金髪ロリ田舎暮らし日記

七日目

 金目の物を探しに行くと言って家を出て行った化け狐。何処へ行ったのか知らないが、随分と遠くまで出たらしい。何故ならば、前日の昼に出て以降、一晩が経っても、依然として戻り来る気配が無いからだ。

「何処へ行ったんだよ……」

 居たら居たで面倒だが、居なかったら居なかったで落ち着かない。

 それもこれも、この家が妙に大きいから良くないのだろう。

 朝目覚めて、井戸水で顔や首周りを洗い、粘っこくなった口の中をゆすぐ。一頻り井戸水の冷たさを感じたところで、タオル代わりのシャツに顔を拭う。今日で引っ越してから一週間。長いようで短い、あっと言う間の七日間だった。

「ぷはぁ……」

 ゴクゴク、喉を水に潤して、酒でも煽ったように大きく息を吐く。

 化け狐は居ないが、俺には俺の生活がある。今日もまた我が家の掃除と励もうか。

 そう考えて井戸から家へと向かい歩む。

 そして、玄関を素通りして縁側へと腰を下ろしたところだった。

 不意に頭上から喧しい音が聞こえてくる。

「……またか?」

 耳に新しい機械音である。

 空を見上げると、遠くから何やら迫るものがあった。初めは黒い点であったそれは、段々と姿を大きくして輪郭を顕としていく。数十秒も眺めれば、相手が何であるか理解がいった。

 昨日と比較して、随分と厳つい外観のヘリコプターである。二周り以上も大きな全身と妙に分厚い装甲。大小合わせれば数も倍以上に増えたプロペラ。耳に届く駆動音も幾分か大きく響いて鼓膜を刺激する。

 しかも、何やら物腰も不穏な姿形である。主な原因は機体下部に取り付けられた筒状の何か。数本の金属でできた筒がまとめられて、正面へと向けられている。それが二対、右と左に分けて取り付けられていた。筒達の先端は凡そ大地を狙うよう構えられて、陽光に鈍い光沢を放っている。

「マジかよ……」

 武装ヘリだった。

 なんでそんな大層なものが我が家へやって来る。

「…………」

 俺の眺める先で、ヘリは古民家の上まで到達した。

 ただ、到達した時点で空中に待機。大地に下りることは無く、銃口をこちらへ向けたまま、空中に制止。ブロブロと非常に耳喧しい音を立てながら、数十メートルの上空に留まり、こちらを見下ろすように位置を取る。

「な、なんだよ……」

 十中八九であのキチガイ女だろう。

 心当たりがあり過ぎて頭が痛くなった。

『そこに住まう貧民共っ! 聞きなさい、そこに住まう貧民共っ!』

 何をするつもりかと眺めていた。すると、機体に取り付けられた外部スピーカーから拡張された女の声が届けられた。耳に新しい声色だ。自らを白人のクオーターだと豪語しながら、ほらみろ、流暢な日本語である。

『命が惜しければそこを退きなさい。これは脅しではないわよっ!』

「な、何するつもりだよ……」

『特に怪力な小娘っ! 直ちに退かなければ酷いことになるわよっ!』

 こちらの言葉を聞く意思があるのだろうか。勝手にペラペラと口上を続けてくれる。昨日に化け狐に痛い目を見せられて、色々と我慢が限界に達したらしい。随分と柔な堪忍袋だろう。

「てめぇっ! 何考えてやがるっ!」

 当然、こちらとしても我が家の存続が懸かっているので怒鳴る。

 すると、相手はそれに弾丸で答えた。

『これは脅しではありませんわよっ!」

 弾丸は正確に、俺の立つ位置から数メートルの距離へ着弾した。十数発から成る鋼鉄の塊が、バラバラとけたたましい音を立てて放たれる。それは地面を抉るよう大地へと突き刺さり、周囲へ土埃を舞わせた。

「うぉああぁっ!?」

 武装ヘリのガトリングに晒されるなど、生まれて初めてのことである。これで慌てなければ嘘だ。大慌てに足を躍らせて、俺は軒先から駆け出すと、家を囲う林の合間へと逃げ込むのだった。

『うふふふ、無様ですわねっ! 素直に言うことを聞いていれば、このような目に遭うこともなかったでしょうに。これが人としての格の違いというものですわっ! 思い知りましたことっ!?』

「……とんでもない馬鹿が来やがった……」

 どうすればいいんだ、こんな奴。

 木々の合間から空を見上げる。見つめる先にはホバリング中の武装ヘリ。

『どうやら、あの怪力娘は留守のようですわねっ!』

 アホ狐の姿が見えないことを確認して、キチガイ女が声高々に言う。まさか、あんなチビ一匹に重火器まで持ち出すとは、金持ちの考えることは分からない。

『上陸ですわっ! 一気に畳み掛けますわよっ!』

 つい先日に雑草を刈り込んだばかりの庭。バラバラと大きな音を立てて、ヘリが高度を落としてきた。土埃やら、刈って間もない草やらが、あっちへこっちへ吹っ飛ぶ。縁側を越えて、室内にまで至る。酷い光景だ。

「お、おいこらっ!」

 吠えてはみるものの、ヘリが怖くて一歩を踏み出せない。

 その間にもキチガイ女は意気揚々と地上へ降り立つ。その周囲には昨日にも数を増したボディーガードの姿。手には銃器を下げている。相変わらずのスーツ姿が、否応無く威圧感を感じさせる。

『行きますわよっ! 目的はこの家の中にある覇王の秘宝ですわっ!』

 一団は女を先頭として、縁側から宅内へ突入、我が家へと突っ込んでいった。

 もちろん、相変わらずの土足だ。

「おいこらぁああああっ!」

 声を上げると、返ってきたのは、パスン乾いた音。同時、俺の顔のすぐ橫を何かが通り過ぎる。背後を振り返れば、背面に立つ樹木の幹へめり込んだ鉛玉。

 マジで撃って来やがった。

「じょ、冗談じゃねぇよ……」

 ブルリと来た。もう一度やられたら漏らす自信がある。

 家か命か。どう考えても命だろう。

 けれど、家を失ったら、近い将来、割と本気で命がヤバイ。

「くっそっ……マジふざけんなよっ」

 ジッと見ているだけでは居られない。この際、強盗行為は諦めたとしても、家は無事に返して貰えるよう、交渉するべきだろう。

 となると、考えるべきは防具だ。流石に銃はヤバイ。借金取りのヤクザも、ここまでファンキーではなかった。むしろ今のと比べれば、可愛らしく思える。

「な、鍋とかっ! そういうのだよなっ」

 大慌て、俺は家の脇に建つ土蔵へと向かった。

 あのアホ狐が開くだけ開いて、速攻で調査を諦めたそれである。

「っしゃっ……」

 南京錠は千切られたままだ。扉は俺の力でも開くことができる。錆び付いた取っ手に両手を掛けて、ゆっくりと開く。ズズズ、扉と枠の擦れ合う音。途端、鼻に香るのは圧倒的なカビの匂い。

「くっせっ……」

 口元を片手に押さえながら、ゆっくりと足を踏み入れる。

 土蔵の規模は傍目に眺めた限り、大凡八丈ほど。二階建ての少し大きめな物置といった具合。棚の類いが右に左に並べられて、生活雑貨から、用途不明の土偶まで、色々なものが陳列されている。

 全ては例外無く埃を被っており、触れると数ミリの厚みを伴い、指先が沈んだ。本宅にも増して長い期間を放置されてきたのだろう。収められているものも、かなりの年代物に思える。

 薄暗い室内、半開きの扉から差し込む明かりに照らしだされた色々。

 歴史の教科書にしか見つけられないような骨董品が多数だ。千歯扱きやら、火鉢やら、刺股やら、半鐘やら、なんとなく形状から推定できるものが三割。残る七割はまるで用途不明の物品たち。

 下手に動き回っては大変なことになる。できる限り埃を飛ばさぬよう、慎重に一歩、また一歩と足を進めた。目的は防具。鍋でもフライパンでも良いから、身体へ巻き付けるに都合の良い金物を探して物色だ。

 すると、ふと向かう先、目に付いたものがあった。

「……なんだよこれ」

 それは床に設えられた両開きの扉だった。

 本来ならば壁に見つけるべきものが、足下に発見された。

「鍵、掛かってないのか」

 しゃがみ込んで詳細を確認する。今に呟いたとおり、鍵の類いは見つけられなかった。恐らく、引っ張れば開いてくれるだろう。床が板張りであるに対して、扉は全体が金属に作られている。大きさは一メートル四方。

 怪しさ爆発である。

 どこかで見たぞ、こういうの。

「……気になるな」

 今はそんなことをしている場合じゃ無い。百も承知である。けれど、こんな状況だからこそ、勢い任せに進めるところまで進んでしまうのも悪くはないのでないか。少なからず自棄糞気味であった心中も手伝い、俺は取っ手を掴んだ。

「っしゃぁああああっ!」

 そして、力一杯に左右の扉を引き持ち上げた。

 圧倒的な手応え、腰を入れて踏ん張ると、ズズズ、低い音と共に扉が開く。かなり重い。正直、長くは支えていられないだろう。

 一気に縁より剥がすべく、俺は全力でもって、それを引っ張り上げた。

 自分の足へと落ちないよう意識して、持ち上げた金属扉を床へと落とす。ドスン、周囲の埃を大きく舞わして、両方の扉が倒れる。

「マジか……」

 姿を現したのは、下へ続く階段だった。

「なんつーか、先の読める展開だよな」

 今に居る場所は土蔵の一階だ。下へ伸びるということは、すなわち地下。加えて、俺はこれと似たような扉を、地面の下へ向かう扉を、つい先日にも発見している。周囲には他に建物も無いのだから、まさか、無関係である筈が無い。

「……い、行くかっ……」

 冒険心をくすぐられる展開だ。

 一般家庭のそれと比較しては、圧倒的に急な作りの段差を降りて行く。こちらもまた床と同じ木製。一歩を踏み進める毎に、ギシリ、ギシリ、軋む音が響く。途中で砕けたりしないだろうな、などと心配しながらの下り道。

 段差を全て降りると、先にあったのは通路だった。

 地中をくり抜いただけの、土壁に囲まれた、幅一メートルと少しの狭い道である。凄い圧迫感を感じる。途中には明かりの類いも皆無。降りきってしまうと、文字通り一寸先は闇状態である。

「マジかよ……。どんだけ暗いんだよ」

 お天道様の有り難みを肌に感じる瞬間だ。

「……い、行くか」

 まさか照明器具など持っていない。あのアホ狐が居たのなら、例の火の玉を出して貰えただろう。けれど、今は無い物ねだり。

 仕方なく、両側の壁にそれぞれ手を突いて、手探りに歩を進めることとした。

 何かあったら、すぐに戻ると決めて。

◇ ◆ ◇

 時間にして数分程度だろうか。

 前も後ろも真っ暗な通路を歩くことしばらく。一歩を踏み出すにも、慎重にならざるを得ないので、距離にしては僅か二、三十メートルといったところ。途中に落とし穴が仕込まれている可能性だってゼロではない。

 そんなこんなで、そろそろ戻ろうかな、などと考え始めた頃合の出来事だった。

「あ……」

 向かう先、僅かに明かりが見えた。

 前方数メートルの地点、暗がりに滲むよう差し込む輝き。上の方から差し込むよう、ほんの僅かな光が確認できた。周囲が真っ暗だからこそ、辛うじて視認できる。

 思わず歩を止める。

 すると、向かう先から聞こえてきたのは、人の声。しかも、つい先程に耳とした、成金女のキンキン声だった。距離がある為か、こちらとの間に何か挟んでいるのか、その音は若干遠く聞こえる。

「どういうことですの? どうしてこんな紙の一枚が取れませんの!?」

「し、しかし、ナイフで削っても傷一つ付かないとなると……」

「ナイフが駄目なら銃を使いなさい! この厳重な封を見れば明らかでしょう!? この先にあるのは、間違いなく覇王の秘宝に違いありませんことよっ!」

「銃など無理です。跳弾で我々まで危ういですよ、お嬢様」

「だったら、どうやって開くというのっ!?」

 ヒステリーを起こして思えるお嬢様と、お嬢様のボディーガードとのやり取り。言葉の端々から、何となくだが、奴らの対面する問題が窺えた。

 恐らくは、俺がつい先日に目の当たりとした扉に、お嬢様一行もまた辿り着いたのだろう。真っ暗な部屋の畳下に見つけた例の鉄扉。そこに張り付けられたお札。これらを指しての話に違いない。

「どういう位置関係だよ……」

 思わず呟いてしまう。アホ狐曰く、開封厳禁の扉である。

 もしかして俺は、例の扉の下に居るのだろうか。

 だとすれば、あのお札が貼られた扉は、なんの為のものだと言うのか。

「こうなったら、このボロ小屋を吹き飛ばしますわっ! 地下にあることが分かったのですから、地上施設など不要でぇすわ! これなら銃だろうが火炎放射器だろうが、火器解禁ですわ!」

「分かりました。ヘリの武装で吹き飛ばしましょう」

「さぁ、そうと決まれば、さっさと外へ出るわよ! こんな埃臭いところにこれ以上居たら、髪が傷んでしまいますわ! 陰気くさいし、薄暗いし、とんでもない場所よね!」

 いや、今は両者の位置関係に悩んでいる場合じゃない。

 あの女、とんでもないこと言ってるよ。

 このままでは我が家が吹き飛ばされてしまう。

 だがしかし、真正面から抗議してどうにかなるもんじゃない。絶対に撃たれる。アイツら金持ちは、庶民の命なんて、なんとも思っちゃいないだろう。俺みたいな貧民が相手となれば、尚更だ。

「糞っ、どうすりゃいいんだよ……」

 ひとまず戻ることとしよう。

 今に交わされた言葉が本当なら、ここに居るのは危険だ。ヘリの下に生えた鉄砲が、どの程度の威力かは知れない。地下に居れば、或いは安心かもしれない。けれど、万が一を考えれば、十分に距離を取りたい。

 再び暗闇の中を手探りで移動する。

 帰りは行きより幾分か早く進むことが出来た。

 かと思われた。

「うぉ!?」

 左手の先にあった感触が、急に失われた。

 どうやら、壁が無くなったらしい。

 行きには気づけなかった。恐らくはT字路にでもなっていたのだろう。壁があるとばかり考えていた為、バランスを崩してしまう。身体は橫に倒れて、肘や腰から地べたへと転がった。

「ってぇ……」

 完全な暗闇の中での転倒。

 かなりの恐怖だった。

 痛みも普段の五割増しといったところ。

 ただ、下手に騒いでは上の連中にばれてしまう。必至に声を押し殺して、痛みに耐えた。きっと、あちこち擦り剥いていたりする筈だ。明かりが無いので、怪我の具合を確認することもできない。

「……くっそ」

 愚痴など小さく漏らしつつ、なんとか立ち上がる。

 すると、俺が膝を伸ばしたところで、不意に音が響く。

「……なにぃー? にんげん?」

「え!?」

 人だった。人の声だった。

 一寸先すら窺えない真っ暗闇の中、確かに他人の声が聞こえた。歳幼い童女を思わせる声色。今年十五を迎える俺より、更に二回りほど小さな相手として感じられた。あのアホ狐くらいだろうか。

 そして、それは決して幻聴の類いではなかった。

「にんげん? にんげんかー。にんげんなんて、どれくらいぶりだろう……」

 口調は穏やかだった。

「だ、誰か居るっ!? おい、お、おいっ……」

「いるよ。いるいる。見えないけど、きっと近いよ」

「マジかっ!? 居るのかっ!」

「うん」

 居るらしい。なんてこった。未知との遭遇だ。

 相手の姿はまるで見えない。

 流暢な日本語なので、きっと日本人だろう。しかし、何故にこのような場所にいるのか。あの糞重たい扉を開けて入ったのだろうか。勝手に閉まって、中から出られなくなってしまったとか。だとすればいつ頃からいるのか。

 考えると、寒恐ろしい話だろう。

「だ、大丈夫なのか?」

 陽光が届かないとは言え、この場もかなり熱い。三十度は超えているんじゃなかろうか。気温は外と比べて控えめであるけれど、風が吹かないのでじんわりと熱い。長居したい場所じゃない。

「平気だよ。おかまいなくー」

「そ、そか」

 構わなくて良いらしい。

 それならいいか。

 いや、良くない。この場所は爆撃予定地だ。

「いや、おかまうんだって。ここはヤバイから、ちょっと一緒に来いよっ」

「え? いっしょ?」

「ここに居るとスーパー危ないから、ほら」

「えー、でも、いいのかなぁ……」

 周りが見えないので、脱出を促すにしても上手くいかない。

 しかたなく、闇雲に腕を動かしては相手の位置を探る。

 すると、多少を模索したところで、指先に何かが触れた。

「あ、いま、触ったよ」

「この辺か?」

 今一度、腕を伸ばすと確かな感触。人間の肌の感触。恐らくは衣服だろう、ごわごわとした布越しに、とても柔らかな弾力があった。

「うん、おなか、おなか触った」

「腹かよ? お前もこっちに腕とか出せよ。声で少しは分かるだろ?」

 一歩を踏み込んで、相手の位置を探る。

 すると、再び指先に何かが触れた。

 さっきより確かな感触。さっきより柔らかな感触。

「あ、いま、おまた触った。おまた」

「うぉっ、ご、ごめん」

 咄嗟、腕を引っ込める。

「っていうか、どういう姿勢してるんだよっ!?」

「よつんばい」

「なんでだよっ!?」

「そういうふうになってるから」

「いや、意味が分からないから」

 動く気がないのだろうか。それとも、何か良くない状況に追いやられているのか。いずれにせよ、表情すら窺えないので、確認する術はない。

「じゃあ、あの、ほら、腕、腕を出せよ」

「いいの? 大変なことになるよ?」

「ここに居たらもっと大変なことになるんだよ。いいから来いって」

「……やっぱり、よつんばいが楽しいから、ここにいる」

「なんでそんなもんが楽しんだよっ!?」

 思わず声も大きく叫んでしまう。

 ハッとして、思わず両手に口を塞ぐ。けれど、他に何か音が続くことは無かった。もしも上の連中が俺に気付いていたのなら、何かしら反応がある筈だ。恐らく、既に家を後としたのだろう。

 このままでは本格的にヤバイ。

「ああもう、ちょっと待ってろよ。あかりとか持ってくるからっ!」

 安穏とした言葉を返す相手に焦りを感じて、俺は勝手に動くこととした。

 手探りで元在った一本道を探り当てる。

 足下に気をつけながら、急ぎ足で行きとは逆に地下通路を進んだ。

 往路の数分の一も必要と為ずに復路は過ぎる。幾らか歩んだところで、頭上から差し込む光が見えた。その下には階段が伸びて、数メートルの上、埃っぽい土蔵へと続いている。鉄扉は開かれたままだ。

 これを急ぎ足に駆け上がり、土蔵へと戻る。

 埃とカビの匂いにむせながら、俺はその中を漁った。何か明かりになるようなものを探してのこと。これだけ色々とあるのだから、一つくらい、そういう用途の道具がしまわれていたっていいじゃないか。

 携帯端末の一つでもあれば、全て解決するのだけれど、そんなハイテクはない。全部、ヤクザに持ってかれてしまった。

「なんか、なんか、なんかっ!」

 急がないとヤバイ。

 土蔵の外からは、いよいよヘリのプロペラが回り始める音。

 いくら家とは別に建っているとは言え、同じ敷地内である。流れ弾が当たらないとは限らない。というか、絶対に飛んでくる。間違いなく飛んでくる。

 この際、家は諦めた。けど、あの子だけはなんとか助けたいところだ。

「っていうか、下の方が安全な気がしてきたぞ!」

 階段は割と長かった。途中で坂になっている気配も感じられなかった。ヘリコプターに積まれた火器がどれほどのものかは知れないけれど、数メートル厚の地面を貫通するほどの威力はないような気がする。

「むしろ俺がヤバイじゃんっ! 俺がピンチじゃんっ!」

 危険は俺だ。バカは俺だ。

 ヘリが動き出してしまっては元も子もない。下で転んで時間を取られた為か。今からでは逃げ出す余裕もなさそうだった。こうなったら、一蓮托生、あの正体不明な声の主と、地下に耐えるしかあるまいて。

「うおぉおおお、ちっくしょうっ」

 さらば我が家。僅か数日の居住となるとは思わなかった。

 悔しさを胸に抱えながら、今に上がってきた階段を逆に下る。

 急な階段を一段抜かしで下へ、下へ。

 半分くらいを下ったところで、頭上より届けられる激しい音。ヘリによる掃射が始まったようだった。あのキチガイ女、本当に撃ってきやがった。もしかしたら、脅しかも知れないと、そんな淡い期待は完全に失われた。

「ちっくしょう、マジで撃ってるよアイツらっ」

 ズガガガガと腹に響く音の連なり。どでかいサブウーハでも鳴らしたようだろう。火薬の爆ぜる甲高い音も合わさり、とても賑やかだった。

 せっかく掃除したのに。

 明日からどうすりゃいいんだよ。

「っと……」

 足が地面に触れる。

 最悪、明日からこの洞穴で生活する羽目になる訳だ。上から注ぐ光に名残惜しいものを感じた。外の様子を確認したくなる衝動を押さえて、歩みを前へ。

 憂いを胸に、俺は通路を先へ進んだ。

 距離にして、体感で数十メートル。屋敷と土蔵の位置関係を考えれば、途中で曲がるなり、とぐろを巻くなりしているのだろう。あまりに暗いので分からないが、これは間違いないと思う。

「……そろそろだと思うけど」

 だいぶ小さくなったが、ヘリの攻撃は未だにズズズズンと響いて聞こえる。やはり、銃弾は地下まで届かないようだった。下手に逃げるより、こちらへ潜っている方が、安全であったようだ。

 断続的な音に気を取られながらも、先程に転がった辺りへと至る。

 両側の壁に触れる手の片側から、その感触が不意に失せた。

「っと、ここか」

 今度は転がることなく、一路、窪みの先へと進路を取る。

 そんな俺に向けられたのが、先程にも出会った推定童女からの声。

「あ、また来たよ、にんげん」

「き、来ちゃ悪いかよ? 避難してきたんだよ」

「ひなん?」

「そうだよ。上はとんでもないことになってんだよ、マジで」

「うえ? 外のこと?」

「おう、外だよ、外」

「へー、そうなんだ」

 相手の答える調子は、やはり、穏やかなものだった。幼い声色と相まっては、とても子供らしい響き。

 心中穏やかでない俺とすると、どうにも落ち着かない温度差だろうか。

「っていうか、いつから閉じ込められてたんだよ?」

「え?」

「だから、いつからここに居るんだよ? ここ数日、アホ狐しか見なかったぞ」

「さぁ?」

「いやいや、さぁはないよな? そりゃ真っ暗かもしれないけどっ!」

 どうにも会話が噛み合わなかった。

 もしもここへ足を踏み入れる機会があったとすれば、あの狐が土蔵の出入り口を引き千切ってから、俺が確認するまでの数日だろうか。

 まあ、こんな辺鄙な場所までやってきたほどなのだから、こいつもまた、相応の事情を抱えているに違いない。俺みたいに良くない輩に追われているのかも知れない。

「言いたくないなら、無理して言うようなことじゃないけどさ」

「言いたくない訳じゃないよ。分からないだけだもの」

「なんだよそれ」

 階段から足を滑らせて、頭でも打ったのだろうか。

「あ、静かになった」

「ん? あぁ、そうだな……」

 断続的に響いていた地上からの音が止んだ。地下は元の静けさを取り戻す。

 きっと俺の家が更地になった証だ。

「くっそ、明日からどうすりゃいいんだよ」

 いっそ、この地下道で過ごすか。

「どうしたの? 元気ないね」

「俺の家がぶっ壊れたらしい」

「家が壊れたら大変だねぇ」

「まったくだろ。明日からどうやって生きてきゃいいんだよ……」

「……ここで暮らす?」

「嬉しい提案をありがとうな。もしもの時は頼むわ」

「お布団を用意してまってる」

「マジか」

 この年でホームレスになるとは思わなかったぜ。いや、土地はあるから、厳密にはホームレスじゃないのか。でも字面的には正しいか。どっちでもいいや。

「くっそ、とりあえず確認だな……」

「またいくの?」

「おう。騒々しくしちまって悪いな」

「べつにきにならないよー」

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

 真っ暗闇の中、手探りで移動を始める。向かう先は土蔵へ通じる側の扉だ。せめて土蔵だけでも残っていてくれれば、とは切なる願い。

 家がなくなっては、あのキツネからの援助も受けられなくなってしまう。そうなっては飢え死にだ。我が家のライフラインはヤツの手中にある。

「……大丈夫だよな」

 慎重に歩みを進める。

 階段を上って、頭上、ゆっくりと扉を開いた。

 案の定、土蔵もまた半壊していた。眺める先、屋根に大きな穴が幾つも空いている。内部に保存されていた数多の用途不明品は、大半が砕け散って床に落ちている。舞い上がった埃が、霧のように視界を遮っていた。

 酷い光景だった。雨風凌ぐどころか、倒壊の危険大である。

「やっぱりか……」

 土蔵がこの様子では、本宅はガチで更地だろう。俺は大慌てに扉から這い出す。そして、土蔵から屋外へと出た。

 何よりも先んじて目に入ったのは、見事に潰れた我が家の姿だった。

 元がどのような形であったのか、それすらも窺えない。僅かばかり基礎を残す限り。しっちゃかめっちゃかに木材が散らかっている。

 せっかく掃除したのに。風呂も入れるようにしたのに。

 ショックだった。とてもショックだった。僅か数日を過ごした限りにありながら、思わず眦に涙が浮かんでしまうほど。なんだろう、この感覚は。

「俺の家が……」

 その傍らへと、今まさに武装ヘリが着陸した。

 プロペラの回転が止まるに応じて、内側から例のお嬢様とお付き男二名が姿を現す。例によって後者はスーツ姿のマッチョメン。しかも今回は、その手にサブマシンガンを携えての登場だ。まさかモデルガンだったりしないだろう。

「マジかよ……」

 これはもう諦めるしかないのかも知れない。

 命あるだけ幸せなのだろう。

 とか、色々と諦めモードになった。

 だって仕方がないじゃない。ヤクザが取り立てに来た際に学んだのだ。権力には勝てない。どんだけ頑張っても、群れた人間の、それも性根の腐った連中を相手にしては、個人なんて弱いもんだ。

 憎い。憎いには違いない。

 けれど、こうまでも清々しく壊されてしまっては、文句を続けたところで、きっと、何が生まれることもないだろう。むしろ、更に色々とむしり取られるのがオチだ。実家はそうして無くなった。

 なんて、俺が絶望していると、ヘリからお嬢様のお出ましだ。

「ふふん、ようやっとボロ小屋の掃除が終わりましたわ」

 腕を組み。仁王立ち。吹き飛んでしまった我が家を眺める金持ちの図。

 ニヤリ、その表情は楽しげに笑っている。キッーなんて憎い。後ろに控えてくる黒マッチョさえいなければ、それとヘリさえなければ、無理矢理にでも組み伏して、どうにでもしてやるのに。

「さぁ! 行きますわよ!」

 ズビシ、我が家跡地を右手の人差し指に指し示して、意気揚々と歩み出す。その後には銃を構えた大男が二名続く。サングラスに黒スーツ。共に白人だ。手を怪我していないので、先日に来たヤツとは別人だろう。

「クソ、あのチビっ……」

 その様子を隅っこの方から木々の影に隠れて見つめるのが俺。

 なんて情けないんだよ。

 そうこうしている内に、お嬢様一行は屋敷跡地の中心部、恐らくは例の真っ暗な部屋があっただろう地点まで、歩みを進めていた。

 三人とも、なにやら足下へと意識を向けている。スーツマッチョの片割れが、しゃがみ込んでは、地べたに向かい手を動かし始める。

 例の地面直付けとなった扉を開くつもりなのだろう。

 だがしかし、しばらくを待っても、扉が開く様子は見られない。もう一人の男もまた、そのすぐ隣にしゃがみ込んで、作業の手伝いを始めた。けれども、一行に状況は進展を見せない。

 ややあって、お嬢様がキレた。

「どうして、どうして、どうしてっ! こんなフタの一つも開けませんのっ!?」

 どうやら開かないらしい。

 武装ヘリの掃射に耐えた点からして、普通の扉ではないのかも知れない。我が家のライフライン狐と同様、不思議な力に守られているのかも知れない。

 とは言え、土蔵からは出入り自由なのだがね。

「…………」

 他にやることもなくて、黙って三人の様子を眺めていた。

 すると、それはやってきた。

「うぉおーい! いま帰っ……」

 元気一杯に声が響いた。ガサゴソ、草木をかき分けるように、林の合間から姿を見せたのは、他の誰でも無い、アホ狐だ。

 その手にはなにやら、腕輪のようなものが握られている。金属に作られたそれは、キラキラ、陽光を反射して輝いていた。

 非常に分かり易い金目の物だ。これを力一杯、頭上に掲げるよう、右腕の先、振りかざしてのことである。

 この山の中のどこを探せば、そんなものが出てくるんだよ。

「って、なんじゃこりゃー!」

 帰宅の挨拶も早々に失われ、次いで響いたのは驚きの声。

 その場に棒立ちとなり、吹き飛んでしまった我が家を眺めては唖然。ポンと可愛らしい音と共に、頭には耳が、お尻には尻尾が現れる。どうやら、驚くと飛び出るらしい。妙な仕組みである。

「むっ、あの暴力娘が来ましたわねっ!」

 他方、相手方もまた、彼女の存在を理解して、咄嗟に身を構える。伊達に昨日、マッチョのボディーガードを圧倒していない。

 男二人は即座に立ち上がり、懐から銃を取り出した。構えられた銃口、照準の定められた先には、今にやって来たばかりのアホ狐がいる。

「お、おいっ! ちょっと待てよっ!」

 まさか、放っておく訳にはいくまい。咄嗟、俺もまた飛び出していた。崩れかけた土蔵脇、木々の合間より飛び出して、アホ狐の元へとダッシュだ。

「むっ、おいこらっ! これはどういうことだっ!?」

 俺の姿を見つけて、尻拭き狐が問うてくる。

 ピンと釣り上がった眦は、決して小さくない憤怒を伝えてくれる。

「見りゃ分かるだろっ!? アイツらが家をぶっ壊しやがったんだよっ!」

「ほぉう。この儂の家を壊すとは、大した度胸じゃのぉ」

「俺の家だよ!」

 こちらの突っ込みを無視して、ゆらり、お嬢様一派へと向き直るアホ狐。

 なんて自己中なヤツだ。

「やっておしまいなさい!」

「はっ!」

「了解しました」

 事前にその相貌を伝えられていたのだろう。歳幼い狐娘を目の当たりとして尚も、男二人は冷静であった。拳銃を構えたままの姿勢で、こちらへ向かい駆け足に迫る。

 なんつーか、ガチで撃ちに来ている感が凄い。

 次の瞬間には映画のやられ役よろしく、地に伏す自分の姿が想像された。

「お、おいっ! いくら何でもっ……」

 拳銃はヤバイだろう。

 言葉を続ける間もなく、拳銃は発砲された。

 パァン、パァン、数メートル越しに打ち出された。

「ひっ……」

 咄嗟、頭を両腕に抱えて地面に伏せる俺。対して、そのすぐ傍らにあって、アホ狐は微動だにしない。真正面より打ち出された銃弾を前に、ピクリとも動かなかった。

 撃たれたと思った。

 死んだとも思った。

 だって銃だぞ。幾ら火の玉とかフヨフヨできても、銃は無理だろう。

 しかも男が持ってる拳銃は、非常に厳つい代物だ。映画や漫画の中でしか見たことない、とても口径の大きな銃だった。あんなもんで撃たれたら、撃たれた部位が丸ごと吹っ飛ぶのではなかろうか。

 そんなふうに思っていた。

 だから、次の瞬間、アホ狐の見せた振る舞いには驚いた。

「この程度の鉛玉で儂を殺せると思うたか?」

 語り見せる彼女の正面、空中に静止しているのは、間違いなく今に打ち出された拳銃の弾丸であった。顔から十数センチの先で、数発が宙に浮かんだまま止まっている。まるでそこだけ、時間を止められてしまったよう。

「マジか……」

 なんでもありだな、この狐。

「なっ……」

「そんな馬鹿なっ!」

 男二人もまた、目の前の出来事が信じられないとばかり、戦きに身を固めていた。銃を撃ち出した姿勢のまま、カチンコチン、硬直である。

「後悔しても、もう遅いぞぉ」

 一歩、アホ狐が歩みを進める。

 ざらり、草履が土を踏みしめる音が響いた。

 咄嗟、正気に返った男の一人が、全力でヘリへ向かい走り出した。同時、もう一人の男は、背後に立ち呆けるお嬢様の元へと急ぐ。

 前者は早々のこと、操縦席に収まり、ヘリを起動させた。プロペラが回り始めて、轟々と激しく風がはためく。

「こ、こらっ、いきなりなにをしますのっ!? 変なところに触らないで頂戴!」

 一方でお嬢様を確保した片割れは、急ぎ足に森の中へと逃げ出した。ギャーギャーと喚く鳳凰院なんとか子を、お嬢様だっこの上、緊急輸送だ。

 だから、相手が何を考えているのかなんて、簡単に想像できた。

「お、おいっ! ヤバいぞっ!? 俺らも逃げるぞっ!」

 大慌て、立ち上がった俺はアホ狐の腕を掴む。

 そのまま森の中へ向かい、走りだそうとした。

 けれど、一歩を踏み出そうとした途端、握る腕が一ミリ足りとも動かなくて、ガクン、前のめりにつんのめる羽目となる。まるで地面に固定された道路標識でも、力一杯に引っ張ったようだろう。

「いってっ……」

 転がりそうになったところ、危ういところで堪える。

 まるで足に根が生えたよう。どんだけ重いんだよコイツは。

「お、おいっ! ちょっとお前っ……」

「鬱陶しい羽虫が。打ち落としてくれようじゃないか」

「いや打ち落とすって……」

 アホ狐の目はヘリを睨み付けていた。

 彼女の見つめる先、ヘリが空へと舞い上がる。同時、底面に取り付けられた機関銃が、こちらへ向けて照準を取った。

 来るよ、マジで来るよ。

「おいっ! 逃げないとっ!」

「なぁに、あんなおもちゃの一つや二つ、恐るるに足らず」

「その根拠のない自信はどこから来るんだよっ!?」

「うっさいヤツだな。ちょっと黙って見てろよ」

「だってっ……」

 ギャーギャーと騒ぐ俺を迷惑なものでも見るよう、ちらり見つめて、けれど、アホ狐の意識は早々にヘリへと戻される。

 次の瞬間、ガチャン、機関銃の首が上がったかと思いきや、けたたましい炸裂音と共に、数多の銃弾が撃ち出された。

「ひぃいいっ」

 これは死んだ。マジ死んだ。

 今度は地面に伏せる余裕すらなくて、隣に居たアホ狐へと抱きついてしまった。だって怖いんだもん。しかたないじゃんか。

 ズガガガガ、大きな音が響く。

 殊更に恐怖が増す。冷静ではいられなくて、力一杯、目の前のやわっこい身体をギュウと抱きしめる。

 ただ、いつまで経っても痛みは訪れなかった。

 硬くつぶった瞳を、ゆっくりと開く。

「ほー? ふーん? へー? なんじゃこの体たらくは」

「ぉ……」

 すぐ目の前、鼻と鼻の接するほどの位置に、アホ狐の顔があった。しかも、なんかニヤニヤ、良い感じの嘲笑をこちらへ向けてくれている。

 その立ち振る舞いには圧倒的な余裕が感じられた。五体満足、かすり傷の一つもない様子は、機関銃の掃射を受けたとは到底思えない。

 というか、受けてないぞ。

「ん?」

 何かに気づいた様子で、アホ狐が下の方を見た。

 すると、彼女の見つめる側、ぴちゃぴちゃ、なにやら水の垂れる音。

「ぎゃー! お、おまえっ、なにチビッてるのじゃっ!」

「え?」

 アホ狐に怒鳴られて、初めて気づいた自分の失態。

 尿が、尿が漏れている。

 ズボンに暖かなしみが広がってゆく。

「うあー、汚いっ! ばっちいなおいっ! ちょっと離れろよっ!」

 ドンと胸を平手に押された。

 俺の身体は容易に引き剥がされて、地面へと倒れる。かなり強烈に抱きついていた筈が、次の瞬間には土の上に仰向けとなり、寝転がっている不思議。

 都合、その視界に移ったのは、延々と打ち出され続ける機関銃からの弾丸。そのすべてが先の拳銃の弾丸と同様、空の一点に留まり続けるという、奇怪な光景であった。

「うぉおあぁーっ、ワシの一張羅が尿に濡れておるぅ……」

 届けられた声に意識を向ければ、聞こえてきた先、アホ狐が自らの服を見つめては、嘆く姿。ここ数日、変わらず着用していた和服の裾が、びっしょりと濡れて、他より色を濃くしていた。

 ギュウと抱きついていた為、もろに被害を受けた様子だ。

「く、くぬぉおおおっ、ゆるせぬ、ゆるせんぞぉおおおっ!」

 アホ狐がキレた。

 一瞬、こっちへ向かってくるかと思って、怖くなった。

 けれど、彼女の怒りの矛先は、空へ浮かぶ武装ヘリへと向けられた。キッと今まで以上に目元を吊り上げて、操縦席のあたりを睨みつける。

「粉々にしてくれるわ!」

 吼えるに応じて、その右腕が振るわれた。

 左から右へ、横に線を描くよう、ヘリの胴体をなぞるよう。

 結果、キィン、乾いた音が響いた。かと思えば、次の瞬間、上下真っ二つとなるヘリコプター。ズドンと大きな音を立てて、爆発が起こった。

 大気を振るわせるような轟音、周囲一帯へ激しく炎が飛び散って、全体が火に包まれた。機体はそのまま、地面へと墜落した。

 落ちてからも、ドン、ドドン、爆発を繰り返して、燃え上がるヘリ。

「ま、マジかよ……」

 その光景を至近距離に眺める俺は、しかし、なんら熱を感じない。

 溢れる炎も、爆発の衝撃も、まるで伝わってこない。途中、目に見えない壁でもあるかのように、一切合切が遮られて思える。バリアーみたいな感じ。

「ふん! ざまぁみろ」

 アホ狐はと言えば、燃え上がるヘリを前として、腕を組み、仁王立ち。

 その光景を眺めては、鼻息も荒く言って見せた。

◇ ◆ ◇

 小一時間の後、我が家跡地には、三人の人間と一匹の狐が、一同に介していた。うち人間二人に関しては、地べたへ正座してのことである。

 この二名とは他の誰でも無い、ヘリで乗り込んできたお嬢様と、お嬢様のボディーガードであるスーツ男である。

 そして、残る一人と一匹が、俺とアホ狐である。

 残るもう一人のボディーガードの所在はお察し下さい。

 何故にこのような状況に落ち着いているかと言えば、森の中へ逃げ出した二人を、ヤツが探しだし、ここまで攫ってきたからである。

 なんて執念深い狐だろう。

「さて、どうしてくれよう、この人間共め」

「いや、あんまりグロいのは勘弁なんだけど……」

 発見から今に至るまで、さんざんアホ狐がどつき回したので、二人とも非常に静かである。スーツ男はそこら中が痣だらけ。お嬢様も頬を真っ赤に張らしている。

 とは言え、生きているだけめっけものだ。

 すぐ近くには墜落したヘリが放置されているのだから、これ以上の抵抗は無意味だと、いよいよ、この世間知らずなお嬢様も悟ったのだろう。

 俺もこんなぶっ飛んだ出来事は初めての経験だよ。

「こ、これ以上の侮辱は、ゆゆゆ、ゆるしませんわよっ!」

 ただ、それでも涙目に訴えてくるお嬢様は、ああ、大した根性の持ち主だ。

 どんだけプライド高いんだよ。

「なあ、この娘、食っちゃってもいい?」

「だからグロいのは止めろって!」

 段々と野生に帰りつつあるアホ狐。このままコイツの好きにやらせては、どうなったものか分からない。俺は会話の主導権を握るべく、率先して口を開いた。

「っていうか、そんなにこのドアを開けたかったのかよ?」

 少女は地面の上、正座をしている。対して俺は立ったまま、少しばかり威圧的に訪ねた。ズボンの股ぐらは未だ尿に濡れており、かなり間抜けな格好である。ただ、そのあたりは暗黙の了解というヤツだ。

 すると、相手はプイと顔を逸らして、ふてくされた様子に答えた。

「ええ、当然ですわ」

「余所様の家をぶちこわしてまで欲しいとか、本当に何だよもう……」

 脳裏に思い浮かぶのは、土蔵の地下に出会った正体不明の声。

 こうなってくると、もう無視してはいられない気がする。正直、家も壊れてしまったのだし、最後まで付き合う他、俺に取れる道などなかった。

「分かったよ、開けてみりゃいいんだろ! この扉を!」

 ヤケクソとも言う。

 だって本日から、名実ともにホームレス。

「ん、これ開けるのか?」

 すぐ傍ら、地面に向けて設置された扉を眺めて、アホ狐が問うてくる。機関銃に幾度となく撃たれて、けれど、その表面には傷一つ付いていない。更に言えば、表に貼られた紙もまた、一ミリたりとも千切れていない。

 本当、どうなってんだよ。

「だ、駄目かよ?」

「でも、開けちゃ駄目って書いてあるぞ」

「もう怖いものなんて何もねぇよ!」

「そのズボンのシミは伊達かのぉ」

「う、うっせっ! これは男の勲章だ!」

「男の勲章を女にすりつけるのは止めて貰いたいのぉ。見てみぃ、これ」

 俺の尿で色の変わった服の裾を見せつけてくるアホ狐。

 全力で漏らした為、被害の程度は甚大だ。真夏の炎天下を持ってして、未だに色は変わったままである。完全に乾くまでには、まだ時間が必要だろう。

「ぐっ……」

「ほれほれ、どうじゃ。どうじゃ」

 正直、言い返せない。

 まあいい、今は無視だ。無視。

「いいから! 開けるぞっ! これ!」

「ふふん、儂の勝ちだ」

 アホ狐に頼んで、扉を開けて貰う。

 何が楽しいのか笑みを浮かべて勝利宣言の後、意気揚々と地面に固定されたドアへ向き直る。そして、おもむろに手を伸ばしては、扉の正面に張り付けられたお札を、ペリッと軽い調子ではぎ取った。

「そんなっ!?」

 お嬢様が悲鳴じみた声を上げる。

 今までの私の苦労は何だったのかと、言外に叫んで思える。

「では、開くとするか」

「お、おうっ」

 これに構わず、俺たちは扉の開封へと向かった。

 アホ狐の両手が扉の取っ手を掴む。

 腕が引かれるに応じて、ギギギ、金属の擦れ合う音と共に、ゆっくりと扉が開いて行く。隙間から除くのは真っ暗な闇。これが陽光を受けて、段々と顕わになってゆく。

 ややあって、扉は完全に開かれた。

 バタン、相応の重さがあるのだろう。ドアは開ききった状態となり、地面の上へと下ろされる。口を開いたマンホールのような形だろうか。

 そして、一同が注目する先、扉より続くのは下りの梯子階段だった。

「やっぱり繋がってるのか……」

「なんじゃ? この下とか知ってるのか?」

「いや、まだ推測の域だけど、でも、多分」

 あの声の主が居るのだろう。

 そう思うと、恐怖の類いは沸かなかった。

「行ってみるか」

「また漏らすなよ? っていうか、儂にすり付けるなよ?」

「うっせっ!」

 アホ狐に茶化されるのが嫌なので、さっさと下へ降ることとする。滑り落ちることがないよう、慎重に階段を下る。深さはそこまでのものでなく、二、三メートルも下りれば、すぐに床へと付いた。

 俺の後に続いて、アホ狐もまた降ってくる。

 更にお嬢様とボディーガードの男もまた、降りてきた。

 下りた先はちょっとした小部屋となっており、その先、更に通路へと続いていた。恐らく、先程に土蔵から降った際のこと、地上からの声を響かせていた空間が、この場所だったのだろう。

 ならば、この通路を少し進めば、あの謎の声の主に出会える。

 眺める先、小部屋から続く通路の側は真っ暗だ。恐らく、数歩を歩めば完全に光は届かなくなるだろう。

「……おい、ちょっと火の玉とか出してくれよ」

「それくらい自分でやれよー」

「人間が火の玉とか出せて堪るか!」

「まったく、狐使いの荒い人間だのぉ……」

 渋々といった様子で、狐火を生み出してくれるアホ狐。その明かりを照明代わりとして、俺は小部屋らから通路へ、奥に向かい進むこととした。

 確か距離にしては十メートルくらい進むと、途中で橫に折れるようT字路となっていた筈だ。土をくり抜いた限りの地下を慎重な足取りに進む。

 今度は明かりがあるので、目的の場所にはすぐに辿り着いた。

 曲がり角だ。

「…………」

 俺は一瞬ばかり躊躇の後、角を折れた。

 その頭上、狐火もまた付いてきて、向かう先を明るく照らす。

 見つけたのは四畳半程度の空間。

 そして、そこに敷かれたボロボロのせんべい布団と、布団の上に橫となる、とても小さな、アホ狐より小さな、子供の姿だった。布団に同じくボロボロな姿格好をした、恐らくは女の子。

「……マジか」

 色々とショッキングな光景だった。

 言うなれば数十年物を思わせるホームレスの巣。

「あ、さっきのひとだねー」

 相手もまた、こちらに気付いた。

 のっそり上半身を起こして、こちらを見つめてくる。身の丈は百二十に届くか否かといった程度。とても小柄な身体付き。ぼさぼさの長い黒髪。肌には垢が積もって、なにやら皮膚炎でも患ったよう。

 キョロリとした大きな黒目が特徴的な童女である。

 アホ狐同様、時代がかった和服を着ている。ただ、かなり長いこと着っぱなしのようで、そこら中が解れていたり、破れていたり、得体の知れないシミが付いていたりと、酷く汚らしい。一言で言うならば、やはり、ホームレス。

「でも、あんまりこっちに来ない方がいいよ」

「いや、あの、お前……」

 なんと返事をしたものか、上手い言葉が見つからない。

 すると、そんな俺の背後から、予期せぬ呟きが放られた。

「なんじゃ、何かと思えば貧乏神か」

 アホ狐だった。

 脇からぬっと現れて、俺のすぐ隣に並び立つ。

「び、貧乏神?」

「だって、貧乏そうじゃろ?」

「いや、お、おい、いきなり貧乏そうとか、ちょっと失礼だろ……」

 ただ、その言葉は酷くしっくりきた。

「っていうか、貧乏神、こんなところでなにしとるんだ?」

「閉じ込められてるー」

「おー、そう言えば、妙に頑丈に封印されとったな」

 やはり、あのお札はアホ狐と同様、人外的な何かであったようだ。どうりで機関銃の掃射にも耐えた訳だ。お嬢様のボディーガードが必死こいても剥がせなかった理由は、恐らくこれだろう。

「こんなに賑やかなのは久しぶり」

「賑やかには違いないが、おかげで家は吹っ飛んでしもうたぞ」

「え?」

「家の有無にかかわらず、長いこと無人であったようじゃが」

「家、もうないの?」

「そういうこった」

 出会って初めて、けれど、旧知の仲であるかのよう、普通に言葉を交わしてみせるアホ狐と他称貧乏神の少女。もしもヤツの語りが正しければ、この女の子もまた、人間とは違った生き物なのだろう。

「……どうしよう」

「余所へ行け、余所へ」

 しっしとばかり、手を振ってみせるアホ狐。

「ちょ、ちょ、ちょっとっ!」

 その様子を目の当たりとして、ふと、我に返った様子でお嬢様が吠えた。ズカズカと歩み進み、俺のすぐ隣まで歩み来る。アホ狐とはこの身体を挟んで、反対側である。

「貧乏神とはどういうことですのっ!?」

「言葉通りの意味じゃろ」

「だから、その意味を聞いてるのですわっ!」

「あー、俺もちょっと気になるかもー」

 お嬢様の質問に便乗してみる。

 流石に意味が分からない。

「そもそも、ここに封ぜられていたのは、覇王の秘宝であった筈ですわ! それが貧乏神とはどういうことですのっ!? 百歩譲って妖怪だの神様だのがいたとしても、よりによって貧乏神とか意味が分かりませんわ!」

「んなもん、昔は福の神だったんじゃろ?」

「ど、どういうことですの?」

「福の神が福を散らして、貧乏神に堕ちたんだろ」

「……堕ちた、というのは? 意味が分かりませんわ」

「貧乏神と福の神は表裏一体、太陽が沈んだら月が昇ってくるように、貧乏神と福の神は繰り返すんだよ。大方、福の神を囲い込んで、散々に渡り搾り取ったんじゃろ」

「なるほど、そういう感じなのか。貧乏神ってのは」

「今思ったけど、貧乏神と便所紙って似とらんか?」

「似てねぇよ」

「そ、そんなっ……貧乏神、貧乏神だなんて……」

 アホ狐の説明を耳として、わなわなと身体を震わせ始めるお嬢様だ。目当てのお宝は、既に消費期限を切らして、害悪以外の何物でもない。金持ちにとって、これほど近寄りがたい相手もいまい。

「たしかオマエの先祖が、元々はここに住んでたんだよな? 前に来たとき、そんなこと偉そうに喋ってたの、俺はちゃんと覚えてるぞ」

 ふと、以前に耳としたお嬢様の言葉を思い起こす。

「そ、それが何かしら?」

「福の神を囲い込んだのって、オマエの先祖じゃねぇの?」

「うっ……」

 お嬢様の顔色が悪くなる。

 これに畳み掛けるよう、貧乏神が自らの口に訪ねた。

「そこの娘(こ)が家主なのー?」

「そういうことじゃのぉ」

「ち、ちちちち、違いますわっ! わたくしではありませんわっ!」

 途端、狼狽し始めるお嬢様である。

 貧乏神なんていう摩訶不思議な生き物を前として、けれど、本心から怯えている様子であった。或いは、過去にその恩恵を授かったと自称する分だけ、俺なんかと比べて、その影響を強く信じているのかも知れない。

「あの札を鑑みるに、その娘の先祖が、堕ちた福の神の扱いに困って、ここへと封じ込めたのじゃろう。ならば示されていた文句にも納得がゆく」

「……なるほど」

 確かにその通りだ。アホ狐の説明を耳として、合点がいった。

 俺がポンと手を打って納得する一方、殊更に慌てるのがお嬢様だ。

「く、くだらないですわ! もう、帰りますわっ!」

「あ、おいっ!」

「時間を無駄にしましたわ! あーもう、最悪ですわっ!」

 踵を返すお嬢様。即座、この場より逃げ出すよう歩み出した。

 彼女の後にはスーツの男も続く。

 俺が止める間もなく、通路の先、元来た道を戻る。その姿は早々のこと、暗がりの中に消えていった。金持ちにとっての貧乏神とは、それほどに恐ろしいものらしい。

 一方、話題から置いてけぼりを喰らっているのが、当の貧乏神本人。

「……もう外に出てもいいの?」

「あ、あぁ、いいんじゃないか? 元の持ち主も逃げちまったし……」

 その様子を眺めて、何気ない調子で問うてきた。

 まあ、外に出たところで、既に家もないんだが。

「しっかし、どんなものが眠っておるのかと思えば、貧乏神とはつまらんのぉ」

「いやいや、だから本人の前でつまらないとか言うなよ」

「便所紙の一枚でも置いてあれば良かったろうに」

「コイツは便所紙以下か……」

 そして、アホ狐にしても、早々のこと興味を失った様子で、カツン、足下に転がる石ころなど蹴りつけて見せる。蹴り飛ばされた小石は、幾らばかりかを転がり、貧乏神の布団の上に落ち着いた。

 なんだよ、どいつもこいつも自分勝手だな。

「おい、ちょっとそこの貧乏神!」

「んー?」

「俺と一緒に来いよ!」

「……なんで?」

「俺もオマエと同じで家なしなんだよ。こうなったら意地でも住む場所、見つけてやろうじゃんか。これ以上、訳の分からないやつらに振り回されるのはごめんなんだぜ」

「でもだけど、こっちは貧乏神ー」

「んな細かい設定はどうでもいいんだよ! なんかこう、仲間意識ってやつだ!」

「そっちも貧乏神?」

「ま、まあ、似たようなもんだ!」

 もう堕ちるところまで堕ちてしまったのだ。何を気にすることもあったものか。こうなればヤケクソというやつだ。差し当たって、今日の寝床、どうしようってもんだ。

「貧乏神を囲い込むとは、変わった人間じゃの」

「うっせっ、確かに財布は寒いけど、心までは寒くしたくないんだよ。住む場所が無くなった人間の惨めさと切なさと心苦しさがオマエに分かるもんかよ」

「おうおう、偉そうに言ってくれるのぉ?」

「な、なんだよ」

「ふふん? まあいい。じゃが、これで儂との契約は終わりじゃな」

「うっ……」

「家が無くなっては、飯を運んでやる義理もない」

「そ、そんなこと、言われなくたって分かってるしっ」

「早速、貧乏神の効果が現れ始めたようじゃな?」

「うっせっ、そ、それなら、どこへでも行けばいいじゃんかよ!」

 アホ狐と分かれることは、イコール寝床はおろか、日々の食事すら失うということである。とは言え、デカイ口を叩いた手前、まさか、頭を下げるなど格好が悪い。こうなれば、とことん突っ走ってやるのみだ。

 だって、可哀想じゃんかよ。

 人間の都合でこんな暗いところに長いこと閉じ込められてたとか。

 そりゃまあ、外見が歳幼い女の子だからって部分は大きいよ。もしもこれで、相手が中年の脂ぎった禿げオヤジだったりしたら、俺だって全力でノーサンキューさ。だってキモイじゃん。

 だけど、幸か不幸か相手は可愛い女の子なんだから仕方ないんだよ。ここで見栄を張らねば男が廃るってもんだぜ。たまには熱血しないと、若人的な情熱とか根性とか、そういうのが無くなっちまうだろ。

 これでも少しくらい、屋根の無い生活の苦労は分かるつもりだ。

「ならば好きにするといい。ではの」

「あっ……」

 そして、アホ狐もまた短く言い残し、歩み去って行った。しかもなんてケチや奴だ。狐火まで一緒に持って行きやがった。クソ。

 後に残されたのは、俺と貧乏神。真っ暗な穴蔵に二人きりである。

◇ ◆ ◇

 穴蔵に再び静寂が戻った。今し方までの喧噪も嘘のよう。一切合切の光が失われた、真っ暗な世界が戻ってきた。一寸先は闇。既に貧乏神の姿も確認することは叶わない。ただ、気配だけが伝わる。

 これからどうしたものか。

 まさか、この穴蔵で一生を終える訳にはゆくまい。

「狐、いっちゃったよ?」

「おう、いっちまったな。あの薄情者が」

「……いくとこないの?」

「そうなんだよなぁ……ないんだよなぁ……」

 本当、どうしたものか。

「ここ、いいよ?」

「うぅっ……まさか、貧乏神に施しを受けるとは思わなかったわ」

「困ったときはお互い様だよ-」

「オマエ、良い奴だな……」

「そうー?」

「そうだよ。マジでそうだよ」

 人の優しさが、神の優しさが、心にジンワリと染みてくれるぜ。なんだろう、この胸の内が暖かくなる感覚は。相手の穏やかな口調も手伝って、割とガチで、荒んだ心が癒やされるのを感じる。

「オマエ、結構長いのか?」

「え? なにが?」

「いやほら、ここでの暮らしっていうか」

「そうだねー。長いんじゃないかなー?」

「ずっと閉じ込められてたのか?」

「そうだよー」

「マジかー」

「マジだよー」

 酷いヤツもいたもんだ。こんなに良い奴を、光すら届かない穴蔵へ、閉じ込めてしまうなんて。流石はあのお嬢様の祖先なだけはあるよな。人間、金と権力を持ったら碌なことにならないという典型じゃないか。

「ちょっと休ませて貰ってもいいか?」

「いいよー」

「ありがとな」

 断りを入れて、足下へと尻を下ろす。

 コンクリートの打ちっ放しならぬ、土壁の削りっ放し。ざらざらとする壁へ背中を預けて、ほぅと一息。寝起きに武装ヘリと遭遇して以後、数時間ぶりの休憩だった。

 土壁は触れるとひんやり冷たくて、心地が良い。

 詳しい時刻は知れないが、既に昼を回っているのではないかと思われる。午前中をお嬢様に振り回された形だ。まだ朝飯だって食ってないのに。

 あぁ、そう考えると、急に腹が減ってきた。

「あ……」

 グゥと小気味よい音を立てて、腹の虫が鳴いた。

「おなかへった?」

「どうやらそうらしい」

「人間が食べるもの、ないんだよー」

「だろうな……」

 待っていても飯は出てこない。あのアホ狐はヤルと言ったらヤルタイプだ。出て行くと言ったら出て行くに違いない。どこぞ飼い主思いな狐のように、ゴン、お前だったのか、などと呟いてやれるような手合いとは程遠い。

 まずい、これはかなりまずい。

「だいじょうぶー?」

「今のところは大丈夫だけど、あんまり長くは無理そう」

「どうしよう?」

「どうにかするしかねぇよな。流石にまだ死にたくないぜ」

 だがしかし、どうすれば良いのだろう。俺の生存性能の悪さは、つい一週間前に証明されたばかりだ。この地で生き抜くには、野生の力が足りない。

 やはり俺には都会の便利さが必要なのだ。

 郷に入りては郷に従え、とはよく言った言葉だろう。しかし、従った結果、死んでしまっては何の意味も無い。きっと、この言葉は、偉いヤツが下々の者へ言うことを聞かせる為に、知恵を捻って作った言葉なのだろう。

 ならば今は俺は出て行くしかない、この郷から。

 しかし、都会へ戻ったとしても、待っているのは今と同じホームレスな生活環境。なけなしの荷物すらも、住居と共に失い、今や俺にあるのは、この肉体のみ。

 もう何も失うものなんて何も無い感じ。

「…………」

 そう考えると、他に手はない気がした。どっかの誰かが言っていた。失う者がない者は強いのだと。だとすれば、今の俺は地上最強の戦士だ。

 よし、決めた。

「あのさ、貧乏神」

「なに?」

「貧乏神って、人と一緒に住む神様だよな?」

「そうだよー」

「ここに居ても誰も一緒に住んでくれないよな?」

「……そうだよ」

「だったら、ちょっと俺と一緒に出かけないか?」

「出掛ける? どこに?」

「まあ、それは到着してのお楽しみって事で」

「お楽しみ-?」

「まあ、今日はもう昼を過ぎちまったから、明日、朝一で出発しようぜ」

「どこかいくの?」

「おうよ」

「わかった。いく」

「ありがとな!」

 よし、これで決まりだ。

「あ、それと今晩だけ、ちょっとここで寝させて貰ってもいいか?」

「ん? 別にいいよー」

「ありがとな!」

「でも、あんまり長くいると貧乏になるよ」

「いいんだよ。もう既に貧乏だから」

「そうなのだー?」

「むしろ今の状況だと、住処がある分だけオマエの方がリッチだわ」

「それは凄い貧乏だねー」

「だろ?」

「ふとん、いる?」

「いやいや、そこまで気を遣ってくれなくてもいいって」

「慣れないと地面は硬いよ? 人間には辛いんじゃないかなー」

「なぁに、一晩くらい我慢するっての」

 とりあえず今晩はここに世話となろう。流石に色々とあって疲れた。ただ、休むのは今日限りだ。明日は朝一番で作戦開始である。あのお嬢様へ目にもの見せてやるぜ。