金髪ロリ獣耳ファンタジーラノベ

第一話

 目を覚ました彼が先ず目の当たりとしたのは鬱蒼と茂る樹木だった。

 大地に積もり積もった木の葉は柔らかく、何者にも踏み固められた様子は無い。背の高い樹木が延々と天井目指して伸び、その下には縦横無尽に蔓を伸ばした背の低い植物が蔓延っている。満足に歩み進むことすら難しく感じる闇深い森だった。。

「……んぁ?」

 上半身を起こしたところで、記憶の混濁と全身を襲う倦怠感から声が上がる。腐葉土に腰を落ち着けたところで、周囲の様子が自然と視界に収まる。ここは何処だろう。というか、僕は何をしていたのだろう。

 そんな疑問と共に周囲を見渡して彼は身を強張らせた。

「あっ……」

 咄嗟のこと彼は、ジョン・スチュアートは意識を失う直前の出来事を思い起こす。

「ぼ、僕はっ、僕はあいつらに斬られて、撃たれて、裏切られてっ……」

 咄嗟に身を立たせて周囲の様子を伺う。

 自らを襲った予期せぬ剣と魔法。胴体を二つに分断して、首を根元から飛ばした、仲間からの非情なる仕打ち。それは彼の意識を急激に緊張させる。自然と肉体は強張り、身体は迎撃の態勢に入る。

「勇者は何処だっ!? リチャードはっ!? ソフィアはっ!?」

 腰を落として身を低く構える。

 けれど、付近には彼の他に誰の気配も無かった。

 茂る木々だけが辺りを囲っている。とても静かなものだった。鳥の鳴き声すら聞こえてこない。獣の気配も感じられない。自分と同じ人間の存在など全くだ。植物以外に生を感じられるものが何も無い。

 そこは静かな静かな森の奥深くを思わせる場所だった。

「ど、どこだ、ここ……」

 身を構えたまま彼は自問する。

「っていうか、僕は死んだんじゃなかったのか?」

 自らの身体を見下ろして、ぺたぺたとその肌を特に腹や首周りへと触れる。

 けれど、上下に断たれた肉体は傷一つ無い。首も確りと据え置いてあり、前後左右へ動かしてみても何ら痛みは走らなかった。そして、何故か手で触れる先は地肌にあって、衣服は一糸たりとも残らず素っ裸な現状である。

 ひゅうと吹いた風に僅かばかり身震いして彼は自分を自分で抱く。

「な、なんだよ、ちょっと、僕様ってばどうなってるんだよっ……」

 長旅の末に魔王城まで到達した。

 激戦の末に魔王を倒した。

 そして、最後は仲間に裏切られた。

 最後は胴を分断されて、首を刎ねられて、死んだ。

 そこまでは覚えている彼だった。けれど、そこから先、今に至るまでの過程は全然だった。どうして裸なのか。どうして森の中に一人なのか。そもそもあれからどれくらいの月日が流れたのか。何よりも死んだ筈の自分がどうして生き永らえているのか。

 分からない事だらけだった。

「っていうか、何気に僕って凄くないかっ!?」

 わきわきと両手の指を動かしつつ自らの生存に感嘆する。

「絶対に死んだ筈なのに、生きてるってどういうことっ!? 胴体をちょん切られて、首も吹っ飛ばされて、なのにどうして生きてるんだよ。まさか知らぬ間に反魂の法を会得していたとかっ!?」

 幾度と無く自分の首に触れてみる。けれど、そこには裂傷の跡など微塵として感じられなかった。すべすべとした肌は容易に指先を滑らせて、鎖骨と顎下とを幾度も行き来する。至って綺麗なものだろう。

「っていうか、服、服だよっ! どうして僕は素っ裸なんだよぉっ!」

 分からないことばかりでジョンのテンションはだだ上がりだった。

 彼の立つ周囲には木々が茂るばかりで、衣服なんて影も形も見つけられない。

 そして、そこで更なる驚愕が彼を襲う。

 自らの裸体を見下ろしたところで、ふと、大きな違和感を感じた。初めはそれが何なのか理解できなかったジョンである。しかし、いつもならある筈の感覚が失われたと知って、即座に原因に思い至る。

「……あれ?」

 本来ならば、太股の合間にぶら下がっているべきものが見当たらないのである。髪と同じ色の体毛に根元を覆われて、あまり大きくは無いが形は良いと自負していた一物である。それが綺麗さっぱり消え失せていたのだ。

 そこに鎮座するは艶やかな肌の丘である。

 産毛も見られぬ割れ目である。

 一本の筋である。

 いわゆる女性器である。

「なっ!?」

 ジョンの身に強烈な動揺が走った。それこそ我が目が信じられないといった具合だ。大きく瞳を見開いて、自らの股間を凝視する。他者が見たら変態そのものだ。非常に間抜けた格好である。

「ど、どうして、どうして僕のアレが……」

 触れることすら恐ろしい。

 そんな様子で彼はジッと自らの性器を見つめる。

 けれど、幾ら眺めても竿は見えてこない。未来永劫、そこには割れ目しか存在しないぞといった風だ。只管に平坦な無毛の丘が続いている限りだった。とても幼い、子供の女性のそれである。

「消えたっ!? 無くなったっ!? どうしてぇっ!?」

 大股を開いて眺める。

 それこそ尻の穴が拝めそうなほどに身を屈める。

 けれど、幾ら眺めたって見えるものは変わらない。

「お、女って、おい、これ、なんだよ……ちょっと……」

 しばらく股間を眺めて過ごす。

 そうして、ようやっと自分の無様な姿を客観的に評価。

 慌ててその身を元在ったとおり直立させた。

「糞っ、何がどうなってるのかさっぱりだぞっ!」

 ダンと地を踏みつけて吼えるように声を上げる。

 見上げた頭上には多い茂る樹木の葉々が視界を遮り、時折、ひゅうと吹く風に揺らされては、遙か遠方より届けられる日の光をキラキラと瞬かせている。日は随分と高くあって、時刻は昼かそれを少しばかり過ぎた頃合に思われた。

 彼の記憶が確かならば、仲間に討たれ身を落とした先は、彼自身の魔法により作られた更地若しくは大穴である。それが何故か、今は木々茂る森となって視界を塞いでいた。加えてまさかの復活劇ともなれば、あまりの変化に混乱も一入。

「息子が消えたっ! 服も消えたっ! 何がどうなってるんだよぉおっ!」

 周囲に人が居ないのは幸か不幸か。

 とは言え、そんなことに気を配る余裕すら失って彼は混乱の最中にあった。気を失う前と後とで、まるで状況が繋がっていない。その理不尽な有様に憤慨すらしていた。地団駄を踏む足が痛むほどである。

 そして、周囲の気温は然して高いとも言えない。意識を失っている間に身体は随分と冷えていた。隙間無く張り巡らされた樹木の根と、そこから伸びた幹に阻まれて風は滅多なことでは吹かない。けれど、ぼうっと突っ立っているには些か寒い。

「っていうか、寒いよ。服、服はどこに行ったんだよっ!」

 そう長く裸で在っては、身体に異常を来たすことも明らかである。けれど、今居る場所は樹木以外に何も無い森の中にあって、衣服など見当たる筈も無い。叶うとすれば、幅広な樹木の葉を蔦で巻きつける程度だろうか。

「畜生、何だって僕がこんな目に……」

 右を見てがっかり。左を見てがっかり。

 前を見てがっかり。後ろを見てがっかり。

 それまで着ていた服の切れ端すら見つけられない。延々と樹木が茂るばかりで人工物など何一つとして見当たらなかった。背の高い木々にさえぎられて遠くは薄暗く闇に落ちて、延々と自然の牢獄が続いて思えた。

 それからしばらく疑問と憤慨を口としていたジョンである。

 とは言え、幾ら言葉を重ねたところで状況が好転することはない。それに気づいて一時(いっとき)、何とか心を落ち着かせて平静を取り戻した。許容し難いが全ては現実なのだと理解する。

「ま、まあ、釈然としないけど、……とりあえずは家まで帰るか……」

 自宅へ帰れば服など幾らでもある。これ以上を訳の分からない場所で喚いていることもない。渋々と呟いてジョンは術式を組上げる。

 その術とは、始動したならば一瞬にして術者の意図する場所まで術者及び術者の意識範囲にある存在を移動させる魔法だ。世界最強の魔法使いを自称する彼にとっては稚戯にも等しい行使である。

「瞬間移動《オ・トーグ》」

 しかし、ここで思いがけない出来事が起こった。

 鍵となる最後の術式を組み上げた際の出来事である。

 素っ気無く発動式を口としたところで疑問が一つ。

「……あれ?」

 本来ならば即座に全身が魔法光に包まれて、次の瞬間には自らの望む場所まで移動している筈であった。けれど、彼の姿は依然として樹海の只中にあった。寸毫として動いていない我が身を疑問を思う。

「ど、どうしたんだ?」

 多少だけ焦りを見せて、再び彼は同様の術を行う。

「瞬間移動《オ・トーグ》」

 しかし、結果は同じであった。

 瞬間移動の術式を今一度だけ再構成。今度はしっかりと一つ一つの韻をを確認するよう組み上げる。周囲に結界が張られている様子は無い。ならば始動式を組み上げる他に行うべき事は何も無い筈だ。

 それを確認して幾度と無く発動式を口とする。通常ならば、それだけで術は容易に起動する。今までも非常に良く利用してきた術である。魔王討伐の旅では一番に活躍した術と言っても過言でない。

「瞬間移動《オ・トーグ》」

 だが、彼の身が魔法光に包まれることは無かった。

「な、なんでだっ!?」

 何故か発動しない自らの魔法に戦慄くジョン。

 そして、そこまでを試行錯誤して、彼は自身の身に訪れた不幸を知った。

 それは当然だと思っていた力。肉体に満ち満ちていた自信の根源。それが今に気づいてみれば、どういう訳なのか、全くと言って良いほどに感じられなくなっていた。それこそ従来の十分の一も、百分の一も、千分の一とも感じられない。

「な、なんで……魔力が……無い……」

 本来ならば並々と零れんほどに全身より溢れていた魔力が、しかし、今の彼には雀の涙ほどしか残っていなかった。それこそ魔法学校で教えられるような初級魔法を行使する程度の魔力しか感じられない。いや、それすら危ういほどだ。

 その事実を、まさに身を持って理解した彼は驚愕の一色である。

「ど、どうなってるんだよっ! え? これはどういうことだ!?」

 自らの両手を見つめて、プルプルと身体を小さく震わせる。

「魔法が、魔力が、僕の力が……」

 がくりと両膝を地面に付いた。

 硬い地面に打ち付けて肌が傷つく。けれど、そのジクジクと熱を持った痛みすら気にならないほどに彼は打ちひしがれていた。全人類の天敵たる魔王すら討ち取った彼が、しかし、何ら力を伴なわない凡夫と成り果てていた。

「何故……どうして……」

 先程から疑問ばかりが浮かんでは彼を苛む。

 呆然と自失のままに地べたを眺める。延々と眺める。圧倒的な喪失感が彼を襲うのであった。今まで信じていた全てを失った。彼にとって唯一、他者に誇れるものが綺麗さっぱり消え失せたのだった。

 過去に感じたことの無い感慨だった。

 だから彼は、ただ、現状に呆然とするしかなかった。

 驚くしかなかった。

 けれど、聡明な頭脳は彼が何を思うでもなく、勝手に彼が求めるところを弾き出す。それはとても無意識的な閃きである。ふと脳裏に浮かんだのは気を失う前の光景、その幾らかである。

 渦中に一筋の芯を見つけた。

「ま、まさかっ……」

 それは彼が倒した魔王の最後の言葉。

 耳にしたときは全く気にも留めなかった呪いの言葉。

 最後の負け惜しみ、負け犬の遠吠え程度にしか見ていなかった言葉。

「魔王……魔王なのかっ!?」

 思い至った結論にぐいっと顔を上げる。

 見据えた正面には樹木しかない。けれど、その先に彼は自らの滅した敵の姿を思い浮かべていた。巨大且つ強靭な肉体を誇る人間の天敵。魔物の長であり、世界の王でもあった化け物だ。

「まさか、そんな、僕があんな奴に魔力を封ぜられるなんて……」

 最悪の想像を胸に抱いてジョンは身を震わせる。

 それこそ自らの性器が消え失せたことの比ではない。

「魔力が、魔力が封ぜられるなんて……」

 怒りと焦りの交じり合った感情はやり場が無くて、それを押さえつけるよう自らの身体を両手に抱く。皮膚に爪が食い込むほどに強く抱き締める。がくがくと震える肉体を押さえつけるように両腕に力を篭める。

 ともすれば、自失の彼を更なる変化が襲った。

 それは今まで気づけなかったことがおかしいほどに大きな変質である。

 きっかけは膝の裏への刺激。

 何やらさわさわとした、非常にくすぐったい感触が肌に伝わったのだった。

 唐突な出来事にあって、ジョンは思わず声も高々と身を飛び上がらせた。

「うひょぉあああっ!?」

 立ち上がり慌てて背を振り返る。

 すると、そこには彼の尻上より生えたる立派な尻尾。

「なっ……」

 目の当たりとして一つ、頭の中に新しい感覚が増える。

 両手両足に加えて更に一肢が加わった不思議な感覚だった。目にするまでは然したる違和感としても気づけなかった新たなる肉体の一片。ジョンはあんぐりと口を開いた。ふよふよとぶら下がった尾っぽは間違いなく自身の肉体より生えていた。決して紛い物ではない。

「何故に尻尾っ!?」

 そちらへ意識を強く向ける。

 すると、尻尾は彼の意図したとおりに右へ左へ動き始める。

「う、動くぞぉっ!? なんで、どうして、僕に尻尾っ!?」

 肩口から指先まで程度の長さがあった。太さは彼の腿より幾分か太い。赤く長い毛の生え揃った艶やかな尾である。尾てい骨から連なるそれは、骨が確りと通い完全に肉体の一部としてあった。感覚もまた同様である。

「何が……何が起こっているというんだ……」

 訳が分からなくて彼は自らの頭を抱えて蹲る。

 すると、そこで更なる事実が彼の元へ届けられた。

「っ!?」

 頭に触れた指、そこに在り得ない感触を感じたのだ。

 髪の毛とは異なり、頭蓋骨より突出した肉の感触が五指の滑るを妨げた。指の一本がそこに穴開いた部位へ突っ込まれて、その刺激により再び身が飛び上がる。

「ぬぁあああっ!?」

 自分の頭の筈なのに、自分の頭でない。そんな未知なる感覚を受けて、ジョンは熱いものに触れてしまった風に慌てて両手を離す。そして、再び、今度は恐る恐るといった様子で頭部へ手を向ける。

 結果、そこには何と見事な獣耳。

 尻尾と同様に、比較的長い毛並みの揃う三角に尖った耳が、二つ並んでいた。勿論、人間のそれとは付いている場所が違う。脳天を中心として、その両側へ綺麗に二つ並んでいるのだ。銀色の髪毛を掻き分けるようピンと立っている。間違いなく獣のものだった。

「な、な、な……」

 驚愕に瞳が見開かれる。

 両手はさわさわと頭上の違和感を弄くり続ける。

 これは嘘だ。

 こんなの間違いに違いない。

 そう言い聞かせるように幾度と無く頭部を弄る。

 しかし、そこには確実に耳があった。間違いなく獣耳があった。髪を梳くよう額より後頭部へ指を滑らせると、指はピンと立った獣耳の内側へ至る。指先に感じる熱は間違いなく自分のものだ。そして、耳だろう部位から送られる指が触れた感触もまた確たるものだった。

 弄くり過ぎて少しくすぐったくなったりする。

「あ、亜人……だと? ぼ、僕が亜人に、亜人になったなんて……」

 ジョンはふるふると身を震わせる。

 寒さに震えるのとは訳が違う。

 膝はガクガクと揺れて、全身の毛という毛が総毛立つようにして、足先から頭のてっぺんまで小刻みに震える。愕然と両手を見つめる。今し方にその存在へと気づいた耳と尻尾もまた、ピンと天井を向いて彼の感情を如実に表現していた。

「どうして、なんだこれは……」

 魔王の呪い。

 そんな言葉が彼の脳裏に幾重にも渡って響いていた。

 生き返ったことに喜べば良いのか。魔力を失い性別を異として、更には亜人にまで変質してしまった身に悲しめば良いのか。今の彼には全うな判断などつかなかった。ただただ、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 更に加えて言うならば、身長も肉体構造の変化に伴い縮んでいた。彼の眺める風景は意識を失う前のそれと比べて随分と低い。一般的な人間の子供、ようやっと二桁に届くかといった頃合の形(なり)と化していた。

「…………」

 少しばかり冷静になって、自らの置かれた状況を考えてみる。

 魔王を倒した自分。すぐさま仲間に殺された自分。魔王領に落ちていった自分。気を失った自分。そこまでは容易に反芻される。けれど、そこから先は幾ら考えても納得の行く理由が浮かばなかった。

「何故に生き返って、どうして女で、何が起これば亜人なんだっ!?」

 裸なのは何らかの影響で脱げたのだろうと完結させる。

 しかし、他の三つに関しては納得がいかない。

「魔王の呪いが僕を陥れるというのなら、これがその答えか? 亜人、特に魔力値の低い存在へ身を落とすことによって、その無力に絶望させるとっ!?」

 ジョンは頭に思い浮かんだことを口として確認をする。

「いや、ちょっと待つさ。そんな滑稽で謙虚な呪いが魔王の呪いかい? 随分とちゃちくないか? あれだけ偉そうな物言いをしておいて、幾らなんでも酷くないかっ!? これが呪いっ!?」

 既に死に絶えた魔王へ叫ぶように文句を連ねる。

「しかも、何故か女になっちゃって、ちょいと、どういうことさっ! 魔王ってば、あぁ、どういう趣味をしてるんだよっ!? 本当にまじめに呪いかけようとしてやったのっ!? もしかして、実は生きてて、僕で遊んでるんじゃないのかっ!?」

 声も大きく吼える。

「もしかして、そっち系? そっち系なのかっ!? そんなんだから偉そうなこと語っておいて人間に討たれるんだよっ! っていうか、第一、何故に服を剥ぎ取る必要があるんだよっ! ちゃんと説明してくれよっ!」

 垂れ流されるのは完全な愚痴だ。

「しかも魔法が使えないなんて、あぁ、魔法、魔法だよ……」

 両手をだらんと下げて頭上を見上げる。

「どうするんだよ、僕……」

 木の葉越しに眺める空は憎らしいほどの快晴。ただ、本来ならば耳に届くだろう鳥の音は届かなくて、獣の気配も全くと言って良いほどに感じれない。彼が立っているのは非常に静かな森の一角であった。

「僕から魔法を取ったら何が残るって言うんだ畜生っ!」

 憎々しげに空を眺めながらジョンは自らの今後を思う。

 彼はまだ自らの置かれた立場を全くと言って良いほどに理解していなかった。

◇ ◆ ◇

 それから、ジョンは数刻に渡り森の中を彷徨い歩いた。

 亜人と化した肉体は幼くあっても、成人男性のそれと比較して比肩するだけ十分に強靭だ。己の変化に多分に違和感を覚えつつも、人里を求めて彼は延々と足を動かし続けた。然して高い位置に無かった頭上の明かりが最高度まで達し、再び地平線を目指して沈み行く。

 先の見えない道程に焦りが募る。

 焦りが歩みを早くして、彼は必死の形相を顕のまま黙々と進んだ。

 獣すら通った形跡の無い道なき道を歩んだ。

 すると、不意に届いたのが人の、女性の悲鳴らしき叫び声。キャーと言うよりはギャーといった具合である。喉の奥底から引っ張り出された声色は、聞く者に退っ引きならぬ危機を知らせて思えた。

「な、何だ!?」

 ジョンは咄嗟に身構える。

 しかし、声まではまだ距離がある。

「魔物でも出たのか?」

 ようやっと出会えた自分以外の何某かである。とりあえず、何はともあれ自らの目で確認せんと歩みを更に速めた。足元に蔓延る草木を引き千切るようにして、慎重にも勢い良く音源へと近づいていく。

 すると、木々の合間より見えてきたのは彼の予期したとおり人の影。

 一帯は木々が払われて、多少だけ開けた広場となっていた。

 そこには年老いた老婆が一人、仰向けに倒れていた。その下には赤いものが溜まって小さな池を作っている。また、その周囲には厳つい面持ちの男が三人ばかり、抜き身の刀を携えていた。その刃には真っ赤な血がべったりと付いて、ぽたりぽたり、地面に雫を落としている。

 そして、男達は老婆の背負う荷物を奪い取り、金品を物色している様子であった。

「……これはまた、分かりやすい」

 その場で何が起こったのかを理解してジョンは呟く。

 ともすれば、その声に気づいた相手も彼の存在を捉える。一様に彼の方を振り向いて、その姿を目に止める。誰も彼も長らく風呂すら入っていないのだろう。赤に汚れて無精髭も伸びっぱなしの様相だ。

「なんだぁ? 亜人かぁ?」

「おっ、裸の女じゃねぇかよっ!」

「おいおい、亜人相手に何を興奮してんだよ」

 一斉に彼を振り向いた面々は、その外見に即座のこと寸簡など述べてみせる。

 男達の身形はてんでばらばらだった。一人は一般的な旅人を思わせる服の上にプレートメイルの篭手とブーツだけを付けている。一人は全身を皮製のアーマーに覆っている。そして、また別の一人はローブにすっぽり全身を覆って、顔だけをフードから出している。

「なるほど、その様相からして山賊の類か?」

 そんな男達の姿を眺めて、ジョンは淡々と語って見せる。その姿は人の殺された場面に遭遇したにしては酷く落ち着いたものだ。亜人とは言え、彼女と同じ年頃の娘にあっては戸惑うのが普通だろう。

「なんだよ、おい、随分と落ち着いていやがるじゃねぇか」

「こういうのをひーひー言わせるのが楽しいんだよなぁ」

「お前もいい趣味してるよな。俺はこんな貧相なガキじゃあ勃ちゃしねぇよ」

「いや、こいつらの穴はこれで締りが良くって、なかなか気持ちがいいんだぜ?」

「ほぉ……」

「なんでもいいからとっ掴まえるぞ。逃がすなよ」

 男達はジョンを見るや否や早々に足を動かした。彼の周囲を囲うように移動する。まるでそうすることが当然であるといった風である。手にした凶器を見せびらかせるようにして、飄々と距離を詰めて行く。

 ジョンは反射的に両手を前に出すと、術式を組み上げる。

「はっ、山賊風情がこの僕に挑もうとは片腹痛いっ!」

 幾百回、幾千回と唱えた術式である。それは男達の手が及ぶ間もなく完成した。そして、彼は挑み口調と共に始動式を口とする。腕を向けた先へ目掛けて、彼は人の身の丈と大差ない巨大な火球を召喚する。

「爆裂火球衝撃裂《アグニ》」

 ――――筈だった。

「よっしゃ、ゲットだぜぇっ!」

「なっ!?」

 両手より打ち出される筈だった魔法は不発。

 彼の四肢は容易にも男達へと捕らえられてしまった。

 そこまで至って、彼は自らの身の上に起こった不幸を思い起こす。今までが今までだったので、こうして魔法の使えない肉体というものを失念していたのだった。普段ならば四の五の言わずに吹き飛ばしていた相手。しかし、今はそんな者達に両手両足を封じられて、その身を自由を奪われてしまった。

 幾ら亜人とは言え、大柄な山賊を三人相手にしては太刀打ち叶わない。

「し、しまったっ……」

 だが、今更に後悔しても既に遅い。

 両手を頭上に掴まれると足が浮いた。

 丁度、二つある腕首を一手に掴まれて、ぷらぷらと吊るされる形だった。男達はジョンと比べて誰も彼も二倍近い身の丈を誇る。幾ら亜人となり身体機能の上昇した彼とは言え、その捕縛を逃れることは不可能であった。

「こ、このっ、貴様らっ! この僕様を誰だと思っているっ!?」

 慌ててもがき始めるジョン。

 しかし、相手はそれを鼻で笑い言葉を続ける。

「はぁ? 何が僕様だよ、おい。亜人風情が粋がってんじゃねぇよ」

 男の一人が刃物の先を彼の首筋へと当てる。

 ひんやりと冷たい感触を受けて、自然と彼の身体はぶるり震えた。久しく味わっていなかった感触である。思い起こすのは懐かしい幼き記憶の数々。だが、今はそんな感慨に浸っている余裕すらない。

「おいおい、壊すのは待ってくれよ? 俺の息子が美味しく頂くんだから」

「わぁーってるよ、このロリコン野郎が」

「亜人のロリは堪らないだよなぁ、この肉のきつきつ感がなぁ……耳がなぁ……」

 うひうひと楽しそうに笑みを浮かべて男の一人がジョンの股座へと手を伸ばす。蹴りの一つでも入れてやろうと足を動かすが。それも容易に手の平へ受け止められてしまった。彼の新しい肉体は全く持って非力であった。

 手の平に鳴るパシっと乾いた音も虚しい。

「く、糞っ、畜生っ!」

「ほーれ、ほーれ、触っちゃうぞぉー」

「何が触っちゃうぞぉー、だよ! 黙れっ! この下種共がっ!」

「おーおー、怖い怖い。近頃の亜人っ娘は怖いねぇ」

「死ねっ! 糞野郎っ!」

 まさかこのような事態に陥るとは彼にしても想定外であった。

 再び、男の無骨な手が割れ目へと向けられる。

 過去に受けたことの無い屈辱であった。まさか、自分が女として男に犯される姿など、それこそ夢にも思わぬ出来事だ。ジョンは眦を吊り上げて声を張り上げた。しかし、男達はそれすらも可笑しいと言わんばかりに彼を囃し立てる。

 そんな時であった。

 不意に別所より間延びした声が響いた。

「ちょいと待つニャっ! この下郎共めっ!」

 それは男達の背後より届けられた。

 そして、声が耳に届いたとき、既に声を発した者は男達の下まで迫っていた。

「っ!?」

 何を言う間もなく男の一人、ジョンを拘束していた彼が切り飛ばされた。腕を肩から切断されて、その痛みより仰々しい悲鳴が上がった。衝撃から男の肉体はどさり地に落ちて、自然と肉体は痛みから逃れるよう打ち回る。背を丸めて涙声を上げる。

 開放されたジョンはとんと両足から地面に降り立った。

 何事かと皆々の視線が声の下へと向けられる。

「このノラの前で鬼畜の所業は許さぬニャっ!」

 すると、そこには一人、己が爪を掲げて構える少女が立っていた。

 頭頂部両脇に生えた立派な三角の耳と、お尻からスラリ伸びたふさふさの尻尾は、彼女がジョンと同じ亜人であることを示していた。そして、更には彼女の場合、特に両手両足が尚のこと獣の様相を見せており、彼と比較して人間のそれとは一層だけ異なる。具体的には毛がフサフサで肉球がプニプニである。

 胸の高さまで掲げた両腕には長く鋭い爪が指の数に同じく伸びていた。

 その先端からは赤い雫がぽたりぽたり垂れて、地面に黒い染みを作っている。

「な、何だテメェはっ!」

「ンだコラァっ!?」

 男二人が慌てて少女の側を振り返る。

 仲間が倒されたことで即座に緊張を取り戻していた。油断ならない表情で相手を見つめて、手にした獲物を中腰に構える。僅か一瞬ににしてジョンは蚊帳の外。場は少女と男二人の決闘の場と変えられていた。

「お前達のような馬鹿に名乗る名は無いニャっ!」

「誰が馬鹿だ、この小娘風情がぁ……」

「いくぞおら、やっちまうぜこのガキがぁあっ!」

「おおっ!」

 少女へ向けて怒りのまま男二人が駆けた。

「ふふんっ、山賊風情に負けるノラではない。大人しくやられるといいニャっ!」

 対して、少女もまた男達へ向かって地を蹴る。

 長い金髪を風に流すよう煌かせて、小柄な身は突き進む。腰を深く落とした姿勢は酷く低い。身の丈の大小と相まって、男達からすれば自らの膝を狙うのと大差ない高低差にあった。地を這うような走り出しである。それこそ四足で駆けているが風だった。

 そして、そんな彼女に対して二つの太刀は真上より振り下ろされる。

 轟と音を立てて無骨な刃がその脳天や肩を狙い迫った。

 しかし、彼女は不意に地を蹴ると、自らの向かう先を大きく変化させた。直進する筈であった身は横っ飛び。そこへ頭上からドスン、ドスンと刃が大地へ突き刺さる。男達は完全に彼女の動きを見誤っていた。

「まだまだ、その程度でノラを討とうなんて片腹痛いニャっ!」

 そして、少女は隙だらけとなった男達を相手として、両手の爪を大きく横薙ぎに振り払った。円弧を描くように白銀が煌く。肉を絶つ水気を伴った音が辺りへ響いた。ローブの生地も、皮の鎧も、金属で造られたプレートも、爪は一切を構わず切り裂いた。目にも止まらぬ早技である。

「ぐあああっ!?」

「ぬぉおおおっ!」

 男達から悲鳴が上がった。

 二人は両腕を見事に切られていた。手首から盛大に血を噴出する。その光景を目の当たりとしてだろう、軽い混乱状態へと陥った。ドスン、ドスンと手にした獲物を取り落として、大慌てに逃げ出してく。先刻までの威勢など見る影も無い。捨て台詞すら吐く余裕も見られなかった。

 また、易々と討たれた仲間二人を目の当たりとして、最初に切られた男も慌てて腰を起こす。同様に怯え表情を隠すことなく、彼らの背を追った。脱兎の如く樹木の陰へと逃げ込んで行った。耳に届く悲鳴は森の中へと小さく消えて行った。

「ふふん、不甲斐無いニャ。この程度で逃げ出すとは駄目駄目ニャ」

 フンと小さく鼻息を吐いて少女は言う。

 そうして、一連の出来事は、それこそ水が川を流れるが風に、何ら滞り無く綺麗に行われたのだった。両者の間に圧倒的な実力差があったのは見るも明らか。亜人の少女は三人の男達を歯牙にもかけなかった。

 やがて、然る後に爪へ付着した血を一振り散らして、彼女はジョンへと向き直る。

「大丈夫かニャ?」

 投げかける声は先刻に男達へ向けたものと比較して幾分が温和になっていた。

 その声を耳として、彼は自失の念よりハッと解き放たれる。

「え、あ、ああ、大丈夫だ……」

「怪我をしてやいまいかニャ? 身体は大丈夫かニャ?」

 少女は眉をハの字に曲げて心配気な表情を向けてきた。

 その姿を眺めて、ジョンは今更ながら自らの置かれた状況を理解した。

 非常に自分らしからぬ立ち位置。それまで道端の石ころほどにも見ていなかった者達に良いように扱われて、あまつさえ殺されかけたという事実が、彼の中にあるとても大切なものを木っ端微塵に打ち砕いていた。怒りでも驚きでも悲しみでもない、純然たる衝撃である。

「…………」

「……大丈夫かニャ? 恐怖で声も出ないのかニャ?」

 爪の伸びる両手を下ろして、少女はジョンへとゆっくり歩み寄る。

 その切っ先に反射して、僅かばかり揺らめく陽光を視界に混じらせたジョン。眩い煌きにハッと自分を取り戻す。何処へ注目していたとも知れない瞳は正面を見据えて、自らに歩み寄る存在を正面から捉えた。

「どうしたニャ? 怪我は無いかニャ?」

「え、あ、ああ、大丈夫、と、当然だろ? このくらいで如何にかなるものかっ」

 慌てて場を取り繕うように言葉を返す。

 ともすれば、少女は僅かばかりの笑みを浮かべて安堵の息を吐いた。

「あふぅ、それは良かったニャー」

「…………」

 その姿を眺めて、ジョンは内心どうしたものかと頭を悩ませる。

 もしかしたら全ては嘘や幻にあって、危地に面すれば、本来の力が発動するのではないかとか、一縷の望みを託していた彼である。しかし、それが今を持ってして完全に霧散した次第にあった。

 そして、現状、自分より小さな亜人の少女に命を救われるという失態。

「どうしたのかニャ? やはり何処か痛むのかニャ?」

「い、いや……」

 心が痛いんだ、などとは口が裂けても言えない。

 そして、平静を取り戻したところで蘇ったのは鬱憤。何故に自分が下等な山賊如きに後れを取り、その上で更には、歳半端な少女の手に助けられなければならないのか。自尊心を激しく貶されて、一気に熱がこみ上げる。

「……それとも、何か変なことでも……」

 少女はジョンを想い言葉を続ける。

 けれど、それはジョンにしてみれば侮辱以外の何物でも無い。

 自分の置かれた状況を理解して彼は頭に血が上るのを感じた。

「べ、別になんでもないっ!」

「……そうかニャ?」

 だから、ジョンは吼えるように言った。

 一歩を踏み出した少女が思いとどまる。

 普段ならば、これに加えて火の玉の数個でも彼女の下へと飛んでいただろう。

 しかし、現状ではそれだけの魔力すら彼の下には残っていなかった。だから、虚しく大きな声が森に響く限りだ。幾ら拳を硬く握っても、そこから得られるものなど何もなかった。爪が皮膚に刺さって痛いだけだった。

「まあ、無事であったのなら何よりだニャ」

 対して、相手は随分と落ち着いたもので、飄々と彼に語りかける。

 その態度が更に彼の苛立ちを刺激した。

「ところで、君はこのような場所で何をやっていたのかニャ?」

「…………」

「集落から逸れて迷子になったのかニャ? それとも村を追い出されたのかニャ?」

「……君には関係ないだろ?」

「まあ、そう言われてしまえばその通りかニャ。けど、こうして道中に出会ったのも何かの縁だニャ。このまま素っ裸の君を放り出すのも目覚めが悪いし、向かうところあるならばノラが送り届けようじゃないかニャ」

「…………」

 少女は気前良く意気揚々と語って見せる。

 ドンと胸など叩いて自信満々だ。

 そんな彼女の姿を眺めてジョンは思う。

 なんて無様な自分が在ったものだろうかと。

 それこそ居ても立っても居られない屈辱である。ジッとしていられない。身体の肉と言う肉の疼く感覚が与えられる。けれど、幾ら暴れたところで何も起こらないと理解しているから、それ以上を行うことも無い。

 ただ、鬱憤だけが如実に募る。

 そして、彼がそんな内なる葛藤と戦っているとも知らず、目の前の少女は何やら背に下げた鞄を地面に下ろすと、中身をガサゴソ漁り始めた。やがて、彼女はしばらくを捜索に努めた後、荷物から一枚の布切れを取り出した。

「とりあえず、これを着るといいニャ」

 それは然して綺麗とも言えないが、特に目立って悪臭が立っている訳でもない。今のジョンのような、亜人の貧民を思わせる者が身につけるには、聊か上等な無地の布切れだった。平民の普段着を割いて作った割と幅広な一枚布である。

「……なんだよ?」

「これを使うといいニャ。まさか、そのまま延々と歩くつもりかニャ?」

「…………」

「受け取るといいニャ。別にお金は要らないニャー」

「…………」

 少女は嬉々として布切れを突き出す。

 ジョンは思わず抵抗の意思を見せる。

 しかし、彼にしてもいい加減、素っ裸でいることに寒さを覚えていた。時折、ひゅうと吹く風の一陣に身を震わせること度々であった。このまま裸で過ごしたのなら体調を崩すこと請け合いだ。

 そんなだから、今に見せる彼女の好意は彼にとって千載一遇に他ならない。

「……ふんっ」

 彼はその手から奪うように布切れを受け取った。

「自分で巻けるかニャ?」

「ば、馬鹿にするなよっ! これくらい自分でできるさっ!」

「そうか、なら自分でやるといいニャ」

「…………」

 拗ねた風に言って、タゴサクは布切れを身体へと巻いて行く。首下から膝先まで、全身をすっぽり覆う。それだけですぐに体温の暖か戻る感触があった。それこそ、高々数刻裸でいただけにも関わらず、随分な変化だと内心強く思う。

 そして、そんな思いが顔に出ていたのか、彼を眺める少女が口を開く。

 ニコニコと笑みを湛えながら言う。

「どうかニャ? 多少はましになったかニャ?」

「っ……」

 自分の素直な部分を見られたことが、また、彼の自尊心を刺激した。

「べ、別に、そう大して変わるもんじゃないっ!」

「そうかニャ? まあ、それならそれで僥倖だニャ。肉体が強靭なのは良いことニャ」

「…………」

 ジョンにとって、二人の立ち位置は確定的だった。

 少女が上で、自分が遙か下。

 それが今の彼にとっては、堪らなく屈辱的であった。

「ところで、君は何処か向かう先があるのかニャ?」

「……だったら、何さ?」

 少女が問う。

「もしも行く当てが無いというのなら、ノラと一緒に来るかニャ?」

「……ぁ?」

 不意に投げかけられた提案。

 思わずジョンは変な顔をして疑問を返してしまう。

「一緒に来ないかニャ? その様子では向かう先があるように思えないニャ」

 対して、少女はニコニコと裏表無い笑みを湛えて彼に問いかける。

 ジョンは応える言葉を持たない。冷静に現状を踏まえれば答えなど決まりきっている。しかし、素直に頷くことは彼のプライドが許さなかった。今まで何をするにも独りで乗り越えてきた彼である。それが今、このような幼い少女に頼るなど、持っての他であった。

 けれども、この機を逃しては生き長らえるにしても難しい。

 今し方にあったとおり、再び山賊に襲われてはどうなるか分かったもので無い。それこそ今より更に屈辱的な目を見るかもしれない。そう思うと、彼は差し出された手を払うことができなかった。

「どうしたニャ? 別に気兼ねしなくていいニャ。旅は道ずれと言うニャ」

 対して、言葉を投げかける少女は至って穏やかなものだ。

「君が僕と一緒に行って、何の得があるって言うんだよ?」

 だから、彼の口からでたのはそんな呟きである。

「別に取って食おうという訳ではないニャ。ノラも一人で旅をするのに飽きてきたところだニャ。道中、会話を共にする者が居れば良いと思っていたところだニャ。別に一方的にこちらが何をする訳でもない。旅の共になってくれないかニャー?」

 そして、そんな彼の心中を察したが風に少女は言葉を続ける。身長差は彼女の方が頭一つ分だけ小さくて、自然と下から上目遣いに覗き上げる形となった。語る調子には決して奢りや見栄などなくて、純粋に彼へと伺いを立てて思えた。

 だから、それが更に彼の心を波立たせて、憤怒の思いを怒涛の勢いで募らせる。

「フン、何が……何が旅の共だっ……」

 硬く握った拳から赤い雫が垂れる。

 それこそ山賊に襲われたときより尚のこと頭に来ていた。

「嫌かニャ?」

「…………」

「まあ、そこまで嫌なら、無理にとは言わないニャ……」

「…………」

 少女はジョンの言葉が悲しかったのか、頭上の耳や尻尾をしゅんと垂れさせて応じる。また、その面構えも先刻と比較して随分と陰りが思える。それまでの爛々とした瞳から一変して光が失せて思えた。

 コロコロと忙しなく表情の変わる、非常に感情豊かな性格の持ち主だ。

「けど、ノラはこの近辺の地理には疎いニャ。実を言えば君と同じ迷子なんだニャ」

 ジョンが黙ってしまったので、少女は一人淡々と言葉を続ける。

「もしよかったら、ノラと一緒に迷って貰えないかニャ? ノラ一人では難しいかもしれないけれど、君の力を借りることが叶ったのなら、もしやこの森を抜けることができるとも思ったのだニャ」

「…………」

「駄目かニャ?」

 少女は真っ直ぐにジョンを見つめて言う。

 その言葉には嘘偽りが感じられなかった。

 ジョンはジッと目の前の相手を眺める。確かに森に迷ったと語るには道理に叶った姿である。足は土にまみれて、服も幾日と変えた様子が無い。髪はぼさぼさだし、肌にも層となって垢が積もり伺える。

 彼は淡々と少女を評価した。

 そして、そこまでを確認して、ぎりぎりのところで、本当に危ういところで、自らが彼女と同行するに許せるだけの余地を見つけた。これならば良いだろうという、境に立つこととなった。

 だから、頷く。

「……それなら、別にいい」

「良いニャ? それはどっちの意味かニャ?」

「だから、一緒に行ってやると言っているのさ……」

「おぉ、本当かニャ?」

「くどいっ、二度も同じことを僕に聞くなよっ」

「嬉しいニャ。とても助かるニャ。どうか道中よろしく頼むニャっ!」

「ふんっ……」

 手を差し伸べる少女を前にジョンはそっぽを向いて応じる。

 しばらくを待った彼女だが、目の前の相手がそれを握らずと理解して、静々と腕を元在った場所へと戻した。ただ、それでも彼女の顔は平然としていて、然して応えた様子が感じられなかった。ただ、ニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべている。

「…………」

 それがまたジョンの自尊心を刺激するのだが、頷いてしまった手前、彼はそれを危ういところで飲み込む。同じことの繰り返しで延々、時間を取られるのは彼にしても愚かだと理解していた。

「では、早速ではあるが行くとしようかニャ? ……えぇと、えぇと……」

「……ジョン、ジョン・スチュアートだ」

「ほぉ……、それはまた良い名だニャー」

「な、なんだよ?」

「いいや、言葉の通りだニャ」

「幾ら褒めたって、救いの駄賃は出ないからな?」

「別にそんなつもりは無いニャ」

 ノラはジョンの言葉を受けて、慌てて頭(かぶり)を振る。

「ノラはノラというニャ。よろしくニャ」

「ああ、……よろしく」

 そうして、ジョンとノラの二人旅は始まるのだった。

◇ ◆ ◇

 ジョンとノラはしばらく森の中を彷徨った。

 数刻に渡り延々と木々の合間を避けて通る道程だ。

 ともすれば、そろそろ野宿の支度をしようかという頃合である。日も傾き始めたところで、偶然にも二人は森を越えるに至った。痛む足に鞭打って歩き通したところ、不意に歩む先にあって、木々の合間より望む空の色が濃く届けられる。

 駆け足に進む二人の先に樹木の連なりは切れた。

 そこはようやっと途絶えた木々の合間より数歩を出でた先である、青空も拝める小高い丘の上。背後に鬱蒼と茂る森を置いて、眼下には多少の距離の先に遠く街の姿が見えた。広々とした平原と、その中央にでんと在る人の営みである。薄暗い夕闇の中にぽつりぽつりと明かりは密集しており、一つ一つは小さくとも、数を群れたそれらは遠目にも爛々と輝いて思える。

「おぉぉ……。迷い込んで早六日、やっと森の外に出れたニャ」

「……君、そんなに迷ってたのか」

「きっと人助けをしたノラに神様がご褒美をくれたに違いないニャ?」

「あぁ、そうかもしれないな……」

 ジョンはノラの言葉へ適当に相槌を打って歩を僅かばかり前へ進める。現状に聊か意気消沈の気が見られる彼は、本来ならば多弁な性格の持ち主である。しかし、今は随分と口数が減って感じられた。

 とは言え、ノラとの出会い頭と比較しては聊か気分も落ち着いて思える。

 数刻を経て大分、冷静さを取り戻した様子であった。

 ノラとも森を彷徨う内で幾らばかりか言葉を交わし、多少なりとも交友の手掛かりを捉えて思える次第である。語る調子が多少なりとも柔らかくなっているのは、彼本来の適用力の高さ故であろう。

「ところで、あの村の周りに広がっているのは何さ?」

「ん? 何かニャ?」

 ジョンの言葉を受けて、ノラもまた数歩を進み彼の脇より街へと視線を伸ばす。

 ともすれば、彼が語るとおり街の周囲には何やら黒い影が広がっていた。遠く眺める街は背の高い塀に囲われている。そして、その周囲には何やら大地の色とは異なる陰影が広がっていた。塀の中を中心として、その密度は段々と距離を置く毎に落ちていく。まるで紙に垂らした墨の如くだろう。明かりの眩い壁の内側と比較して、周囲のそれは幾分が薄暗い。灯る光の点は顕著に疎らだった。

「街に入り損ねた貧民の集まりか?」

「だけど、それにしては随分と大きくないかニャ?」

「あぁ、確かにそうさね……」

 二人してジッと遠方の光景を眺める。

 遠く眺める街の外には、外壁近辺を最密として集落らしい何かが広がっている。それは街中心部より距離を置く毎に疎らとなる。大凡、壁の内を核として街全体を二倍近い規模へと膨れ上がらせていた。その一端は二人が眺める丘より地続きにあって、木々も疎らに更地を幾分か進んだところで接している。

 街は荒野を挟み接する林、森、やがては山岳部へと至る森林地帯より、ゆらゆら流れる幅広な川を水源としており、外壁にも水の流れを取り入れる部分だけは穴が開いていた。また、二人の目には見ることは叶わないが、水路には人間の侵入を防ぐよう格子が成されており、川の穏やかな流れだけがゆっくりと街の中へと流れてゆく。

 背の高い塀から炙れた者達は、特に川へ群がるよう集落を成しており、丁度、街から川を中心として扇状に広がっている。ただし、街を挟んで上流側は規制があるのか、そうした連なりは見られない。水場の近辺にはちらほら哨戒を行う兵の姿も見られる。

 まるで外壁に収まる街を中核として、河川に逆らい進む流星のような様子だった。

 しかし、幾ら眺めたところで埒が明かない。依然として街までは距離も開き在り、そこを行き交う人々の姿など、二人からすれば爪の先にも満たない小さな点である。幾ら語らったところで何ら得られるものは無かった。

「と、とりあえず行ってみるニャっ!」

「そうだな。ここからじゃ見当がつかない」

 頷き合い二人は一度止まった歩みを再び動かし始める。

 樹木の茂る森より幾分か足場が好ましく、また、遠く日の沈み始める姿もあって、歩みは殊更に急がれた。お陰もあってだろう。随分と遠く拝んだ街であったが、二人はそう時間を掛けることなくその一端まで辿り着くに至った。

 丘の上から眺めたとおり、街の周囲を囲っていたのは、そこに居を張る者達であった。人に限らず亜人から鳥族、獣族といった亜族に至るまで様々な姿が伺える。街の外壁を越えて一帯にはテントが張られて、雑多に居を構えているのだった。

 そして、その全てに共通して言えるのは、一様にみすぼらしい身形である。

 密集が過ぎる領域へ足を踏み入れれば踏み入れただけ、何とも言いがたい臭いが漂ってくる。多くは濁った眼差しを持って、或いはギンギンに光る瞳を辺りへ這わせて、妙な緊張感が肌に触れる。慣れぬ者にとっては非常に居心地の悪い空間を作り出していた。

 ジョンが先刻に口へしたとおり、いわゆる貧民街である。

「っていうか、どうして街へ入れない奴がこんなに溢れているのさ?」

「ぬぅ、ノラも分からない……」

 問われてノラはきょろきょろと周囲を眺めつつ応える。

 頭に生えたフサフサと毛の生える大きな耳は引っ切り無しにピクピクと動く。縦に鋭く伸びる同好の瞳は忙しなく右へ左へキョロキョロと移動を繰返す。その言葉に違い無くノラは周囲の様子を伺っていた。

 そんな彼女の姿に疑問を感じてジョンは言葉を続ける。

「そもそもここは何て言う名前の街なんだい?」

「色々と気になることは、そこいらの誰某かに尋ねてみるニャ」

「ここへ来るのは君も初めてなのか?」

「なんだか見覚えがあると言えばあるけど、記憶が曖昧だニャ……」

「なんだ、そうだったのか……」

 てっきり彼女が事情に通じているものとばかり思っていたので一つ落胆である。

「という訳で、まずは街の中に通じる門へ向かうニャ?」

「分かった、そうしよう」

 二人は周囲の様子を伺いつつ、貧民街を中央に座する街の側へ歩みを向けた。

 周囲には人の姿はあまり多く見られなかった。目に見える範囲においても数十人に一人あるかどうかといった具合だ。他は亜人や亜族が多く占めている。また、特に怪我をしている者の姿が非常によく目についた。

「随分と亜人の類が目立つなぁ……」

「きっと、亜人が締め出しを喰らってるニャ?」

「ああ、それ以外に僕も理由が浮かばないさ」

「となると、ノラ達も街の中に入るのは無理かニャ?」

「この身形じゃあ難しいかもしれない」

「困ったニャァ」

 やがて、しばらくを歩むと街の内と外を隔てる外壁、そこに設けられた門が見えてくる。門前では剣や槍で武装した兵が幾人も立ち、その周囲を行き交う者達を威圧していた。その眼差しは決して優しいもので無い。者によっては明確な害意すら浮かべて思える。

「どうする?」

「とりあえずノラが事情を聞いてみるニャ」

「分かった」

 軽い様子で語り、ノラはひょこひょこと門番の下へ歩み寄る。

 すると、周囲の兵達が一斉に反応した。

 彼女の周囲を取り囲むようにして、手にした凶器により彼女を囲うよう円陣を作る。それこそ目にも止まらぬ早業であった。こうした出来事に対して非常に良く訓練されていることが伺える。

「ニャっ!? ニャ、ニャニャっ!?」

 慌てたのはノラだ。

 まさかいきなり武器を向けられるとは思ってなかったらしい。

 全身の毛を総立たせて驚きを顕とする。

「門に近づくとは如何なる用件だっ! これ以上を近づくのならば容赦はしない」

 槍を手にした兵の一人が、ずんと腹に響く低い声を鼓膜に痛いほど張り上げる。鎧の下に隠れて全容は明らかでないけれど、大凡は人間だろう。体毛の失われた指先や顔立ちはジョンの知る過去の自らと一致する。

「ちょ、ちょっと待つニャっ! 別にノラは何も悪いことしてないニャ」

 ノラは慌てて両手を真上に上げると弁明を始めた。

「ならば早々にこの場より立ち去れ。出なければ切られても文句は言わせぬ」

 男はノラを前に一切の躊躇なく言葉を続ける。

 それこそ、元より取り合うつもりなど毛頭無い、といった具合だった。

「だったら、一つだけ教えて欲しいことがあるニャ」

 けれど、彼女はめげずに言葉を続ける。四方を幾つもの切っ先に囲まれながら、それでも平然を装い語りかける。両手は上に上げたまま、声の調子もジョンに語り掛けるに同じく安穏としたものだ。

 そんな彼女に兵の一人は厳つい表情で応じる。

 どうやら彼が周囲の兵達の長に当たる存在なのか、他の面々は大人しく口を閉じて、凶器を淡々とノラへ向けている。

「何だ?」

「ここは何という名前の街だニャ?」

「貴様、そのようなことも知らずにここまで来たのか?」

「そうだニャ」

「……何処から来た?」

「向こうの丘の先にあった森を抜けて来たニャ」

「森だと? それはまさかノートルドの森か?」

「あの森がどういった名前で呼ばれているのかは知らないニャ」

「…………」

 眉を顰める兵を相手にノラは飄々として言葉を続ける。

 慌てたのも一瞬のことで、すぐに自分のペースを取り戻した様子だった。

 そして、そういった彼女の態度に毒されたのか、兵は彼女の言葉に僅かばかり悩んだ後、その口を開く。ただし、依然として槍は構えられたまま、切っ先は僅かでも動けば彼女の肌を裂く位置である。

「ここはファーレンだ。名前くらいは知っているだろう?」

「ファーレン? というと、ここは国境付近なのかニャ?」

 どうやら耳に覚えのある街であったらしい。

 ノラがピクピクと尻尾を震わせて呟く。

「そういうことだ。貴様も村を焼かれて来たのではないのか?」

「そうだニャ。村を焼かれて森で迷子になっていたニャ。あと、事情は違うけれど、こっちの子も一緒に迷子だったニャ」

 そうしてノラは傍らに立ったジョンを両手で指し示す。

 兵は彼をちらり眺めて如実に顔を顰めた。ジョンは自らへ与えられた侮蔑に拳を握る。しかし、即座に己が非力を思い起こして、開きかけた口を閉ざした。今は目の前の少女に全てを託すが良いと結論を出す。

「まあ、何にせよこの街に貴様ら亜人の居場所などない」

 ともすれば、兵は嫌悪の表情をそのままに言葉を続けた。

「死にたくなければ早々に去れ。こっちも死体の処理はこれ以上御免だ」

「ノラ達を街へは入れてくれないのかニャ?」

「貴様らのような獣臭い者共など通して堪るか。早く何処へでも行けっ!」

 兵は二人を威嚇するように武器を構える。

 彼の言葉に従って周囲を囲う数名の兵も同様だ。誰も彼も厳しい表情で二人を睨みつけている。これ以上は言葉を交わすことも難しく思われた。街の中へ至る交渉などもってのほかだろう。

「わ、分かったニャ。だから、刺すのだけは勘弁して欲しいニャ」

「ならば去れ。これ以上、私達の仕事を増やすんじゃない」

「去るニャ。去るから道を開けて欲しいニャ」

 そうして、ジョンとノラは追い立てられるよう門前を後とするのだった。

 終始突き刺さる番兵達からの視線は一切の例外なく鋭い。身の危険を感じつつ、二人は早足に街の囲いから遠ざかった。見れば兵は街の塀にそって延々と巡回を続けており、そこへ近づかんとする者全てを見張っている風にあった。

 一介の街と言うには厳し過ぎる警戒の目を眺めて、二人はしばらくを無言に歩んだ。

 それから、しばらくして周囲に兵の姿が見えなくなった頃合である。はふぅとノラが溜息を吐いた。兵を前としてピンと伸びていた背が丸まる。ただでさえ低い身長が更に低くなって、平素のそれへと元通った。とても分かりやすい変化だろう。

「なんだか凄く面倒なことになっている感じニャ?」

 それにジョンもまた同じく溜息混じりに呟いた。

「と言うか、本当にここはファーレンなのか?」

「ん? どういうことニャ?」

「ファーレンには、こんな立派な囲い塀があったのかと疑問に思ったんだ」

「ジョンはこの街を知っているのかニャ?」

「あぁ、以前に寄った覚えがあるのさ」

 ノラの言葉を受けて、ジョンは数月だけ前の出来事を思い起こす。

 丁度、その頃の彼は仲間と共にこの近辺を旅していた。街からの依頼で近隣の山岳地帯に住まう凶暴な古龍の退治を請け負っていたのである。その頃の出来事を思い出しての発言だった。

「それは意外だニャ」

「もしかして、君は僕を馬鹿にしているのか?」

「別に馬鹿になんてしていないニャ」

「なら何だと言うのさ」

「だって、それなら塀なんて幾らでも目にしているんじゃないのかニャ? というか、人間が主張する国境付近の地方都市は、その殆どが塀に囲われているのが普通だと思う。塀を知らないなんて面白いニャ」

「……え?」

「伊達に国境を見張ってないニャ」

「ちょっと待て。さっきも気になったが、国境とは一体何のことを指しての話さ?」

 ノラの言葉に気を引かれて、ジョンは身を乗り出すよう歩みを寄せて口を開く。その顔には明らかな疑問符が浮かんで思えた。普段に増して開かれた瞳は、ジッと目の前の相手を捉えて離さない。

「何のことを指してと言われても、国境は国境だニャ?」

「いや、違うだろう? っていうか、どうして国境がこんな場所にあるんだよ」

「それは二つの国が接しているから、こんな場所にあるんだニャ」

「…………」

 二人の話はまるで噛み合ってなかった。

 目の前の少女の言葉がジョンには理解できなかった。埃っぽい空気や鼻を擽る異臭も気にならないほどに意識が正面の相手へと集中する。何か自分が酷い見落としをしているのではないかと、強烈な焦りを覚えたかれである。

「もしかして、国境、知らないニャ?」

「知っているさ。そんな阿呆なことがあって堪るかい」

「だったら言葉通りニャ?」

「いや、だから、その国境とやらは何という名の国が接する国境なのさ?」

 ジョンからの問い掛けにノラは聊か困惑した様子で言葉を返す。

「もしかしてジョンは地理に疎いニャ?」

「疎いとかそういう次元じゃないだろうに。本気で言ってるの?」

「何か勘違いしているニャ? イーペイロスとマクレーンに決まってるニャ」

「……え?」

 ノラの言葉にジョンの身が固まる。

「ここ最近は特に仲が悪いと評判ニャ。ノラの村みたいな、辺境のど田舎まで噂が伝わって来るくらいニャ。もしかしたら、この物々しい空気もそういった辺りが理由なのかも知れないかと、ノラは考えるニャ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。君、イーペイロスとマクレーンだって?」

「そうだニャ」

「なんでイーペイロスとマクレーンが喧嘩しなくちゃならないのさ!?」

「なんでって、そんなのノラにも分からないニャ。でも喧嘩しているニャ」

「分からないって、なんだよそれ」

「ちなみに、戦局は十六宝玉を四つを保持しているマクレーンを優勢と見るのが世論一般での軍配。イーペイロスはまだ一つしか手にして無いという話だニャ。当初は先行して一個を見つけただけに手痛い状況だろうニャ」

「まさか、あいつら僕が居ない間に何をやっているって言うんだ……」

「……あいつら?」

「そうだよ、ああ、何のためにコージマを倒したと思っているのだ」

「んぅ? コージマって、コージマかニャ?」

「コージマはコージマさ」

 何やらジョンはブツブツと呟きを漏らし始める。

「まったく、あいつら、僕の苦労を何だと思っているんだ……」

 その姿を眺めて、口元に手を当てたノラは、ぽつねんと疑念に立ち呆けた。今度は彼女がジョンの言葉を理解できていない風である。一人、勝手に思考を熱くする彼とは対照的だった。

 だから、次なる彼女の発言は大いにジョンを驚かせた。

「コージマを倒したって……、ジョン、大魔王コージマは五百年も前に死んでるニャ?」

「……え?」

 何に慄くことなく淡々とした物言いである。

 俯きがちにあったジョンも思わず彼女を振り返る。

「ノラも昔、おじいちゃんに良くお話を聞かせてもらったニャ」

「昔、おじいちゃん?」

「とっても有名な昔話だニャ。流石のジョンもこれは知っていたのニャ?」

「いや、いやいや、ちょっと待ちたまへよ君っ!」

 それまでとは打って変わって、ジョンは興奮した様子でノラの両肩をガッシと掴む。その今までの彼とは色を変えて思える挙動に、彼女は大きく身を震わせて、尻尾や耳をピンと張らせた。全身の毛をざわざわと立たせた。

「ど、どうかしたかニャ?」

「その話、もうちょっと詳しく説明するニャ」

「ニャ? ジョン、なんか語尾がおかしいニャ?」

「それは君に言われたくない」

「いや、でも、そんなの昔話の通りだし、ジョンも知ってるニャ?」

「いいから、早く僕に説明して見せてくれたまへ」

「わ、分かったニャ」

 鬼気迫るジョンに妙な迫力を感じて、ノラはコクコクと頭を縦に揺らすのだった。

 曰く、その時代、世界は大魔王と大魔王の配下として順ずる魔族と呼ばれる種族によって支配されていた。人間は元より亜人や鳥族、獣族といった亜族もまた、大半がその嗜虐の下に置かれていた。魔族を相手取っては龍族、古龍族ですら、その影響を受けずには居られなかったと言う。

 希望は日々失われて、誰も彼もは絶望に毎日を打ちひしがれていた。

 そんな世界を救ったのが四人の人間の英雄である。

 勇者アラン・イーペイロス、剣神リチャード・マクレーン、聖母ソフィア・アイオーン、そして、大魔道ジョン・スチュアート。遙か五百年前に大魔王コージマを打倒した四大英雄の名前。別に識者に限らずとも、老若男女、種族種別に関わらず、広く世界中で聞き語られて一般に知られている史実。この世界に置いて他に比肩することのない一番に有名な御伽噺、昔話。

「といった話ニャ」

「…………」

「あと、話の根本は基本的に同じだけれど、地方によって色々と脚色が成されていると聞くニャ。例えばバラス教の本拠点があるアイオーンだと、ソフィアの活躍が大きく語られているとか、そういった具合だニャ」

「…………」

 ノラの言葉にジョンは何も答えない。

 ただ、呆然とその話に耳を傾ける限りだった。

「このあたりは元スチュアート領、現イーペイロス国だから、アランの活躍が割と大きく語られることが多いニャ。正直な話、五百年も経っちゃうと、そういう種族じゃなければ本当のところは分からないニャ」

「…………」

 そんな彼の姿を眺めて、ノラは自らの記憶を思い起こすよう言葉を続けた。

 そして、彼女の語る何もかもはジョンの知るところとは違って、その身に激しい混乱を与えるのであった。何よりも彼を刺激したのは五百年、五百年、五百年。圧倒的且つ具体的な数字が脳裏に幾重にも響いて届けられるのだった。

「……ところで、ジョンはコージマを知っているかニャ?」

「……コージマ」

 ノラの言葉に聞きなれた名前を口とする。

 それこそ、つい先日まで死闘を繰り広げていた仇敵である。彼を除いては同じパーティーのメンバーですら、それこそ足元にも及ぶことなかった世界最強の魔族だ。ジョンにしてみれば一種のライバルとも言える相手だろう。

 それが何故に御伽噺として語り継がれるにまで至っているのか。

「もしかして、ジョンはハイ・エンシェントかニャ?」

「いや、そんな……まさか……」

 ノラの語り掛けを無視して、ジョンは自らの肉体の震えるを抑えるに必死だった。