金髪ロリ田舎暮らし日記

一日目

「うわ、酷いなこりゃ……」

 目の前の建物を眺めて、思わず出た一言が、それだ。

 築二百余年。人の手を離れて数十年。あちらこちらがボロボロと崩れる土壁漆喰塗りの壁。太く煤けた妙に威圧感のある張り。厳ついながら、所々に獣の引っ掻き傷が見られる大黒柱。風に飛ばされて地面に落ちては割れた瓦。

 積もり積もった時代を、否応無く感じさせてくれる建造物だった。

「……生活できるのか、これ」

 電気、ガス、水道、全てが不明である。

 それどころか、周囲を鬱蒼と茂る雑木林に囲まれて、他に家屋の姿が見当たらない。完全に孤立した一軒家である。唯一、軒先より続いた砂利道が、遥か遠方、数キロの末に村道と繋がっている。しかし、その村道にしても同様に砂利道。更に数キロを経て、ようやっとアスファルトを拝むことが叶う。一番近い人里まで徒歩で五時間という、恐ろしいまでの僻地。

 そんな田舎も極まる場所に、俺の引っ越し先はあった。

 別にサバイバルをしに来た訳じゃない。

 何か特別な武術や仙術の修行に来た訳でもない。

 それでは何故に、どうして、まだ十五やそこらのガキである俺が、このような田舎の片隅まで越してきたのか。理由は非常に現実的。親が事業に失敗して夜逃げ。子供一人残されても、アパートの賃料の支払いが叶わず強制退去。親族の間を盥回しにされて、ようやっと辿り着いたのがココだった。

 最後に盥回してくれた親族は、父親の兄に当たる人物。信州に居を置く不動産関係者らしく、割と裕福な暮らしをしている人だった。けれど、相手は路頭に迷った俺を見るなり、くしゃっと顔を顰めて、幾枚かの書類を投げつけた限り。茶の一杯も出してくれなかった。それが先々週のこと。書類というのは、こちらの名義に書き換えられた土地と家の権利書だった。

 曰く、面倒は見ない。

 家と土地はくれてやる。

 勝手に生活しろ。

 文字通り三行で片の付く問答の末であった。話を聞いたところ、彼の言う家と土地とは、数十年前に持ち主が死んで以降、誰も引き取り手が居らず、延々と放置されてきた不動産とのこと。権利書にしても、俺が尋ねに来るまで、箪笥の奥に突っ込まれたまま、忘れられていたらしい。業者に確認したところ、売りに出しても一銭の価値も付かない代物だと言う。恐らくは延々と買い手が見つからないのだろう。

 周囲を国有地に囲まれて、件の物件の一帯だけ、何故か周囲数百平米のみの私有地。数キロを歩めば南アルプス。道路整備の予定も全く入っておらず、最寄の交通手段は数キロ先のバス停に一日二本のマイクロバスと来たものだ。無論、特筆すべき資源の類も皆無。所有していても全く価値の無いゴミのような物件である。維持に税金が必要となる分だけ、微々たるものだがマイナスだろう。

 事前に言い聞かされていたとは言え、酷い場所であった。

「どうすんだよ……」

 肩に下げた荷物を、雑草の茂る地面にドサリ置いて、誰に言うでもなく呆然と呟く。

 家財道具の類は全てヤクザに奪われてしまった。箪笥もテレビも勉強机も、本当に一切合財を持っていかれてしまった。便座の蓋まで持っていかれたときは、相手の正気を疑った。毟れるものは何でも毟るらしい。

 そして、辛うじて残ったのは、生地も解れる着古した衣類と、教科書やノートといった勉強道具、それにアパートを脱してより手に入れた、書面で数枚の権利書だけ。それが俺の全財産であった。ヤクザに目を付けられている都合、施設の類にも入れない。数件を回った児童福祉施設は、事情を素直に説明したところ、全てから締め出されてしまった。義務教育途中だと言うのにどういうこった。人生、色々と詰んだ感がある。

「マジでヤバイじゃないか……」

 ここまで辿り着くに、最寄のバス邸から徒歩で五時間強を経た。正直、到着したのなら、まず、眠ろうと考えていた。掃除も何も一休みしてからで良いだろうと。一晩を過ごしてからでも良いだろうと。けれど、現実は甘く無かった。目の前の建物で眠るなら、そこいらの木の下で野宿したほうが幾分かマシに思える。否、絶対にマシだ。ここ数週の経験者として語りたい。

 現在、時刻は午後三時を回った頃合。

 幸いにして今は夏だ。七月だ。相応の標高にあって涼しくも、深夜まで半袖で活動できる。けれど、周囲には街灯など皆無。日が暮れてしまったのなら、月明かりのみが光源。右へ行くも左へ行くも叶わなくなる。森の中で迷ったら、それこそ終わりだ。

「……掃除しよう」

 ぐっと拳を握り、心に決めて一歩を歩みだす。

 何はともあれ今に必要なのは安全な寝床だ。ここは林の中、森の中、山の中。道中では砂利道を這うマムシやら青大将やらと遭遇すること数回。その傍らに、側溝の影から狸の姿もちらほら。木々の合間には鹿、猿、猪。加えて、路上には熊注意の立て看板が幾つも見受けられた。

 まさに天然の動物園。ここは人間が生態系ピラミッドの頂点に立っていられる場所では無い。昨日は公園のベンチで野宿していたところ、野猿になけなしの食料を奪われた。このままでは生物として不味い。そう理解しての決意である。

「よし……」

 痛む足に鞭打ち、古民家へと歩み寄る。

 建物の規模は、平屋ながら大したものだ。書面によれば、宅地面積二百十坪と書いてある。まさか、その全てを一両日中に修繕など不可能。今は寝室足り得る場所を見つけて、そこを重点的に整備することと目標を立てる。

 地面に下ろした荷を再び引っ掴み、縁側と思しき板張りの上へ置く。

「っていうか、これで水道無かったら……どーするよ」

 誰に言うでもなく呟いて、家の周囲をうろつく。足元には膝小僧の辺りまで茂る雑草。歩き難いことこの上ない。それを強引に掻き分けて進む。チクチクと葉の皮膚を擦る感触がこそばゆかった。

 すると、正面から裏手へ回ったところで、手押し式ポンプの取り付けられた井戸を発見。建物の築年数から鑑みるに、時代の変遷と共に後から取り付けられた品だろう。SUNTIGERとの表記が為されている。

「…………」

 果たして、この井戸は利用可能なのか。疑問に思ったところで、別途、水道管が通っているとも考えられない。わざわざ、この一軒家の為に数キロを敷設など馬鹿げている。恐らくはこれを使えということだろう。

 試しに一つ、ガッコンと押してみる。

「…………」

 しかし、水は出なかった。

 何か内側で機械の動作する音は響いたものの、水は一滴として出なかった。ギリギリと金属の擦れる耳障りな音が響く限りだ。取っ手が動いたのは幸いだけれど、水が出なければ意味が無い。

「おいおい、冗談は止めてくれよ」

 ここで水が出なかったら俺は終わりだ。これからまた五時間を掛けて、再び人里へ戻るなど考えたくもない。かと言って、近辺は完全な山。素人の自分が水源を探して散策など不可能。そして、ペットボトルに溜めた水道水は往路で既に尽きている。加えて季節は夏。リアルに脱水症状が迫っていた。

「出ろっ、この、出やがれっ!」

 必至になってポンプを動かす。

 ガッコンガッコン、レバーが上に行ったり下に行ったり。

 汗のだらだらと垂れるのを構わず、只管にポンプを動かした。

 すると、俺の熱意が通じたらしい。ポンプの口から、ボフッボフッと妙な音が発せられた。同時に焦げ茶色に濁った水が吐き出される。レバーを上げ下げする毎にボフっ、ボフっ、温い湯のような水が飛び出した。

「おぉっ! でるじゃまいかっ!」

 それが妙に嬉しくて、人生初体験の井戸汲みに必至となる。

 繰り返し、ボフボフしていたら、やがて、段々と水の色が綺麗になり始めた。

 大凡、十数分を格闘。そうこうしているうちに、湧き上がる水が段々と冷たくなり始める。指先に触れる水流が心地良い。焦げ茶色に濁っていた色も、少しずつ不純物を失っていき、水が夏の日差しに心地良い冷たさとなる頃には、普通の水道水と変わらないまでに澄んでいた。

「すげぇ、すげぇぞ井戸っ! こんななのかっ!」

 両親が夜逃げするまでは、都内でマンション暮らしをしていた自分である。まさか、手押し井戸を利用する機会など無い。普段はボトルに入った水か、沸かした湯を常飲。

 よって、井戸汲みなど、これが人生初めての経験であった。井戸そのものを目にするのが初めてなら、使ってみるのも初めて。自然とテンションが上がった。

「ウォオオタァアアア!」

 ヘレンケラーも真っ青だ。

 試しに汲み取り口へと顔を持って行って、汲んだばかりの井戸水を飲んでみる。

「うぉー、冷たくてうめぇー! すげぇぞこれっ!」

 自分で汲み上げたという達成感も手伝って、水は非常に美味しく感じられた。

「いけるんじゃね? 俺、いけるんじゃね?」

 それからしばらく、喉の渇きを井戸水で潤した。最後に水を飲んだのが、二時間前のことであったので、それはもう、ゴクゴクと、腹が膨れんばかりの勢いで、飲み続けるのだった。自分の感じていた以上に、肉体は水分を欲していたようだ。幾らでも飲むことができた。炎天下、脱水症状一歩手前のレッドゲージが凄い勢いで回復していく。

 ミーンミンミン、耳が痛いほどの音量でセミ達が鳴る。

 ゴクゴクと、俺の喉も鳴る。

 どちらも決して負けていないように思えた。

 ややあって、渇きが癒えたのを確認してより、井戸の口より顔を離す。気付けばシャツの上がびっしょり濡れていた。冷たい水の感触が、熱に茹だる肉体に、とても心地良かった。ついでに顔もパシャパシャと洗って、気分を一新させる。

「よっしゃ、やる気出たしっ! 頑張るしっ!」

 次はいよいよ家屋の掃除である。

 自分に言い聞かせるように叫びを上げて、一路、歩みを古民家の内へと向ける。畳から板張りまで、酷く汚れていることが想定される都合、土足での進入だ。靴下も数に限りがあるので仕方あるまい。後で磨けば良いだろう。雑巾をどうやって都合するのかを考えないまま、ズンズンと建物へ向かい進む。

「しかし、広いな……」

 まず、玄関が広い。

 入って驚いた。

 四畳半はありそうだ。

 妙にでこぼこした石床と、四方を囲うように一段高く床板。一度に五人六人と出入りが可能な作りとなっている。床板の先には、ボロボロに破け黄ばんだ障子戸があって、その奥に畳間が伺える。非常に古めかしい間取りだろう。

 右を見ても左を見ても、ガラスのガの字もない家屋である。全てが石と木と紙で作られて思える。建物の基礎も、今風のコンクリート造とは異なり、そこいらに転がっている石を並べただけだ。そう思うと酷く頼りない。けれど、他に住む場所も無いのだから仕方あるまい。我慢して座敷へと上がる。

 玄関から障子戸を越えて、その先に続く一間へと向かう。

 家の中は全ての戸という戸が閉じられている為か、昼だと言うに薄暗い。少しばかり不気味なものを感じながら、それでも寝床の為、歩みを進める。気分は肝試し。その日の生活が懸かった肝試しなんて、生まれて始めてだ。

「…………」

 玄関正面より向かって左側には、凡そ、十畳ほどの一室が、襖に区切られて三つばかり縦に並んでいた。脇には併走して廊下が設けられている。けれど、これもまた敷居は壁でなく襖である。襖を開けば部屋と廊下とは地続きになる。昔の家屋には、壁という概念が薄いのか。そんな疑問を思った。

 埃の積もる襖達を押し退けて、三つ間と廊下を全て筒抜けとする。ともすれば、非常に広大な空間が生まれた。四十畳を越える巨大な一間の完成だろう。都会の狭苦しい生活に慣れた身の上からすると、とても贅沢な土地の利用だと感じる。

 また、三つ並んだそれぞれの和室は、廊下と反対側で縁側と接する。敷居は障子戸によって区切られている。こちらも襖と同様に押し開ける。すると、最後に木の板で作られた雨戸が出現。これも無理矢理に押し開いて、家屋内部を強引に外へと開放した。

 雨戸を開くに応じて、外の明かりが薄暗い家の内側へと差し込んでくる。

 ふわっと風の抜ける心地が非常に気持ち良かった。

 そして、より鮮明な視覚情報となり飛び込んでくる家屋内部の惨状。

「うっわ、ひっでぇ……」

 薄暗がりではそこまでとも思わなかった室内。しかし、直射日光に照らされては、随分な有様であった。全面浅黒く色付いてささくれ立った畳。元の色を忘れて黄ばんだ障子。何が描かれていたか微塵として伺えないほどに色褪せた襖。雨戸が完全に閉められていた為、野晒しであったよりは幾分かマシだろう。しかし、虫食いによる被害が激しい。特に畳。また、所々にカビも発生している。後は只管に埃、埃、埃。今までその只中を歩んでいたのが信じられないほどの埃。何十年分だろう。一歩を歩む毎に、ぶわっと広がってくれる。

 加えて、部屋の隅の方では、何やら、ガサゴソと小さな生き物の動く気配がある。カブトムシだったら、まあ、問題無い。カナブンでも我慢しよう。けれど、ムカデであったり、ゴキブリであったりしたら、あぁ、想像していて、鳥肌が立ってきた。本当にこの中で眠れるよういなるのか。

「どうするよ、これ……」

 目を刺すような陽光に思わず瞳を細めながら、シャツの袖に額や首筋の汗を拭う。

 本当に俺はこんな場所で生活していけるのか。激しく疑問に思った。けれど、疑問に思うばかりでは何も解決しない。俺にはここしか無い。ここ以外に行き場が残されていないのだ。ならば、今は只管に身体を動かすしかない。具体的には掃除。とにかく掃除。

「よぅし、上等、やってやろうじゃねーかいっ!」

 ヤケクソの勢いで叫ぶ。

 俺の引っ越しは、まだ、始まったばかりだった。