金髪ロリ田舎暮らし日記

二日目

 昨日は夜も零時を回った頃合、ようやっと眠りに付くことができた。

 危うくも日が変わろうという時刻、縁側に面する三連の和室に関しては、粗方の掃除を終えた次第にある。月明かりのみを光源とした作業は非常に辛かった。途中、庭に火を起こそうと思い立ったものの、火種が見つからず断念した。その瞬間ほど、ライターの偉大さを認識したことは、過去に無い。

 加えて、身体の至る箇所を蚊に刺され、全身が非常に痒い。腕から足まで数十箇所に渡り刺されている。こちらにしても、何かしら対策を考えねば不味いだろう。家屋周辺の雑草は早急に毟るべきだと実感した。こいつら、俺が来るまでは何の血を吸っていたのか、甚だ疑問だろう。

 また、それだけの苦労を重ねたとしても、引っ越し作業が終わったかと言えば、全然である。目覚めて一番、腹の上を這っていた、長さ三十センチ級のムカデに驚いたところで、徹底的な清掃作業を心に決めた次第である。あのグロテスクな姿を、至近距離で眺めるのは、二度と御免だ。蚊と異なり、刺されなかったことだけは、行幸だろう。

「ぷはぁ……この井戸水だけが俺の心の安らぎだぜぇ……」

 目覚めてすぐ、口の中の気持ち悪い感じを井戸水に流す。

 ついでに顔を洗って、身体を拭って、気分を一新させた。

「しかし、腹が減ったな……」

 ぐぅと腹の鳴る音を聞いて、昨日の昼より何も食べていないことを思い返す。

 しかし、手持ちの食料は既に切れていた。最後に食べたのは饅頭だ。バスで一緒になった婆さんに貰った。餡子たっぷりのお手製饅頭だそうで、甘いものに餓えていた俺には最高の食料だった。けれど、それも既に過去の出来事。既に餡子も何も完全に消化されて、糞となった後だ。

「っていうか、どうするよ、飯」

 まさか、近所にコンビニが在る筈も無い。

 仮に在ったとしても、財布の中には三十五円しか入っていない。

「おいおい、ちょっと、冷静に考えたらヤバイじゃない……」

 朝飯はおろか、昼飯、夕飯もピンチである。

「……何か、食えるものを探さないと」

 まさか、現代日本で餓死の危地に立たされるとは思わなかった。一日や二日ならば、水を飲んで凌ぐこともできる。けれど、一日や二日でなければ、その後は無い。そして、ここは人里まで片道徒歩五時間の領域だ。人類の生活圏としては最末端。待っていたって何が来ることもない。

「糞、探してやろうじゃねぇか。舐めんなよ、畜生」

 ガブガブと水を飲んで腹の足しにする。

 腹部がたっぽんたっぽん言うまでを飲んで、井戸口より顔を離した。

「猪でも鹿でも捕ってやろうじゃないのっ!」

 掃除に加えて、極めて重要な仕事の増えた瞬間だった。

 思い立ったが吉日、即座のこと俺は行動を開始する。

 活動していられるのは、太陽が昇っている間だけだ。特に森の中を散策するともなれば、日の上りきらない涼しい時間帯が良い。日が高いと暑いし、逆に落ちた後では確実に迷子となる。昨日に身を持って学んだ故の予定配分である。

 水を飲み、顔を洗う。

 ついでに、昨日まで着ていたシャツも洗い、軒先の柱に引っ掛ける。

 空の二リットル入りペットボトルに水を満たす。

 これで準備は完了。

 我ながら身軽なものだ。

「行くぜっ!」

 声も大きく吼えて、自分に言い聞かせるよう、空元気を振りかざす。

 一路、道なき道を突き進むよう、森の中へと歩みを向けた。

◇ ◆ ◇

 意気揚々と出掛けたものの、そう易々と結果は出なかった。

 何故かと言えば、一介の学生に野生の動物を獲る術など無いからだ。

 小一時間を探索して、ウサギを一匹と、狸を一匹、見かけた。けれど、見かけた限りである。こちらが相手の存在に気付いたとき、既に相手はこちらの存在に気付いていた。そして、何をするまでも無く、逃げられてしまった。石でも投げれば良いだろう、などと気楽に考えていたのが間違いであった。

 加えて、森に成る植物は、どれが食べられる植物で、どれが食べられない植物か、全く見当が付かない。途中、幾つか茸の類を見つけた。しかし、過去に見たことの無いものばかりである。見た感じ食べられそうなものを、幾つか選び採集したが、食料を得たとは言いがたい。

 個人的には、木の実の類でも見つかるのではないかと、非常に軽い気持ちで考えていた。けれど、そう簡単な話でもないらしい。スーパーで売っているような果実は当然として、野苺やグミノミすらも、一向に見つからない。あるのは名前も知らない、直径五ミリほどの謎な木の実である。一つばかり口に含んでみたが、青臭くて食べられたものじゃない。

「おいおい、どうするよ……」

 本格的に焦り始めた自分が居る。

 歩む勢いも自然と増していた。

 身の丈ほども在る樹木を掻き分けて、道無き道を必至の形相で進む。足に絡み付いてくる蔦の類が非常に鬱陶しい。途中、幾度も転びそうになりなった。というか、既に三度ほど転んでいる。けれど、足が止まることはない。

 何か食べる物は無いかと、餓えた眼差しを持って歩む。人間も猿と同じ動物なのだと、身を持って実感していた。腹が減ったら正気じゃなくなるのだ。段々と平静を失い行く自分を感じた。

 そんな頃合、段々と日も高くなってきた時分だった。

 不意に正面の草木がガサリゴソリと揺れた。

「ぉ?」

 何か食い物が現れたかと、俺、狂喜乱舞である。

 肉が食べたい、肉が食べたい。自然と脳裏に思い描かれるのはステーキ。

 しかし、相手はこちらが想像した以上の獲物であった。

「げっ……」

 鬱蒼と茂る樹木の合間より、顔を覗かせたのは熊だった。

 身の丈は百七十前後の俺と同じか、多少だけ小さい程度。胸に一部だけ薄っすらと色の抜けた毛並みは、過去に動物図鑑で見た覚えがある。ヒグマと比較しては小柄だと言われるが、それでも、山中で偶然に出くわした衝撃は大きい。今朝のムカデとドッコイドッコイだ。

「ツキノワグママァ!」

 反射的に叫び声が上がる。思わず舌を噛んだ。

 相手もこちらの存在に驚いたのか、それでビクリと身体を震わせる。

「…………」

「…………」

 互いに見つめ合う。

 一歩として動けない緊張感があった。

 身の丈こそ、自分とそう変わらない。しかし、図体は横に大きい。異様に発達した筋肉が、腕にしろ足にしろ、人間の倍以上の厚みとしている。体重を計ったのなら、三倍以上あるのではないかと思われる。加えて、口元には厳つい牙、両の腕には無骨な爪。全身凶器。まさか、喧嘩を売って勝てるとは思わない。

「…………」

「…………」

 しばらく、ジッと見つめ合い、睨み合う時間が続いた。

 俺はビビッて動けない。

 相手が動かない理由は分からない。品定めでもしているのか。

 けれど、それも永遠では無い。

 俺は決して根負けするつもりは無かった。只管に睨みつけてやった。渾身のメンチを切ってやった。取立てのヤクザを見習って、口の端を不自然に吊り上げ、眉へ深い皺を作ってやった。

 けれど、熊相手には何の効果も無い。数分と経たずして、がぁおぉー、相手は唸り声も大きく、挑みかかってきた。振り下ろされた前脚が、鼻先を掠めて地面を打つ。薄皮一枚、ドスンと地面が震えた。

「うぉぉおあああああっ!」

 こうなれば逃げる他に無い。

 睨めっこを放棄して、俺は脱兎の如く逃げ出した。

 先刻に出会った兎と狸の心境を、今なら心底、理解することができる。俺は今、野生を得た。この調子で古民家生活を続ければ、自然に帰る日も近いのではないかと思う。っていうか、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「く、来るなぁああああっ!」

 グォーと応えて、熊が背後より迫る。

 相手は日本本州に在って野生の王様。

 他方、今の俺は猿以下だ。

 駆ける。

 全力で駆ける。

 けれど、逃げたところで、結果は見えていた。熊の足は想像した以上に速い。行く手を塞ぐよう茂る樹木を押し退けて、瞬く間に迫ってきた。背後を振り返れば、再び振り下ろされた前脚が、シャツの生地を浅く裂く。皮膚こそ傷ついた風は無いが、与えられる恐怖は一入。

「ひぃいいいっ!」

 もう駄目だと思った。

 まさか、熊に襲われて死ぬ人生だとは思わなかった。

 走馬灯劇場が幕を開き、プロローグが流れ始める。

 題字、俺。十五年の軌跡。

 そんな時だった。

 不意に向かう先、足元に過ぎる影。

 左から右へ、俺の行く先に動く何かがあった。背の低い雑草の合間より、ピョンと飛び出してきた。距離にして前方十数メートルといったところ。全力疾走の最中、揺れる視界にあっても、全容はすぐに理解できた。

「っ!?」

 見れば、それは狐である。

 熊より逃げ出した俺。

 行く先には狐が居る。

 狐だ。

 熊じゃなくて、狐である。

 猿でもなくて、狐である。

 その瞬間、頭の中では、非常に単純な不等式が成り立った。

 熊大なり猿大なり俺大なり狐。

 成り立った瞬間、身体は咄嗟のこと動いていた。

 ヘッドスライディングさながら、前方へ向けて身を投げる。両手を大きく前に突き出して、向かう先、狐へと飛び込んだ。顔のあちらこちらに雑草の葉の当たる。肘や顎が地面と擦れる。けれど、無我夢中のことで、全く気にならない。

 咄嗟の出来事に驚いたのだろう。

 狐は足を止めて、キョトンとしてこちらを見るばかり。

 そこを俺の両手が見事に捕獲。暴れる間も無く抱え上げた。暖かな体温とサラサラと流れるような毛並みが美しい、見事な狐であろう。けれど、見惚れている時間も無い。即座のこと、次の動作へと移る。

「これでも喰らえっ!」

 後は手にした狐を投げるだけ。ピッチャー、振りかぶって第一球。

 ずっしりと重いそれを、力任せに熊目掛けて投げつけた。

 黄金色の獣が、黒茶色の獣の鼻面へとぶち当たる。キャインと、凡そ自分の想像する狐らしからぬ鳴き声。同時、グォーと野太い熊の唸り声。巨漢が僅かばかり揺らぐ。素晴らしい。クリティカルヒットというやつだろう。恐らく、狐を熊に投げつけるなど、人類史上初めての行いではなかろうか。前人未到の行いだ。

 妙な充実感がふっと込み上げた。

 けれど、それに満足している暇は無い。

 俺は慌てて立ち上がると、大急ぎにその場を後とした。

 熊は急に飛んできた狐に驚いたらしく、後を追ってくる気配が無い。驚いて逃げ帰ってしまったのだろうか。それとも、逃した獲物の代わりに狐を食べているのだろうか。分からない。ただ、何れにしても、数十メートルを進み、後ろを確認した時点で、俺は自らの生還を理解するのだった。

 深い森の中、その先に熊の姿は伺えない。

「……生きてるって素晴らしい」

 今なら、猿にも勝てそうな気がした。

◇ ◆ ◇

「か、帰ってこれた……」

 その日一日は、本当、散々であった。

 熊に追いかけられたことで方向感覚が消失。

 その後、見事に森の中で迷子となった。

 それから四時間を掛けて、ようやっと自宅まで辿り着いた頃には、既に日も暮れかけていた。遠き山に日は落ちて、とはよく歌われるが、その遠き山とやらが、今まさに自分の居る場所だ。日が暮れるのが妙に早く感じるのも道理だろう。周囲を木々に囲まれている分だけ、暗くなるのが幾分か早い。

「結局、何も食えなかったし……」

 加えて、泣きっ面に蜂。

 一日を延々と歩き回っても、食料を得ることはできなかったのだ。唯一の例外は、鞄の中に幾らか持ち帰った茸。しかし、依然として毒の有無は見分けが付かない。食料と認定しかねる代物だろう。

 こんなことなら、庭の草抜きでもしてれば良かった、とは心の声である。

 今晩もまた蚊との戦いになりそうだ。

「みずぅ、やっぱり、こいつだけが俺の心の支えだぜぇ……」

 這う這うの体で井戸の下まで歩み寄る。

 そして、レバーをキコキコ、水を汲んでは喉を潤す。

 ただ、幾ら飲んだところで空腹は癒えない。

 腹がタポンタポンと音を立て始めたところで、井戸の口から顔を離す。プハーと大きく息を吸って、そのまま地べたへと腰を下ろした。散々、歩き回って、もう、ヘトヘトのヘロヘロであった。慣れない山歩きは重労働である。空腹が手伝えば、疲労は甚大だろう。

「おぅ、どうするよ、俺……」

 熊より逃れたは良いが、このままでは野垂れ死に確定である。

 やはり、ここは一度、人里へ戻るのが良いだろうか。冷静になってふと、現実的な回答に思い至る。今ならば、水は十分にある。水筒代わりの二リットル入りボトルを用いれば、昼に往復しても問題無かろう。日中であっても大丈夫だ。

 田舎の人は優しいというから、きっと、物乞いをすれば、何か食べるものを分けてくれる筈だ。俺はまだ十五歳、世間から見れば子供。少し困った顔をすれば、人の良いオバちゃんとかが、これ持ってきなよ、なんて何かくれるに違いない。

 また、仮に物乞いが失敗したとしても、日が暮れた頃合を狙い、そこいらの畑から野菜の類を引っこ抜けば良いのだ。この時期、茄子や胡瓜といった夏野菜が良く熟れて食べごろだろう。スイカだってある。トマトとか最高だ。取れたての野菜を、キンキンに冷えた井戸水に洗い、そのまま丸齧り。なんて贅沢な食事だろう。

「……よし」

 思わず、涎が溢れるのを感じた。

 形振り構っていられない。

 腹が減って足腰立たなくなっては、最後、この陸の孤島から出られなくなってしまうだろう。そうなる前に、何とかして食料を得なければならない。段々と理性が本能に駆逐されゆくのを感じながら、俺は決意をするのだった。明日こそ、絶対に食料を手に入れてやるのだと。

 ということで、何はともあれ、今日は眠るとしよう。

 流石に今の疲労をそのまま、延々と五時間を歩くのは無理だ。

 ゆっくりと腰を上げて、井戸端から縁側へと歩みを向ける。昨晩に掃除した三つ続きの和室へと戻り行く。依然として、布団の無い寝床ではある。けれど、まだ七月だ。鞄を枕に眠っても、風邪をひくことは無い。気にしない。

「しっかし、疲れたなぁ……」

 両手をぐっと頭上に伸ばして、身体の凝りを解すよう歩む。

 すると、何故だろう、玄関正面の付近に人影があるではないか。

「っ!?」

 驚いた。

 とっても驚いた。

 自分以外に誰か人間が居るのだ。

 綺麗な二足歩行である。

 決して熊や猿ではない。

「あ、お、おいっ! ちょっとっ!」

 気付けば、俺は疲労も忘れて、自然と走り出していた。膝上まで茂る草木を押し退けて、必至の形相で駆け出していた。人里を離れて、まだ三日と経っていない。けれど、妙に嬉しかったのだ。同族の大切さを、ここまで顕著に実感したことは無い。

「おーいっ!」

 それは和服姿の少女であった。

 黄金色の長い髪をした、今居る場所に酷く似つかわしくない、女の子である。

 年の頃は二桁に達するか否かといった具合。とても歳幼い。

「……このような場所に居たか」

「そこの子、そこの子、どうしてこんなところに居るんだっ!?」

 駆け寄ってすぐ、俺は興奮した面持ちを隠せずに語り掛ける。

 すると、相手はキッと厳しい眼差しでこちらを睨みつけてきた。

「お前に投げられた恨み、晴らしに来たぞ人間っ!」

「……は?」

「熊の鼻面などにぶつけおって、何様のつもりだっ! 痛かったぞっ!」

「……え?」

 相手が何を言っているのか理解できなかった。語り掛けてくる調子、凡そ相手はこちらと面識がある様子。しかし、俺は金髪の幼子(おさなご)に知り合いなんていない。そもそも、この地にやって来てより、まだ一晩しか経っていないのだ。

 けれど、相手は俺の困惑など知らず、憤怒の形相で言葉を続ける。

「おい、聞いてるのか!? 呆けた顔をしおってからにっ!」

「え、あ、いや……」

「何か言うてみたらどうだっ!」

「っていうか……、誰? 知り合い?」

「誰だと!? そんなの見るも明らかだろうっ!?」

「いや、全然、明らかじゃないし……」

「昼に、お前に取って投げられた狐だっ! 忘れたとは言わせんぞっ!?」

「……は?」

 突拍子も無い物言いに呆然とする。

 言っていることの意味が分からなかった。何か、ごっこ遊びの途中だろうか。だとすれば、気付かぬうちに迷い込んでしまった地元の子供だろう。そうなると、近隣に人家の存在が考えられる。一体、どこからやって来たのか。色々と分からない。

「えぇと、なんだ……。どこからやって来たんだ? おうちは?」

「わ、童子め、儂を舐めておるな?」

「何故に舐める?」

「ええい、これを見てもまだ知らぬと呆けるかっ!」

 妙に興奮している少女。

 何を思ったかブルリ小さく身を震わせる。

 かと思えば、ポンと小気味良い音が響いた。まるで自転車のタイヤがパンクでもした風だ。何事かと目を瞬かせて、目の前の相手に注目する。すると、いつの間にやら、その肉体に変化があった。頭頂部に髪と同じ色の毛並み揃う三角の耳。加えて、和服の裾を大きく上へ肌蹴させて、にゅっと姿を現した、同じ色の毛に覆われる大きな尻尾。

「どうだっ!」

 他方、本人は胸を組んで、酷く偉そうな素振りである。

 両足を肩幅より幾分か開いて仁王立ちだ。

「……おぉう、たしかに狐っぽい」

「当たり前だ。これを見ては、知らぬ振りなどさせんぞ!」

 一歩、少女がこちらの側へと踏み出した。

 距離にして十数メートル。

 夕暮れ時にあっては、強烈な西日に当てられて、顔に深い陰りが伺える。それが彼女の存在感を、大したものとして、こちらへ訴えかけてくるのだ。相手は子供なのに、妙な雰囲気を感じる。

 そして、極めつけは突如として現れた獣耳と獣尻尾。まさか、本物だろうか。尻尾はまだ、衣服の下に隠し置けたろう。けれど、耳は一瞬で現れた。まさか髪の下に隠していたのか。それとも他に手段があるのか。疑問ばかりが生まれては、グルグルと頭の中を駆け巡る。

 巡る。巡る。巡る。

 色々と巡り過ぎて、頭も疲れる。脳味噌は人間の器官の中で、最もエネルギー効率が悪いのだと言う。加えて、糖分しか消費できない欠陥品だ。ならばこそ、空腹極まる現状況下で頭を悩ませるなど馬鹿の極み。炭水化物など、この森の中で摂れるものなのか。芋か? 芋なのか? 芋しかないのか?

 ちょっとばかし、疲れ過ぎただろうか。

 妙なテンションになってきた。

「…………」

「どうじゃ。恐れ慄いては声も出ぬかっ!」

「え、あ、いや、なんていうか……」

「謝るならば今のうちだぞ。でなければ、目に物を見せてくれようっ!」

 一方、何故か相手はヤル気満々な様子。ふんと鼻息も荒く吼えてみせる。何を如何様にヤルつもりか知れぬが、元気一杯に息巻いている。その姿を眺めていると、なんだか、酷く疲れが滲み沸いてきた。自分が疲れている時に、他人のテンションが高いと、無性に腹立たしくなるのは何故だろう。

 好奇心が疲労に負けた瞬間だった。

「ごめんなさい」

 色々と面倒になって、とりあえず謝ってみる。

「な、なんじゃ、人間にしては頗る素直な……」

「俺は凄く疲れてるんだ。もう、このまま眠りたいんだ。悪いけど、また明日な」

「なんだと!?」

「ほんじゃ……」

 片手をパッと上げて、そのまま玄関へと歩みを向ける。

 滑りの悪い玄関戸をガラガラと開けて、昨日に掃除したばかりの敷居を跨ぐ。もしも余裕が生まれたら、いつか蝋でもコスってやりたいなぁ、などと考えながら、引っ越して二日目の我が家へ無事帰宅。

 すると、一歩を踏み込んだところで、背後よりシャツの裾を引っ張られる。

「ちょい、待たんか!」

「何だよ?」

「折角、人が来てやったと言うに、随分な扱いじゃないか。えぇ?」

「それだったら、また、明日にでも出直してくれ。俺は疲れた。寝る」

「まだ日も暮れてないではないか! 寝るには早いぞっ!?」

「あと一時間もすれば真っ暗だろ? いいじゃん」

「いくないっ!」

 無理矢理にでも前に進もうとした。

 けれど、シャツを引っ張る力が妙に強くて叶わない。

「お、おい、ちょっと、放せよ」

「嫌だ。離さぬ」

「どうしてだよ……」

「なんか、全然、謝られた気がしない。もっと誠意を見せて謝らんかい」

「じゃあ土下座でもしよう。それでいいだろ」

「だから、そういうのじゃなくて、もっと、こう、色々とあるだろうっ!?」

「ねーよ」

「あるんだよっ!」

 訳の分からない問答だった。

 意固地になって前へ進もうとする俺。地面に根が生えた風に場を動かない少女。互いに一歩として譲らない。

 何を馬鹿なことをやっているのかと、自分でも思った。けれど、疲労から頭はまともに動かなくて、もう、今は寝床に戻ることしか考えられない。前へ、前へ、狂ったように座敷を目指した。

 ともすれば、訪れる結果は当然のところ。

 熊に引っかかれて大きく切れ目の入ったシャツ。グイグイと力任せに引っ張られて、自然と生地が裂けた。ビリビリと大きな音がしたかと思えば、次の瞬間には玄関の床が迫っていた。凹凸の目立つセメントで固められた足場である。

「うぉおおおおおおおっ!?」

 咄嗟に顔を庇った。

 前のめりに倒れる肉体は止められない。疲労困憊も極まる肉体は、一歩を踏み出すも、バランスを立て直すには至らず、無様に倒れていった。そして、運の無いことに、目前には床下と床上を隔てる段差の角。

 やばい。

 そう感じたときには遅かった。

 頭部を強かに打ちつけて、俺の意識は明後日な方向へ飛んでいった次第である。