金髪ロリお姫様ラノベ

第三話

 翌、土曜日。

 学校へ向かわなくて良いことに安堵しながら俺は鏡の世界へと足を運んだ。外は生憎の雨だったので、今日の作業をどうするか少女に伺いを立てる為だった。もしも連日に同じく行うなら、別途、テントを購入する必要がある。組み立てには最低でも四本の足を支える手伝いが必要なのだ。

 しかし、その日の城は俺の知る平素より幾分か空気を違えていた。

 前日に同じく、隣室からのノックに気づいて医務室より現れたのは医者の猿人ガロンだった。彼は俺がこちらへやって来たことを確認して、とりあえず儂に付いて来いと廊下に出る。一体何があったのかと疑問に思っていると、到着した先は何やら荘厳な長机の設えられた会議室を思わせる一室だった。

 そこの最奥に少女の姿を見止める。

 相手もこちらに気づいて声を上げた。

「ああ、来てくれましたか」

「どうも、今日の予定を聞こうと思ったんですけど……」

 会議室に座する化け物達から一斉に視線を浴びる。割と人の姿に近いエルフとか、小柄なドワーフとかはまだ良い。けれど、筋肉の化け物であるオーガやら、口に鋭い牙を生やした竜やらに見つめられると、思わず扉を閉めて回れ右したくなる。

「申し訳ありませんが、食料を調達している場合ではなくなってしまいました」

「え?」

「哨戒に当たっていた仲間の報告より、人間の軍の動きに変化がありました」

「敵がですか?」

「はい、そうです。得られた情報から鑑みるに、相手から近いうちに大規模な進行があると、今し方に我々は結論を出しました。きっと、兵糧攻めに然したる効果を見出せず焦れて来たのでしょう」

「し、進軍ですか……」

「はい、とうとう来てしまいました」

 そうして語るのすら辛そうに少女は状況を説明してくれる。

 同じ机を囲う誰も彼もは口を閉ざして、そんな彼女の姿を黙り見つめていた。きっと、この会議は旧日本軍でいう御前会議なのだろう。居た堪れない緊迫感を痛いほどにひしひしと感じる。

「常に備える必要がありますから、仮に二名とはいえ魔力に長けるエルフをそちらへ回すことはできません。ですから、今日は叶うならば貴方お一人で、若しくは休みとして貰えませんか?」

「そういうことなら、はい、分かりました」

 まさか、この状況で今日は雨だからあと二人だけ追加してくれないかな、などとは口が裂けても言えない。国あっての食い扶持である。戦争に負けては食料など幾らあったところで意味が無い。

「では、申し訳ありませんが、私は話し合いがありますので」

「じゃあ、自分も一度向こうに帰ります」

「ええ、そうして頂けると助かります」

 少女とその取り巻きに軽く会釈を返して部屋を後とする。

 ここへ連れて来てくれたのと同様に、猿人のガロンが無言に促してくれて、二人並んで廊下へ出た。

 バタンと重い音がして扉が閉まる。

 すると、彼は廊下へ出るやいなや大層大きな溜息を吐いた。全面に大きく出っ張った猿口からはぁと熱い吐息が漏れる。彼もまたこの国の民に違いない。その身にかかる心労は決して軽くないのだろう。しかも職業は医者だと言うのだから、多少の同情すら感じる。

 日本で言えば数十年前にあったという、政権交代に伴う大幅増税と隣国人民の大流入による国民生活の転覆がそれに近い気がする。今でこそ太平な国柄を取り戻したが、当時は傀儡政権の打倒に随分な血が流れたという。

「随分と深刻な話だな……ですね」

「うむ、ついに来るべきときが来てしまった」

 そうして答える彼の言葉は普段にも増して重苦しい。

「やっぱり、戦うんですよね?」

「他に道があるかのぉ?」

「すみません、こちらの世界の社会情勢とかはさっぱりです」

「きっと、我々には戦うしかないのじゃよ。これは神より与えられた運命なのじゃ」

「……何か信仰している宗教が?」

「まあ、この国は種族によって様々じゃが、我々はマーズ教かのぉ……」

「な、なるほど……」

 当然、初めて耳にする名前だけれど、それとなく頷いておく。

 猿人も敵からの侵略が随分と堪えるのか、これでも普段より口数も少なく静々と城の廊下を歩む。たが、逆に城内は普段よりだいぶ騒がしく感じられた。あちらこちらで怒声が飛び交っているし、多くの化け物が忙しなく右往左往している。きっと戦争の準備をしているのだろう。

「勝ち目って、あるんですか?」

 聞かずにはいられなくて、思わず問うてしまう。

「……そうじゃのぉ」

 食料品の買い出しを手伝ってくれたエルフ達ならば、絶対に勝たねばならぬのだ、とか非常に熱い答えが返ってきただろう。しかし、この老年の猿人は至極冷静な性格の持ち主である。それはここ数日でだいぶ理解したつもりだ。

 そんな彼が覇気薄くぽつりと零す。

「せめて姫様だけは、無事に故郷へ逃れて欲しいものじゃ……」

「…………」

 なんだか、聞いているこちらが挫けそうな語り草だった。

 まるで通夜である。

 まだ経験は無いけれど、そう感じた。

「あ、あの、もし良かったらこっちの世界へ逃げるとか、どうですか?」

「いいや、それじゃあ意味が無いのじゃよ。この国は我々が荒野を耕し、水源を掘り当て、汗水を流して開拓した土地の上に立っておる。それを再び失っては、もはやこうして各々の部族が団結することもあるまい」

「やっぱり駄目ですか……」

「おぬしの気遣いは嬉しく思う。本当に、人間だというに良く我々に尽くしてくれる。もしも儂がこの度の戦を生き永らえることができたのなら、おぬしの名を末永く語り継がせて貰うとしよう」

「い、いや、そんな、そんな弱気なことを言わないでくださいよ」

 もしかして、今し方に覗いた会議室の面々も彼と同じ心持なのだろうか。

「まあ、何にせよおぬしは早く元の世界へ帰るといい。敵が攻めてきは大変じゃからのぉ。万が一にも鏡が割れてしまっては面倒じゃろう? おぬしの居場所はここではないのじゃからの」

「それは、まあ、たしかにそうですけど……」

 猿人に言われて多少だけ怖いものを感じる。

 たしかに、このまま長居して帰れなくなるのは絶対に嫌だ。

「戦争って、やっぱり、こう、互いに大勢でぶつかり合うんだよ……ですよね?」

「ん? 他に何かやりようがあるのかぇ?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど、あんまりにも現実的じゃなかったから」

「そうか? おぬしの世界では戦争はないのか?」

「こっちの世界だと、なんというか、戦争というより苛めみたいな感じがする」

「苛め?」

「ああ、いや、気にしないでいいんだけどね。こっちの話だから」

「……そうか」

 何か力になれることはないかと考えを巡らせるけれど、まさか個人の力で戦局を引っくり返すことなどできる筈もない。幾ら考えても良い案なんて一つとして思い浮かぶことはなかった。

「相手って、どれくらいなんですか?」

「人間どもの数か? それならば数万から十数万と聞いておるが……」

「じゃあ、逆にこっちは?」

「この国の住民全てを合わせて数千といったところじゃ。ただ、正確な数は数えた試しがないから分からん。しかも、連中と面だって戦える者はそのうち七割が関の山じゃろう」

「い、今まで良く耐えて来られましたね」

「それはこの街全体を覆う強大な結界のおかげじゃ」

「結界?」

「うむ。この国には姫様の父親、今は亡き前王を慕って高位の精霊や強力な化け物達が集まっておる。それらが街全体を包み込むように結界を作っているのじゃよ。それがある限り人間共は一歩たりとも入ってこれん」

「へぇ……」

 なんだか良く分からない部分もあるけれど、とりあえず凄い気がした。

「あ、でも、前に俺が来たときは食糧庫が燃やされたとか言ってたけど」

「あれは人間共が外からこの城全体を魔法で激しく揺らしたからじゃ。結界を作っているのは我々自身じゃから、恐らく揺れに慌てた者が集中力を切らしたのじゃろう。僅かに穴ができたらしい」

「な、なるほど……」

「利用された魔法は大凡見当がつくが、そもそもそれは極小さな領域で大地を隆起させる代物じゃ。それを数に物言わせて無理矢理に打ち込んできたのじゃろう。人間の考えることは底が知れぬ。一体、何千、何万人を集めたのか想像するのも億劫じゃ」

「地震を自前で起こすって、そりゃまた凄い……」

「あとは前王の力も大きかったのじゃろう。姫様やその父親たる前王は強力な力を持つ古竜なのじゃよ。遥か北の大地に住まうと言われている彼等の力は一騎当千、いや、それ以上のもの。今までも幾度となくその力で国を守ってきた」

「古竜?」

「やはり、おぬしの世界には居らんのか?」

「い、いないよ。竜なんて」

「ほぉ、そうなのか。やはりおぬしの世界は面白い……」

「彼女の父親って、そんなに凄かったんだ?」

「うむ。じゃが、度重なる人間共との戦いに敗れて、つい先々月のことお亡くなりになってしまった。幾万という人間達の進軍をその身一つに受けて立つ姿は、まさに言葉を忘れるほど圧巻じゃった。じゃが、絶対の力と言われる古竜も人間の数には勝てなかった」

 ハァと猿人が深い溜息を吐いた。

「あ、でも、その結界とやらがあるから、今は大丈夫なんじゃないんですか?」

「それもいつ崩されるか分からん。おぬしが矢に撃たれたとおり、この間も人間の侵入を許してしまった。次の進行では一体何をしでかしてくれるかと考えると、この街の結界も長くは持つまい」

「そ、そうなんですか……」

 そして、そうこうしている間に俺達は姿見の置かれた部屋に辿り着いた。医務室から連なる一室で廊下には直接面していない部屋だ。自分がこの城で最も多く出入りしている場所でもある。

「さて、そういう訳じゃから、これでおぬしともお別れかの」

 姿見の前に立って猿人が言う。

「なんていうか、どう答えたら良いか分からないけど……」

「なぁに、おぬしの気にすることではない。向こうで元あった生活を送るといい」

「……そ、そうですね」

「ほら、あまり長居していると敵が攻め込んでくるぞい」

「分かりました。それじゃあ、今まで色々と面倒みてくれてありがとうございました」

「いやいや、こちらこそ美味い食い物をくれて感謝しとるよ」

「それじゃあ……」

「うむ」

 そうして、後ろ髪を強く引かれながらも、俺は姿見の鏡面に触れた。ともすれば我が身は瞬く間に暗闇へと包まれて、猿人の姿も見えなくなった。城の喧騒もすぐに聞こえなくなった。

 気づけば次の瞬間には家の物置に居た。

◆ ◇ ◆

 家に帰ってからは、雨が降っていたので大人しく自室に篭った。

 どうにも鏡の世界を思うと落ち着けなくて、漫画を読もうにもゲームをやろうにも、果ては机に向かおうにも、一向に集中できなかった。気づけば向こうの世界に思いを巡らせている自分がいた。

「なんかなぁ……」

 僅か一週間という短い期間ではあるけれど、それなりに顔を合わせていた訳だから、愛着も沸いていた。正直、猿顔やトカゲの強面には慣れない。けれど、悪い奴じゃないと知れば気にもなるものだ。

 何か自分に手伝えることはないだろうか。

 気づけばそんな風に考えていた。

 それはゲームと違って攻略本の無い一発限りの物語である。しかも彼等の国が懸かった一大事だ。そう容易に自分が手を出せるとは思わない。けれど、何もしないで我関せずを貫くのはしんどかった。

 次に姿見を抜けたとき、そこに誰も居なかったら少し悲しいだろう。

「…………」

 しかし、自分はただの中学生だから、そんな規模の大きな話にどうやって助力するれば良いのか。食糧の調達も生憎の天気で難しい。かと言って武器の類は、民間人は逆立ちしても手に入れることなどできない。

 そして、この身は貧弱な人間のそれときたものだ。

 魔法が飛び交うという斬新な戦場へ出ては数分と生き残れる気がしない。まったく役に立たない身の上だった。彼らの話ではないが、人間とは群れていなければ何もできない存在である。

「はぁ……」

 何気なくパソコンの電源を入れてブラウザを立ち上げる。

 篭城戦と検索かければ過去に名を馳せる人物の名と共に数々の争いの歴史が現れた。それらを眺めてみると、なかには十倍近い戦力を相手に勝利をもぎ取った例も幾つか示されていた。

 けれど、所詮はそれまでである。

 色々と説明書きは為されているけれど、全ては過去の出来事である。多くは運の賜物だと思えて仕方がない。同じことをやれと言われても、絶対に無理だろうと確信が持てるから悲しい。

 それからしばらくをネットサーフィンに入り浸っていたけれど、そこから得られるものは無いと結論付けるに至った。然して温まっていないコンピュータの電源を切って席を立つ。何気なく外へ視線を向ければ、屋外では激しい雨がアスファルトをバシャバシャと勢い良く叩いていた。

 せめて何か差し入れでも持っていこうかと、そんな気分になった。

「……あぁ、そうだ」

 そこで不意に思い起こしたのは昔、友達と遊んだ戦争ごっこ。

 トランシーバーで仲間と連絡を取りながら森の中を駆け巡った記憶である。友人達は値の張るエアガンやガス銃を持っていたけれど、自分だけは夜店でかった安っぽい銀玉鉄砲片手にはしゃいでいた気がする。俺の弾は誰にも当たらなかったし、思えば誰からも弾を当てられなかった気がする。

「あぁ……」

 今になって思い返すと鬱だった。

 とりあえず電気街へ向かうとしよう。

 そう思い立って俺は部屋を後とした。

 自宅は都内より多少だけ離れた住宅地の一角にある。そこから徒歩と電車で目的の場所まで向かった。今日は大振りの雨日だと言うのに、都市部は天候など関係なく人で賑わっていた。猿人の言葉じゃないが人が多い。

 幾度かの乗換えを経てやって来たのは日本有数の電気街秋葉原。

 たまに漫画の類を買いに足を運ぶ事がある。

 しかし、無線機器などは買った試しが無いので何処に店があるか分からない。傘を片手にあっちへうろうろ、こっちへうろうろ、しばらくを彷徨う羽目となった。本屋なら腐るほどみかけるが、無線機器を扱っているような古いタイプの電気屋はなかなか見当たらない。何処へ行けば良いのだろうと随分な時間を歩き回った。

 すると、予期せぬ不幸がやってきた。

「あ……」

「ん?」

 歩む路上の正面より見知った顔達が近づいて来たのだった。

 自分に同じく傘を手に、しかし、何やら楽しそうに会話を交わしつつある。そして、彼等は俺を見つけると、そう、何処か都合が悪そうに少しだけ目元を歪めるのだった。多分、先週までの自分だったら気づかなかっただろう些細な変化である。

 富川とそのグループの者達だった。

「よ、よぉ、奇遇だな。休日にこんなところで会うなんて」

 不自然にならぬよう学校で接するのと同じように声を掛ける。果たして自分はどこまで演じられているのだろうか。彼らのグループの奴も一人は同じ高校へ進学する予定だと聞いている。要らぬ事情を気取られたくなかった。

「あぁ、浩二か……」

「なんで秋葉原に居るんだよ?」

「い、いや、ちょっと買い物したくてさ……」

 反射的に、トランシーバーを買いに、と口に出そうになった。けれどその瞬間に、相手もいないのにそんな物がどうして必要なんだ? と脳内で彼等から囁かれた気がして、自然と言葉を濁すこととなった。

「って言うと、まさかアキバまでボラクエを買いに来たのか?」

「いや、今日はまた別の買い物で来たんだけど」

「そうか、なら良かった……」

「え? 何で?」

 妙なことを言う富川達の言葉に思わず声が漏れる。

「あ、ああ、別にお前には関係ないから、気にするなよ」

「…………」

 そんな彼等の言葉に俺は何と答えれば良いのだろうか。

 教室ではそれらしいやり取りができていた筈なのに、どうしてか今は会話が長続きしなかった。路上で立ち止まったまま、富川の側も何を言うでも無くこちらを眺めている。まるで動物園のパンダにでもなった気分だった。

 だから、話題を探そうとして語りかける。

「あ、そう言えばさ、富川ってアキバ詳しいよな?」

「え? あ、ああ、それがどうした?」

「良かったら少し案内してくれないか? 無線とか扱ってる店を知りたいんだけど……」

「…………」

 正面に立った富川を選んで、それとなく問い掛ける。

 すると、何故だろう。相手は押し黙ってしまった。そして、そんな彼の傍らでは同じグループの者達が小さく互いの耳元で囁きあっている。眺めていて非常に不快感を誘う光景だった。その視線は時折こちらをチラリチラリと盗み見て思える。何か言いたいことがあるのだろうか。

「少しでいいんだけど、駄目か? あ、急いでいるようなら構わないけど」

 だから、とりあえず何かしら喋って貰おうと言葉を続ける。

「なぁ、富川……」

 すると、俯きがちにあった相手の顔がスッとこちらを見つめてきた。

「浩二、悪いんだけどさ、もう俺達には話しかけないでくれない?」

「は?」

「いや、だから、もう学校でも街でも、俺達に寄ってくるなってこと」

「い、いや、ちょっと、なんだよそれ……」

 面と向かって語られるにはあんまりな物言いに思わず目を白黒させる。耳にしてすぐは自分が何を言われたのか理解できなかった。どうしてここまで明確に拒絶されなければならないのか。

「お前、阪部達と喧嘩してるんだろ?」

「は? 何の話だよ」

「お前が阪部の彼女を殴ったって、昨日、メールで回ってきたんだよ」

「おい、ちょっと待てよ、なんだよそれっ!」

「そのメールってクラス中に回ってるみたいだから、もう、俺達もお前と話するのが嫌なんだよ。悪いけどこれからは近づかないで貰えないか? 俺も阪部達に嫌われたくないし、変な噂を立てられたくないし」

「そんな……」

 思い出されたのは銀髪エルフと一緒に買出しに行った記憶である。あの時の出来事を彼等が歪めてメールに乗せたのだろう。けれど、幾らなんでも俺が阪部の彼女を殴ったなんて濡れ衣にも程がある。

 そもそもそんな嘘をクラス全体にメールで流すなど冗談が過ぎる。幾ら嫌われているとはいえ、これでは虐めじゃないか。むしろ先に手を出したのは阪部達だと言うのに、どうしてそんなことをするのか。

「富川、それは違うぞ、俺は何もしてない。阪部達が勘違いしてるんだよ」

「……そうなのか?」

「当然だろ? なんで俺が阪部の彼女を騙さなきゃならないんだよ」

「でも、実際問題にメールは回ってきたんだけど?」

「だから、それは嘘だって言ってるだろっ?」

「けどさ、だったらどうして阪部がそんな嘘をつくんだよ?」

「い、いや、それは、だから……」

 まさか本当のことを語る訳にはいかない。けれど、そうでなければ如何にして銀髪のことを説明すれば良いのか。上手い言葉が見つからず返答に困る。すると、それを相手は阪部達に都合が良いよう解釈してくれた。

「やっぱり、なんかしたんだろ?」

「してないっ、絶対にしてないってっ!」

「じゃあ、どうして説明しないんだよ?」

「それは今は言えないっていうか、こっちにも色々と事情があるんだよ」

「なんかお前って嘘臭いよな」

「う、嘘じゃないっ!」

「証拠とかあるのか? 阪部は彼女が泣いてたって書いてあったぞ?」

「そもそも俺は阪部の彼女の顔すら知らないし、信じてくれよっ!」

 どうして天下の往来でこんな羽目に陥っているのか。凄く自分が惨めに思えた。傘を叩く雨の音がその気分を更に拍車をかける。少し濡れたシャツやズボンの冷たさが身体のみならず心まで冷やして思えた。

「けど、阪部のメールには書いてあったんだから、仕方ないだろ?」

「だから、それは全部嘘だってっ!」

「写メには彼女の顔に痣があったし、お前の話の方が嘘っぽくない?」

「な、なんでだよっ!? 俺はそんなことしてねぇよっ!」

「口先だけで語られたって、そう簡単に信じられる訳ないだろ? 阪部の友達もその場面に居合わせたっていうし、誰もお前のことなんて信用しないんじゃないか? 少なくとも俺はそう思う」

「っ……」

 富川の言葉に裁量の余地はなかった。

「おい、富川、もういいだろ? 早く行こうぜ」

「急がないと今日のイベントが始まっちまうだろうが」

「っていうか、雨降ってるしさっさと中へ入りてーよ」

 そして、痺れを切らした彼の仲間達がそれぞれ声を上げてくる。その全てはどれも俺を強く非難しているようで、心臓がキュッと締め付けられる感覚に苛まれた。どうして自分ばっかりこんな目に遭わなければならないのか。

 本当は仲良くしたいのに、どうしてこんなことになってしまったのか。

「まあ、そういう訳だから、じゃあな」

 そうして、彼は脇をスッと通り過ぎて行った。

 彼の友達達もまた後に続く。

「あ……」

 その背にかける言葉は見つからなかった。

 ただ、段々と小さくなっていく彼等の姿を目で追うことしかできなかった。そして、それもやがて人ごみに飲まれ見えなくなる。あとは雑多な都市部の喧騒と雨が地を叩く音だけが残された。

「…………」

 目から涙が漏れそうだった。

 今週なんて凄く頑張ったのに。とても気を使って普段どおり接してきたのに。だのにこんな仕打ちは無いと思う。もしかしたら、高校へ進学してからは環境も色々と変るから、彼等とも縁りを戻せるかもしれないとか考えていたのに、全てが無残に打ち砕かれた気分だった。

 そんなに、やっぱり自分は嫌な奴なのだろうか。

「……畜生」

 色々と堪らない気分になった。

 身体の中に熱が溢れて、ジッとしていられない。

 雑多な感情が入り乱れて頭の中が沸いたようだった。

 だから、気づいたときには駆け出していた。

 人の波を掻き分けるようにして、前へ前へ、向かう先も決めないままに足を動かす。何がやりたいのか自分でも分からなくて、ただ只管に走り回るのだった。そうして、叫びを上げたくなる気分を必死に抑えるのだった。

 すると、なんとも皮肉なことに目的とする無線機器を取り扱う店舗の連なりが見つかった。数件だけ軒を連ねて、多くは業務用機器に至るまで雑多な商品を扱う店々だ。先刻までは幾ら探しても見つからなかったというのに、腹立たしい話もあったものだ。

 思わず地面を転がっていた空き缶を蹴り飛ばす。

「糞っ……」

 怒りに任せて店の軒先を潜った。

 高ぶった感情は財布の紐を緩くする。

 俺は有り金の限り無線機の類を買い漁った。帰りはタクシーで良いだろうと、駅のコインロッカーを利用して、十台、二十台と店員側が怪しむくらいに買いまくってやった。なんだか良く分からない機材も買った。とにかく目に付くものを只管に買った。金だけは沢山あったので、週末に買い物でストレスを発散するオフィスレディのように、手当たり次第に商品を買って回った。

◆ ◇ ◆

「おぬし、また来たのか……」

 医務室から顔を出した猿人が呆れた様子で口を開いた。

「何度も顔を顔を出して、すみません」

「いや、まあ、儂としては別に構わんのじゃが」

 色々とあって勢いのままにやってきてしまった。足元には大きなダンボールが幾つか並んでいる。いつもの食料品の買出しに比べれば可愛いものだけれど、価格的にはその倍以上の金額を必要とする代物だ。

「それはなんじゃ? 食い物か?」

「いや、少しはこっちの助けになるんじゃないかと思って……」

 そう語りながら封を開ける。

 多少だけ雨に濡れてしまっているが、中身は全く問題無い。

「そっちの世界は雨でも降っておるのか?」

「ああ、だもんで食糧の買出しは今日は難しくて、代わりにこんなのを買ってきたんだ」

「なんじゃ? それは」

 俺は梱包から取り出したトランシーバの一組に電源を入れると、その片割れを猿人へと手渡す。既に購入時の包みは解いて、乾電池も部屋で詰め込んである。説明書も流し読みしたので使い方は問題ない。

 手にした縦長の筐体に首を傾げる猿人。

「それ、こうやって耳に当てて貰えませんか?」

「こ、こうか?」

「そう、そのままの状態でいてくれ……ください」

 そして、猿人のそれが受信状態であることを確認する。ディスプレイに異常が無いことを確かめて、俺は対になるもう一方より集音部へと語りかけた。

「もしもし、聞こえますか?」

「おぉ?」

 すると、猿人は少しだけ声を出して驚いた。

「なんじゃ、おぬしの声が聞こえてきおった」

「俺の世界の道具でトランシーバーって言うんですよ。こう、離れた人と会話をする為のものなんだけど、こっちの世界にもこういう道具とか、同じような魔法とかってあったりしますか?」

「いや、その手の話は聞いたことがないのぉ……」

「っていうと、やっぱり手紙とか、そういうのでやり取りしてる感じですか?」

「そうじゃのぉ、基本は足の速い者が手紙を持って飛ぶことになっておる。声を大きくする魔法もあるにはあるが、それとはまた趣が違うしのぉ。儂も世の全てを知る訳ではないが、他に同じようなものは見たことが無い」

「そっか、良かった。金の無駄遣いにならずに済んで」

「つまりなんじゃ、おぬしはこれを儂らに使ってくれと言うのか?」

「かなり便利だと思うんだけど、どうですか? 俺の世界だとこれが無いと戦争ができないって聞きます。それくらい重要なものだとは思うんですけど、やっぱり、世界が違うと意味ないですかね?」

「ふむ……」

 俺が言うと猿人は手にした無線機を眺めて何やら考える素振りを見せる。

「一応、それなりの数を持ってきたんですけど」

 感情の溢れに任せて購入したものなので、自分でも幾つ買ったのか憶えていない。商品の種類もばらばらだし、それぞれの機能も禄に確かめていない。ただ、その数だけかなりあった。

 こちらの世界へやって来たのも、そう、ヤケクソ気味な現思考の賜物だ。

「そうじゃな、これは姫様に報告してみるか」

「いいんですか?」

「うむ、儂には使い方が分からんからおぬしも一緒に来るといい」

「あ、はい」

 トランシーバーを俺に返して歩き出した猿人。その後を追って俺もまた廊下へと出る。城内は相変わらず騒がしくあって、その喧騒は先刻まで歩いていた都市部に引けを取らない。様々な化け物が入り乱れて戦争の支度をしていた。

 俺達は言葉数も少なく早歩きで廊下を進む。

 すると、辿り着いた先は今まで来たことの無い一室だった。

「姫様、少々よろしいですかのぉ?」

 軽いノックと共に猿人が恐る恐る尋ねる。

「どうぞ、入ってください」

 少女の声を確認して扉が開かれる。背は低いけど意外と図体のでかいガロンの背に隠されて、すぐに俺が中の様子を伺うことは叶わない。ここは何の部屋だろうと疑問を感じながら、彼の背中越しに垣間見える光景から疑問を浮べる。

「ガロン、何か火急の用件でもできたのですか?」

「姫様にお話があって参りました」

「話ですか?」

「はい、少々お時間よろしいですかな?」

「ええ、構いません」

 少女に頭を下げた猿人は俺を自らの隣へと引き寄せる。

 ともすれば、相手もこちらの存在に気づいたらしい。多少だけ驚きつつも声をかけてきた。ここ一週間で随分と耳に馴染んだ声色である。凛としてよく通る彼女の声は聞いていて心地が良い。

「ん? 人間、貴方は既に元の世界へ帰ったのではなかったのですか?」

 部屋の中には少女だけが居た。

 ベッドや机椅子、鏡台など、彼女の私室を思わせる室内風景である。

「あ、いや、なんというか、こっちのことが気になって、色々と考えたんですけど、何か手伝えることはないかと思って、俺の世界の道具を持ってきました。良かったら見て貰えませんか?」

「そちらの世界の道具ですか?」

「これなんだけど……」

 ベッドに腰掛ける少女の元まで歩いていく。

 彼女もまたこちらに合わせて立ち上がる。

 その正面に立って、猿人より回収したトランシーバーの片割れを手渡した。筐体を渡すに際しては互いの指先が少しだけ触れたりして、ドキっとしたりもした。けれど、相手は微塵も気にした様子はなく、手にしたそれを興味深そうに眺めていた。

「これは何ですか?」

「離れた人と話をする為の道具なんだけど、耳に当てて貰えませんか?」

「……こうですか?」

「あ、もうちょっと下です、こんな感じ」

 自分の持つ相棒で具体例を示しながら俺は彼女と距離を取る。

「こうですか?」

「そう、そんな感じです」

 少女が耳に筐体を当てたのを確認して、俺は猿人のときと同様にトランシーバへと語りかける。こういうときは語りかける言葉に悩むのだけれど、まあ、いつもどおりで良いだろうと適当に選ぶ。

「もしもし、聞こえますか?」

 少し気恥ずかしい。

「ん? 人間、貴方の声が中から聞こえてきました」

 すると、少女もまた猿人と同じ反応を示した。

「こういう道具なんですよ。結構な距離まで届くんですけど、どうですか?」

「なるほど……」

 一度の実演で彼女もトランシーバーの機能を理解したらしい。なにやら関心した様子で手にした筐体を眺め始めた。あまりボタンをポチポチ押されると俺も良く分からない状態になってしまうので困るけれど、その辺は黙っておく。

 果たしてこれが彼女達に如何様な評価を受けるかは分らない。ただ、少しでも勝機が上がってくれることを祈っての持込みだった。

 この世界の人間がどれだけ性悪かは知らない。けれど、こうして俺を迎えてくれた少女達は非常に良い者達だったので、そんな皆々が口を揃えて悪だと評価するのだから余程だろう。ならばこそ勝って貰いたいと切に願う。

「どうですか? 少しは使えますか?」

「これはどれくらいの数があるのですか?」

「百組以上は持ってきましたけど……」

「それはまた結構な数ですね」

「え、ええ、ちょっと色々あって、考えなしに買ってしまったもので……」

 まさか友達に裏切られたから、その鬱憤を当てて買った、などとは口が裂けても言えない。当初より購入するつもりではいたけれど、まさかダンボール箱で二桁以上も購入するとは思わなかった。しかも、なんだか良く分からないまま買ったものまで紛れているし。

「我々が守るべきは街全体です。これは存外利用用途があるかもしれません」

「そうですか?」

「ええ、一度皆を集めて話をしてみましょう」

 そんな少女の言葉に応じて先の会議室に今一度同じメンバーが揃う運びとなった。自分の持ってきた物で、あの強面化け物軍団が揃うのはかなり怖いのだけれど、俺もまた彼女の頼みにより同席する運びとなった。

 会議室に集まった面々は数刻前に訪れたときと同じ顔ぶれに思えた。とはいえ、化け物達の個体を識別することは非常に困難である。ただ、なんとなく雰囲気が同じように思えたので、そう考えた次第である。

 そして、その者達の面前でも猿人や少女の前で行ったとおり実演を行った。例によって片側を化け物達に持って貰い、もう一方から語りかけるというやつである。

 与えられた反応は化け物によってバラバラだった。かなり関心を持ってくれた者もいれば、こんなものを使ったところで何ができると突っぱねた者もいた。特に顔が凶悪な化け物こそ、また、図体がでかい化け物こそ、後者の傾向が強かった風に思える。

 その結果、小一時間の論議では賛成反対共に入り乱れたものの、とりあえず使ってみよう、という話の流れになった。ただ、統合してこちらが想像したほどの食いつきは得られなかった。自分達のお姫様が持ってきた話だから、とりあえずは聞いておこう。そういった流れに思えた。

 まあ、無駄金にならなかっただけましなのでホッと一息だろう。

 そして、いざ使う運びとなったのならば、実用に差し当たり利用方法を教えなければならない。まさか日本語で書かれた取り扱い説明書を読める者はいないので、その役目は俺に回ってきた。比較的人間に近い体格で、細々とした指の扱いが可能な化け物達に簡単な使用方法を教えることとなった。

 皆々はかなり頭が良くて、一度教えると大多数はすぐに使い方を憶えてくれた。長い時間を恐怖面に向き合わずに済んで、こればかりは失礼かもしれないが非常に助かった。小一時間も壇上に立って語れば一通りの操作方法を伝えることができた。

 そんなこんなで時間が過ぎて、時刻が午後三時を回ろうかという頃合のことである。トランシーバーの教室を終えた俺の元へトカゲが一匹やって来た。それは今までずっと少女の傍らに控えていたトカゲである。

「人間、少し良いか?」

「あ、はい、何ですか?」

 三メートルほどの長身を持つ彼だ。

 頭上より見下ろされて思わず気が引ける。

「お前に話がある、悪いが共に来てくれないか?」

「は、話……、ですか?」

「ああ、ここではできない話だ」

「はぁ、分かりました」

 彼の言葉には有無を言わせない迫力があった。

 自然と敬語が出る。

 まさか逆らう理由も無いので大人しく従った。すると、こっちへ来いと言ってトカゲが歩き出す。会議室を後とした彼は、そのまま城の廊下をしばらく歩いて別の一室へと入っていった。歩幅の広い相手なので、自然と駆け足になりつつ背を追って、俺もまた同様に部屋の敷居を跨いだ。

 すると、待っていたのはトカゲの他に雁首並べた化け物達だった。

 様々な種類の化け物が思い思いに部屋の至る場所へと身を置いている。会議室より多少だけ広いその部屋にあっても、十数匹からなる化け物が顔を揃えていては、敷地面積の割に随分と手狭く感じた。

「あ、あの……、話ってなんですか?」

 なんだこのモンスターハウスは。

 いよいよ俺を取って食う気になったのか。

 そんな疑心暗鬼に駆られた。全ての化け物は非常に強烈な外観を持っている。人間など丸齧りにしてやる。自然とそんな気迫が伝わってくるほどだ。だから、身構えるなと言うほうが無茶である。

「ここに居る者達は、この国に身を寄せる数多くの仲間達の中にあって、特に数が多い主だった種族を率いる、言わば族長にあたる者達だ」

 傍らに立つトカゲが語る。

「本来ならば全員を紹介したいところだが、今はそれだけの余裕も無い」

「それは、えと、そんな偉い方達が俺に何の用ですか?」

「一つ、無礼かとは思うが我々からどうしてもかなえて欲しい願いがあるのだ」

 頑張って平静を装いつつトカゲとの会話に勤める。

「な、なんですか?」

 その場の化け物達は誰も彼もがジッと俺を見つめている。特に何を言うでも無く、ただ、ジッとこちらを見つめているのだ。その圧迫感といったら凄まじい。今すぐにでも部屋から逃げ出したい欲求に駆られる。

「この度の戦いは嘗てなく凄惨なものとなるだろう」

「……はい」

「そして、お前も薄々は感じているかもしれないが、我々の勝機は非常に薄い」

「…………」

「人間共にこの国が焼かれ、乱され、蹂躙されるのも時間の問題だろう。勿論、我々は精一杯に戦う。命の限り戦い続けるだろう。しかし、それでも敵を退けることは非常に難しいだろうというのが、この場の全員の共通した見解だ」

 そうしてトカゲは部屋に集まった化け物達をぐるりと見渡す。

 皆々はそれに言葉を持って答えることはなく、ただ、黙ってその姿を見つめているに限る。化け物の姿から感じるプレッシャーに加えて、敗戦を想定した非常に物悲しい雰囲気に居た堪れない気持ちが溢れた。

「だから、お前に一つ頼みたいのだ」

「……な、なんでしょうか?」

「もしも我々が敵に破れ息絶えたとき、姫様だけでもお前の世界へ連れ逃げて欲しい」

 それは何となく想定していた頼みごとだった。

「姫様とその父親たる前王は、この大陸で人間共に虐げられては散り散りに暮らしていた我々を纏め上げ、そして、土地を切り開き国としての体制を整えてくださった。安定した生活を齎してくださった」

「…………」

「そんな前王も数月前には人間に討たれ亡くなり、また、元王たる姫様も今や国と共に命費えようとしている。そんな現状をこの場に集まった誰も彼もは憂い悲しんでいるのだ。これだけ我々の為に働いてくださった姫様を人間などに討たせてはなるものか。そう強く願って止まないのだ」

 トカゲは拳をグッと握り締めて、いつになく熱く語ってみせる。

「そうだっ! 姫様を討たれるなど我々は絶対に許せぬのだっ!」

「だから、頼む、人間よ。お前の力で姫様を逃してやってくれっ!」

「私からも頼むっ! どうか姫様をお守りして欲しいっ!」

「姫様だけは、人間共に討たせるわけにはいかぬのだっ! このとおりだっ!」

 トカゲの語りに合わせて周囲から一斉に懇願の声が上がり始めた。種族を関係なく誰も彼もが必死に姫様を助けてくれ、姫様を逃してくれ、そう言うのだった。国をでなく、ただ、姫様を、と。

 あの少女は随分と愛されているらしい。

 そして、そこまで強烈に願われては断ることなんてできなかった。

「そ、それで皆が良いというなら、断る理由なんてないけど……」

「やってくれるか?」

 審議を確かめるようトカゲがグッと顔を覗きこんでくる。

「本当にそれでいいんですか?」

「……ああ」

 そうして答えるトカゲの表情に苦味が混じって思えるのは当然か。

 彼らにしてもこれは苦渋の選択だろう。

「では人間よ、約束はできるか?」

「ええ、自分も元々は彼女の為に色々としてた訳ですから……」

 そう答えて今までの行いがどういった理由によるものかを思い起こす。猿人に命を助けて貰ったのと、少女の悲しそうな顔を見てしまったのと、あとは多少の好奇心と。そうつらつら思い起こしたところで、その実、全ては自分に向き合ってくれる存在が欲しかっただけなのだと考えるに至った。

 彼女から感謝されたのが、他に何も無い今の自分にとって素直に嬉しかったから。

 だから、今までせっせと食べ物を彼女の下まで運んでいたのだろう。

 教室で友人達からの酷評を耳として、他に誰も自分の相手をしてくれる存在がいなくて、だから、こちらの世界へ無理矢理に意識を向けていたのだろう。こちらの世界にいれば、少なくとも驚きの連続で嫌なことは忘れられたから。

 彼女が呼び出してくれたから、今も究極まで塞ぎ込まずにいられる。

 多分、それは結構、大きいのではないか。

「本当に、やってくれるか?」

「はい、約束しますよ」

 だから、くどいほど再三に渡り尋ねられて首を縦に振る。

 俺は部屋に集まった化け物達を前に粛々と頷くのだった。それを彼女が受け入れるかどうかは分らない。でも、俺もまた目の前の化け物達と同様に、彼女が死んでしまうところは見たくなかった。

「けど、貴方達も頑張ってくれる……んですよね?」

 とは言え、全滅前提の負け戦なんて見たくない。

 少しだけ不安になって、恐る恐るといった風に化け物達へと問い掛けた。ともすれば返されたのは耳を突くような咆哮の雨あられだった。わっと一気に沸いて皆々が口を開き始める。

「当然だっ! 人間など見事蹴散らしてくれるっ!」

「そのとおりだっ! たとえこの身が朽ちようとも城は守り抜くわっ!」

「それこそお前に心配されるまでもないっ!」

「お前は城で姫様の隣に立っていれば良いのだっ!」

「そうだ、我々は人間などに負けるものかっ!」

 化け物と言うのは情に厚い職人気質な性格の持ち主が多いらしい。耳が痛いほど部屋に反響する皆々の熱い語りを聞いて、漠然とそんなことを思うのだった。何故か、その目は厳しくも笑って見える。

「……頑張って下さい」

 俺もこんな友達が欲しいとか、願ったら、失礼にあたるだろうか?

◆ ◇ ◆

 その日、俺は初めて両親に内緒で外泊することとなった。

 できる限り城に居て欲しいというトカゲ達からの要請が所以だった。そして、いざ実行するに当たっては、門限? 俺だったら勝手に遊び出かけるけど、そんな阪部の言葉に背中を押されての敢行である。

 とは言え、夕食は自宅でしっかりと食べたし、おやすみと声をかけて部屋へ入るまではずっと家にいた。ただ、ベッドへ入る振りをして、そのまま屋根裏部屋へ運び込んだ姿見へと指先を触れさせたのだった。いきなり夕食からボイコットするには、今の自分には度胸が足りない。

 そして、無事に城へ迎えられた今は少女の私室にいる。

「あの、話ってなに……ですか?」

 何故かと言えば部屋の主に呼ばれたからに他ならない。

「人間、貴方に一つ尋ねたいことがあります」

「なんですか?」

「貴方はこの度の戦い、我々に勝機があると思いますか?」

 テーブルを挟んで椅子に腰掛けた少女が問うてくる。

 卓上には緋色の液体の満ちるビンとグラスが二つ置かれていた。中身はいわゆる酒である。水で割ってあるので然してアルコール度の高いものではないが、一口、二口を喉にして少しだけ頭が痺れていた。無断外泊に加えて、生まれて初めての飲酒である。

「えっと、自分は敵の戦力を知らないんでなんとも言えないけど……」

「では、敵の戦力を考えず勘で選んでくれませんか?」

「か、勘ですか?」

「はい、勘です」

 少女が何を言いたいのか分からなくて、俺は返す言葉に戸惑う。

 だって、部屋には彼女の他に誰の姿も無いのだ。普段だったら必ずくっついているトカゲも今は姿が見えない。部屋の外に居るのだろうか。分らないけど、ただ、実情として、薄暗い照明の灯る室内に俺と少女とは二人きりなのだった。

 彼という脅威を退けて、暗に俺の心意気を試しているのだろうか。

「ここまで片側に感情の押し入った賭けはどうかと思うけど……」

「やはり、我々は駄目ですか?」

「いや、賭けるなら君達の択一だけど」

「貴方には、そう思って貰えますか?」

「少なくとも君達はとても良い人だか……、じゃなくて、良い化け物だから」

「良い化け物? 本当にそう思いますか?」

「う、うん。そう思うよ?」

 自分が知る人間よりもよっぽど人間らしい気がする。

 いや、性格を計るのに人間という言葉を使うのは彼らに失礼だろうか。

「我々は人間を喰らうのですよ?」

「え?」

「人間が牛や羊を食べるように、我々は人間を喰らうのです。それを理解した上で貴方は我々を選ぶことができますか? 食に困ったときは、もしかしたら、貴方の身体へ齧りつくかもしれませんよ?」

「い、いや、それは……」

 今までにも、そいう奴だっているだろうなぁ、などと考えなかった訳ではない。

 しかし、こうして彼女の口から言われると引いてしまう。

「それでも貴方は我々の味方でいられますか?」

「それは、その……」

 返す言葉に困る。もしも頷いたのなら自分はどうなってしまうのか。まさか、この場で食べられてしまうことは無いと思う。けど、それはそれで嘘をついているようで嫌だ。だけど、ならば如何様に答えれば良いのか。

「…………」

「素直に答えてくれて良いですよ」

「いや、えっと……」

 追い討ちをかけるような少女の物言い。

 本当に彼女は何を言いたいのか。

 どう答えたものかと頭を悩ませる。俺が口を開かなければそれで会話は途切れてしまう。だから、部屋は他に音もなく静かになった。ランプの火が作る色の濃い影が、極僅かゆらゆらと物悲しく震えている。

「……人間、ヴラドから何か言われたのでしょう?」

 不意に知らぬ名が少女の口から零れた。

「え? ヴラドって……?」

「私の腹心ですが、まさか名前を知りませんでしたか?」

「あ、ああ、もしかして、いつも一緒にいるトカゲ頭の……」

「それは本人には言わないほうが良いです。切られますから」

「えっ、あ、す、すみませんっ……」

「ですが、今は居ませんから大丈夫です」

 そうして少女はやんわりと穏やかな笑みを浮かべた。

 その一瞬は、今迄で見た彼女の笑顔でも指折りだった。薄暗い明りに照らされてぼんやりと黄金色に輝く髪が美しい。深い蒼色の瞳に魅入られて、その奥深くまで吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。

「大凡、私を貴方の世界へ逃して欲しいと、そう請われたのではありませんか?」

「あ、え……、どうしてそれを?」

「あの者の考えそうなことなど容易に理解できます」

「そ、そうですか」

 全然駄目じゃん、そんな突込みをヴラドとやらに入れてやりたくなった。

 そして、そんな俺の心中を知ってか知らずか、少女は独白するように話の続きを語りだした。

「私は人間ではありません。人間に紛れて暮らすことなどできません。この地は父上が守らんとして散った地なのですから、私も散るならばこの地で散りたいと、そう切に願うのです」

「散るって、君、そんな……」

「私には父上が守ったこの国を、同様に守ってゆく義務があるのです」

「…………」

 笑顔であったのは一瞬のこと、一変して今度は少女の顔がきりりと引き締まる。

「ですから、私はこの地を離れることなどできないのです。もしも、貴方がそれを行うというのならば、私は貴方の世界の人間の一人残らず喰らい尽くしす覚悟があります」

「喰らいつくすって、そんな……」

「ですから、余計なことはしないで欲しいのです」

「いや、でも、それじゃあ君は……」

「我々は人間を喰らうのですよ? 恐ろしくないですか?」

「だ、だから、それは……」

「この戦にしても、立場を変えて人間の側から眺めれば、我々と言う危険な捕食者を殲滅する意味もあるのでしょう。勿論、それは種を守る為に非常に効果的な行いだと私も思いますし、同じ立場なら賛同するでしょう」

「で、でも、君達は酷い目に遭ってるって……」

「それも互いに同じことです」

 何を言おうとしても言葉が最後まで続かない。

「これ以上、貴方を巻き込むわけには行きません。今からでも遅くありませんから、どうか貴方は貴方の世界へ戻ってください。これ以上、他所の世界の者の手を煩わせることはありません」

「…………」

「これが、私からの最後のお願いです。今まで面倒事ばかりを頼み込んで、そして、今に至ってはこのような尊大な態度ですが、どうか許してください。ここは貴方にとって死地にも等しいのです」

 そうして、少女は静かに頭を下げた。

 そんな彼女に俺はなんと答えるのが正解なのか。

「理解して貰えませんか?」

 そうしてこちらを見つめる少女の瞳には頑なな意思が見て取れた。決して譲らないぞと、可愛らしくも凛々しい眼差しが言葉以上に強く訴えかけてきていた。外見は小さな子供なのに妙な迫力がある。

 だから、俺はどうして良いか分からずに見当違いなことを口にしてしまう。

「た、例えばさ、人間の話なんだけど……」

 自分が何を言いたいのか、自然と口から勝手に言葉が漏れる。

「なんていうの? ほら、自分が飼っている家畜へ同族に向けるのと同じ愛情を向ける奴がいるんだよ。他にも、鳥が翼を持っていることを心底羨ましく思って、嫉妬すら向ける奴だっているんだよ」

 それはいつだかテレビや新聞、果てはネットの記事で眺めた話題だ。

「……何の話ですか?」

「いや、それどころじゃなくて、ただの道具を相手に結婚式を挙げるような、そんな馬鹿だって俺の世界には居たりするんだ。愛着とか、そういう次元じゃなくて、性的に興奮するとか、そういうレベルで」

「人間?」

「君達にとって俺という人間がどういった位置づけにあるのかは分からないよ。けど、君達は今まで俺に優しくしてくれただろう? 勿論、それは全てが食糧の為であったかもしれないけど」

「…………」

「でも、こっちはそれでも十分に嬉しかったんだよ」

 そこまで言って、段々と心のうちに語るべき事柄が形を成していく。

「だから、そういう勘違いだってあってもいいと思うんだよ。所詮、生き物なんてどこまでもバラバラで、互いに上手く理解できないだろ? だから、互いに円満でなかったとしても、どちらか一方が感じている幸福は決して嘘じゃないと思うんだよ」

「私が貴方をどのように捉えているか、気になるのですか?」

「そりゃ気になるだろうけど、でも、仮に食糧だったとしても、家畜だったとしても、全てが嘘だったとしても、それわそれで救われることがあると思わない? 仮に一方では真っ赤な嘘だったとしても、もう一方にとっては掛け替えの無い幸せであって、良いと思うんだよ」

「人間、我々とは高々一週間の付き合いですよ?」

「時間だってその範疇に含まれると思わない?」

「…………」

 そう、今までの自分が嘘だったなんて、そんなことは認めたくない。

 問題は山積みだけど、過去の自分までは否定されたくなかった。

 他人が認めないというのなら、せめて自分だけでも認めて、それを確たるものにしてやらないと悲しすぎる。そう思える気がした。少女と話していると、そんな前向きな気持ちになれるのだ。

「そういう意味で、君達には感謝してるんだよ」

「……そうですか」

「だから、それが勘の理由じゃ駄目?」

 胸の内に支えていたものを勢いに任せて吐き出した為か、支離滅裂な語りになってしまった。ただ、それで少しだけ鬱な気分が外へ出て行ったのは事実である。それに言われるがまま帰るのは彼女達に負けた気がして嫌だった。

「まあ、何故に感謝しているかは恥ずかしくて言えないんだけど」

 そう、中学生とは多感な時期なのである。

 こうして熱く語ってしまうことだってあるのだ。

「なかなか一方的な理由ですね」

「そう言っただろ……じゃないですか?」

「ええ、まあ、そうでしたね……」

「それに人間だって、飢えれば人間を食べることだってあるんだしね」

「……ええ、そのとおりです」

 少女が頷いたのを確認してゆっくりと席を立つ。

 ただ、これ以上を彼女に迷惑をかける訳にはいかない。ここまで明らかに拒絶されて尚も共に居るのは気まずかろう。トカゲ達には申し訳ないが、ここは身を引くしかないように思える。全ては彼等自身の分かり易い性格が原因だと思って諦めてもらうとしよう。

「帰るのですか?」

「はい、これで帰ります」

 小さく会釈して廊下へ続く扉に手をかける。

 これで少女とはお別れだと、そう強く感じた。

 そんなときだった。

 いつか身に受けた憶えのある強烈な揺れが我が身を襲ったのは。

 足元が左右に動いたかと思うと、次の瞬間には建物全体が激しく上下左右にガタガタと震えていた。反射的に掴んだドアノブにしがみ付いて、危ういところで尻餅を突かんとしたところを回避する。

「なっ!?」

 後ろを振り返れば、少女もまた驚いた様子でその場に佇んでいた。

 テーブルを両手で掴んで、危うくも二本の足で立っている。大して重さのない酒瓶やグラスは揺れ始めてすぐに床へ落ちた。無残にも割れ散ってしまっている。毛も深い絨毯に紫色のシミがじわじわと広がっていた。

◆ ◇ ◆

 地震が収まると、少女の私室にはすぐにトカゲが飛び込んできた。

 多分、彼女からヴラドと呼ばれていた彼である。

「姫様っ! ご無事ですかっ!?」

「はい、それよりも状況を報告してください」

「はっ! ただいま人間より前回と同様の攻撃を受けました」

「それで、被害はどうなっていますか?」

「それが何故か結界を維持する陣の位置が人間共にばれていたらしく、その内の二つへ集中的に砲撃を受けてしまいました。結果、術師の幾人かが負傷して、現在は結界の大きさが従来の三分の一程度に落ちています」

「け、結界が破られたのですかっ!?」

「幸いにして城は残る三分の一に含まれていますが、街の外郭は既に人間軍が大挙しております。我々も即座に防衛へ向かいましたが、苦しい状況にあるのは間違いないかと思います」

「まさか夜に仕掛けてくるとは……」

 少女の顔がみるみるうちに青白く変化していく。

「とりあえず、私と一緒にテラスまで参ってください」

「分かりました、すぐに支度をします」

 そうして彼女は手早く着替えを始めた。

 俺はと言えば彼女が衣服へ手をかけたところで、トカゲの手によって部屋の外へと連れ出されることとなった。いや、自発的に出るつもりではいたけれど、相手の手が伸びる方が早かったのだ。

 そして、廊下へ出て部屋の扉を閉めたところで声をかけられる。

「人間、もしものときは頼んだぞ?」

「……いや、それなんだけど」

 先刻の少女の主張が即座に脳裏に思い浮かべられた。

 どうして答えたものかと頭を悩ませる。まさか嘘を吐いて頷く訳にもいかない。けれど、やっぱり嫌だと、理由も説明せずに断るのも後が怖い。何か良い断り方はないかと非常に焦る。

 すると、凄まじい勢いで開かれた扉から少女が飛び出してきた。

「ヴラド、支度ができました」

「はっ! それでは参りましょう」

 一体どんな魔法を使って服を着替えたのか。

 数分とかからずパジャマから普段着へと着替えた彼女がいた。

 そして、そんな主人に促されてトカゲは俺との会話も早々に歩み始める。姫様もその後を追って足早く歩を進める。ならば、俺は二人の背について行く以外、他に選び得る手はなかった。

 やがて辿り着いたのは城の正面に設けられた規模の大きなテラスだった。

 目前には地平線まで続く夜空と、その下に眺める街が広がる。

「戦況はどうなっていますか?」

「はっ! 魔法に長ける者達は結界の規模拡大に向けて奮闘しております。他の者達は街の内部へ攻め込んで来た人間達とぶつかっています。民も弱者を除いて外壁に付き防衛に勤めているとのことです」

「何はともあれ、結界を復活させるのが第一です。私も行きましょう」

 少女がテラスの外枠へと手をかける。

 けれど、その肩に手を置いてトカゲが彼女を止めた。

「いえ、姫様はここでお待ちください。既に人間は街内部にも入り込んでいます。万が一にも姫様が討たれるようなことがあっては、この国は人間に奪われるまでもなく終わってしまいます」

「しかし、私ならば幾らか手伝いができる筈です。こうして何もせずに手を拱いてばかりはいられません。今も血を流し戦っている仲間がいるのですから、それに加勢せずに何が姫ですか」

「ですが、その、お言葉ですが、姫様は成竜ではありません」

「そ、それは、そうですが……」

「どうか姫様は城に残ってください。これは私達、この国に住まう者達全員の意向なのです。我々はここが姫様の住まう城だからこそ守っているのです。その熱意を奪うようなことはしないで欲しいのです」

 そうして語るトカゲはいつになく熱弁だった。

「姫様はそこの人間と共にここで我々の戦いを見守っていてください」

「ま、待ちなさい」

「人間よ、姫様を頼んだぞっ!」

 そうして、彼は言いたいことを一通り言い終えたらしく、俺や少女に背を向けると、何を考えたのかテラスの柵を越えて宙へと躍り出るのだった。まさか飛び降り自殺かと目を瞬かせたところで、彼の身体が変化した。そして、次の瞬間には巨大な竜の姿へと変化していた。

「う、うぉお……」

 思わず声が漏れた。

 まさか変身するとは思わなかった。

「待ちなさいっ! ヴラドっ! これは命令ですっ!」

 少女は声を張り上げて竜に請う。けれど、今まで目の当たりにしてきた忠義が嘘のように、彼は彼女の意思を無視して遠く空を飛んでいってしまった。ばっさばっさと羽ばたかれる翼が彼女の言葉の全てを掻き消しているように思えた。

 その向かう先へ目を凝らしてみれば、何やら火薬の爆ぜる音と共に眩い閃光の光る様子が伺えた。それが人と化け物との争いだと理解できたのは、周囲の建物より遥かに巨大な体躯を持って火花を蹴散らす異形達が幾つも見られたからだった。

 初めて見る戦争は、まるで怪獣映画でも見ているようだった。

「凄い……」

 金属のぶつかり合う音、人のものとも化け物のものとも思えない怒声と悲鳴、大砲の打ち出される爆発音、正体不明の魔法が放たれる炸裂音、街の建物が崩れ倒れる破壊音、近く遠く様々な音が聞こえてくる。

 戦場はまだ遠く合戦の場は数キロ先にある。

 けれど、それもいつまで持つか分からない。何やらある特定の場所を境に、城の側へと一切の火花が散らないのは、少女達が言う結界とやらの効能だろう。その境界は水と油の境界面のようである。

「くっ……」

 俺の傍らでは少女が悔しそうに拳を握っていた。

「あ、あの……」

「人間、私も出ますっ! 止めるではありませんよっ!」

「いや、ちょ、ちょっと待ってよっ!」

「待ちませんっ!」

「いや、違う、そういう意味じゃなくて、とりあえず話を聞いてっ!」

 今にも駆け出さんと足を浮かせた少女。その腕を慌てて取った。すると、彼女は珍しくも憤怒の形相で俺を睨みつける。いつも優しかった人間に睨まれるというのは悲しいものだ。胸がジクリと痛む。

「ならば何だと言うのですっ!」

「いや、君ってばこの城の総大将だろ? そんな人間が前線に立ってどうするんだよ。なんの為に俺が無線機を持ってきたと思ってるんだよ。大将なら大将らしく、上座にドンと座って下についた者を動かしてやらなきゃ駄目だろ?」

「この状況で伝令を運んでいる余裕はありませんっ!」

「いや、だから、その為の道具なんだってっ!」」

「ですが、仮にそうだとしても、今の状況で私から何が伝えられるというのですか。既に私が指示を出さずとも結界の拡大、侵略への防戦、共に理に叶った動きをしています。ならば一人でも多くその場へ走るべきではありませんかっ!?」

「けど、戦況なんてすぐに右へ行ったり左へ行ったり移り変わるものじゃないの? それだったら、誰かが皆をまとめて指示を出したほうが絶対に効率がいいって。そして、それこそ君の仕事なんじゃないの?」

「そ、それはっ……」

「ほら、せっかく向こうの世界から持ってきたんだから、君も少しは使ってみてよ。皆には首に下げているよう伝えてあるんでしょう? それだったら君の声を聞かせるだけでも励みになる筈だから」

「…………」

 トカゲの言葉を最後まで守ることはできないと思う。

 けれど、せめて彼らが己の領分を全うするまでは彼女を生き永らえさせたい。

「で、えっと……、何処に中継器を置いたっけ?」

「……貴方は随分と物覚えが悪いですね」

「え?」

「こちらです。私について来てください」

「あ、はい」

 走り出した少女の後を追ってテラスから城内へと移る。

 城は非常に広く大きい。身体の大きな化け物も過ごせるように作られているから当然と言えば当然だろう。だから、自然と迷子にもなりやすいのだ。幾ら一週間を過ごしたとはいえ、その構造は未だに頭に入っていない。

 先を進む少女は随分な健脚であって、俺は後を追うので一杯一杯だった。その勢いといったら五十メートル走の全力疾走を延々と続けているようなもの。しかも階段の上り下りを挟んでは堪らない。やはり彼女も大した化け物だった。

 やがて、しばらくを走ると彼女が廊下脇へと消えた。

 慌ててその後を追って同じ場所へと足を踏み入れる。

 すると、その頬をつめたい夜風が撫でた。

「うぉっと……」

 そこは城でも割と高い塔の最上階、その外面だった。然して高くない柵を越えて眼下に広がる光景に思わず唾を飲み込む。近代の高層ビルと比較すれば低いけれど、それでも数十メートルの高さがある。

「人間、ここです」

 彼女が指し示した先には木箱を加工して作られた木製の庇と、その影に備えられた無線の中継器が置いてあった。同時に十台までの全二重通信を可能とする業務用のトランシーバー。その母艦ともいえる機器である。それが一つ、二つ、三つと幾つも並んでいた。それぞれ電源は、同じく店で購入した小型のエンジンバッテリーで動いている。今にして思えば幾ら気が高ぶっていたとは言え、大層な買い物をしたものだと思う。

「ここに向かって話しかければ君の仲間に声が届くから」

 そう説明して、幾つかのトランシーバを取りまとめた束を渡す。

 同時に中継器の電源を上げると、一斉に外部スピーカーから大量の音が発せられた。一瞬はノイズかとも思ったけれど、それぞれが端末から送られてくる戦いの音である。それは怒声だったり、破壊音だったり、悲鳴だったり、実に様々である。

 そして、そんな音達を耳にして、少女が声も大きく叫びを上げた。

「み、皆っ! 頑張れっ! 頑張って欲しいっ!」

 とても素直な語りかけだった。

「私はこの国を終わらせたくない、だから、皆っ! 皆の為にっ!」

 すると、スピーカーの向こう側から反応があった。

『お、おいっ、今姫様の声が聞こえたぞっ!?』

『姫様っ!? 姫様かっ!?』

『誰かっ、この近くに姫様が居るぞっ! お守りしろっ!』

『姫様だっ! 姫様の声がこれから聞こえたぞっ!』

『お、おい、人間が持ってきた箱から姫様の声がっ!』

 そんな声が幾つも聞こえてきた。そして、中継器を起動したことで、それぞれの端末間でも双方向通話が可能となる。互いの耳へ届く離れた場所で戦う仲間の声に驚喜の叫びが上がった。その様子に少女もまた甚く驚いた様子でスピーカーに耳を傾けていた。

「に、人間、皆の者の声が聞こえます。聞こえてきますっ!」

「随分と鮮明に聞こるものなんだな、これって……」

 トランシーバーなど久方ぶりに使った。昔に遊びで使った品はもっとノイズ混じりで悲惨だったと思うのだけれど、これはかなりクリアな音質で向こう側の声を伝えてくれた。流石は業務用と言ったところか。

「このまま語りかければ良いのですか?」

「多分、今の様子だと姫様が話しかけるだけで効果あるんじゃないかな」

 そんな気がした。

「皆っ! 私は今、城で皆の戦いを音に聞いています。戦いの場へ赴けないことを許して欲しい。だが、皆の勇士はしっかりと伝え聞いています。だから、皆は皆の為に頑張って欲しいっ!」

『うぉおおおっ! 姫様だっ! 姫様が俺達の戦い振りを見守っているぞっ!』

『皆の者っ! 人間などに負けるでないっ! 我々には姫様がついているっ!』

『同士よっ! 国を、民を守るのだっ! 我等が姫様の為にっ!』

『いけぇえええっ! すすめぇええっ! 絶対に城へは近づかせるなぁあああっ!』

『この程度の敵が捌けない道理など無いわぁああああっ!』

『殺せっ! 殺せっ! 殺せぇえええっ! 姫様の為に殺し尽くせぇえええっ!』

 姫様が何かを言う度に、誰とも知らない声が数多上がる。そこには泣き言など一つも混じっていない。誰も彼もが己を鼓舞させんと威勢の良い咆哮を上げて、彼女の語りかけに応じていた。

 少女が語りかけては仲間が答える。仲間が少女に語りかけては少女が答える。そんなやり取りが幾度も繰り返された。聞いた話、数の差は十倍以上とのこと。しかし、届けられる言葉には絶望の色など寸毫として感じられない。誰も彼もがやったれやったれと血気盛んに声を張り上げていた。

『姫様っ! 私達の戦いをどうか見守っていてくだされっ!』

『特攻っ! 人間共に目に物見せてやれっ! 姫様をお守りするのだっ!』

『こちら正門付近、まだまだ余裕でやれますぞぉっ!』

『こちら南門付近、正門の者達に負けるなっ! 我々は絶対に勝つんだっ!』

『おいっ! 若い連中が加勢に来たぞっ! 何処か力が欲しいところはあるかっ!?』

『こっちだ、北門に回してくれっ! 人間共が押し寄せてきやがったっ!』

 また、その威勢の良い声が端末同士でも互いに伝わったらしく、あいつに負けるな、こいつに負けるなと、それぞれ伝播している。また、自分が予定した本来の使い方をしてくれている者達もいる。

 仲間達の元気な声を聞いて、少女も少なからず落ち着きを取り戻し始めていた。

「人間、お前が持ってきた道具は大したものだな……」

「ああ、なんとか役に立ちそうで良かった……」

 当初は化け物達の素っ気無い反応から無用とも思ったのだ。

「ああ、これはとても嬉しい」

 そうして少女はスピーカーから届く仲間達の声に耳を傾けるのだった。

 しかし、これだけではあまり意味が無い。折角、現場の者達が利用に慣れてきたのだから、ぶっつけ本番とは言え本格的に運用するべきだろう。少女の指示ならば誰だって無碍には出来ない筈だ。そういった意味では、彼等は事前の訓練さえも然して必要としない最強の兵士達なのだと思える。

「これで、君が皆に指示を出せばいいんじゃないか?」

「私がか?」

「今までは誰がやってたの? そういうこと」

「これまでは現場にいる部族の部族長達がそれぞれ指揮を執っていました。父上もまた先頭に立って皆と戦っていたので、誰かが一番上にいて指示を出すようなことは、多分、一度もありませんでした」

「な、なるほど……」

 彼女の父親は随分と大胆な性格の持ち主だったようだ。

 とは言え、それまではその父親が一番の戦力だったと言うのだから当然。けれど今は違うのだから、それ相応の手を打つべきだと思う。特に篭城戦など事細かな裏方の働きが勝敗を決めると言っても過言ではない。と、この前にインターネットの流し読みで目にしたばかりだ。

「じゃあ、ここは君が頑張らないと駄目だろ……ですよ」

「しかし、指揮といっても何をすればいいのか私には分からない」

「たしか、この世界って怪我の治療は割と簡単なんだよね?」

 瀕死の重傷を負った俺を数時間で傷跡一つ残さず治療して見せた城の医者ならぬ術者達を思い起こして彼女に問う。あれだけの勢いで怪我を治せるなら、気持ち悪い表現だけれど、化け物達の登場と降場のローテーションすら組める気がする。

「はい、骨が折れた程度ならば、それに長けた者が当たればすぐに治せます」

「だったら、ほら、誰か空を飛べる竜とか鳥とかに高いところまで上がって貰って、何処がやばそうで何処が余裕あるか、その辺を調べて貰うんだよ。そして、城の中に怪我人の収容所を作って、治療ができる者を置いて、負傷者を搬送するグループを作って」

「なるほど、分かりました」

 俺の言葉に頷いて少女が端末に指示を出す。

 顔が見えなくても君主の声を聞き間違える者は一人もいなかった。彼女の言葉を信じてスピーカーの向こう側で化け物達が行動を開始する。それに手応えを感じて、俺は次に何をするべきか頭を巡らせ始めていた。

◆ ◇ ◆

「人間、負傷者の搬送と治療が始まりました」

「それじゃあ、次は一番苦労してるところを教えて欲しいんだけど

「はい、今までの伝令から判断すると、やはり正門が一番厳しいようです」

「竜とか鳥とか、空を飛べる仲間もそっちへは回ってるんだよね?」

「はい、空を飛べる者も多く戦ってくれています。ですが相手の数が膨大で、幾ら倒しても際限が無いのです。これは人間と戦うときはいつものことでした。父上の吐く火炎ならば一度に数百人と打ち払うことができたのですが、今の私では……」

 なんでも人間は多少なら魔法で空を飛べるらしいが、飛びながら他に魔法を使うのが多少の難易度を必要とするのに加えて、化け物には人間より飛行に優れる種族が沢山いるので、主立って敵地で飛ぶ者はいないのだと言う。だから、本来は地対空魔法にさえ気をつければ空は我々のものだと少女は語った。

 そこで、それなら空から魔法でも落とせば良いじゃない、とは俺の弁。しかし、今回のように相手の数が多い場合、敵も数にものを言わせて空飛ぶ竜にさえ多かって来るのだと言う。それはまるで象に群れる軍隊蟻のような現象だった。

「そ、それじゃあ、一番余裕のある場所を尻から二つ分かる?」

「それなら北門とその付近の塀に開けられた突入口での小競り合いですが……」

「それなら、その北門とやらまで結界を張れる誰かを連れて行ってくれない? 片方を結界で足止めしておいて、もう片方をその両方の戦力で挟み撃ち、とか無理かな。負傷者の便に相乗りさせて何とか運んで欲しいんだけど」

「しかし、それでは結界の修復が遅れてしまう。良いのですか?」

「どうせ結界を張るのに必要な場所は敵がまだ占拠しているんだろう? それだったら、そこで貴重な戦力を余らせておくのは勿体無いよ。それよりも効果的に使えるところで使っておいた方がよくない?」

「わ、分かりました、頼んでみます」

「あと、治療が終わった者は順次正門へ向けて送り出して」

「はい、そう伝えます」

 少女がトランシーバーに向かってつらつらと指令を出す。

 それに応じて彼女より指示を受けた誰かがスピーカー越しに動き始める。

 既に戦局が開かれてから小一時間が経過していた。その間を俺と少女は現状の把握と現状維持に努めた。全ては僅かな勝機でも見出さんと望むが故である。そして、現場で戦う彼女の仲間達は、懸命にその指示へ従い、国を守ろうと必死に動いていた。反撃には程遠いけれど、先手を打たれた分を取り戻すことを目指して、様々な化け物が一丸となり頑張っている。

「あと、この城の金品ってまだ残ってる?」

「き、金品ですか?」

「俺が貰ったような金の延べ棒とか」

「はい、ありますけど、それがどうしたのですか?」

「どうせ取られるくらいなら、もう景気良く人間にくれてやってもいい?」

「……どういうことですか?」

 少女の顔が訝しげに歪む。

「構わないなら敵が群がってる周りに、こう、上手いことばら撒いて欲しいんだけど」

「はい?」

「相手は君達みたいな義理堅い化け物と違って欲深い人間なんだし、それで少しは気を散らすことができると思う。金を降らせたところで、空から一斉に攻撃してやれば効果大だよ、きっと」

「そ、そうですか?」

「これだけの人間が一挙に攻めてきているんだから、末端の兵士なんて大した結束もないんじゃない? そもそも金や土地が欲しくて他所を攻めに来てるんだから、金を降らせてやれば混乱すると思うけど」

「なるほど、それはやってみる価値があると思います」

「まさか味方が拾いに走ることなんて無いよね?」

「当然です! 人間、あまり我々を侮辱すると許しませんよ」

「わ、分かってます。だからこその提案だと思ってよ」

「はい、ではその通り伝えます」

「それと、投下のタイミングに合わせて付近の味方には一気に盛り返すよう伝えて欲しいです。あと、後で回収する予定があるなら、できれば踏みつけたりしないようにって言わないと」

「人間、既に貴方は敵に勝ったつもりでいるのですか?」

「叶うなら、君の部下との約束を破りたくないんだよ。色々と怖いし……」

 語りながら件の一室で面を合わせた化け物達の姿を思い出す。誰も彼も凶悪な面をしていた。もしも約束を破ろうものなら、死して尚も向こうの世界まで追いかけて来ては、枕元に化けて出そうな勢いがある。それに、あの人の良い、いや、化け物の良い者達の意思を無碍にするのも気が引ける。

「……そうですか」

「…………」

 とは言え、彼女にも彼女で事情があるらしいから、困ったもんだ。

 どうしたものかと視線を手元に向ける。ともすれば、そこには少女からの話を書き綴った状況地図がある。以前にリュックへ忍ばせて持ってきたレポート用紙と筆記用具による作品だ。それも逐次変化を見せるので足元には消しゴムのカスが大量に溜まっている。

『姫様っ! 南門に新たな増援が近づきつつありますっ! 少なくとも三千は集まっているものと思います。あと少しで南門を守るオーガ族と接触してしまいます。こ、これは非常に大変ですっ!』

 スピーカーから頭上を哨戒する鳥人より新たな報告が入る。

 幸いだったのは、高度からの状況確認が敵に邪魔されない点だろうか。嫌な報告ばかりで頭が痛いけれど、それでも無いよりは全然マシだろう。

「分かりました、少し待ちなさい」

『はっ!』

 端末に短く断って少女がこちらを見つめてくる。

「って、次は南門か、これはどうしたものか……」

「このままだと間違いなく突破されてしまいます」

「けど、何処も数千人を相手に加える余裕なんて無いし……」

 紙に書いた地図を睨みながらガリガリと頭をかく。

 既に何処も彼処も戦力はギリギリである。他所から抜けばそこが瓦解してしまうだろう。しかし、かと言って数千の増援など無視できる筈もない。なんとかして防がないとゲームオーバーだろう。悲しいけどコンテニューはできない。

「あの、何か良い案とかない?」

「……これは難しいです」

 少女も自分と似たり寄ったりの表情で頭を悩ませている。

 その間にも目まぐるしく状況は変化して、傍らのスピーカーからは危地を知らせる便りが幾つか舞い込んできた。凄く焦らされる状況だ。もし一度でも現場を目にしていたのなら平静ではいられないと思う。

「あぁ、そうだ、こういうのはどう?」

「なんですか?」

「空を飛べる竜なり鳥なりに魔法を使える者を乗せて、頭上から撃っては逃げ、撃っては逃げを延々と繰り返すの。なんというか、空から火の玉なり何なりを雨と降らせるような感覚で」

 イメージとしては元の世界の爆撃機である。

「それは過去に我々も行ったことがあります」

「そうなの?」

「はい、それだとあまり長くは持たず、最後は相手の数に負けて、わらわらと集られてしまうのです。我々が出した結論としては、空を飛ぶものは空を飛ぶものとして、魔法を使うものは魔法を使うものとして、それぞれ別々に戦った方が効率が良いということでした」

「いや、だから、相手に集られないように常に勢い良く飛び続けて、一度魔法を降らせた場所には当分寄り付かないようにするんだよ。空を飛ぶのはこっちの方が早いし得意なんでしょ? それだったら長所を生かすべきだと思うんだけど」

「街の上空を循環して魔法を降らせるのですか?」

「それだけでも結構と違うと思うんだけど、今までやったことってある?」

「いえ、それはありません」

「じゃあ試しにやって貰ってもいい? たまに来る空からの攻撃にも備えておかないといけないから、多少はプレッシャーを与えられると思う。こちらとしては大して労力を割く必要もないし」

「分かりました。しかし、それと南門とはどういった関係があるのですか?」

「そうして攻撃を与えた場所から、逐次少しずつ戦力を南門へ送って貰おう。この丸がついた部分から数人ずつ集めれば、三、四十は集まるよね? それでなんとか持ちこたえて貰いたいんだけど」

「はい、ではそうして指示を出します」

「もう時間がないみたいだから、これに限り最優先でお願い」

「分かりました」

 少女にお願いをしてから、手元の紙に今に語ったとおりのメモを付け加える。果たしてそれが戦場と上手く対応しているのか。素人の自分には皆目検討もつかない。けれど、こうして今も皆々耐えてくれているので、きっと当たっているのだと信じておく。

『姫様、医務室に治療の済んだ者が幾らかおりますので送ってくだされ』

「分かった、すぐに向かわせます」

『正門で負傷者が出ましたっ! 姫様っ! お願いしますっ!』

「はい、そちらへもすぐに向かわせます」

 時折、スピーカーから届けられる要求に答えながら、少女は忙しそうに仲間へ指示を送る。それぞれのトランシーバーを持ち替えながら忙しなく動いている。

 この国での彼女の支持は絶対にあって、誰も疑問を持つことなく盲目的に命令に従う。元より玉砕必至の抵抗なので、どんな危険な命令であっても誰も文句など言わないのだとスピーカーの向こう側の者達は自ら言う。

 そんな具合に争いは進んでいった。

 状況はこちらの不利に違いない。けれど、段々と街内での循環が働き始めた為か、化け物達は本来の勢いを取り戻し始めていた。無尽蔵とも思える相手の戦力を前にしても、決して諦めない化け物達の根性が今まさに実を結んでいるように思えた。

 当初、広大な街を背景に十倍以上の兵員差を与えられながら篭城するなど自分も無理だと思っていた。けれど、彼等の語る一騎当千の語りは決して嘘ではなかった。特に図体の大きな竜など、文字通り一度に千人近い人間を相手に立ち回りしている者も決して少なくはなかった。

 そして、そんな彼等が前線で戦っているのだから、ちっぽけな自分にはお鉢など回って来る筈もない。せめて自分にできることをしようと、城の塔の上で少女の手伝いを続けるのだった。

 玉砕覚悟で飛び出そうとしていた少女も、今は無線機を片手に必死になって皆の援護に回っている。その必死な姿を眺めていると、何とかしてあげたいと強く思う気持ちが自然と溢れてきた。スピーカーから届く彼女の仲間達の熱い咆哮と、それに答える彼女の凛とした声とが、本来、門外漢である俺の感情を大きく高ぶらせていた。心臓はドクドクと激しく脈打っている。こんな気持ちになったのは生まれて始めてのことだと思う。

 やがて、もう小一時間が経過した頃には少女の努力が実を結び始める。

『姫様っ! 北門付近の人間共は粗方倒しましたぜっ!』

『姫様っ! 逃げ遅れた女子供の避難も終わりましたっ!』

『姫様っ! 西の崩された外壁の修理が終わりました、まだまだいけますっ!』

 誰も彼もが姫様、姫様と声をかけてくる。

 奇襲を受けて一時は絶望的に思えた。依然として攻め入る人間の数は終わりが見えない。結界とやらも大きさは然程の変化も見られない。けれど、多少なりとも体制の建て直しが始まっていた。

 その元気な様子に少女は笑みを浮かべて声も大きく言葉を返す。

「皆っ! 我々は決して負けていませんっ! 頑張って下さいっ!」

 ともすれば、今まで以上に強烈な化け物達の熱意がスピーカーの向こうから返された。うぉおおお、だとか、どぎゃーす、だとか、声にならない獣じみた叫びも多く混じっている。それら強烈な応答を耳にして自然と少女の顔にも笑みが戻っていた。

 夜の闇に混じって、その頬にキラリ光るものが見えたのはきっと嘘じゃない。

「この調子で人間共を追い返すのですっ! 我々の国を守るのですっ!」

 一際、大きな声で少女が吼える。

 既に争いが始まってから数時間が経過している。交代要員など皆無なのだから、誰も彼も相当疲労やストレスが溜まっているに違いない。しかし、それでも化け物達の答える声に曇りは見られなかった。

『お前等っ! 姫様が我々を鼓舞してくださるっ! 進めっ! 進めぇっ!』

『人間共を追い返せっ! 姫様には指一本たりとも触れさせるなっ!』

『結界の修復を急げっ! 何があっても姫様の城には敵を近づけるなっ!』

『殺せっ! 殺せっ! 殺せぇっ! 人間共を殺し尽くせぇえええっ!』

『今こそ姫様に報いるときじゃっ! 絶対にここを守りきるのじゃっ!』

『いけるっ! いけるぞぉっ! これなら人間共に勝てるぞぉっ!』

 恐ろしくもある応答に、流石は人外魔境の化け物達だと思わず喉が鳴る。

 この調子ならもしかしたら追い返せるのではないか。そんな希望が自身にも垣間見えた瞬間だった。非常に頼もしい彼女の仲間達の声に、後方で祈るしかない自分もまた、力強く勇気づけられた気がした。