金髪ロリ田舎暮らし日記

三日目

 翌日、目が覚めた俺の隣には、依然として金髪の少女が居た。最後に見た際と変わらず、和服姿のまま、畳の上に胡坐などかいている。その視線が向かう脇は、横たわる俺の身体だろう。

「おぉ、ようやっと起きたか」

「どうして、お前が俺んちにいるんだよ」

 ビリビリと破れて、辛うじて引っ掛かるシャツ越しに、自らの臍が見えた。貴重な衣服だというに、酷い話もあったものだ。夏場だから良いが、冬だったらまず風を引いていただろう。そして、そこで初めて、自分が気を失っていたことに気付く。いつの間にやら、夜が明けていることを理解した。

「久しぶりに畳みの上で眠りたかったのだ。別にいいだろう、少しくらい」

「おい、だからって勝手に人の家に上がり込むなよ」

「なんだよ、けち。折角、倒れたお前をここまで運んでやったというに」

「え、あ、あぁ、そう言えば、いつの間にやら座敷の上だな……」

 身体を起き上がらせて、畳の上に少女と同様、胡坐をかいて座り込む。周囲を見やれば、今に居る場所は間違いなく自室の座敷だ。昨日に掃除をした三つある和室のうち、縦に並んだ中央の一室である。開け放たれた障子戸と雨戸の先からは、燦々と太陽の光が差し込んでいた。目を瞑る前は薄暗かった筈なのに。

「っていうか、元はと言えば、お前がシャツを引っ張ったせいだろっ!?」

「さぁて、なんのことかサッパリ分からんな」

「こ、この野郎……」

「まあ、昨晩の一件で幾分か気分も晴れたし、お前の無礼は許してやろう」

「言っておくけど、当たった瞬間、めっちゃ痛かったぞ?」

「儂だって痛かったぞ。そりゃもう、まさか投げられるとは思わなかったからな」

「ふん、何が狐だよ……」

「狐を舐めておると、ふふん、いつか痛い目に遇うぞい?」

「別に狐だろうが狸だろうが、何だっていいさ。俺には関係無いしな」

「なんだよ、つまらない奴だな……」

「つまらない奴で上等だ。そんなことより、これからの俺にはな、非常に大切な仕事があるんだよ。お前に構っている余裕なんて一秒だって無いんだ。用が済んだのなら、ほら、さっさと何処へでも行けばいいじゃないか」

「別に少しくらい居たっていいじゃないか。広いんだし」

「居付く気かっ!?」

「そうだなぁ、まぁ、一年や二年ばかり、世話になってやっても良いかのぉ」

「ちょっと待てや」

 聞き捨てなら無い言葉を受けて、自然と腰が上がる。

 そのまま、中腰に腕を構えて、むんずと相手の頭を鷲掴み。

「何を待つことがある?」

「こっちは自分の食い扶持を確保することすら間々ならないんだ。誰がお前の面倒なんて見てやるものか。そういう魂胆なら、ほら、さっさと出て行け。今すぐ出て行け。そして、もう二度とやって来るな」

 丸一日何も食べていない都合、空腹も極まり語調も随分と荒くなる。

 お腹が減ると、人間、怒りっぽくなるとは良く聞くが、まさにその通り。そして、今の俺はと言えば、一昨日の昼から何も食べていない。しかも最後に食べたのは饅頭を一個。その前は更に遡ること数時間。同様にコンビニのおにぎりを一個だけ。今一度、思い返しては悲しくなる。腹の減るにしたって、そろそろ、限度というものがあるだろう。

 あぁ、意識をしたら、更に腹が減ってきた。

「くぉぁ、腹が減ったら、なんだか力も抜けてきたぜ……」

 腰を浮かしたのも束の間。すぐにへなへなと尻餅をつく。少女の頭に乗せた手の平もまた、畳の上にぺたんと落ちた。応じて、情けなくも胃袋がグゥと悲鳴を上げる。グゥグゥグゥと三度も鳴いた。

 そんな哀れを眺めて、呆れ調子で彼女は言葉を続ける。

「なんだ、お前、満足に飯も食べれていないのか?」

「そういうお前は随分と肌艶の良いようだが、何処で何を食ってるんだよ」

「儂はグルメだからな。前の晩には川原で鮎の丸焼きに木苺を少々だ」

「な、なんだとっ!?」

 その瞬間、俺の中で何かが輝いた。

「この時期の鮎は脂が乗っていて美味いのだ」

「おい、それ、それ、俺にも寄越せっ!」

 咄嗟のこと、再び腰が浮き上がり、両手が少女を肩を掴む。

「もう全部食った。無い」

「だったら、ほら、今すぐに川でも海でも行って獲って来いよっ!」

「嫌だ、面倒臭い。凄く暑いし」

「なんだとっ!?」

 この俺が、この俺が、こんなにお腹を空かせているというのに、この娘っ子は何たる不届きな。鮎なんて贅沢品、独り占めするとは酷い。木苺なんて、何処を探せば生っているのか。俺の昨日一日は何だったのか。

「しかし、そうだなぁ。ここを儂に差し出すなら、考えないでもないぞ?」

「……ここっていうのは、俺んちのことか?」

「そうだ。この家だ。お前の家だ」

「くっ……」

 想定外の取引を持ちかけられて、思わず返答に窮する。けれど、続けられた言葉は、こちらの想定していた問答とは聊か色が異なった。昨晩に見た憤慨よりは、幾分か物腰を穏やかに思える。昨晩、俺を痛めつけて気分が晴れたと言うのは、割と素直な言い分であったのだろう。

「別に、お前を追い出そうという訳じゃない。儂も一緒におけということだ」

「それはつまり、俺が住処を提供する代わりに、お前が食料を提供すると?」

「そういうことだ。どうだ? 腹が減っているんだろう?」

「ほぉ……」

「まあ、嫌だと言うならば、儂は一人で自分の分だけ、昼飯を探しに行くがのぉ」

「ちょ、ちょっと待ったっ!」

 おもむろに立ち上がろうとした少女。その着物の裾を慌てて掴む。一歩を踏み出したところで待ったを掛けた。すると、相手は俺が制止を掛けることを、事前に理解していたよう、したり顔でこちらを見つめてくる。

「どうだ? 悪い話ではないだろう?」

「そういうことなら、いいだろう。妥協してやろうじゃないか」

「うむ、懸命だな」

 ニィと少女の顔に笑みが浮かぶ。

 優雅な一人暮らしに、お邪魔虫が入るのはいけ好かない。しかも相手は正体不明の自称化け狐である。しかし、当面は食料を得る当てが無いのも事実。ならば、せめて自分で自分の食い扶持を得られるようにまで、こいつを我が家へ置くにしても、仕方があるまいとの結論だった。

 いつか食料を自前で得られるようになったら、そのとき、改めて追い出せば良いのだ。少々、癪ではあるが、今は相手の案こそ良案。というか、腹が減り過ぎて、断るという選択が思い浮かばなかった。

「よし、お前を同居人として認めようじゃないか」

「即答するとは、余程に腹が減っていると見た」

「当たり前だ。一昨日の昼から何も食べてないからなっ!」

「それは威張ることか? 随分とひもじい奴が居たものだ」

「うるせぇよ」

「まあ、良い。その約束を違(たが)わなければ、お前の飯は儂が獲って来てやろう」

「本当だろうな?」

 ごくりと生唾を飲み込みつつ問い返す。昨晩の苦労が苦労だけに、容易に語って見せる少女の言葉に疑問も孕む。すると、相手はそんなこちらの思いを見透かしたように、訳も無く続けてみせる。

「獲って来れなかったら、その時は追い出せば良かろう?」

「そ、そりゃ、まあ、そうだけどさ……」

 何処か達観した様子で語ってみせる少女の言動に、ドキリとした。非常に幼い外見をしているのに、老成を思わせる飄々とした態度が大した違和感だ。まるで自分の方が子供みたいな気分になる。

「では、今日から儂は畳の上で眠れる訳だな」

「言っておくけど、布団は無いぞ? 俺も越してきたばかりだ」

「なぁに、そこまでは贅沢言わんよ」

「なら良いけど……」

「儂にはこの立派な尻尾があるからのぉ」

 自らの尾っぽを抱き寄せて、その毛並みを手の平に撫でる少女。当人が抱き寄せれば、都合、尻から伸びて頭の先まで、十分に至るだけの長さを誇る。太さも市販の抱き枕ほどか。加えて、非常にフカフカとして思える外見だ。

 枕にしたら気持ち良さそうである。野生動物独特の泥臭さというか、獣臭さというか、そういった類の異臭も感じられない。艶やかな黄金色の長毛はサラサラと流れるようだった。かなり羨ましい。

「それ、枕代わりになるのか?」

「ふかふかで柔らかいぞい」

「俺にも使わせてくれよ」

「お主の髪はフケが多そうだから嫌だ。尻尾が汚れる。臭くなる」

「多くねーよ! 臭わねーよ!」

「これは儂のものだ。欲しかったら自分で勝手に生やすがいい」

「そう簡単に生えたら苦労しねぇよ!」

「なら諦めろい。そこいらの石でも敷いていれば良かろ」

「糞、生物として負けた気分だ……」

「流石は儂。見事な勝利だ」

 少女の言葉ではないが、やはり、枕と布団は早々に都合をつけるべきだろう。一週間やそこらなら、まあ、硬い畳の上でも我慢できる。しかし、延々続くとなれば問題だ。

 季節が巡れば段々と寒くなる。当面は平気だろうが、九月を過ぎれば、気温的な面でも対応必至となる。今の内から多少なりとも、頭の隅に置いておく必要がある事柄だ。

 とは言え、まあ、何はともあれ今は寝具より食料である。

 腹が減った。

「まあいい。布団と枕はとりあえず置いておく」

「逃げたな?」

「いつか勝つからいいんだよ」

 妙に食いついてくる相手を軽く往なして、俺は本題に入る。

「それよりも、自ら豪語したからには、早速、食料を獲って来て貰おうか」

「良いだろう」

「逃げるんじゃないぞ?」

「逃げたら畳の上で眠れんだろうが」

「それもそうか」

「儂はこれから食い物を探してくる。代わりに、その間でお前は、庭の掃除でもしておくが良い。雑草だらけじゃないか。これから共に暮らす者として、居住環境の改善を要求する。それが今日の飯の条件だ」

「ああ、それは俺も早々に何とかしたいと、昨晩から思っていたところだ」

 縁側を越えて、その先に青々と茂る雑草の群れを眺める。どれも、俺の膝上までの丈があるのだ。少女からすれば結構な高さだろう。正直、歩き難いったらない。加えて、林中と地続きならぬ草続きとなる為、相応、虫の出現に貢献していると思われる。日々の安眠を考えたのなら、早急に対処すべき事柄だろう。

「では、それで良いな?」

「分かった。受けて立とうじゃないか」

「うむ、では儂は森へ向かうとしよう」

「言っておくけど、何も獲ってこなかったら、酷いからな?」

「そのときは儂を煮てでも焼いてでも食うが良い」

「ああ、コンガリと焼いてやるから覚悟しとけ」

 少女の物言いに応えて、俺の着物を掴む手が緩んだ。

 彼女は言うが早いか、その身を翻し、縁側より屋外へと降り立つ。さっきは暑いから嫌だとか、面倒臭いだとか、不平を言っていた癖に、変わり身の早いものである。軒先に置いてあったらしい下駄を突っ掛けて、雑草の最中を足早に歩んでいった。

 カサカサと葉と葉の擦れ合う音が段々と遠退いていく。

「ちゃんと帰って来いよなっ!」

「分かっておる。心配するな」

「お前の心配じゃねーよ! 飯の心配だよっ!」

「ふふん、それも分かっておる」

 何処か楽しそうに弾んで思える声だった。

 ややあって、その姿は樹木と樹木の間に隠れ消えて見えなくなった。都会人な俺と違って、かなり山中を歩き慣れて思える。これならば、或いは、期待が持てるのではないかと静かに思う。

「……まったく」

 しかし、場所が場所なら、変な奴も居たものである。

 今更ながらに強く感じた。

 それから、化け狐を山中へ見送って以後、俺は芝刈りに精を出すこととした。

 全ては食料を得るためである。

 雑草を始末するに当たっては、何か草刈りに使える道具でもないかと、古民家を見て回った。すると、勝手口を出たところで、家屋の外壁に立てかけられた鎌を発見。案の定、恐ろしいまでに錆びている。けれど、雑草を刈るのにこれ以上の道具はあるまいと、本日の得物を決定した。恐らくは、何処を探しても、何を見つけても、十中八九で錆が乗った道具しか見つかるまい。

「よし、いっちょやってやろうじゃないのっ!」

 井戸水をがぶ飲みして、一時的に腹を満たした後、仕事場となる庭へ向かった。

 目の前にはニョキニョキと天高く伸びて、天元突破を思わせる雑草の群れ。果たして、彼女が帰って来るまでに、どこまでを刈ることが叶うか。できることなら、今後の共同生活での発言力強化の為、一通りを刈り切ってしまいたいところである。

「いくぜっ!」

 息も新たに玄関から程近い場所より刈りにかかる。

 鎌の切れ味は最悪。

 そこを目の前にぶら下がった飯の一文字で補う。

「うぉおおおおおっ!」

 作業は破竹の勢いで進められた。

◇ ◆ ◇

「ふむ、随分と捗っておるな」

「おぉ、やっと帰ってきたか」

 古家屋の周囲で雑草を刈ること二時間。そろそろ腰が限界だと感じ始めた頃合で、化け狐は戻ってきた。ガサゴソと樹木の合間より音が届けられる。振り向けば、そこには昨日と今日で見慣れた和服。鈴蘭の刺繍が可愛らしい。

 手には木の枝に目玉を突かれた魚が数匹。また、何やら大きな木の葉を風呂敷のように包みとして片手に下げている。加えて、肩には植物の蔦に吊るされた大きな猪が一匹、ぶら下がっていた。いや、ぶら下がっているというよりは、引き摺られている、だろうか。少女が小柄なので、縛り上げられた後ろ足から遠い部位、特に顔面など、ズルズルと地面に擦れている。

「お前がなかなか帰ってこないからだ」

「お前が腹減った腹減ったと五月蝿いから、ちょいと大物を探してやったのだ」

「ああ、たしかに、まさか猪を獲って来るとは思わなかった」

「この辺りは色々と住み着いているからな。他にも鹿やら熊やら狸やらだ」

「頑張って草を刈った甲斐があるってもんだぜ」

 錆付いた鎌を放り出して、少女の側へと歩み寄る。

 すると、相手は今に俺が開拓した庭先へと、ドスン、一番に大きな獲物を横たえた。全長一メートル程度だろうか。細かな傷を沢山作る年季の入った牙が、重ねた月日の長さを如実に教えてくれる。立派な猪だった。

「っていうか、どうやって獲ったんだよ」

「猪なんぞ、こう、ちょちょいのちょいだ」

「ほぉ……、これは、ちょちょいのちょい、で獲れるのか」

 驚きの新事実だった。

 まあ、そんなことは、この期に及んでどうでもいい。

 それよりも今は早く腹を満たしたい。

「ちょいと待っておれ。先に血抜きだけやってしまうとしよう。この暑さでは、あまり長く放っておくと鮮度が落ちていかん。ここへ来るまでにも、幾分か立っておるしの。こいつは夕飯へと回して、昼飯は魚を食べる按配だ」

「おう、待ってるぜ! でも急げよ」

「言われずとも分かっている。儂だって一晩が経って腹ペコだ」

 少女が差し出した、樹木の枝に刺さる数匹の魚と、大きな葉っぱの風呂敷を、両手に受け取る。俺は駆け足で古家屋の縁側へ向かい、それを板張りの上に置いた。共に生ものだろうから、ちゃんと日陰に安置だ。そして、再び傍らへと舞い戻り、彼女が猪を解体する姿をジッと見学する。

 これが、また、なかなか大したものだろう。

 何故かと言えば、刃物を使わぬ摩訶不思議な所業故だ。刃物を使わずして、猪の強靭な肉体を如何に引き裂くか。か細い幼子の指先では、満足に毛皮すら剥がすことは叶うまい。首を落として血を抜くなど夢のまた夢。

 の筈だったけれど、意外とそうでもないらしい。

「こうして、首を落として逆さにだな……」

 少女が腕を一振りすると、ヒュッと音がして、横たわる猪の首が胴から離れた。僅かばかりの落差をドサリ落ちて、ごろんと転がり、目玉が天上を眺めるよう落ち着く。同時に瑞々しい音が聞こえて、血液が噴水のように溢れ出す。

 恐らくは、意図してのことだろう。幸いにして、切断口は俺や少女の居る側とは反対にある。こちらに血液の降りかかることはなかった。同じ大型哺乳類の首が落ちる光景は始めてのことだ。驚いた。既に死んでいるというに、かなりの出血である。

「……何した?」

「首を落としたが?」

「いや、まあ、そうだけどさ……」

「これをしばらく吊るすのだ。ほら、お前も手伝え」

「お、俺も手伝うのか?」

「何かコイツを吊り下げられるようなものを用意するのだ」

「そんな便利なもんがあったかぁ? そういうことは朝のうちに言っておけよ」

「向こうの方に土蔵が見えるが、あの中に竿竹でも入ってないのか?」

「さぁ、どうだろう。開けてないから知らん」

「ならば、さぁ、開けに行くぞい!」

「おいおい、ちょっと、俺んちを勝手に漁るつもりか!?」

 首を落とした猪をその場に放置したまま、向かう先、手付かずの土蔵へ颯爽と歩み行く化け狐の少女。その背を追って自身もまた早歩きに進む。他人の家だと言うのに、矢鱈と行動力のある奴である。

 土蔵は母屋より尚のこと時代を感じさせる造りをしていた。周囲を植物の蔦に覆われて、酷い有様である。何か凄いのがあるなとは、昨日より気付いていた。けれど、開けるのが面倒で無視していた代物だろう。

 恐らく、その内に溜まる埃の量も相応だ。縁側と縁側に面した座敷を掃除するだけでも一杯一杯であったのだ。まさか、手を付ける余裕など無い。当面は放置しようと決めていた次第である。

「お前、ちょっと待てよ。人んちで勝手するなよ」

「なぁに、今日から儂の家でもあるだろうに」

「持ち主は俺だよっ!」

「ほれ、開けるぞ」

「全然、聞いて無いし……」

 草を刈ったことで大分歩き易くなった庭を進み、土蔵の前まで至る。

 少女は遠慮無く、入り口だろう扉へ手を掛けた。待てと言う俺の言葉など、右から左へ華麗に聞き流してくれる。近い将来、我が家はコイツに乗っ取られるのではないかと、危惧を催す唯我独尊具合だ。

「っていうか、南京錠が掛かってるじゃん。鍵なんて持ってないぞ?」

「なぁに、こんなもの一捻りよ」

「これが捻れるかよっ!」

「ふふん、童子が、誰に物を言うておるのだ?」

「お前だ、お前」

「むぅ、相変わらず舐めてくれるのぉ……」

 言うが早いか、彼女は手にした南京錠を強引に捻り上げる。すると、どうしたことだろう。鋼鉄で作られる筈のそれは、まるで粘度でも扱うように形を変えた。そして、両手に引っ張られるに応じて、ギチギチと形を変えて、やがてはブチン、鈍い音を立てて細まった部位が千切れるのだった。

「…………」

「ほれ、このとおりだ」

「……なんだよそれ」

「見ての通り、鍵じゃないのか?」

 千切ったばかりの錠前を放ってくれる。

 慌てて受け取ったそれは、夢幻でなく、見事に変形していた。ずっしりと重い、普通の南京錠と比較しても幾分か頑固な一品だ。幾ら歳月を経ても、人の手に千切れるような玩具ではない。けれど、事実として千切れているから、もう、知らん。

「……いや、まあ……面倒だし、もういいや」

「さぁ、扉を開けるぞい」

 理解を諦めて、少女の言葉に従うこととした。

 扉に取り付けられた取っ手口らしい金具が引かれる。観音開きの戸が手前へと引かれた。表面へ纏わり付いた蔓が、ブチブチと音を上げて千切れゆく。恐らく、数十年と開かれていなかっただろう土蔵が風を解かれた。

「ぐっ……」

「げぇほっ、うえぇ……」

「ぅ、うぅ……」

「おい、ここ、猛烈にカビ臭いぞ……」

 扉が開くに応じて、内側より良い具合に繁殖したカビの香りが届く。一息吸い込んで、溜まらず噎せてしまった。絶対に肉体へ良くない影響を与えると、呼吸器官が訴えていた。ゴホゴホと咳が出る。

「ま、待った、もうちょっとゆっくりと開けろよ」

「ぐ、ぐぬぅ……」

 かと思えば、即座に扉が閉じられる。

 バタンと大きな音がして、今まさに開かれた扉が、速攻で閉じられた。何をする間も無い。内側を伺う余裕すらなかった。陽光が差し込むかどうかといった、瞬く間の出来事であった。ふっとカビの臭いが濃くなったかと思えば、すぐに霧散して薄まる。扉を閉ざすに応じて、入り口近辺の空気が流動したのだろう。

「臭い。やめた。……ケホッ」

「速攻でやめるなよっ!」

 酷くヤル気の感じられない声が届けられた。

「こんなカビ臭いところを探し回るのは御免だ。儂までカビてしまう」

「そうなることくらい、幾ら狐だって事前に察しろよ……」

「なんかもう面倒だし、そこいらの木に引っ掛ければ良かろう?」

「っていうか、何故に初めからそうしなかったっ! 凄く損した気分だ」

「だって折角、ほれ、庭が綺麗になったんだ。庭に吊るしたいじゃないか」

「いいよ別に。どこへ吊るしたって同じだろうが。そう長く吊るす訳でもあるまいし」

「気分の問題だよ、気分の。なんか気持ち良いじゃないか」

「どっちだって同じだろうが」

「ふん、違いの分からない男だのぉ……」

「違いなんて、あっても微々たるもんだろうが。距離にして五メートルも無いし」

「その微々たる違いが大切なのに。どうして分からぬか、この愚鈍め」

「愚鈍でいいから、ほら、さっさとやろうぜ。俺は腹が減ってるんだよ」

「むぅ……」

 結局、土蔵はそのまま。再び封をされた。近々で開けることはあるまい。きっと、母屋を十分に制圧してからの探索となるだろう。とは言え、中に何が入っているか、気にならないと言えば嘘になる。もしかしたら、今の生活をより豊かにする道具が入っているかもしれないし、余裕を見て少しずつ開拓してゆくと決めた。

 また、首の落ちた猪にしては、少女の言葉どおり、古家屋に程近い樹木へ吊る運びとなった。足に結び付けた植物の蔓を、そのまま庭と森との境に生えていた樹木へと結びつけて、強引に吊るし下げた。依然として血液に溢れているらしく、ボタボタと首の切り口より赤いものを垂らしている。これが晩の食卓にはステーキとなって出てくるのだから、なかなか、感慨深いものであるだろう。

「さて、ようやっと飯が食える」

「うむ」

 そんなこんなで一頻り手間取ったが、ようやっと昼食の時間だ。

 俺と少女は鮎と木苺で昼食となる。木苺は例の大きな葉っぱの風呂敷に包まれていたものだ。それなりの数がある。とっても健康的なデザートだ。他方、鮎は合計で八匹。二人で均等すれば四匹食べられるだろう。

 ただ、ここへ来て、再び問題が発生。

「あ、しまった……」

「ん、どうしたんだ?」

「魚が獲れたのは素晴らしいが、焼く為の火が無いじゃないか!」

 昨晩にも頭を悩ませた問題である。

 その際は、火種が無くとも根性でなんとかなった。掃除くらいならな。しかし、生魚の消化作業は、根性で解決できるとは思えない。都会育ち極まる胃腸だ。下手に腹を下しては、摂取した以上の栄養分を尻から吐き出す羽目となること請け合い。加えて、相手は川魚。淡水魚。どんな寄生虫が居たものか、考えるだけで恐ろしい。

 けれど、そんな俺の疑問を少女は切って捨てた。

「火なら、ほれ、ここにあるぞい」

 そうして自身の傍ら、手前一メートルの辺りを指差してみせる。

「ここってどこだよ……」

 また阿呆なことを言い始めたか。呆れ調子に差し示される辺りへと視線をやる。指先は明らに空中を指差していた。でなければ、何某かに突き当たるは、遥か遠方、庭から地続きに樹木の茂る、森の中に他ならない。

 けれど、そこには確かに彼女の言葉通り、確かに火種があるではないか。

「って、なんか浮いてるし!」

 ふよふよと、バレーボールくらいの大きさをした、火の玉が浮いていた。

「ほれ、さっさと焼いて食うぞい。あぁ、それと、触ると火傷するから注意するのだ」

「あ、あぁ……」

「どうした? 手伝わないなら食わせぬぞ?」

「……別に、幾らでも手伝うけどさ……」

 もう、何が起こっても、驚くのは止めようと、心に決めた瞬間だった。

 田舎とは不思議な場所である。いちいち気に留めていたら、きっと、気疲れしてしまうだろう。恐らくは、ありのままを受け入れるのが大切なのだ。世の中広い。自分の知らないことなど、きっと、まだ山のようにあるに違いない。書籍やインターネット越しに知る世界だけが、この世の全てではないのだ。きっと。

「ほれ、一匹ずつ木の枝に刺して、こう、地面に立てて焼くのだ」

「なんかキャンプしてるみたいだし……」

「口ばかり動かしてないで、自分の食う分くらいしゃんと手伝え」

「いちいち言われなくたって、分かってる」

 化け狐が語るに応じて、火の玉が地面へと降りてゆく。

 どうやら彼女の意図したとおりに動くらしい。

 一匹ずつ、尻から口へ向けて枝の通った鮎。枝の一端を地面に突き刺し円形を形作ると、火種が勝手に動いては、円の中央に納まった。さぁ、俺を焚き火の代わりにしてみろ、そう言わんばかりの動きである。一体、何を燃料に燃えているのか。そうした諸々は気にしないでおく。考えるだけ無駄だろう。

 そんなこんなで、俺と化け狐とは昼食を共にするのだった。

 ジュクジュクと音を立てて焼ける鮎は、獲って来た本人曰く、獲れたて新鮮、小振りが目立つ近年にあっては極上の肉付き、とのこと。そして、実際に食してみては、納得。特に調味料を加えた訳でもないのに、非常に美味しいものであった。まあ、多分に空腹の影響があったろう。けれど、それを踏まえても、満足のゆく昼食であった。

 美味である。

◇ ◆ ◇

 昼食後、午後は古民家の家屋内部の掃除を行うこととした。具体的には、便所や台所を筆頭とした、水回りの掃除、整備である。何故かと言えば、食後、急に便意を催したからに他ならない。物を口にして、肉体が内に溜め込んだ物を排出して構わないと判断したのだろう。

 三日ぶりとなるお通じに、大慌てで便所へと駆け込んだ俺。しかし、そこは見事なボットン便所。加えて、蜘蛛の巣が縦横無尽に張られており、満足に用を足すことも叶わない。昨日に掃除を行った座敷にしても、蜘蛛の巣は幾らかあった。けれど、便所は面積が少ない為か、比較にならない密集具合である。小さいのは親指の先から、大きいものは拳大まで、大小様々な蜘蛛が二桁は巣食っていた。

 まさか、肛門筋を力ませたまま、排便可能な状態までへの掃除など、叶う筈もない。結局、屋外で野糞をする羽目となった。地べたにしゃがみ込んで、踏ん張り、顔を赤くする姿は情けないことこの上ない。

 しかも、これは少女にじっくりと眺められながらのこと。

 酷く屈辱的な経験をする羽目となった。他人の便をする姿など、何が面白いのだろう。逃げても逃げても、奴は延々と追いかけてきたのである。長いのぉ、臭うのぉ、とか要らんことを延々と排便の最中にくっちゃべってくれた。

 便所の改善は早急必至だろう。

「しかし、おい、流石にこれだけ集まると気味が悪いな」

「わらわらとおるな」

「どうしてくれよう……」

 一歩を踏み込むことも叶わないくらい、蜘蛛の巣は密に張られている。

 この調子では便所の下、溜め込みの内側にも巣食っているのではなかろうか。手狭い個室だからこそ、右から左まで蜘蛛の糸も余裕を持って届く。お蔭で幾つもの蜘蛛の巣が、互いにくっ付きあって、えらいこっちゃだろう。

「とりあえず、木の枝でも持ってくるか。流石に素手じゃ嫌だ」

「ならば儂が、こう、パパッと炎に燃やしてやろうか?」

「この家は木造だぞ? 阿呆なこと言ってんじゃないよ」

「むぅ……」

「っていうか、狐って蜘蛛くらい食えないのか? パクッといっちゃえよ」

「これを喰らえと?」

「いけるだろ? たしかカナブンとか食べるって聞いたぞ。雑食だろ?」

「誰があんな気持ちの悪いものを喰うものか。儂はグルメなんだ。美食家なんだ」

「ふん、贅沢な奴だ」

「だったらお前が食えばいい。腹が減っていたんだろう? 人間だって雑食だろうに」

「嫌だよ、こんな気持ち悪いの……。っていうか、さっき魚食べたし」

「ならさっさと掃除するがいい。腹も十分に満ちておるだろう」

「場所が場所なだけに、放っておけないんだよなぁ……」

 天気がよければ、外ですることも叶おう。しかし、雨が降ったりすれば、それに冬が来たら面倒だ。寒いし、雪が降ってはどうにもならん。第一、屋外で暢気に尻を出していたら、また、目の前の化け狐に笑われてしまう。

 仕方が無い、諦めて掃除をするとしよう。

「儂は座敷で横になっている。日が暮れるまでには終わらせておけよ」

「おい、ちょっと待てよ。少しくらい手伝うとか無いの?」

「こんな面倒なこと、誰が手伝うか」

「仮にも同居人だろう? 少しくらい手を貸したっていいじゃないか。昔の人はこう言っていたぞ? 人と言う字は、お互いがお互いを差さえあって、初めて描き成り立つ素晴らしい文字だって」

「儂、人じゃないもの」

「今は人じゃんっ!」

「第一、それは約束と違うのぉ? 儂は飯を探してくる役。お前は住居を提供する役。夕飯を食いたいのなら、馬車馬の如く働くがいい」

「な、なんだとっ!?」

「でなければ、あの猪は肉の一欠片、血の一滴足りともやらん」

「畜生……足元を見やがって……」

「ふはは、畜生に顎で使われるとは、ならば、お前は畜生以下だな」

「別にそういう意味で言ったんじゃねーよ」

「では、頑張って掃除するといい。儂は昼寝だ。存分に昼寝だ」

 俺が悔しがっている姿を見て楽しそうに笑いながら、少女は座敷の方へと歩み戻って行った。床板のギシギシと鳴る音が、段々と遠ざかっていく。その背が廊下の角を曲がり見えなくなるまで、恨めしくも眺めて、ハァ、溜息を一つ。

「やるか……」

 そんなこんなで、昨日に引き続き、今日もまた大掃除な日々である。当分はこうした生活が続くことだろう。外から眺めた感じ、この家はかなりの規模だ。一日や二日を費やしたところで終わるまい。

 ということで、まずは便所の蜘蛛退治。

 鎌の落ちていた勝手口に竹箒の立てかけてあったのを思い起こす。雨風に晒された為か、土埃に汚れて、所々はひび割れて、酷い有様であった。けれど、蜘蛛を叩くには丁度良い。駆け足に取りに戻り、一度、井戸水に洗って綺麗にする。それを屋外で思う存分に振り回しては水気を飛ばす。そして、再び屋内に戻っては便所の前へ。

 後は咆哮一発、覚悟を決めて振り下ろした。

 えいや、えいや、上から下へ、下から上へ、右から左へ、左から右へ。上下左右に激しく、張られた糸を引き千切るように動かす。粘着力に優れる糸は、すぐに竹箒の太い部分へ絡み付いていった。蜘蛛の巣は瞬く間に瓦解する。

 すると、それぞれの巣の主達が、驚いた様子で一斉に動き出す。その気色悪いことといったら、全身へ一斉に鳥肌が浮かんだ。しかも、竹箒による霍乱では、全てを打倒するに至らない。生き残って尚、柄にへばり付いた蜘蛛達が一斉に、俺の握る側へと凄まじい勢いで走ってくる。一匹や二匹ではない。それも拳大の大きさのものが多数。カサカサと擬音が聞こえてきそう。

「ぎゃー!」

 反射的に悲鳴が上がった。

 思わず手を離す。

 すると、竹箒はそのまま、便所の中へと落ちていった。

「あ……」

 へばりついていた蜘蛛も一緒である。

 目の前に設えられた代物は、年代を感じさせる汲み取り式便所であるから、竹箒は刷毛の側から便器へ頭を突っ込み、そのまま柄の端まで綺麗に消えて行った。最後にドサッと音がして、遥か数メートルの下、着地ならぬ着糞を伝える。

「あーあ……」

 やっちまったよ。そんな感じ。

 けれど、おかげで蜘蛛が一掃できた。

「まあ、いいか。ある程度は綺麗になったし」

 蜘蛛が居なくなり、これで便所の敷居を越えることができる。座敷と同様に積もり積もった埃を、靴の裏でに便所の中へと落とす。和式便器ならではだろう。また、便座の傍らに置かれた、小さな平たい木の箱に便所紙を発見。数十年の年期を感じさせる三つ折の和紙の数枚を手に取り、汚れの目立つ場所を拭った。かなり適当だけれども、これで清掃完了だ。

 そもそも雑巾だとか、クイックルワイパーだとか、そういった掃除道具が圧倒的に不足している昨今、便所掃除に割く清掃資源はこれ以上無い。少し悩んだけれど、まあいい、多少汚いくらいが丁度良い場所だろう。

 ただ、用を足している間に、下へ落ちた奴等が這い上がって来たらどうしようとか、少しばかり不安も募る。糞まみれの大蜘蛛が足元から這い上がってきたら恐怖だ。そう考えると、しばらくは用便も外で済ませるのが無難かもしれない。こちらは同居人に利用させて、様子を見るとしよう。

「よしっ……」

 そうして、便所の掃除を早々に切り上げた俺は台所へ向かう。

 毎日の生活の中で必ず必要になる設備だ。少女の言葉ではないが、便所と同様、早いうちに利用可能な状態としたい。猪の肉を調理、保存する場所だって必要だ。まさか、朝から晩まで木に吊るして置く訳にもいくまい。

 掃除は続く、まだまだ続く。

 終わりの無い古民家の再生計画だ。