金髪ロリ田舎暮らし日記

四日目

 その日、俺の目覚めは少女の悲鳴から始まった。

「ヒギャー!」

 過去に自宅で利用していた目覚まし時計より、尚のこと大きな声である。

「……あぁ?」

 目元を擦りながら、寝ぼけ眼に横たわる身体を起こす。胡坐となる。 

 すると、ドタドタ、足音が遠くから近づいてきた。

 数秒の後、部屋と廊下を区切る襖をスパァンと開く。見れば、着物を大きく肌蹴させた同居人が立っていた。駆ける調子をそのままに、涙目でこちらへと駆けて来た。床板から畳まで、一歩を進む毎に軋ませて、大した勢いだろう。

「く、蜘蛛がっ! 蜘蛛が尻にへばり付いてきおったぁっ!」

 語り掛けにシャツの胸元をガッシと両手に掴まれる。

「朝っぱらから賑やかな奴だな、おい」

「しかも三匹くらいいたっ! こう、足を伝って、ワキワキワキと這い上がって来たのだ!」

「あぁ……竹箒と一緒に落ちた奴か……」

「なんか痒いなぁとか思ったら、極大の蜘蛛じゃないか。おい、怖かったぞぉっ!?」

 それだけを聞いて、何が原因で何が起こったのか、一通りを理解した。地獄の底から這い上がってきた蜘蛛軍団の餌食となったらしい。昨晩は使わず過ごして正解だったと、己の判断を胸中に褒め称える。

「お蔭で眠気も何もかも吹っ飛んでしもうたわっ!」

「良かったじゃん」

「全然良うないわっ!」

 吼える化け狐の足元に、帯の緩んだ着物がとすんと落ちた。

 目の前に幼い裸体が曝け出される。

「……貧乳」

「うるさいわーっ!」

 間髪置かず、頬を殴られた。

 グーで殴られた。

 酷い話だろう。隠すところを隠そうともせず、思いっきり殴り掛って来たのだ。幾ら裸を見たからとは言え、まさか、殴られるとは思わなかった。避けること叶わず、構えること間々ならず、左の頬へ一撃を受ける。口の中にじわり鉄の味が広がった。

 都合、俺はそのまま、再び畳へと倒れる運びとなる。

「ぐふっ……」

 下が畳で良かった。

「それもこれも、お前が適当な掃除をするからだっ!」

「こ、この野郎……」

 目の前がチカチカとする。

 子供の癖にいいパンチを入れてくれるじゃないか。

「うぉあぁぁぁ、思い出しただけで鳥肌が立つ。あぁ、気色悪い。気色悪い」

「……だからって、痛ってぇ……俺を殴るなよ……」

「当然の罰だっ! 中途半端な仕事をしおってからに……」

 フンと裸のまま腕を組み、胸を逸らして、仁王立ちに語って見せる少女。寝転がった姿勢にあっては、股座から女性器の割れ目まで、全てが丸見えだ。特に陰毛の類の生えていない彼女だから、恥丘の形まで一目瞭然だ。けれど、相手は何を気にした風も無い。

 どうやら、今のパンチは貧乳の二文字が悪かった様子だ。

 しばらくもんどりをうって、痛みに耐える。歯が折れたり、頬骨にひびが入ったりはしていない。けれど、咥内を浅く切ったらしく、血の味が口の中に広がっていた。鼻血が出なかったのは幸いだろう。

「っていうか、それじゃあお前は、俺に、便所穴の中へ入れとでも言うのか?」

「それくらいの気概でやれ! お前は尻の穴を蜘蛛に這い回られた経験があるか? あぁ? 危うく足の一本が、糞に開いた穴へと入るところだったんだぞ! まさか虫に後ろを犯されるとは思わんかったわい」

「最高に嫌だな、それ」

「最高とか言うなよっ!」

 肛門筋でクシャリと潰れる拳大の蜘蛛とか、絶対に見たくない。

「ところで、その肝心の蜘蛛はどうしたんだ?」

「便所の穴へと払い落として、そのまま上から火を落としてやったわ」

「お、おいっ! ちょっと待てよっ!」

「どうせ燃えるものなど、糞くらいしか入ってあるまい。深く掘った地面の下のことだ。何が燃えたところで大した面倒になることも無い。でなければ、あの便所、二度と使うことなど叶うまいよ」

「…………」

 まあ、彼女の言わんとするところは最もなので、返す言葉を失う。

「あぁもう……朝っぱらから酷い目に遭ったわい……」

「まあ、災難だったな」

「人事だと思って、軽く言うてくれるのぉ?」

「だって人事だもん」

「くぅ……」

 クシャっと顔を顰めた少女が、恨めしそうにこちらを見つめてくる。

「ほら、それより、起きたんなら朝飯の用意しようぜ」

「……お前で勝手にやってろ。儂は外で尻を拭いてくる」

「って、お前、まだ拭いてなかったのかよっ!?」

「当然であろう? そんな余裕なんて、寸毫も無かったんだからな!」

「いや、威張るなよ……」

「ふふん、このまま顔の上に座り込んでやろうか」

 突然、少女の両足が、こちらの顔を跨ぐよう動く。

 そして、尻の穴を押し付けんと、膝を折り、しゃがみ込んできた。

「う、うぉわああああっ!?」

 それを畳の上、身を足の側へ動かすことで回避。本当、ギリギリ、危ういところで避けた。鼻先に匂った香りは、間違いなく糞である。口元まで菊門が迫っていた。何やら茶色いものがチョビチョビと付着しているのが見えた。ついでに尻の穴に挟まって、一本だけぶら下がる蜘蛛の足も見えた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 心臓がバクバクと強く脈打っている。

 あと僅かでも遅れていたら、丁度、唇にぶつかっていただろう。

「ちっ、避けおったか……」

「く、くく、糞ったれ!」

 自然と口からは罵倒が漏れた。

「あぁ、糞ったれだとも。次は絶対に座ってやろうぞ」

「そんな宣言しないでくれよっ! 本当!」

「儂はやると言ったら必ず実行するから、ふふん、覚悟しておけ」

「お、おい、冗談だろ!?」

 少女は頗る悔しそうな顔をして、ちらりちらり、こちらを振り返りながら、玄関の側へと去っていった。まさか、本当に座り込むつもりじゃないだろうな。そんな寒恐ろしい疑問が脳裏を過ぎる。

 まったく、寝起きから何をやっているのだろうか。

◇ ◆ ◇

 便所の一軒から、食事を挟んで一段落。

 昨晩に夕食として食べた猪の肉を、引き続き朝食として腹を満たした。朝から肉はどうなのよ、などと思ったけれど、塩すら振られていない素焼きの肉は、割と素直に胃へと収まっていった。満足である。

 然る後、顔を洗ったり、服を着替えたり、井戸水に洗濯をしたり、一日を始める支度を行えば、いつの間にか日が高くなっていた。あれよあれよと気温も上がってきた。今日もまた暑くなりそうである。

「さて、本日は家の間取り図でも作ろうか」

 座敷に腰を落とし、俺は畳の上に用意したボールペンとノートを眺めて言う。

「お前、自分の家の間取りも分からぬのか?」

「言っただろ? 俺は一昨日に越してきたばかりなんだよ」

「話くらい事前に聞いてなかったのか?」

 すると、即座のこと突込みを入れてくれる化け狐。

 糞に汚れた尻は、そこいらに生えている草の葉で拭いたらしい。

「間取りまでは聞いてなかったんだ。家や土地の書類は貰ったけど、間取りまでは書いてなかった。部屋数も書いてないし、分かるのは建物の面積くらいだな。あとは全部不明のままだ」

「なるほど。これだけ大きな家ならば、部屋数も相応だろう」

「あぁ、それは間違いないな。今の調子だと、掃除だけで夏が終わりそうだぜ」

「掃除はお前の仕事だ。儂は知ったこっちゃないがな」

「別に使わない部屋は後回しでもいいだろ? 実質、生活する分には縁側の隣の三部屋と、後は便所と台所と風呂くらいあれば十分だし。無駄に手を出して、維持に時間を取られるのも面倒だし」

「怠けると飯が減るぞ? 質が下がるぞ?」

「別に怠けてる訳じゃねーよ。そういう優先順位ってことだよ」

「ふふん、物は言いようだな。人間は言葉ばかり上手くなっていかん」

「それこそ物は言いようだろうが。別に怠けるつもりなんてねーよ。自分の家だし」

「なにおう?」

「いいから、ほら、俺は探検を始めるんだから、お前はさっさと飯を獲りに行けよ。手ぶらで帰ってきたら、今晩は外で寝かすからな? 庭で寝たら、今度は眠りを蜘蛛に襲われるぞ?」

「分かっているわい。今日もまた、そうさなぁ、目に物見せてやろうぞ」

「ああ、期待しているよ。ってことで、じゃあまた、昼頃にな」

「うむ」

 座敷より立ち上がった少女は、そのまま縁側より草履を突っ掛けて、家を囲う森の中へと消えていく。その背を俺は座敷の上から見送る。やがて、木々の合間に姿が見えなくなったところで、こちらも同様、本日の仕事を開始だろう。

 何故に見取り図の作成かと言えば、化け狐の言葉通り、自宅の全容を掴めていないからである。どれだけの部屋があるのか。何処に何があるのか。この程度は家主として早々に把握しておかなければ不味い。書類の上では築面積百坪とある。平屋であったも大した規模だろう。

「よし、それじゃあ行こうかベイビー」

 少しばかりテンションを高くして、畳から腰を上げる。

 だって探検、とっても探検、だから探検。

 男だったら何も思わない筈が無い。それが自宅ともなれば感慨も一入だろう。

 小さい頃、自宅で友達とかくれんぼをした記憶を思い起こす。そんな感じ。

 手始めに玄関と縁側、そこから続く座敷三つ間に加えて、割と玄関と近い位置にあった便所と台所、それぞれをノートの隅っこへと書き込む。風呂場はまだ見つけていない。凡そ、七割が依然として知れぬままの旅立ちである。

 手始めに座敷を出る。部屋を挟んで縁側とは反対側の廊下である。一方が襖で和室の並びと区切られているに対して、反対側は土壁漆喰塗りの壁だ。向かって左右に伸びており、左に折れては座敷に接するまで。右に折れては台所から勝手口、その隣の便所に至るまで、それぞれ確認が済んでいる。けれど、まだ廊下は先へ延々と伸びている。奥には果たして何があるのか、非常に気になるところである。

「…………」

 陽光から多少ばかり距離を置いて、色を濃くした板張りの上を壁に沿って進む。一歩を進む毎に、ぎぃぎぃ、鴬張りも斯くやあらんといった具合に音が鳴った。靴下越しに感じる床板の感触は、決して平面でなく、ところどころ、ごつごつとした凹凸を感じさせるものであった。

 やがて、距離にして数メートルやそこらを歩くと、すぐに突き当たりに達する。

 いわゆるT字路となっており、向かって左手は数メートルの後に行き止まり。他方、向かって右側は更に先が伸びている。後者は左右を壁や襖の類に囲まれて、窓らしい窓が無い為に、昼だと言うのに酷く暗い。突き当りなど外からの明かりも届かず真っ暗だ。

「……どんな家だよ」

 現代家屋の日照優先な建造を鑑みれば、嘘のような作りだった。

 左への分岐はひとまず放置して、一路、進路を右へと取る。

 周囲の段々と薄暗くなっていく様子に、少しばかり心許無い気分となった。これで、暗闇から蜘蛛やら百足やらが飛び出してきたら、ああ、どうしよう。そんな不気味な想像ばかりが膨らんでいく。まるでお化け屋敷さながらである。

 右に折れてから、しばらく歩くと、今度は左への曲がり角に至る。

 途中、廊下から部屋へ続くだろう襖や扉を幾つか見つけた。ただ、とりあえずは廊下を踏破せんと、全てを無視して先に進んだ。この度の左角も、躊躇することなく、先へ、先へと歩みを向ける。

 すると、今度は右へ、すぐに曲がり角が現れる。

 突き当たりからは、なにやら、上下に細い筋となって、二、三本ばかり、明かりの差し込む様子が伺えた。どうやら雨戸が閉じられており、隙間から太陽の光が入り込んでいる風であった。

「なるほど……」

 その下まで足早に歩む。

 縦に伸びた光の筋は、やはり、雨戸の合間より差し込む陽光である。古くなった木製の雨戸を指先に撫でて確認する。ごつごつとした気の感触が如実に感じられた。木目の浮き上がった表面は重ねた年月を如実に物語って思える。

 そして、右へと曲がった先、そこからは再び、真っ直ぐに廊下が伸びていた。

 光が漏れているのは曲がり角の近辺のみ。五、六メートルばかり進むと、雨戸の代わりに再び土壁漆喰塗りの壁や襖の類が続く。部屋に明かりを取り入れる為、廊下の配置は部屋と部屋に挟まれて、基本、薄暗いものとなってしまうようだ。これで雨戸を全開にしたのなら、多少は改善されるだろう。けれど、今は全てが締め切られており、夜さながらといった具合だ。

「っていうか、どこまで続くんだよ……」

 得たいの知れないものを感じつつ、足を進める。

 都内に住んでいた頃のマンションとは比較にならない規模である。

 右へ、左へと小刻みに角を越えて、ズンズンと先へ歩いていく。ともすれば、幾らかを歩んだところで、段々と周囲が明るくなり始める。それから更に歩むと、ふと記憶に新しい扉が、行く先向かって左側に現れた。つい先日に蜘蛛と一戦を交えた便所の戸である。

「あぁ、家の中を一周しているのか」

 ようやっと、妙に長い廊下の意味を納得した。

「けど、そうなると、廊下に囲まれた部分はかなり大きいな……」

 一体何が収まっているのか。自然と疑問が沸く。書面には建物の占める面積は百坪だと書かれていたが、とんでもない。歩いた感じ、それ以上ある。恐らく、倍以上あるに違いない。役所もどれだけ適当な計測をしたものか。貰った書面は随分と歴史を感じさせるものであったけれど、しかし、だとしても適当過ぎやしないか。

 そして、一番の疑問は家の建つ立地条件。どうして、このような田舎極まる辺鄙な場所へ、ここまで大きな家を建てたのか。当時の所有者は何者であったのか。また、何を考えていたのか。謎は深まるばかりである。

 ただ、謎は謎のまま、そこまで気にすることも無し。

「まあ、いいや」

 今に必要なのは、家がどういった構造や間取りにあって、如何なる欠陥を秘めているか、その点を解明することだ。生い立ちなど気にしている場合ではない。

 ひとまずは縁側のある和室へ戻り、今に歩んだ廊下を間取り図へ描き足した。家の外枠を囲うよう、廊下のマッピングが完了である。

「よし!」

 畳の上に置かれたノートを眺めて、一人、満足に頷く。

 そして、次なる目標は依然として知れぬ家の中央部分である。

 やたらと長い廊下に囲まれた謎の領域。

「行くぜっ!」

 探検、再びである。

 すぐさま縁側の座敷を後として、面する廊下より、接する壁の反対側を目指した。

 先刻に確認した廊下を早歩きに進む。三つ続きの座敷から向かって左へ舵を取り、角を一つ曲がったところで、一つ目の襖を豪快に開いた。滑りの悪い戸をガタガタと鳴らしつつ押し退ける。

 すると、何故か、その先にも並行して続く廊下。

 暗がりにあって、細かいところは知れない。けれど、恐らくは同じ作りをしているだろう。何気に眺めた感じ、襖一枚を除いて、他は完全に今し方まで歩んでいた廊下とは隔絶されている。土壁漆喰塗りの壁だ。

「あん?」

 多少だけ驚きつつ、今度はそちらの廊下を歩んでみる。

 廊下は大した規模を伴わなかった。襖を越えて左右に数メートル。突き当たりは右へ進めば左へ、左へ進めば右へと伸びる角となっている。つまり、中央に空間を置いて、周囲を囲い込むように廊下が繋がっていた。事実、足早に歩めば、角を四度だけ曲がり、今に越えた襖の敷居まで戻ってくる。そして、その間に一つだけ、更に内側へ向かい襖が設えられていた。

「なんだこれ……」

 妙な作りだった。

 加えて、段々と屋外より距離を置いて、周囲は暗がりを極めつつある。既に月の無い夜中にも等しい。これ以上を進んでは、それこそ、光源の一切合財が失われて、真っ暗になってしまうのではないか。

 とは言え、好奇心は止められない。

 更に内側へ向かい、廊下の一角に設けられた襖へと手を伸ばす。

 周囲を壁に囲まれて、このうちには何があるのか。

 滑りの悪い桟に乗る戸を開く。今までに開いてきた他の襖と比較しても、殊更に動きが悪い。普通に取っ手に手を掛けて押した程度では動じない。ガタガタと音を立てて、両手に戸の全体を浮かすよう、割と手間を掛けて開けた。

 すると、内側に待っていたのは、広さの知れない畳張りの和室である。

 何故に広さが知れないかと言えば、真っ暗で何も見えないからである。周囲一帯、非常に暗くあって、一歩を踏み込んで以後、そこから先は何があるのか分からない。一寸先は闇を体言する有様だ。

 ただ、靴下越しに伝わる感触から、足元に畳が引いてあることが伺えた。また、その畳にしても、昨晩、一昨日と寝泊りした縁側続きの座敷と比較して、妙にざらつきが少ない。状態が良いのだろうか。ささくれがあまり感じられない。

「何も見えねーよ」

 見えなければ、どうしようもない。

 まさか気の利いた照明器具など持ち合わせていない。

「…………」

 しばらく、じっと、暗闇を睨みつける風に眺めていた。

 けれど、幾ら待っても、一向に目が慣れてくることは無い。

 本当に、全く、寸毫として、光源となるものが無いのだろう。

 まるで洞窟にでも潜った気分である。

「仕方ない……」

 これ以上の探検は諦めるとしよう。

 まさか電灯の類が設けられているとも思えない。

 自宅に侵入不可能な領域があることには聊か憤慨。けれど、手の打ち様が無いのだから仕方無い。今度、化け狐に火の玉を出して貰って、それを光源に探検をするとしよう。でなければ、真昼間ですらこの有様。他所から懐中電灯を仕入れるのみだ。

「よし」

 すっぱり諦めて歩み来た廊下を戻る。

 襖や戸の類を元在った通り閉ざして、俺は縁側の脇の座敷へ向かった。

◇ ◆ ◇

「で、間取り図とやらは完成したのか?」

「おうとも、これを見ろよ」

 昼食の席、化け狐の取ってきた兎をモリモリと食べる。座敷の畳の上に敷かれた大きな葉っぱの上には、コンガリと焼けた兎肉があった。加えて、傍らには同じ大きさの葉の上に、木苺が幾らか積まれている。これが化け狐の午前中の成果である。

 他方、俺が提出したのは見開きのノート。二つ並んだ葉っぱの傍らに、今し方まで描き込みを続けていた代物を置いて見せた。そこには午前中に歩き回って確認した、この家の間取りが示されている。中央の部屋を除いて、一通り、部屋という部屋を巡っては、その位置と広さとを描き込んだ次第だ。

 そして、それらを間に挟んで向かい合うよう、俺と彼女とは座っていた。

 共に胡坐である。

「こんなものを描くのに何時間も掛けたのか?」

「うるせぇな、意外と大変だったんだよ。それに掃除っぽいことも多少はしたし」

 相手の言わんとすることは俺も理解できる。

 ただ、妙に建坪が大きく、想定したより時間が掛かってしまったのだ。それに間取り図を描くにしても生まれて初めてのこと。一度、予想外の規模に紙面を食み出しており、これは二作目となる。

「ところで、この何も描いてない真ん中の部分はなんだ?」

「あぁ、それなんだが、真っ暗で何も見えなかったんだ」

「お前、頭は平気か? 今は昼だぞ?」

「うるせぇよ。本当に真っ暗だったんだから仕方ないだろ? なんなら、午後はお前も付いて来ればいいじゃん。明かりが必要なんだよ。この兎を焼いたフヨフヨしたやつ貸してくれよ。それが無いと何も見えないし」

「ほぉ、ならば行ってやろうではないか」

「なんか妙な作りしてるんだよ。ほら、こことか廊下が二本並んでるし」

 片手に細切れとなった兎の肉を摘まみながら、空いたもう一方の手で、ノートに描かれた間取り図を指し示す。例の廊下が平行に接する箇所だ。襖一枚で仕切られて、内側には長方形の廊下と、それに囲まれた謎の暗闇空間が広がっている。

「お前が見間違えただけじゃないのか?」

「じゃあ、俺の見間違いじゃなかったら、明日の飯は木苺以外のデザート希望な?」

「良いだろう。代わりにお前の見間違いであったら、明日の飯はバッタだぞぃ」

「上等、殿様でも親子でも何でも持って来いってんだ」

 幾ら暗がりに在ったとは言え、まさか、見間違える筈が無い。つい先刻の出来事を思い起こして、明日の食事に一望の期待を寄せる。別に木苺に飽きたという訳ではない。まだ二度しか口にしていない。ただ、他にどんなものが生っているのか気になったのだ。

 行楽施設も少ない田舎に在れば、食事は数少ない娯楽である。それが周囲に樹木以外何も見当たらない山中だとすれば、それこそ、生き甲斐と言っても過言では無いだろう。決して向上心を失ってはいけないのだ。

 そして、食事が娯楽だというのなら、一つ、大きな不満が目の前の食事にある。

「しかし、これ、この肉、昨日も猪を食べてて思ったけど、もう少し味とか無いの? 凄い淡白じゃん。素材の味しか感じられないってのは、正直、贅沢が過ぎて俺の舌に合わないぜ」

 摘まんだ肉の一片(ひとひら)を眺めて言う。肉の加工は例によって、少女が摩訶不思議な力を振るってのことだ。目にも止まらぬ腕捌きにより、手頃な一口サイズに切り分けられてある。

「たしかに兎は魚の類と比べても幾分か脂や味が薄いかもしれぬな」

「塩とか無いの? 胡椒とか」

 濃い味に慣れた俺の舌は、更なる刺激を求めて止まない。

 具体的には照り焼きバーガー。

「先日には食う物にすら困る有様であった癖に生意気な奴だ」

「おうとも、人間様はこの世で最も贅沢な生き物なんだ」

「まあ、塩の類があれば越したことは無いが、この辺には岩塩も無かろう」

「それは困る」

「ならば、お前が人里へ降りて、適当に買って来れば良いではないか」

「しかし、金が無い」

「今の時勢、塩などそう高いものではないと聞いていたが?」

「残金三十五円だよ。幾ら塩が安くたって、買える訳が無いだろ?」

 言って、ズボンのポケットに入れっぱなしとなっていた財布を取り出す。紙幣など入っている筈がない。がま口の硬貨入れに十円玉が三枚と、一円玉が五枚だけ納まっている。後は図書館の利用者カードや、病院の診察券くらいなものか。改めて眺めて、酷く悲しい気持ちになった。

 少女もまた、身を乗り出しては、俺の財布の中を覗き見る。

「なんだ、使えない奴だな……」

「し、仕方ないだろ。持ってた分は全部取られちゃったんだから」

「盗みにでも入られたか?」

「まあ、そんなところだ。思い出しただけで腹立たしい……」

「ふふん、間抜けめ」

「うっさいな」

 心底人を馬鹿にした笑みを浮かべる化け狐を一睨み。その怒りをぶつけるように、手にした兎肉を口へと放り込んで、ぐっちゃぐっちゃと噛み閉める。肉自体は割合美味しいのに、味が無いから、なんて悲しい昼食だ。

「ともかく、この味の無い食事は改善要求を出したい!」

「儂にどうしろと?」

「どうにかして塩やら何やらを都合して欲しいんだけど」

「ならば、汗でも搾って出汁にするか? 今も随分と垂らしているではないか」

「お前はそれを自分で食べるのか?」

「自分のが嫌ならば、お前は儂の汗を搾って出汁にすれば良かろう?」

「全然良かねーよ」

「むぅ、注文の多い男だなぁ……」

 笑顔から一変して、酷く面倒臭そうな顔をする化け狐。

 無論、自分でも面倒な問題だとは理解できる。しかし、今の食生活を延々と続けていたら仙人になってしまう。肉体的には質実剛健であっても、精神的に干からびてしまう。俺はまだ十五だ。もっとリスクの高い食事を味わいたいとは、当然の願いだろう。

「まあ、そのうち考えるとするかのぉ」

「頼んだぜ!」

「気長に待つといい。この屋敷が綺麗になる頃には、飯も塩っ辛くなるだろう」

「そういう希望があるだけでも、こう、随分と日々のやる気が違ってくるよな」

「お前も開けっ広げに現金な奴だな……」

「包み隠すよりは全然マシだろ?」

「そんなの、どちらにせよ大して変わらぬわ。たわけが」

 そんな具合に二人で座敷の上、昼食を摂った。色々と不満な点は多いが、流石に昨日の今日である。今は我慢しておくとしよう。化け狐の言葉ではないが、こうして十分な飯が食えるだけマシである。本当。

◇ ◆ ◇

 食後、化け狐を連れ立って例の一室までやって来た。俺と彼女との前方には、一メートル程度の距離を置いて、ゆらゆらと空飛ぶ炎が浮いている。先刻には真っ暗で見えなかった室内が、明かりに照らされてぼんやりと視界に写る。

「どうだ? 真っ暗だろう?」

「うむ……なかなか奇怪な屋敷だのぉ……」

 入り口に立ち止まったまま、室内の様子を一頻り確認する。

 家の中央に位置する暗がりの部屋は、俺の想像した以上に大きかった。

 十数畳、もしかしたら二十畳を越えるかもしれない。

 また、この一室に限っては、他と比較して随分と小奇麗に感じる。先刻に足裏へ感じた通り、畳もささくれておらず、日が当たることも無い為か、色褪せることも無い。心なしか積もる埃の程度も少なく思える。

「妙な感じだ……」

「だろ? 明らかに普通じゃない造りをしてるって」

「まあ、間取りもそうなのだが、こう、雰囲気と言うか何というか」

「確かにお化けでも出てきそうだな」

「……お化け程度で済むならば良いが」

「なんだよそれ」

「どれ、入ってみるか。こうして突っ立っていてもしょうがあるまい」

「そうだな」

 先を進む少女連れ立って、部屋の内側へと歩みを向ける。

 少しばかり進んで中央に達すれば、狐火に照らされて、室内の全容が明らかとなる。四隅の奥まったあたりは、それでも影が落ちているけれど、大凡、どういった造りであるのかは確認ができた。

「やっぱ、かなり広いよな……」

「天井も少しばかり高いのぉ」

「あ、本当だ」

 少女の言葉に頭を先、色黒な見せ梁がドドンと伺えた。一抱え以上ありそうな、巨大な建材から成っている。気になって周囲を見渡せば、四隅の柱もまた、他の部屋と比較して幾分か太い。ここが家の中心だと言わんばかりの造りだろう。

「なんか、偉い人の部屋って感じ?」

「そうか? 儂には牢獄のようにも思えるが」

「牢獄?」

「だって、真っ暗じゃないか。この暗がりで延々と生活する気か?」

「あ……、そう言えば、電灯とか無かったんだっけ」

 幾ら周囲を見渡しても、明かりとなりそうなものは見つけられない。今ですら外は真夏の真昼間である。加えて、本日は雲一つ無い快晴日和。これ以上、外が明るくなることもないだろう。だと言うに、この暗さはどうしたものか。まさか、当時の利用者は、四六時中、蝋燭の類でも立てていたのだろうか。

「寝泊りするくらいならば良いが、一日を過ごすには気が狂うてしまうぞい」

「お、おうとも、それには同意せざるを得ないな……」

 言われてみれば、牢獄という表現も強ち間違いではないように思えてきた。広さばかりに目がいって、一番に大切なことを忘れていた。

「しかし、そうなると使い道がないよなぁ、ここ……」

「天井をぶち抜くか?」

「重々言っておくが、ここは俺の家だぞ?」

「だって暗いじゃないか」

「部屋は幾らでも余ってるんだから、使うなら他にすればいいだろうが」

「しかし、この部屋の小奇麗さは捨てがたい。畳も綺麗だし」

「言っておくけど、畳は俺のものだからな!」

「ケチ」

「うっさいな。そうさ、俺はケチな男なのさ」

「開き直りおったか」

「幾らでも開き直ってやろうじゃないか」

 下らない問答を繰返しつつ、部屋のあちらこちらを眺めていく。

 すると、ふと、足元に妙な違和感を感じた。

「あぁん?」

「どうした?」

「なんか、この辺、ちょっと変じゃないか?」

「変? どの辺りだ?」

「ここ、ほら、俺が踏んでる部分、ちょっと隣に立ってみ?」

「どれどれ……」

 なんだか、他と比べて少しばかり感触が軟い。踏み込んで体重を乗せると、下へ僅かばかり沈むのだ。そんな領域が正味畳一枚分だけある。床板が腐っているのだろうか。日光が当たらない部分は、木材も傷むのが早いのかもしれない。二人してグイグイと足元を足裏に押す。

「床板かのぉ?」

「腐ってるのは嫌だな……」

「どれ、開けてみるか?」

「なんか変な虫とか出てきそうじゃない?」

「では止めておくか」

「おう、そうしよ……」

 そうしよう。そう続けようとした。

 そこで不意に足元が崩れた。

「ぬぉあおおああっ!?」

「なんとっ!?」

 どうやら床板が畳ごと割れたらしかった。伊達に年季を重ねていない。二人分の体重を支えること叶わずに、みしりと音を立てて崩れた。結果、俺と少女とは床下へと身を落とす羽目となる。

 数十センチばかりの瑣末な落差ではあったが、予期せぬ出来事に身体のバランスが崩れた。危うく転びそうになったところで、傍らにあった化け狐の身体へと抱きつき、事無きを得た。

「なんだ、だらしない男だな」

「平然と立っていられるお前がおかしいんだよ!」

 超然として応える少女へ調子も荒く言葉を返して、大慌てに身を離す。そして、そのまま意識を他所へ逸らすよう、自らの足元へと目を向けた。足裏に与えられる均一な感触が気になったのだ。

 すると、案の定、そこには地面が無かった。

「おぉ?」

 代わりに木と鉄で造られた、妙に厳つい外観の扉がある。無論、扉と言っても、地面に対して水平に設けられているので、今に立つ足場そのものと称して良い代物だ。それが床板のへし折れた先に見つかった。

「何やらキナ臭いものが見つかったな」

「な、なんだよこれ」

「さぁて、開けてみなければ分かるまいて」

 扉は長く開かれた様子が見られない。金属で造られた取っ手口には、酷い錆が浮いている。また扉本体を形作る木板(もくいた)にしても、家の建材として利用されているものにと比較して、殊更に時代を感じさせる色艶具合だ。加えて、観音開きとなる戸の中央には、和紙が貼り付けられ封が為されていた。紙面には何やら解読不可能な字面の漢字が幾つも並んでいる。

「なんか妙な雰囲気があるよな、これ」

「うむ」

「もしかしたら、徳川の埋蔵金とか埋まってたりする?」

「都合の良い話もあったものだのぉ?」

「ここまでやっておいて悪戯ってことはないだろ」

「良いものばかりが埋まっておるとも限らんだろうに」

「ゴミとか?」

「どうだかな……」

 二人して床下から畳の上へ足場を移動。ついでに中央部が崩れ穴の開いたそれを、少女が軽く引っぺがす。幸い然して汚れてもいなかったので、そのまま部屋の壁の一辺へと立てかける。

「しかし、どうにも立派な扉だな」

「風格があるのぉ」

「何故に地面に向かってはめ込まれてるのかは謎だけど」

「地下へと続いておるのだろう」

「こんな古民家に地下室があるなんて驚きだな」

 ジッとしゃがみ込んで扉の詳細を伺う。それまで目の高さに浮いていた火の玉も、少しばかり下の方へ移動して、特に重点的に足元の様子を照らし上げる。一番に気になるのは、やはり、中央部に貼り付けられた和紙だろうか。

「ところで、これ、なんて書いてあるんだ?」

「お前、漢字も読めないのか?」

「う、うっせぇな。崩れた文字なんて読めるかよ。昔のだろ? これ」

「近頃の若いもんは馬鹿だのぉ……馬鹿だのぉ……」

 手の平を天井に向けて返した腕を肩の高さまで上げて、ここぞとばかりに首をすくめて見せる化け狐。その表情は漏れ無くしたり顔である。殴りたくなる気分を危ういところで押さえ込み、早く読んで見せろと顎で促す。すると、彼女は存分に俺を馬鹿にした後、明らかこちらを見下した態度で、和紙に書かれる文字を口とした。

「我ここに悪鬼を封印する。何者足りとも封を破るべからず」

「なんだそれ……」

「それはお前、絶対に開けるなってことだろう?」

「絶対に開けちゃ駄目なのか?」

「うむ、絶対に開けちゃ駄目だそうだ」

「そうか、絶対に開けちゃ駄目なのか……」

「どうするんだ?」

「まあ、絶対に開けちゃ駄目なら仕方ない。絶対に開けないでおこう」

「それで良いのか?」

「今は他の部屋の掃除で手一杯だ。それに例の土蔵も手付かずだろ?」

「あそこは酷かったのぉ……」

「まさか床下が綺麗な訳も無いだろうし、あの時みたいにカビがブワッと来るかもしれないじゃん。それでここの綺麗な畳が傷んだりしたら嫌だし、少なくとも自室を決めて、そこの畳と入れ替えてからだな」

「先の長い話じゃないか」

「別に使う予定も無いんだからいいだろ? 開けずに数十年も放置されてきたんだ。今更、一年や二年を放っておいたところで何が起こる訳でも無し。使って精々、物置にする程度じゃないか」

「自分の家の床下にこんなものがあって、良くまあ、心穏やかに居られるものだな」

「そんなの気にしたら負けだぜ」

「肝っ玉が大きいのか小さいのか、判断に迷うのぉ……」

「んじゃ、とりあず戻ろうぜ。午後は家の掃除を進めたいからな」

「まあ、この家はお前のものだからな。お前がそう言うなら儂はそれに従おう」

「居候の癖に偉そうなこと言ってんじゃねーよ」

「ふふん、儂が居なければ満足に飯も食えんくせに良く言う」

「そ、それは今後、ちゃんと改善予定だっつーの。自家菜園とか色々考えてるし」

「ほー、ほー、それは大層な考えだのー」

「うっさい、黙れ雌狐が」

「ふふん、精々吼えるがいいさ、雄人間が」

 そんな具合に、妙な発見はあったものの、自宅探検は一通りを終えた。中央の大部屋では畳には穴が開いたままだけれど、他に代わりになる物もなかったので、一先ずは放置することとした。床下は木の板で加工されてより、地面と直接繋がってはいない。しばらくはそのままでも大丈夫だろう。

 以後、午後は例によって自宅の掃除に明け暮れて、今日と言う日が終わった。