお手伝い致しますっ!」

 その後をすぐに筋肉お化けも追った。ズシンズシンとその巨体に似合わぬ俊敏な動きで医務室を後として、二人はすぐに壁の影に隠れて見えなくなる。部屋に残されたのは俺と猿人、そして、消沈の少女である。

「…………」

 彼女は視線を床に落として、ただ、呆然としていた。

 気を滅入らせているのは猿人もまた同様、何を言うでも無く黙って俯いている。

 非常に居た堪れない空間の出来上がりだった。

 しばらくを待ってみても状況は変らない。ただ、部屋の外で着実に喧騒が広がり始めて聞こえる。それは瞬く間に飛び火して、やがては室内にいても室外を飛び交う怒声が鮮明に届くまで至る。今し方に見聞きした食料庫云々の知らせを受けて、この城の者達が右往左往しているのだろう。

「あ、あの……」

 その緊張に耐え切れず、恐る恐る俺は少女へ声を掛けた。

「……人間、貴方を面倒に巻き込んでしまいすみませんでした」

「いえ、別に自分は大丈夫ですから……」

 すると、少女はポツリ小さな声で応じてくれる。

「これから、この城は慌しくなります」

「し、心中お察し上げます……」

「……ありがとうございます」

 教科書の中でしか見たことの無い言葉が口から零れた。自分が言うと妙に安っぽくて、口にした後で言わなければ良かったと軽い後悔に苛まれる。しかし、他に何といって良いか分からなかった。

「貴方が人間ということで、無条件に敵意を向ける者達もこの城には多いでしょう」

「は、はい……」

「こちらの部屋に姿見鏡を用意してあります」

 医務室に設けられた、廊下とは別の方向に側に繋がる扉を少女は指し示す。

「どうぞ、再び面倒に巻き込まれる前に元の世界にお戻りください」

「……分かりました」

 そうして語る様子さえ、精一杯に無理を押して思えた。

 多分、見た目が子供だから尚のこと強く感じるのだろう。

「こちら、隣の部屋です」

「は、はい」

 歩みだした少女に従いベッドから起き上がる。

 今まで眠っていた部屋から扉を一つ抜け、続く一室へ身を移す。その両手には彼女から譲り受けたばかりの巨大な宝石を抱いている。原石とは言うが、光沢面の露出している部分は多く、そのまま飾っておくだけでも大した調度品だろう。

 ただ、彼女は然して苦もなく手にしていたけれど、これが非常に重い。あまり長くは持てないので手にして歩くには非常にしんどい。腕の筋肉を引き攣らせながら、俺は必死になって少女の後を追った。

「どうぞ……」

「あ、これだ……ですね」

 部屋を映ってすぐに目当ての物は見つかった。

「はい、こちらに触れれば元の世界へ戻れます」

「なるほど……」

 通された一室の中央に姿見は置かれていた。

 毛の長い絨毯を敷かれた一室は強く、お城、を想像させる部屋だった。そして、その中央に鎮座するのが自宅の屋根裏部屋で見つけたのと同じ作りの姿見である。こうしてじっくり眺めてみると、ホームセンター等で売っている安物と比べて大きく思える。額縁も金色に輝いてだいぶ値の張りそうな代物だ。

「見送りが少なくて申し訳ありませんが、どうか許してください」

「い、いえ、とんでもない。君だけでも十分ですよ」

「そう言って頂けると、……助かります」

 答える少女の言葉には覇気が微塵も感じられなかった。まるで床に伏した病人のように思える。けれど、それを指摘することはとてもじゃないができなかった。突けば倒れてしまいそうな弱々しさがある。

「そ、それじゃあ、自分が居ても迷惑でしょうから、俺はこれで……」

「はい、どうもありがとうございました」

「……じゃあ、また」

 つい普段のくせで、また、などと口にしてしまう。恭しく頭を下げてくれる少女に軽く会釈して、俺は姿見の鏡面へその肩を触れさせた。シャツの生地が硬い筈の鏡面へゆるりと吸い込まれる。

 触れるだけで何が起こるのかと緊張に身を硬くする。

 すると、数刻前にも感じた強烈な引力に身体を引かれた。かと思えば、次の瞬間には視界が暗転。目の前が真っ暗になる。それと同時に足元に浮遊感が訪れ、やがて、自らを囲う空気の感触が変化した。

「っとぉっ!?」

 強烈な貧血にでも襲われた風だった。

 しかし、今度は両手に重量のある荷物を持っているので周囲に縋ることも叶わない。なんとか体勢を崩さないよう、立つべき地面が分からぬまま、あやふやな身を垂直に立てようと意識する。

「っ……」

 ともすれば、数秒の後に足裏へ固い感触が戻る。

 エレベータが指定階に辿り着いたときのような、問答無用で全身のぐらつく感覚に危ういところで倒れそうになった。それをなんとか踏ん張って持ちこたえる。

「…………」

 そして、気づけば俺は誇りっぽい屋根裏部屋の姿見前に立っていた。

 その間、僅か数秒の出来事である。

「……ほ、本当に屋根裏部屋だし」

 息を吸い込んだ鼻と口から埃臭い濁った空気が入ってきた。

 薄暗くて、閉鎖的な、何処からどう見ても我が家の屋根裏部屋があった。依然として信じられない部分があったけれど、こうして、全ては少女の語ったとおりになった。お城の一室を思わせる名残は微塵も見当たらない。ただ、目の前の姿見だけが同様の姿を晒している。

「夢じゃ、ないよなぁ……」

 彼女に貰ったダイヤの化け物だけが、何も変らず腕に抱かれていた。