金髪ロリ獣耳ファンタジーラノベ

第二話

「まさか、五百年なんて……」

 妙に煤けた表情で放心気味のジョンが言う。

 場所はファーレンの正門より幾らか距離を置いた辺り。難民の連なる一角に腰を下ろしてのことだった。二人は横に並んで地べたへ直接に尻を落ち着けている。そうして、内一名は人差し指でグリグリと土など弄くりつつでの会話である。ノラそんな彼の姿を眺めてなんとも言えない表情だ。

「果たしてノラはジョンの言葉を素直に信じて良いのかどうか、分からないニャ」

「別に君が信じてくれなくたっていいさ。事実は変わりやしないのだから……」

「ニャァ……」

 ジョンはノラに自分の名を名乗った。

 そして、彼女に出会うまで何を行っていたのかを包み隠さず語ったのだった。それこそ彼女と出会う数刻前までの話。件の大魔王コージマと繰り広げていた死闘を詳細まで語って聞かせた次第である。

 しかし、ノラはジョンの言葉を耳として聊か困惑気味だ。

「しかし、伝説の英雄の一人とは想像以上の語りだったニャ」

「別に英雄でも伝説でもなんでもないやい……」

 性別を変えていたり、頭に耳が生えていたり、尻に尻尾が生えていたり、素っ裸であったり、色々と驚くことの連続であった。しかし、五百年という歳月は、その何れをも超越する圧倒的な混乱をジョンへと与えるのだった。

 おかげで精神状態に異常を来たしたのか、色々とおかしな具合である。

「ま、まあ、なんとも言えないけれど、元気を出すニャ?」

「魔力も性も失って、時代すら失った僕に元気を出せというのかい?」

「ニャ……」

 ハァァァァァと壮大な溜息を吐き出す。

 それまで胸の内に湛えていた僅かばかりの希望すら吹っ飛んだ為だった。自宅に帰れば、もしかししたら何とかなるかもしれない。そんな淡い期待が失われて、ジョンは完全な失意の中に在った。

「もうどうでもいいよ、面倒だし」

「ニャッ!? そういう短絡的な考えは良くないニャ!」

「でも僕から魔法を取ったら何が残るんだい? ご覧の通りじゃないか」

「別に魔法が無くなったってジョンはジョンだニャ?」

「いいや、違うね。魔法が無くなったら僕はジョンじゃないのさ……」

 背骨を丸めて縮こまる。

 人差し指で足元の土を捏ね繰り回しては、不貞腐れた風に言葉を返す。

「それだったら、ジョンは何に成るニャ?」

「さぁ、何になるんだろうね? ただの嫌な奴じゃない?」

 フッと自嘲気味に笑って見せる。

 そんな彼の姿に何を見たのか、ノラは慌てた様子で言葉を続ける。

「も、もう一度、同じように頑張っていけば、きっと魔法を使えるようになるニャっ!」

「あの道をもう一度巡れというのかい? 君は鬼畜だな」

「そ、そうかニャ?」

「ああもう、眠りたい。深く、ふかーく、眠りにつきたいよ僕ぁ……」

「…………」

 先刻よりジョンの態度はこんな具合だった。

 延々と彼に付き合って、その愚痴を聞いているノラの人の良さが浮き彫りと成る形である。言葉を続ける本人にしてみても、何故にコイツは僕なんかに付き合ってくれるのだろうと内心強く思っているくらいである。

「っていうか、ノラ、お前は行く場所があるんじゃないの?」

「ん?」

「旅をしてるんじゃなかったの?」

「そういえば、ニャ、そうだった」

「こうして森からも無事に外へ出れたんだ。僕なんかに構ってないで、何処へでも好きなように行けばいいじゃないか。街へは入れそうにないし、こんなところをうろついていたって、何も良いことはないさ」

「しかし、ノラはジョンが心配なのだよ」

「……僕が心配?」

「なんだか放っておいたら明日には死んでそうニャ」

「…………」

 包み隠すことの無い素直な物言いに、ジョンは思わず返す言葉に迷う。

 勿論、そこに悪意は寸毫として感じられない。

 そして、彼の沈黙を何と思ったのか、ノラは笑みを浮かべて語りを続ける。その口調は延々と愚痴を耳としていたにしては穏やかで、彼女の温厚な性格の一端を非常に良く現して思えた。

「生き物の命なんてとっても不安定で、後先、残すところが長いのか短いのかも分からないと強く想う。自ら死に急がずとも時期が来ればそれは自然と訪れる。だったら、ジョンも未来に期待せずに、純然と今を楽しむのだって悪くないと想うニャ」

「……なんだよ、それ」

「本能に近いところで、刹那的に生きるのも悪くないと思うニャ」

「…………」

「どうかニャ?」

「それが君の生き方なのさ?」

「ノラは明日への希望と今の喜びを正しく分配しているつもりニャ」

「……なんだ、君、随分と頭が良いじゃないか」

「ふふん、褒めたって何も出ないニャ」

「別に期待なんてしてないし……」

「そうかニャ?」

「ああ、そうさ。そうに決まっているだろうに」

「でも、ノラもその分配が上手く行かずによく悩むから、ジョンと同じかもしれない」

「……そうじゃなきゃ僕が怒る」

「あはは、怒られるのは嫌だニャ」

 そうして語るノラはとても楽しそうに笑う。

 だから、そんな彼女を眺めるジョンもまた、僅かばかり気分の持ち上がるを感じる。他者の慰めなど滅多に耳とすることの無い彼だ。そして、慰めを受けたとしても、過去、その大半は彼の心に届くことが無かった。どれもこれも語る相手の内を省みぬ酷く適当な言葉達であった。

 けれど、そんな爛れた彼の心ではあるが、何故だかノラの語りにおいては、愚直なまでに響くものを感じるのだった。それが彼女の本心であるかどうかは知れない。けれど、仮に本心でなかったとしても、彼にしてみれば割と嬉しく思える慰みとなった。

「だったら、僕はお腹が減った。喉も渇いた。ついでに眠くなり始めている」

「それじゃあ、まずは一緒に晩御飯を探しに行くニャ!」

「……ああ、そうさね」

 元気一杯に腕を振り上げて立ち上がったノラ。

 その姿を頭上に眺めて、自然とジョンも腰を上げる。

 少しばかり前向きな気分になった彼である。

「けれど、こんな場所でどうやって食事を漁るって言うのさ?」

「とりあえずは川で魚でも漁ってみるニャ? ついでに飲み水も確保するニャ?」

「うん、分かった」

 素直に頷いてジョンはノラの後へと続いた。

 過去の彼を知る者が見れば、恐ろしいまでの従順さに驚くことだろう。

 けれど、この場に在っては誰も彼を振り返ることはない。ただ、その先を歩むノラだけが、自らの後ろへ続いた彼の姿をちらりちらりと振り返るのみである。それはジョンにとって随分と久方ぶりの心地であった。

 それから二人はしばらくを歩んで川の畔まで向かった。

 途中、幾人か兵の姿を遠目に眺める。その誰も彼もは物々しくも武装して、街へ近づかんとする者には容赦なく、その切っ先を突きつけていた。小さな騒動は塀を挟んで街の至る箇所に起こっていた。

「しかし、まさか五百年とはねぇ……」

「本当にジョンはジョン・スチュアートなのかニャ?」

「何度聞かれたって僕は言うさ。本当だってね」

「むぅ……」

「信じてくれなくてもいいさ。そりゃ五百年もあれば御伽噺の領域だろうに」

「それが事実だとしても、ジョンの言う大魔王の呪いって凄く微妙ニャ……」

「それは言わないで欲しいんだけど? 僕だって気にしているところなんだから」

「なんだか庶民的過ぎるニャ」

「ああ、そうだとも。きっと、僕を僻み妬んだ奴の嫌がらせの領域さ」

 しばらく歩むに従って、進む先に水面の夜明かりにキラキラ煌く光景が現れた。河川の幅は人が歩んで数百歩といった具合か。割と流水量の大きな一本である。特に曲がりくねることなく、街を出てよりも延々と一直線に流れていた。

「大きな街の下流の水は汚いから使いたくないんだけど……」

「上流には兵士が沢山見回りに出ていたニャ?」

「ったく、あいつらめ、力さえあれば幾らでも吹っ飛ばしてやれるのに……」

「今は我慢するニャ。逆に吹っ飛ばされるのが関の山だろうニャ」

「わ、分かってるさっ」

 そうして、二人は他の難民に混じり河川の袂へと近づいた。

 水の流れを傍らに置いて、他に多く難民の姿が見られる。まだ日が落ちて間もない為か、寝静まっている者も疎ら。多くは闇に紛れて何をしているのか、日中以上に精力的に行動してすら思える。

「とりあえず水を補給しておくニャ」

 ノラは川辺に座り込み、脇に下ろした鞄をゴソゴソ漁り皮袋を取り出す。

 その姿を傍らに立ち眺めて、ジョンは自らの今後を漠然と思う。

 帰る場所すら失って、最早裸一貫の身の上である。何もかもを失いに失って、逆に清々しいまでの喪失感であった。だから、流石の彼も真っ当に物事を考えるのが面倒になり始めていた。

「ところで、ジョンはこれからどうするニャ?」

「僕?」

「帰る家も無いニャ? 行く当てはあるのかニャ?」

「あぁ、そうだねぃ……。どうしようか……」

 今更ながらノラの言葉にジョンは自らの今後を悩み始める。

「ノラはこのまま北上して山を越えようと思うニャ」

「ファーレンの北というと、フンガス山脈を越えるつもり?」

「このご時勢だから、できるだけ国境からは離れておきたいニャ。これだけファーレンに難民が集まってきているということは、ノラの村だけじゃなくて、周囲の村々にもマクレーンの手が及んでいる筈ニャ」

「たしかに、あまり長くこの場に留まるのは得策じゃないか……」

「それにここは臭いから嫌いニャ」

「しかし、その装備で山脈を越えることができるのかい? 僕もあの山々を越えるには辛酸を舐めさせられた覚えがあるさ。中途半端な覚悟で向かっては野垂れ死ぬのが精々だと思うけど」

「そうかニャ? 確か山道が開拓されていると噂に聞いていたニャ」

「山道?」

「開拓されたのは結構前の出来事だった筈ニャ。当時にしても今にしても大層な事業だったから、都市部は勿論だけれど、地方の寒村地帯でも随分と噂になったニャ。人員導入とか言って、沢山の者達が強制的に収集されたと聞いているニャ」

「なんとまぁ、そんなものが出来ているのか……」

「もしかして、知らなかったニャ?」

「だって、山道なんて作ったら、山の龍が出て来やしないか?」

「龍?」

「今の時代は居ないの? なんか妙に偉そうな龍が住んでいた筈だよ、あそこの山脈には。この街を作るに際しても、色々とちょっかいをかけて、僕にさんざん面倒を掛けてくれた覚えがある」

「龍なんて居ないニャ。きっとジョンの思い違いニャ」

「いや、流石にそこまでばっさり切って捨てられると悲しいんだけど?」

「それだったら山道を開拓したときに話題に上っている筈だニャ。だけど、ノラの知る限り、特にこれと言って龍が暴れたという話は聞かないし、だから、きっとジョンの思い違いニャ」

「……まあ、別に君の認識がそうなら、それで構いやしないけどさ」

 ノラの言葉にジョンは過去の苦労を思い起こし遠い目をする。

 彼にしてみれば数年前の出来事だ。目を閉じればその時の場面が鮮明に思い起こせる。しかし、この世界にあっては五百数年も前の出来事である。覚えている者はおろか、伝え聞いている者、史実を書き記した書物の存在すら危うい。

 だから、聡明な彼はこれ以上の議論を取りやめてノラに話を合わせる。

「まあ……、そういうことなら、すぐにでも向かうが吉だろうね」

 彼自身もまた、自分がノラの立場に立ったのなら如何様な反応を示すか。その点を考えて思考を取りやめる。きっと龍は何処かへ行ってしまったのだろうと、適当なところで結論を出しておく。

 すると、そんな彼に対してノラが意外な言葉を続けた。

「だから、もし良ければジョンも一緒に来るかニャ?」

「あん? 僕も一緒に?」

 予期せぬ問い掛けにジョンは戸惑う。

「どうせジョンも街へは入れないニャ?」

「あ、ああ、それはそうかもしれないけどさ……」

「理由は良く分からないけど、きっと待っていたところで時間の無駄だニャ。だったら、他に場所を当たった方が良いと思う。それとも、この場に残って難民キャンプの仲間入りニャ? 一緒に臭くなるニャ?」

「ま、まあ、どっちが良いかと問われたら、そんなの決まってるけどさ……」

「だったら善は急げニャ。一晩を明かして明日にでも早々出発するニャ」

 嬉々としてノラは語る。

 ジョンはと言えば、何を語ることも出来ずに曖昧なまま頷く限りだった。力の喪失が自信の喪失に繋がっているのだろう。つい数刻前までにはあった気迫も今や霞と消え失せていた。

「そう言えば、十六宝玉が始めて見つかったのもフンガス山脈の開拓がきっかけだったと言う話だニャ。もし何の目的も見つからなければ、残る九個の宝を探して世界中を巡ってみるのも楽しいかもしれないニャ」

「あぁ、そう言えば、気になってたんだけど、その十六なんとかって何? さっきもそんなことを言ってたよね?」

「うん、十六宝玉ニャ」

「戦局云々が関係している風に語ってたけど、そんなに凄いものなの?」

「ジョンは十六宝玉も知らないニャ?」

「……悪かったね」

 知らないことをノラに尋ねてばかりで、ジョンの自尊心はズタボロだった。本来ならば他者へ知識を授けるのが自分の立ち位置じゃないかと、それまでの自らを省みて、一掃のこと憂鬱を募らせる。

「十六宝玉とは、この世界中の何処かに眠っている凄い宝玉ニャ」

「何その凄い適当な説明……」

「詳しくはノラも知らないニャ。ただ、膨大な量の魔力が封印された非常に強烈強力な宝石だという話だニャ。一説に因ると大魔王コージマの魔力が散り散りに飛び散った結果だとも言われているニャ」

「はぁん、そんなものがあるのかい」

「お陰で喧嘩の最中にあるイーペイロスとマクレーンは必死になって探しているニャ。勿論、他の国にしても、国を除いても様々な集まりが、同じように十六宝玉を探しているそうだニャ」

「国が戦争の道具に求めるほどかい……」

「実際に見たことがないから何とも言えないけど、そういう風に聞いているニャ」

「へぇ……、時代が変われば世の動きも変わるもんだねぇ……」

「もしも見つけられたなら、国から沢山のお金が貰えるという話ニャ」

「なるほど、それで宝探しかい」

「そういうことだニャ」

 ジョンの言葉にノラはコクコクと頭を振って頷き応じる。

「しかし、あの土壇場で自身の魔力を飛ばしているだけの余裕があったとは、なんだかムカッ腹が立つじゃないか。その上、僕をこんな目に遭わせてくれて……、あぁ、なんだか苛々してきたぞ。もう一度、顔の形が変わるまで殴りたい気分だ」

「ま、まあ、そういう訳だから、ほら、ジョンも一緒に行くニャ?」

「むぅ……」

 苛立ちを隠すことなく身揺すりなどしてみせるジョン。

 ノラはまぁまぁなどと両手の平を向けて宥めに動く。

「ジョンの話が正しいなら、相手は故人、気にしたって仕方ないニャ」

「だけどさぁ……」

「過ぎたことなんて、気にしたところで自分が損な目を見るだけニャ。そんなことより、今も明日も考えるべきことは沢山あるし、余力があるなら、そっちへ頭を割いた方がよっぽど良いとノラは考えるのだニャ」

「…………」

 そして、どうやら皮袋へ水を注ぎ終えたらしいノラである。

 しばらくをジョンを宥めるに尽くし、やがて、ジョンが落ち着いたのを確認すると、再び鞄をごそごそとやり始める。手にした水濡れの袋を服の裾で拭っては、一頻り雫を拭き取り、元在った場所へと綺麗に仕舞う。

 蓋をして鞄は再び彼女の肩へと掛かった。

 幼い容姿に見合わず旅慣れているのか、その様子は随分と手際の良いものであった。

「よし、水は汲めたニャ」

 ややあって、ノラは折りたたんだ膝を伸ばし立ち上がる。

「次は晩御飯を探すニャ」

「……何処か当てがあるのかい?」

「無いけど探すニャ。ジョンがお腹減ったと言ってたから」

「あ、あぁ、確かに言ったけどさ」

「だったら探すニャ。さぁ、明日に向けて早めに眠れるように頑張って探すニャ」

「……分かったよ」

 ジョンは他に何をするでもなく素直に頷く。他に良いと思う選択肢も無かった。

 頷くついでに、川から両手に汲んだ水を飲んで喉を潤す。流れる水は街の排水が多分に混じっているのか、僅かばかりの苦味とも酸っぱ味ともつかぬ風味を伴って感じられた。

「じゃあ、行くニャ?」

「うん」

 そうして、一頻りを休んだ二人は歩み出すのだった。

◇ ◆ ◇

 塀を挟んだ街の外は有体に貧民街の態を晒していた。

 日も落ちたというに、あちらこちらで叫び声や悲鳴が上がること度々。治安は最悪と言って差し支えなかった。満足に屋根を設けることも叶わず、大半の者々は地べたへ直接に身を横たえていた。そして、誰も彼もは陸に上がった魚のようにぐったりとして、濁った瞳を虚ろに彷徨わせていた。

 また、そうした者達には怪我をしている者も非常に多かった。医療器具など何一つとして手元にない。また、治療魔法を使える術者も見られない。負傷した者は傷口を夜風に晒して、呻き声を延々と上げている。そして、そんな耳障りな声に反応して、あちらこちらで喧嘩の声が上がること、ここ数日では決して珍しくない出来事だった。

 そんなだから、そうした者達の傍らを歩むジョンは気分が非常に悪かった。

「なんというか、酷いもんじゃないか、こりゃ」

「街からの援助は受けられて無いのかニャ?」

「さっきの門番の態度を眺めた限り望み薄さね」

「戦乱の世とは非情なものだニャ……」

「っていうか、これの原因も戦争なの?」

「十中八九でそうだと思うニャ。ノラの村もマクレーンの兵に焼かれてしまったニャ。きっと、そうして居場所を失った者達が集った結果が、今あるファーレンの様相なのだと思う。言葉通り難民ニャ」

「だとすれば、御飯なんて到底手に入らないんじゃないかい?」

「むぅ……そうかも……」

 ジョンの言葉を受けて、ノラは困った風に喉をゴロゴロと鳴らす。

 医療機器がそうならば、食料にしても同様である。そこらかしらで食べ物を種とした火種が燻っている。流血沙汰も決して少なくない。人気の少ない場所では、どういった理由があってのことだろう、物言わぬ躯が転がっていること多々である。

 とてもではないが、他者に食べ物を強請れる状況ではなかった。

「森へ戻って木の実でも探すかニャァ……」

「それが無難な気がするよ、僕も」

 そうして、二人は街の外を塀にそって幾らばかりか歩んだ。

 すると、そんな彼らの元へと駆けて来る存在があった。

「だ、誰か、たすけ……」

「待ちやがれやっ!」

 必死の形相で追われる少女と憤怒の形相で追う男である。前者は今にも転けてしまいそうな勢いで、前のめりに駆けている。その後を追う男は確実な自らの優位を確信して、着実に距離を詰めていく。

「場所が場所なら人も人だなぁ……」

 それとなく目を向けてジョンは嘆息する。

 少女は酷く身形の悪い、いわゆる貧民を思わせる趣の者であった。薄汚れた肌には風呂など知らぬ垢が積り、ぼさぼさの髪には虱が沸いている。距離が近づくにつれてつんと強烈な臭いが鼻腔を抜けた。

 対して、追う男はがっちゃがっちゃと身重な鎧を揺らしている。先程に正門前で出会った兵達と同様の出で立ちだった。腰には鞘に収まる巨大な剣が見受けられる。身の丈は大きくて、逃げる彼女より二周り、三周りを越えて思えた。

「た、助け、誰かっ、助けてっ……」

「テメェ、いい加減に大人しくしやがれっ!」

 丁度、ジョンとノラの向かう正面で男が少女を取り押さえた。

 幼い女の子の腕を掴んで、男はその身体を無理矢理に引き寄せる。相手が泣こうが喚こうが知ったことではないといった風だ。そして、周囲の人間は誰も彼もが我関せずと、その光景を遠巻きに眺めている。

 ともすれば、誰よりも先んじて動いたのはノラである。

「ちょいちょい、幾らなんでもそれは良くないニャ」

 幼子を取り押さえる男へずんずんと向かって行く。

「んだてめぇはっ!?」

「そこの子が何をしたのか知らないけれど、聊か大人気ないニャ」

「あぁ? この俺に文句でもあんのか? あぁ?」

「あるニャ。その手を離してあげるニャ。とても痛そうな顔をしているニャ」

「んだとこのガキャぁ……」

 語るノラの姿は数刻前に森でジョンを助けたときと変わらない。その姿を眺めてジョンはハァと人知れず嘆息する。放っておけば良いものを、何が何でもこの少女はおせっかい焼きなのだと、その本質を理解する。非常に根の良い善人だろう。時代が時代ならば人の上に立って多くを成していたのではないかと彼は思う。

「ガキとは心外ニャ。見たところそっちは人間ニャ?」

「あぁ、人間様だっ! テメェらみてぇな亜人と一緒にするんじゃねぇよっ!」

 届けられる言葉に違わず男は純然たる人間であった。頭頂部に耳が生えていることも無いし、尻に尻尾が生えていることも無い。肌は毛深い体毛が見られるが、それも十分に人としての範疇にある。

「人間様の行いに口出しするんじゃねぇよっ!」

「そんなのノラの知ったことじゃないニャ」

「んだと!?」

「その子が何をしたのかは知らないけれど、暴力に訴えるのは良くないニャ」

「テメェ、亜人の分際で人間様に意見するとは良い度胸じゃねぇかっ!」

「君、こんな場所で面倒事を起こすとは、意外と直情的な性格だね……」

 安穏とした語りながら、ノラは相手を非難することに躊躇しない。

 その遠慮ない物言いが兵の神経を逆撫でた。元より頭に血が上っていたことも手伝ってだろう。彼は容易に腰へ下げた剣を抜いた。そして、それを適当に構えると、切っ先をノラの顔面へ向けて正面から構える。

「そんなに切られたいって言うなら、あぁ、幾らでも切ってやろうじゃねぇか」

「暴力的なのは良くないニャ。平和的に話し合いで解決するニャ」

「あぁ? 何が平和的に話し合いだ。テメェら亜人にそんな権利はねぇんだよっ!」

「その子が一体何をしたんだニャ?」

「うっせぇ、黙れやクソッたれが。それ以上を言うなら切るぞコラっ!」

 兵が剣を手にしたことで、それまで囚われた少女は自由を取り戻す。ともすれば、彼女は一目散にその場から逃げ出していった。一度として後ろを振り返る余裕も無い。ジョンは脱兎の如く逃げ出した幼い亜人の少女の背中を眺めて溜息など吐く。ノラ、お前は何をやっているのだ、とは言葉に出さない愚痴の一片だろうか。

 一方、男は獲物に逃げられた為か、一層のこと頭に血を巡らせる。こめかみには青筋すら浮いて思えた。剣を握る手に力を篭めて、その切っ先がノラの目前でプルプルと怒りに震える。

「ああもう、切るっ! テメェは死ねっ!」

「切られるのは嫌だニャ」

「うるせぇっ!」

 男は非常に血気盛んであった。

 言うが早いか問答無用でノラに切り掛かる。

 しかし、切っ先が彼女の身を捉えることはなかった。

 刃の振り下ろされるより早く、ノラはその身を飛ばしていた。真横に僅かばかりずれて、頭上から迫る一撃を紙一重やり過ごす。そして、即座にその腕を振るったかと思えば、次の瞬間には男の腕から剣を弾き飛ばしていた。鋼鉄製のそれは幾らばかりを飛んで、明後日な方向で地面へとドサリ突き刺さる。

 加えて、勢いが過ぎたのか、指の数本が一緒に赤いものを撒き散らして飛び行く。五指より生えた強靭な爪が、柔な人間の肉を容易に切断していた。出血は思いのほか激しく、男の身体を真っ赤に染め上げた。

「ぎゃあああああっ!?」

 予期せぬ痛みに男の口から強烈な悲鳴が洩れる。

 同時に膝を突いて自らの腹へ両手を抱え込むよう背を丸める。

 その声を聞きつけて一層のこと三人の周囲を囲う野次馬が増えた。

 けれど、それを意に介した様子もなくノラはマイペースに言葉を続ける。語調は落ち着いたもので、彼女がどれだけ鉄火場を越えてきたかを示唆していた。その悠々とした姿を眺めて、ジョンは今一度だけ彼女に対する評価を己の内に示し起こす。

 割と手練の戦士、それが彼のノラに対する認識となった。

「ノラも争いは好まないニャ。これ以上は止めておいた方が良いと思う」

「て、てめぇ、テメェっ! 俺、俺の指をっ!」

「辛抱強く待てば、きっと、また生えてくるニャ」

「生えてくる訳ねぇだろっ!」

「そうかニャ?」

「てめぇええ、てめぇええ、いてぇ、畜生っ! こ、この野郎っ!」

 指を落とされて男は完全に自分を見失っていた。

 顔を真っ赤にして罵詈雑言を繰返す。

 ただ、それでも相手と自分の力量を認識した為か、それ以上に渡りノラに挑むことはなかった。ともすれば、その場には妙な緊張が生まれる。共にどちらともなく歩みを止めて、数歩だけ距離を保ったまま近況状態が出来上がった。

「それで、あの子が何をしたんだニャ?」

「あぁ? そんなのテメェに関係ねぇだろうがっ!」

「だったら、どうしてあんなことをしていたのかニャ?」

「っていうか、ノラ、君も随分とお人好しさね」

 要領を得ない二人をやり取りを眺めて、ノラの傍らまで歩み寄ったジョンが呆れ調子に呟く。やれやれだとばかりに、両手の平を天井へ向けて肩など竦めて見せる。割と顔立ちの整った彼だから様になっていた

 自分が生きて行くだけで精一杯な貧民街である。世間の常識に乗っ取れば、自分の利益を考えずに他者を助ける者など皆無と言っても良い。ノラのような価値観の持ち主は非常に稀有な存在だった。

「困っている者を助けるのは当然の行いニャっ!」

「まあ、別にそのことに関して僕は可もなく不可もなくだから静観させて貰うけど」

「ジョンは弱いから仕方ないニャ」

「う、五月蝿いな。それは放っておいてくれ」

「テメェらっ! 人を無視して何を勝手に話してやがるっ!」

 不意に視線を通わしたジョンとノラへ男が吼える。

 けれど、その足は場から一歩も動くことなく、ただ口だけが開いたり閉じたり。

 誰の目にも勝敗は期して思えた。

 そんな頃合である。不意に騒然の中心へ向かい、凛として響く声があった。声の主はノラでなければジョンでもなく、目の前の男でも無い。また、今し方に逃げ出した少女とも異なった、第三者の声である。

 音源は三人を囲う人垣を押しのけて現れた。

「そこっ! この騒動は何事かしらっ!?」

 声の主はノラと同じか多少だけ背高い姿の人間であった。

 腰下まで伸びた真っ赤な髪の毛と、非常に値の張りそうな衣服が特徴的な少女である。世界では一般に貴族と呼ばれる特権階級層の好んで纏う出で立ちだった。彼女が一歩を踏み出すに応じて、革張りの靴の裏鋲がじゃりじゃりと地面と擦れて硬い音が響く。

 そして、声も大きく叫びを上げたかと思えば、その足で二人の下まで歩み寄った。

「この騒ぎは何事? 貴方達は何をしているの?」

 少女の双眸は指を飛ばされて蹲る男と、その脇に立ち呆けるジョンとノラを行ったり来たり。状況を咀嚼せんと何やら考えている風にあった。けれど、それも僅かな間である。利発そうな顔立ちに相応しく、早々に答えを得て再び口を開いた。

「また、亜人が人間を襲ったのですわねっ!?」

「いや、違うってば……」

 思わずジョンの呆れ混じりな呟きが辺りに響いた。

 野次馬達は一様に口を閉じて四人の動向へ注目している。

 少女は人々の視線を一身に受けながら、それでも怯むことなく言葉を続ける。口調は随分と論議に堂の入ったものであって、子供にしては確かな芯が感じられるものだ。背後にある権力がありありと感じられる物言いである。

「そこの貴方、何が起こったのですの?」

「へ、へぇ、それが、あっしが盗人を追っていたら、そこのやつらが急に指を……」

「貴方の指を飛ばしたのですわね?」

「へへぇ、そ、そうでごぜぇます」

「あぁ、亜人とはなんて野蛮な者共でしょう……」

 男は急に態度を返して少女に頭を垂れる。その様子からして二人の身分に大きな開きがあるのは明らかであった。周囲を囲う野次馬もまた、少女の言葉を耳としてぼそぼそと呟きを始める。

 他方、音kの態度を目の当たりとしてジョンとノラは目を白黒させる。

「おいおい、ノラ、どうやら君の早合点なようだったぞ?」

「ニャ?」

「いや、ニャ? じゃないだろう。どうするのさ……」

「あ、いや、それは、その……」

 これまでとは一変して、逆にノラは所在無さ気に身体を揺すり始める。落ち着きがなくなる。自らの置かれた立場に焦りを感じているらしかった。縦に長い瞳孔の瞳をキョロキョロと右へ左へ移ろわせる。

「盗人の手助けをしたということは、貴方達もまた盗人の仲間ですわね?」

「ち、違うニャっ! ノラ達は別に盗人の手助けなんて……」

「君、思いっきり助けてなかったかい?」

「ジョン、それは酷いニャっ! だって、ノラは、ノラはっ……」

「世の中、何を言ったところで、所詮は結果が全てさね」

「ニャァン……」

 ジョンの言葉を受けてノラの尻尾がへろんと勢いを失い垂れ下がる。頭頂部に生えた二つの耳もまた同様だ。しょぼんと元気が抜けて思える。

 一方で少女はそんな彼女を鋭い眼差しに見つめる。そこには明らかな敵意や害意が見て取れた。ノラは彼女の中で完全に犯罪者であった。そして、彼女に指を奪われた男は被害者だった。実際はどうであれ、少女の中ではそうして片付けられているに違いない。

「事情は分かりましたわ。ならば、貴方達には相応の罰を受けて貰いましょう」

「ニャッ!? 罰って何だニャ!?」

「盗人の手助けをしたならば、それは盗人に同罪ですわ。牢獄刑は当然でしょう」

「ニャァ……それは違うニャ。ノラは人助けのつもりであって……」

「っていうか、貴方達って何さっ!? 僕は関係ないだろっ!?」

「ニャっ!? ジョン、自分だけ逃れるつもりかニャっ!?」

「いや、自分だけって、何もかも全ては君の仕業だろうに。僕は関係ないさ」

「旅は道連れ、ジョンとノラは一蓮托生ニャ!」

「いつ誰がそんなことを了承したっていうのさっ!」

「ついさっきニャっ!」

「してないっ! そんなの身に覚えがないぞっ!」

「ふふん、ノラは覚えがあるニャ」

「いや、絶対にそれは虚偽だ。僕は認めないぞっ!」

 突然の宣告にジョンとノラは激しく言い合いを始める。

「ギャアギャアと五月蝿い人達ですわね。これだから亜人は嫌いです……」

「だって、本当のことだニャっ!」

 ノラにしても相手に正当性を見出した為か、今回に限っては腕力に頼った解決を行うことは叶わない。大人しく口上で自らの正当性を訴えた。大きく見開かれた瞳は必死の形相で少女を見つめている。自由奔放で温厚な性格の持ち主だろう彼女にしても、流石に牢獄刑は厳しいのだろう。

「違うニャっ! この男が小さな女の子を襲おうとしていてだニャ……」

「亜人の言うことなど信じられません。貴方達は直ちに街の牢獄へ連行します」

「そんニャっ!?」

「っていうか、だからどうして僕まで一緒なんだよっ! 何もして無いだろっ!?」

「なんでもどうしてもありませんわ。盗人の恐れがあるならば纏めて収容ですわ」

「お、横暴ニャっ!」

「ちょっと待てよっ! そんなの僕は承知しないぞっ!」

「貴方達が承知するかどうかは関係ありません」

「酷いニャっ! せめてノラ達の言い分くらい聞いて欲しいニャっ!」

「だから、どうして僕まで巻き込まれているんだよっ!」

「黙りなさいっ!」

 二人は少女へ食って掛かる。

 しかし、幾ら粘っても二人の物言いは彼女に届かない。

 それは彼女の意思が頑なである以上に、その腕っ節にあった。少女は二人が自らに向かい一歩を踏み出すに応じて、自らの腕をその側へと向けた。そして、何を思ったのか僅かばかり呟きを発する。

 呪文である。

 そして、短な術式の構築を終えた後には最後、起動式が辺りに凛と響く。

「烈風陣《エラ・ボイド》」

 次の瞬間には二人の肉体は宙を舞っていた。

「ニャァアアっ!?」

「うぉああっ!?」

 哀れな悲鳴が辺り一帯へ響き渡った。

 都合、身長の数倍だけ持ち上げられて、再び地面へと叩き落された。人間より幾分か身体能力に勝る亜人とは言え、それだけの高さより身を打ち付けられては悶絶必死である。痛みから自然と身体は丸まって、地面でもんどりを打つ羽目となる。

「あっ、つぅ、い、こ、この、いきなり何をっ!」

「ニャァアアンッ、い、痛い、痛いニャァ!」

「歯向かうというならば、容赦は致しませんわよ。亜人には人に挑む権利などないのですわ。大人しく私の言うことを聞きなさい。そして、牢屋に収まり自らの行いを猛省するが良いですわ」

「猛省するようなことなんてしてないニャっ!」

「人間様の指を吹っ飛ばしておいてそのような物言いが通ると思いましてっ!?」

「だ、だって、それは……」

「そうだよ。全部ノラの責任さっ! 僕様に変ないちゃもんつけるんじゃないっ!」

「でも先に襲い掛かってきたのは相手の方だニャッ! っていうか、ジョン、それは凄く酷い物言いだニャっ!」

「だってそうじゃないかいっ!」

「五月蝿いですわっ! 貴方達が何を言おうが関係ありませんっ!」

「滅茶苦茶に関係あるニャっ!」

 横たわる身体を痛みより庇いながら、ノラは少女へと言葉を返す。

「では、もう一度、お空を飛びたいかしら?」

「ニ゛ャッ……」

 けれど、それも少女の腕が向けられるに応じて勢いを失った。どうやらノラは魔法が使えないらしい。ジョンもそれを理解して、今に限っては彼女の劣勢を悟ったのだろう。攻勢に声を上げることはない。自らの無力さは山中にあって痛いほどに良く理解していた。拳こそ握ってはいても、それを振り上げることはできない。

「大人しくなさい。それより、貴方」

 そして、そんな二人を眺めて少女は注意を傍らへと移す。

 彼女の視線の向かう先には指を飛ばされた男が居る。

「指は大丈夫かしら?」

「え、あ、へぇ、まあ、その、大丈夫と言うには程遠いですが……」

「でしたら、その処置をするとしましょう。面倒を見ますから私と共に来なさい」

「え? よ、よろしいので?」

 少女の語る態度は非常に柔和で、顔にはやんわりと笑みすら浮かんでいる。

「ええ、構いません。私が許可しますわ」

「あ、あぁ、ありがとうごぜぇますっ!」

 彼女の言葉が何を意味するか理解して、男が歓喜の声を上げる。

 その様子を眺めて彼女は満足気に頷いて見せる。

 しかし、しばらくをそうしていたかと思えば、次いで彼女は再び目の先をジョンとノラの下へ戻す。ともすれば態度は一変。今し方の笑みは消し飛んで、先刻の厳しい眼差しが再び二人を差す様に射抜いた。

「無論、貴方達も一緒ですわ。勿論、向かう先は医務室でなく牢屋ですけれどね」

「ひ、酷いニャ……」

「だから、僕は何もしてないって言ってるだろうっ!?」

「それでは付いて来なさい。もしも私の言うことが聞けないのであれば、先程の比ではない高さまで打ち上げます。ですから、万が一にも逃げ出そうなどとは考えないことですわね。怪我をしても手当てなどしませんわ」

「…………」

 凛として言い放つ少女を前にジョンとノラは思わず顔を見合わせる。

 一方、そんな二人を僅か眺めたと思えば、少女はすぐにでも踵を返して歩みだした。一連の挙動には一切の躊躇が無い。非常に威風堂々とした態度である。そして、指を失った男が慌ててその後ろへと続く。

 二つの背が向かう先には延々と伸びる街の外壁が空高く聳えているのだった。

◇ ◆ ◇

「捕まってしまったニャ……」

 牢屋の中にぽつねんと座りノラが溢した。

 自慢の尻尾もへにゃりと垂れて元気が無い。それは頭頂部に並ぶ耳にしても同様であって、少女に連れられてより今まで、音の聞くことを諦めたが風にある。表情も彼女らしからず失意にまみれていた。

 また、傍らには同じ檻の中に放られて不貞腐れるジョンの姿もある。

「あぁ、何もかも君のせいだからな」

「だ、だって、あの場合、誰だってノラと同じ選択をするニャ……」

「ふふん、この世知辛い世の中にあっては、あぁ、何をしても結果が全てなのさ」

「だからって、幾らなんでもこの仕打ちはあんまりだニャ……」

 牢屋は頑強な石室に金属製の格子を嵌め込んだものであった。窓の類は存在せず、唯一の出入り口は格子と一体化した小さな扉である。けれど、その扉も今はしっかりと施錠されて、ノラの鋭利な爪や牙を持ってしても傷つけることは難しい。力技で脱走することは不可能だった。

 また、牢へ入れられるに際しては衣類以外の全てを奪われた。ジョンに限っては何も手持ちの荷物がなかったので、その限りではない。しかし、ノラについては背に下げた鞄を奪われていた。それが理由なのかどうかは知れないが、何処か手持ち無沙汰に、両手を腹の前でピコピコ動かしている。

「はぁ……、どうしてこうなったんだか。嫌なことばかり起こってくれるよ……」

「でも、おかげで街の中に入れたニャ?」

「こんな風に入ったってしょうがないでしょっ!?」

「ニャァ……」

「ったく……」

 二人して肩を落とし、正面へ檻を向かえて並び座る。

 背を牢屋の奥へ向けているのは、そこに置かれた便所から絶えず異臭が発しているからに違いない。けれど、それを口としては心が挫けそうだったから、二人は敢えてそこには触れずに言葉を交わしている。

「君の力で抜け出せないの?」

「どうだろうニャ……」

「ほら、その爪とかでここんところをスパーンって」

「なんだか爪が剥がれそうだからやりたくないニャ……」

「使えないなぁ」

「そ、それはジョンに言われたくないニャ」

「だ、だから、今の僕は力がなくなっちゃってるから無理なんだって説明したじゃないかっ! 僕は君みたいに肉体労働派じゃないのさ。こう、頭脳と知能で事件を解決するタイプなのさっ!」

「だったら、今に置かれた窮地こそ頭脳と知能が出番だニャ?」

「くっ……、ああ言えばこう言う奴だな、君は……」

「それはジョンだって同じだニャ」

 妙に静かな牢屋内へ二人の越えた淡々と響いていた。

 そんな中の出来事だ。

 不意に別の音が混じり二人の意識を会話より奪う。

 何事かと音の聞こえてきた方へ目を向ける。

 ともすれば、その音は靴の石畳を叩く音であった。カツカツと周囲に強く反響して、間延びした靴鋲の床を打つ規則的な音がジョン達の下へと届けられる。

 やがて、それは幾らばかり待つ間も無く姿を伴い二人の下へと現れた。

「貴方達は牢屋で反省に服することもできませんの?」

 ジョンとノラを無理矢理に追い立てて、ここまで付き合わせた少女だった。

「反省する事柄が何一つとしてないのだから当然だニャ」

「いや、君、勘違いで他人の指を飛ばしたのなら、それなりに反省すべきじゃないか?」

「だ、だって……」

「やはり、微塵として懲りていないようですわね。所詮は亜人といったところかしら? 少しでも反省していればと思って来たのですけれど、それも全くの無駄であったようですね」

「ニャっ!? それなら反省してるニャっ! すっごくしてるニャっ!」

「それなら、などと言われて誰が信じるとでも?」

「ニャァー……」

「っていうか、おい、いい加減に僕を開放したまへっ! 関係ないって言ってるだろ!?」

「それを決めるのは私ですわ。今やイーペイロスと併合されたとは言え、元々この辺り一帯はスチュアート家が治めていた土地なのですから、そこに住まう者達の秩序を守るのは私の義務に間違いありません」

 二人の言葉などしったことかと少女が言う。

 ぺったんこな胸を張って酷く偉そうだ。

 一方、そんな彼女の語りを聞いてジョンの耳がピクリ動いた。

「スチュアートだって?」

「そうですわ。私は彼の大英雄、ジョン・スチュアートの末裔ですわっ!」

 一層のこと胸の平坦さが強調される。

 出会って今に至るまでで一番に威勢の良い発言だ。

「貴方達のような亜人とは身分が違いますわ。本来ならばこうして面を向かわせて口を利くことさえ叶わない相手だということを重々理解して欲しいです。だと言うに、何ですか? そのふてぶてしい態度は」

「いや、ちょっと待つさ。今のは本当なの?」

「何がですか?」

「だから、ほら、ジョン・スチュアートって……」

「私が嘘を言っているとでも?」

「嘘ぉ、まさかの子孫が登場とか……」

「亜人の子孫が人間になるのかニャ?」

「だから、僕は元々は人間だったって言っただろっ!?」

「あぁ、そういえば、そんなことを言っていた気がするニャ……」

「君、僕の言葉を全く信じてないだろう? っていうか右から左へ流してるだろう?」

「べつにぃー、ニャ」

「貴方達、何を勝手に私を題材として話などしていまして?」

 ジョンは額に手の平を当てて悲しそうな顔をする。

 そんな相手の素振りに疑問を持ったらしく、少女が檻へと一歩を近づき問い掛ける。自分の知らぬ領域でのやりとりに聊か憤慨したらしい。元より釣りあがって思える眉が尚のこと急に曲がっていた。

 その姿を少し苦味交じりに眺めてジョンが再び口を開く。

「一つ質問なんだけどさぁ……」

「亜人風情が何を聞きたいと言いますの?」

「そのジョン・スチュアートっていうのは最後どうなったんだい?」

「そんなの決まっていますわ。勇者を影ながら支え、大魔王コージマの打倒を成し遂げた偉大なる魔法使いジョン・スチュアートは、その後、生まれ故郷へと帰り立派に国を興したと伝えられておりますわ。それが今の私の家にまで脈々と受け継がれてきているスチュアート家直系の血筋なのです」

「そんなぁ、うそぉ……」

「嘘? 何故にそのようなことを言いますの? 文句があるなら滅ぼしますわよ?」

「いや……、だって、当人がこの通り檻の中じゃない……」

 ジョンは牢屋に収められた自らの身を親指で指し示し語る。

「こんな状況で、どうやって国を興せって言うのさ?」

 けれど、相手からは大した反応も返ってこなかった。

「……はぁ?」

 呆れ調子に呟かれる。

 その様子を受けて傍らに座るノラがおずおずとジョンへ進言した。

「ジョン……、そんな話、どれだけ熱意を持って語っても、きっと通じないニャ」

「…………」

 少女どころかノラまでもが訝しげな眼差しを向けてジョンを見つめる。彼にしてみれば事実を口としているに他ならない。しかし、二人は目の前に阿呆を置いて語る風に言葉を交わしあう。

「貴方の連れ、どこか頭がおかしいのではなくて?」

「あまり気にしちゃ駄目だニャ。出会った時からずっとこんな感じニャ」

「いやいやいや、ちょっと待ちたまえよっ! 僕は全然正常さっ!」

「昔から英雄の名を語る者は後を絶ちませんわ。それは五百年経った今も依然として健在にあって、子孫、血族を自称する者達など星の数でしょう。今では法でも厳しくとりしまられているのですから、これ以上の間抜けを晒すのは得策でありませんわよ?」

「違うっ! だから、僕はジョン・スチュアートだってっ!」

「ジョン・スチュアートが汚らわしい亜人の姿などしていたら天変地異ですわ」

「ノラとしては別に亜人でも人間でも構わないニャ」

「私が困るのですっ!」

「それじゃあ、今日から世界は天変地異さね!」

「貴方、五月蝿いですわよっ!」

 三人の言い争いは何処まで行っても不毛だった。

 静かだった牢屋に喧騒が生まれる。ジョンからすればこれほど阿呆なことは無い。本人から子孫だと告白されても、五百年の月日を挟んでは全く実感が沸かなかった。そもそも彼には子供など居ない。

「少しでも反省していればと思いましたけれど、やはり無理な相談でしたわね」

「あ、ちょ、ちょっと待つニャっ!」

「ただでさえ隣国からの侵略騒ぎで忙しいのですから、貴方達のような粗暴者に割く時間など微塵としてありませんわ。このまま延々と牢屋の中で暮らすが良いのです。精々、人間様に歯向かったことを悔やみなさい」

 少女の突き放すような物言いが辺り一帯に響く。

「ニャ? っていうと、やっぱり街の難民騒ぎは隣国がらみかニャ?」

「そんなことも理解せずに居たのですの? 全く亜人というのは頭も足りてませんわね」

「だってノラ達はまだ街に到着したばかりだし……」

「そのようなこと私の知ったところではありませんわ」

 シュンとしょ気るノラにジョンの子孫を自称する少女は何処までも冷たい。

「……ファーレンの置かれた状況はそこまで大変なのかニャ?」

「それを知ってどうするというのです?」

「本当なら早く逃げ出さないと大変なことになるニャ」

「無駄ですわ。既にフンガス山脈の関所は押さえられておりますし、海上もまた然り。東の森にも既に伏兵の存在が確認されておりますから、四方を塞がれていると言って良いでしょうね」

「なんと、北の関所を塞がれてしまったのかニャっ!?」

 それまで俯かせていた耳をピンと立ててノラが尋ねる。

 同時にジョンもまた、彼女の言葉を耳として声を大きくした。

「じゃあ、この街の周りに溢れている難民は周辺の村々から、家を焼かれて逃げ出してきた者達ということ? なんだか普通の街の貧民街と比較したって随分な数が軒を連ねていると思うけど」

「ええ、そうですわ」

「事態はノラ達が考える以上に随分と深刻だったみたいだニャ……」

 自らの案が根っこから否定されて、ノラは非常に困った顔をする。ただでさえ悲しそうだった表情が更に色を悪くした。わきわきと動いていた毛むくじゃらの獣手(けもて)が運動を激しくする。

「援軍とかないの?」

「北都へは救援の要請を既に送ってありますわ。ですが、今のイーペイロスの傀儡を鑑みるに、まともな援軍は期待できませんわ。この街に残る兵力を持って敵を迎え撃つ他にないでしょう」

「ちょいちょい、そうなると、今の状況ってばもの凄く大変じゃないかい」

「だから、先程にも私はそう言いましたわ」

「君は現況を正しく理解しているのかい?」

「当然ですわ。このままではファーレンまで敵の手が伸びるのも時間の問題でしょう」

「いや、そうじゃないだろうに。そろそろ、あぁ、この街は終わりさね」

「……どういうことですの?」

「だって、これだけの数の難民を意図的に集めているのさ。加えて、ファーレンの北には大きな街があるのだろう? ならば、その隣国とやらの考えることは一つじゃまいか。僕もとんだ坩堝に迷い込んだもんだ」

「亜人の戯言かしら?」

「理解できない? 君は随分と頭が悪いようだね」

「なんですってっ!?」

 ジョンの物言いを受けて少女の顔が怒りに染まる。

 自らより格下と位置づける亜人から馬鹿にされて瞬時に頭へ血が上った様子だ。それまでノラに向かいがちであった意識が一挙に彼へと注がれる。同時にそれまで真下に垂れていた腕が水平に上げられた。

 手の平には淡い光が収束する。薄暗い地下牢にあって、少女の右腕がぼんやりと紫色に淡く発光を始めた。その様子はつい数刻前にも目の当たりとしたばかりである。魔法の発動の事前動作だった。

「また痛い目を見たいのかしら?」

「ふふん、ここは天井があるさ」

「あら、頭を石の天井にぶつけて死にたいのかしら?」

「ジョン、あんまり刺激するのは良くないニャ。ノラは痛いのは嫌だニャ」

「けど、このままじゃあ放っておいたって危険じゃないか」

「早く死ぬか遅く死ぬか、選ぶなら後者の方が断然に良いニャ」

「ふん、僕は両方ともごめんさね」

「ちょっと、私を無視して勝手に話を進めないで欲しいですわっ!」

 そうして、三人の会話は堂々巡りを極めた。

 好き勝手に語るジョンとノラに煽られてだろう。自然と少女は今のファーレンが置かれた状況を漏らす。それに二人がのらりくらり相槌を打って、同じ問答が幾重にも繰返される。そこでジョン達は街の置かれた状況を凡そ把握することができた。

 曰く、今のファーレンは隣国マクレーンの兵によって周辺街村との交通を押さえられ完全に孤立した状況にあるらしい。加えて、敵国兵はじりじりとその囲いを縮め始めており、包囲網は確実になりつつあるそうだ。街の代表者たる彼女の父親は篭城を決め込んで、現在、街の周囲に集まった難民の扱いに難儀しているのだと言う。

 貴族たる彼女が街の外を歩き回っていたのは、その手伝いとして何某かの打開策を自らの足を用いて見つける為だったのだと言う。そこを不運にも見咎められて、ジョンとノラはこの牢屋へとぶち込まれた次第にあった。

 少女は非常に頑なな性格の持ち主で、決してジョンとノラの言葉を許容することはない。何を言っても反発されて、だから、幾ら問答を繰返しても、二人は彼女を説得することができなかった。

 何よりも致命的だったのは、彼女が亜人、亜族、突き詰めれば自らと同じ人間種以外を極端に嫌う性分の持ち主だったことだろう。言葉こそ交わすが、その端々にはジョンやノラへのあからさまな侮蔑があった。

 そして、それはこの世界における、今も五百年前も変わらぬ、種族間における意識差の問題が根底にある。それぞれの種族は各々に異なる文化文明を持っており、その差異が常に争いの火種を生んできた。

 ただし、こうして時間と場所を移した現在、それはジョンが知る以上に顕著で、明確なものとして存在していた。ファーレンの街外に集まった難民の大半が亜人、亜族であったことからも、それは非常に容易に伺える。彼の知る世界では、諍いこそあれど同じ街に複数の種族が共存するもざらであった。けれど、彼はこの牢屋へ至るまでに亜人の姿を殆ど見ていない。仮に見ていたとしても、大半は奴隷としての身分にあった。

 もともとは亜人、亜族によって開拓された寒村、ファーレンである。

 大魔王コージマという各種族共通の脅威が消えて、今、数百年を経たことで、種族間の意識差が再び争いの火種として燻り始めたのだろう。ジョンはそのように現状を理解するのだった。

 ただ、理解したところで何が始まる訳でもない。

「分かった。もういい。もういいから、ねぇ、早く僕を外へ出すんだよ」

「だから何度を問われても、貴方達のような危険な存在を外へほうれる訳がありませんわ。自分達の行いを今一度振り返りなさい。そして、十分に自らの身の卑しさを私達に謝罪するのですわ」

「だから、僕は元が人間だって言ってるだろう?」

「亜人が人間を語るなど、そのような愚考がゆるされるとでも? いい加減に、私も貴方を殺したくなってきましたわよ? そんなに天井に頭をぶつけて痛い思いをしたいのかしら?」

「ま、まぁまぁ、ここでジョンを殺したって何の特にもならないニャ」

「そうかしら? 囚人一人分の食費が浮きますわよ?」

「だったらノラが頑張って我慢させるから、今は穏便に済ますニャ」

「おい、勝手に僕の御飯を無かったことにするんじゃないよっ!」

「ジョンは黙ってるニャ」

 もう幾度と無く繰返されたやり取りが、また、同様に発せられる。少女の腕は光を湛えたまま二人を捉えている。しかし、危ういところでノラが合いの手を入れるので、ギリギリ、ジョンの吹き飛ぶ姿は見られない。

「っていうか、ノラ達を出してくれれば街を守る手伝いくらいするニャ」

「いいえ、亜人や亜族の手など借りる必要はありませんわ」

「へぇ? さっきまで人手不足だとか云々、語ってなかったかい?」

「べ、別に、それは私の欲するところ、当該の人材が見つからないということですわ」

 フンと鼻で笑って少女は語る。

 その姿も何遍見たことかと二人は溜息混じりに思う。

 何が何でもジョンとノラを認められない。そんな想いが強く感じられた。何より、彼女が二人へ反省と謝罪を求めるが故に、こうして延々と牢屋に足を置いては、二人に同様の説法を繰返しているのだろう。

 もうしばらくすれば、彼女は再び暴力へ訴えるに違いない。ただ、自身もまた自らを善人、良識人と語る節があるので、ギリギリまでは自制が利いているのだろう。方向性を異にする主義と主義が危ういところでぶつかり合って感じられる。

 抗い難い矛盾だった。

 そんな頃合である。

 不意に地下牢へと第三者の声が響き渡る。

「ぼ、暴動だぁっ!」

 それは檻を越えて看守の側から届けられた。壮年の男性を思わせる低い声が一杯に石造りの地下へと響き渡る。あまりにも大きい声だから、ジョン達もまた、その声がした側へ一様に意識を奪われた。

「なんですってっ!?」

「……ニャ?」

「そらきた」

 三者三様の反応を見せて、会話の場は一転を見せた。