金髪ロリ獣耳ファンタジーラノベ

第三話

 既に日も落ちて延々、幾分も深夜を回り夜明けも近い頃合。

 ファーレン街は狂気に溢れていた。

 そこらかしこから立ち上がる悲鳴と怒声が高い高い塀の内側を満たす。耳を覆っても頭に響く喧騒は、多分に血と煤の臭いを伴って届けられた。石畳を叩く数え切れない足音が、右へ左へ、特別な目的を持つことなく完成された町並みを壊していく。

 家屋は滅多に打ち付けられて、問答無用、目立った壁やら屋根やらには例外なく穴を開けられる。そこから届けられるのは家人と他の誰かの争う音だ。特に塀に近い側は顕著にあって、そこらかしこで人と亜人、亜族の争う姿が場所を選ばず見受けられた。

 街機能は一切合財を停止して、何もかもが混乱の只中に飲まれている。

 憲兵が総出で対処に回っても、それを圧倒的に上回る数の難民達は勢いづいて止まらない。そこらかしこで魔法の爆ぜる音が鳴るも、我を忘れて怒り狂う者達の進軍は一向に衰える気配を見せなかった。

 そして、そんな中を唯一、特定の意思を持って進む一団がある。

「おい、居たかっ!?」

「いや、こっちには居ない」

「こっちだ、地下が牢屋へと続いている」

「おし、でかしたっ!」

 頭頂部に獣の耳を生やした男達が足早に駆けて行く。

 歩みは屋敷の地面の下へと続く階段を下って、先に設けられた牢獄の連なる一角へと進んで行く。僅かに灯る照明に足元を確認しつつ、者達は他者の気配のする側へと向かい息を殺して突き進んだ。

 彼らが向かう先には何があるのか?

 応えはジョンとノラである。

「んー、さんっ!」

「んー、いちっ!」

「んー、よんっ!」

 妙に規則的な声が、静かな地下牢に淡々と響いていた。

 音源を求めて男達は足の動きを早くする。

 ともすれば、地下牢へ降りて僅かだけ進んだ後に一つの牢が目に入る。入り口から割と近い場所に設けられた一室だ。壁に掛けられた僅かばかりの照明が導いて、うっすらと人の姿が止みに浮かび上がる。

 そこでは亜人の二人が正座にあって、かなり近い位置で正面から顔を向き合わせていた。また、何やら親指を上にして軽く握った両の拳を、それぞれ対面から接するほどの距離で並べている。

 そして、言葉が上がる毎に四つ並んだ親指のそれぞれが上がったり上がらなかったりしている。合計四つの親指が例えば一本、例えば三本、ぴょこぴょこと立ち上がり立ち下りしているのだった。

「んー、よんっ!」

「んー、にぃっ!」

 幾度か繰返すと口に出した数と立ち上がった指の数が合致した。

「あ、勝ったニャ」

「糞っ、また負けた……」

 ノラの口とした数が立ち上がった二本の親指と合致した。応じて彼女の表情がパァと明るくなって喜びに煌く。頭頂に二つ並んだ耳までピョコピョコと元気に動き始める。対して、敗北を語る彼は肩を落とし、どうにもやりきれない様子である。

「どうして君に勝てないのさ……」

「それはノラがジョンより弱いからだニャ!」

「いや、しかし、こう何度やっても勝てないなんておかしいだろう!?」

「ジョンが弱いだけニャ?」

「馬鹿言わないで貰いたいね。そんな簡単な話じゃなかろうに」

 どうやら道具を必要としない簡易なゲームらしかった。

 けれど、そうした遊戯の時間も終わりである。耳に届いた他者の気配に二人の意識は互いの両手指から外へと向かう。ノラの耳はピクリピクリと敏感に動いて、牢屋に侵入した者達の数すら正確に捉えていた。

「ところで、また誰か来たみたいニャ?」

「んぁ?」

 二人の意識が牢の格子越しに外側へと向けられる。

 ともすれば、そこには三名から成る亜人達の姿があった。それぞれ洩れなく二人の姿に注視している。そして、 ジョンとノラが自分達に意識を向けたことを理解すると、口々に安堵の声を漏らした。

「良かった、無事に見つけられた」

「大丈夫だったか?」

「怪我などしてやいまいか?」

 同時に、手にした鍵で容易にも牢獄の戸を開いて見せる。

 予期せぬ出来事に二人はポカンとするばかりだ。

 ジョンとノラは共に、目の前の相手には一分足りとも見覚えがなかった。しかし、先方はその限りでないらしい。非常に友好的な笑みを浮かべて、早くこっちへ来いと言わんばかりに手招きなどして見せる。

「ほら、早く外へ逃げ出すんだっ!」

「俺達と一緒に行こうっ!」

「とりあえずは屋敷から逃げ出すぞっ!」

 口々に言われる。

 けれど、二人にすれば理解不能な状況である。つい先刻に人間の少女が場を後としてより、今まで誰も訪れることは無かった。それが何故に亜人がやって来たのか。街の中での亜人、亜族に対する扱いを見知った者からすれば不思議なことだった。

「こ、今度は何だニャ? もしかして絞首刑が決まったのかニャ?」

「いや……、っていうか、彼ら頭に耳が生えてない? 耳が、にょきにょき」

「生えてるニャ」

 正座を崩すことなく、顔を格子の側へ向けて淡々と語る二人。

 その姿を前として、男達は慌てて自らの身の上を語りだした。彼らもまた焦りのあまり聊かの平静を失っていたらしい。ジョンとノラの反応を受けて、自らを取り戻した風に口を開く。

「あぁ、安心して欲しい。俺達は君達の味方だ」

「そうさ。お前達を助けに来たんだ」

「ほら、人間がやって来る前に急いで逃げ出そうっ!」

 けれど、それでもジョンやノラにとっては意味不明な展開だった。何故に見ず知らずの相手に助け出される運びとなったのだろう。自分達の置かれた状況と合致しない先方の語りに疑問符ばかりが浮かぶ。

「ノラ達を助けてくれるのかニャ?」

「ああ、お前達には俺達の族長の娘を助けて貰った礼がある。有志を集い、ここまでやってきたって訳だ。だから、早く俺達と一緒に来てくれ。でなければ申し訳が立たないというやつだ」

 三人の内で一番に歳を重ねて思える者が言った。

「族長の娘って……あの小さな子供?」

 ジョンが首を傾げ問い掛ける。

「恐らく、その通りだ」

「族長の娘が盗人したのかニャ?」

 ノラもまた同様だ。

「盗人だとっ!? 誰がそのようなことをするものかっ!」

 ともすれば、男達の内の一人が声も大きく反応した。

 物静かな地下牢に轟と低い叫びが響き渡る。

 その姿を目の当たりとして、二人の中でようやっと合点がいった。格子の側へ向けられていた顔を互いに見合して、なるほどと相手の素性に頷きあった。二人は彼らが本当に自分達を助けに来てくれたのだと理解した。

「っていうと、どうやらあのオッサンが嘘をついていたみたいだね?」

「つまり、ノラが騙されたニャ?」

「十中八九でそうだろう」

「なんだか知らんが、とりあえず急いでくれ。人間共に見つかっては面倒だ。ここは警備がとにかく硬い。あまり長く留まっていることは不可能だ。鍵を開けたのだから早く出てきてくれ」

 他方、男達は随分と焦って思える。どうやら、ここへ至るまでも苦労を重ねた様子だった。その一方で、囚われの身にあるジョンとノラが酷く安穏としているのだから、温度差を感じて戸惑っているに違いない。

「ニャ、そういうことならありがたく脱走させて貰うニャ」

「騙されたのは納得いかないけれど、今は一先ず逃げるさね」

 二人は男達の言葉に従い、素直に牢屋より脱した。

 ジョン達が格子の内より脱すると、三人は即座に歩みを決めた。

 来た道を戻るよう廊下を早歩きに突き進む。

「さぁ、こっちだ」

「何処へ行くのさ?」

「退路は確保してある」

「ニャァ、なんだか凄い人達だニャ」

「それほどでもない」

 牢獄の規模は大したもので無い。多少を歩めば看守の詰め所と思しき辺りに出た。そこでは真面目に勤めていただろう人間が二人、気を失って地に伏している。どうやら三人がやったらしい。

「あ、ノラの荷物ニャ」

 その壁に掛けられた両肩掛けの鞄を見つけて、ノラがトテトテと勢い良く駆け出す。

「荷物、捨てられてなかったのかい」

「良かったニャー」

 ノラはジョンの言葉へ心底嬉し気に応えて、取り戻した自らの鞄を両腕にギュッと抱き締める。小さな体に見合わぬ大きな皮袋だ。二つ伸びたベルトは肩掛けで背面へ背負うよう作られている。その生地には割合ハッキリと凹凸が見られて、内に収まる雑多な物品の如何を想像させる。

「そんなに大切な物でも入っているの?」

「入っているニャ」

「そうかい。なら今度は絶対に取られないようにするがいいね」

「そうする。次は何があっても守ってみせるニャ」

 愛おし気に抱いた鞄を見つめる。

 ただ、あまりそうしている時間もなさそうだ。焦り調子に男の一人が口を開く。

「荷物を回収したのなら、こっちへ急いでくれ」

「分かったニャ」

「さてさて、さっさと逃げ出して自由の身になろうじゃないかい」

 地下から階段を上ると、そこは広い屋敷の裏庭にあった。入り口は木造小屋にあって、薄い扉を開ければ夜空が頭上に広がった。そして、時を同じくして伝えられる阿鼻叫喚の喧騒である。直接に姿を拝むことは叶わないが、数限りない人間と亜人、亜族の争う様子が伝えられた。

 耳障りな音の数々を前としてジョンとノラの耳がピクピク激しい運動を見せる。

「なんだか、とっても大変なことになってる気がするニャ?」

「あぁ、そう長く持たなかったみたいさね」

「どういうことニャ?」

 ジョンの言葉にノラが首を傾げる。

「直接的なきっかけはお前達二人が人間に連れていかれたことだろう。街の外に居を構えた多くの同胞達が決起を決めたのだ。今、ファーレンの街内部には積もり積もった鬱憤を晴らさんと多くが集まっている」

「暴動ニャ?」

「ああ、そういうことだ」

「といことは、この街の終わりも近いってことかい」

 男の言葉を受けて、ジョンは淡々と自らの知見を語り見せる。

「終わり? 別に我々は街そのものを無きものとする訳ではない。ただ、古くは我々が切り開いたこの地より、汚らわしき人間どもの臭いを払拭する為の浄化活動に徹しているだけなのだ」

「それにしては随分と荒々しいニャ」

「まあ、詳しくは別の場所で説明するとしよう。ここもいつ人間がやって来るとも知れない。粗方は倒しておいたが、それも時間の問題だ。悪いが二人は俺達についてきてくれないか?」

「これ以上に何か用なの?」

「ノラ達も手伝うのかニャ?」

「それは後で考えるとして、今は族長がお前達二人に礼を言いたいと言っている」

「なるほど」

「そういうことなら付いて行くニャ。他に行くところもないし」

「助かる。それではこっちだ、一緒に来てくれ」

 そうして、二人は三人の亜人に連れられて屋敷を後とするのだった。途中、傷つき倒れた人間や亜人、亜族の姿が数多く目に付いた。それらを背後に見送って、ジョンとノラは喧騒尽き止まぬ街中を駆け足に進むのだった。

◇ ◆ ◇

「で、ここが君達のアジトって訳かい」

「ああ、そうだ」 

「なんだか臭いニャ……」

「そこは我慢してくれ。こういう場所でなければ街の中に拠点など張れぬ」

「ニャァ……」

 ジョンとノラが三人の男達に連れて行かれた先は地面の下だった。何故に地面の下かと言えば、そこは街に軒を連ねる家々より排出される排水の流れ道だ。灰色に濁った水が静かに流れては、鼻の曲がりそうな臭いをその場に立つものへと与える。全くろ過されていない排水には糞尿から生ゴミに至るまで雑多な廃棄物がぷかぷかと浮き沈みを繰り返し流れている。

「こちらが我々の族長だ」

 そして、その一角に僅かばかり設けられた広間のような空間。そこに二人は今、立ち並んでいるのだった。傍らには三人の亜人の姿もある。そして、正面には彼らより一層のこと年老いた老年の亜人の姿がある。

「良く来てくれた。不躾な頼みを飲んでくれてありがとう。まずは礼を言いたい」

 男の一人に紹介されて、老年の亜人はまず面と向かい二人に頭を下げた。

 彼のすぐ隣には、その太股に抱きついた幼い少女の姿がある。

「街の外でみた子だニャ」

「ああ、そうだね」

 ノラの呟きを耳として、ジョンはつまらなそうでも律儀に相槌を打つ。

「これは私の孫娘だ。おぬしらには危ないところを助けて貰ったと聞いておる」

「別に大したことじゃないニャ」

「いいや、私にとっては大したことだよ。幾ら感謝してもし足りない思いだ」

「気にしなくていいニャ。困ってる人がいたら助けるのは当たり前ニャ」

「しかし、言うは易いが行うのは難しいだろう。本当にありがとう」

 皺だらけの顔を破顔させて相手は恭しく頭を垂れる。その姿を目前に置いて、ノラは両手の平を前面に向け振り、慌てた様子で場を取り繕った。二人をこの場へ連れてきた男達は、そうした光景を黙ってジョン達の背後より見つめている。

「ほら、お前もちゃんと礼を言いなさい」

 ややあって、族長は自らの足にしがみ付く少女にも同様に促す。

「は、はい……」

 ともすれば、その子は素直に頷いて一歩だけ前へと歩み出る。

 そうして、深々と頭を下げて礼をするのだった。

「どうも、ありがとうございました……」

「無事であって何よりだニャ。そんなに気にしてくれなくていいニャ」

 応えるノラもまた、彼女の祖父に応えると同様に受け答えする。

 出会ってからしばらくは頑なに緊張を見せていた少女である。しかし、ニコニコと穏やかな笑みを湛えるノラを前として、自然と態度の強張りが取れていった。何度か受け答えを繰返せば、やがて、祖父の後ろに隠れることは無くなった。聊か震え気味にあった四肢も落ち着きを取り戻す。

「ところで、おぬしらはこれから如何するつもりかの?」

 そして、一頻り挨拶が済んだ頃合である。

 不意に族長が二人へ向けて今後を巡り言葉を投げ掛けた。

「それはまだ決まってないニャ」

「聞いた話だと、街からの逃げ道は四方共に塞がれちゃってるのだろう?」

 ジョンとノラは先刻に自分達を捕縛した人間の少女の言葉を思い起こして応える。牢屋の中では以下にして外へと脱するか悩んでいた為に、それ以降の指針に関しては然したる考えが及んでいなかった。

「うむ、数日前に確認へ行った私達の仲間の幾人かが、一人として戻ってこんが故、それは間違いない。東の森へもやったが、それも未だ戻って来た者はいない。伏兵でも居るのだろうて……」

「なんだかとっても大変なことになってたみたいだニャ……」

 今に自分達の置かれた現実を思い出して、ノラの元気が聊か失われる。

 すると、そんな彼女の心情を救うように相手は言葉を続けた。しわがれた声が物静かな下水道へぽつり、ぽつりと反響して響く。その求めるところを耳として、二人の表情が聊か色を変えた。

「もし良ければじゃが、おぬしらも私達と一緒に来ないかのぉ?」

「ん? そっちと一緒にかニャ?」

「それってどういうことだい? 何か策でもあるのさ?」

 予想外の提案である。

 自然と疑問が口を突いて出た。

「うむ……」

 二人が問うと族長は深々頷く。

 皺枯れの彼が行えば同じ相槌にしても随分と貫禄が違って思える。二人の視線は自然と翁へ向けられる。その傍らに身を置いた同族の男達もまた、黙ってその続くところに注目した。

「知ってのとおり、街は難民の流入により混乱の極みにある」

「そこらじゅうから火の手が上がっていたね」

「うむ、だから我々は今と言う契機をものとしなければならぬと考えておる」

「何かするのかニャ?」

 ジョンもノラも八方塞の現状もあって興味津々の様子である。

「我々は街を制圧してイーペイロスに抗おうと考えておる」

 語る族長は瞳を爛々と輝かせて、大きな期待と決意を胸に秘めて思えた。

 一方、これまた予期せぬ発言を聞かされて二人は驚きを顕とする。

「ちょっと、ちょっと、幾らなんでもそりゃ無理じゃないさ?」

「この状況で敵軍に真っ向から向かうニャ?」

「うむ。確かに今はファーレンの街にしてみれば最悪の状況だろう。しかし、唯一、我々亜人、亜族が自分達の平穏を取り戻す契機でもあるだろう。私はそこに一縷の望みを掛けてみたいと思う」

「いや、だからってさぁ……」

「凄い大変そうだニャァ……」

「しかし、今や逃げることも叶わぬだろう。ならばむざむざ大人しく殺されてやることもあるまい。抗えるだけ抗って、精々、敵に被害を与えてでもやらねば、この地を開拓した先祖に申し訳が立たぬというものだ」

「あぁ、そういえばここいらの木を必死になって切ってたのは亜人だったね」

 族長の言葉を耳として、何やら思い起こした風に、ジョンが遠い目をして呟きを漏らす。その言葉が届いているのか、届いていないのか、右から左に流して、翁は自らの熱い語りを続けた。

「だから、我々はこの地を守ろうと思うのだ」

 ぐっと拳を固めて彼は言う。

 自分の言葉に酔っているのか、聊か先刻にも増して熱が入って思える。

 その姿を眺めてジョンとノラは顔を見合わせる。つまり先刻の、我々と一緒に、といった提案は、我々と一緒に玉砕覚悟でイーペイロスからの侵略に対応してくれという懇願に他ならない。特にジョンの顔は渋さも極まる。

「敵の規模って分かってるの? っていうか、君らの仲間って絶賛暴動中じゃないの?」

「一応、他の族長とも話を進めている。近いうちに街を占拠して、然る後に篭城戦の手筈を整える予定だ。それまでには人間への対応も粗方終わっているだろう。あとは我々の誇りに掛けて街を守るのじゃ」

「それはまた、大層な作戦じゃあないかい」

「……ニャア」

「我々も無理は百も承知だ。しかし、他に逃れることすらできない以上、ならば我々は街と運命を共にすべきだと話がまとまっておる。今のこの暴動もまた、人間から街を奪還する為の手筈に他ならない」

「けど、それって十中八九で敵国の思惑通りじゃないさ?」

「……どういうことじゃ?」

「だって、ここまであからさまに街の周囲の村を焼いて、そこに住んでいた君達みたいなのを難民としてここへ集めたんだろう? だったら、その次に相手が何をきっかけとして何を起こそうなものか、判断つくんじゃない?」

「……まさか、すぐにでも敵が来ると言うか?」

「違うさね?」

「…………」

「君達が街の中で暴れまわってる連中を一瞬で統率して外へと向けられるなら、それはそれで叶うかもしれないけど、今に外を歩いてきた具合からして、流石にそれは難しいんじゃないかと思うよ」

「一応、一連の流れはそれぞれの族長の統制の下にある」

「それでも厳しいと思うけどなぁ……」

 ジョンは一切の遠慮なく言葉を続けた。

「他に何か切り札足り得る何かがあったり?」

「……君は難しいと思うかね?」

「牢から助けて貰った手前悪いけれど、正直、それなら素直に街から逃げ出して、山を越えるなり森を抜けるなりする方が真っ当だと思うよ。玉砕覚悟も結構だけれど、最低限の勝算は欲しいさね」

 族長は彼の言葉に僅かばかり窮する。そんな彼の姿を眺めて、他の男達にしてもまた、何を言うでもなく目線を床へとやっていた。語る勢いは随分だけれど、彼ら自身にしても今の状況を好ましく考えているようでは無い様子だった。

 そんなだからだろうか。

 僅かばかりの沈黙の訪れを理解して、ノラが恐る恐る言葉を続ける。

「でも、ジョン……、ノラとしては、その……」

「何?」

「できることなら、助けになることができるのなら、その手助けをしたいニャ」

「なんだい、君は自殺願望でもあるのさ?」

「それはやってみないと分からないニャ。他に良い案があるかもしれないし」

「何かあるの?」

「今は無いけど、皆で考えていれば出てくるかもしれないニャ」

 ノラは僅かばかり瞳を潤ませて旅の連れを見つめる。

「僕を助けたときもそうだったけど、君ってば随分なお人好しさね?」

「そうかニャ?」

 その姿を眺めて、ジョンはハァと大きな溜息を吐いた。やれやれだと言わんばかりの態度だろう。両手の平を天井へ向けて肩など竦めて見せる。傍目にも否定的な空気を漂わせて思える。お前は何を言っているんだと体言していた。

「悪いけど、僕はもう少し無難な方法を取りたいね」

「無理かニャ?」

「君はできると思うのさ?」

 挑むような口調でノラに問い掛ける。

 すると、他方で彼女はジョンへ穏やかに、にこやかに、朗らかに語り掛ける。口調は平静と変わらない。ただ、それまで族長へ向けられていた身体を正面から彼に向けて、ジッとその目を覗き込むように言う。彼女の方が頭一つ分だけ背が低いので、自然と下から上へ、相手の顔を覗きこむような格好である。

「できないかニャ?」

「さぁ、どうだろうさね?」

「……でも、ジョンは頭が良いと言ってたニャ?」

 渋るジョンに対してノラは諦めることなく言葉を続ける。

「ん? ああ、自慢じゃないが、僕はとても頭がいいさ。天才さ」

 対して、全く照れた風も無く、それが当然だとばかりに彼は頷いて応じる。その辺りの振る舞いは状況が変化しても全く変わることが無い。力を失っても変化の無い一番の根っこの部分だった。

「けど、それが今にどうしたというのだい?」

 だから、彼の姿を眺めてノラは飄々と話を続けた。

「本当かニャ?」

「なにさ。君は僕の頭脳を疑うと言うのかい? この大魔王すら歯牙に掛けぬ頭脳を」

「別に疑って無いニャ」

「だったら何だというのさ」

「だったら、ニャァ、これくらい簡単に何とかできない筈がないニャ?」

「むっ……」

 急に投げ掛けられた、それこそ挑むような語り草にジョンの顔が固くなる。

 ノラにしては随分と攻撃的な発言だろう。語る調子こそ安穏としたものだけれど、内容は非常に彼女らしからぬ。だから、自然と受ける側も意識がその求めるところに向かってしまう。そして、ジョンと言う男は非常に面倒な性格の持ち主であるが、同時に、非常に分かりやすい性格の持ち主でもあった。

 売られた喧嘩は、押し入ってでも買うのである。

「どうかニャア?」

「……僕を試すと言うのさ?」

「別に試してなんていないニャ? ただ、ジョンには難しいかなと思っただけだニャ」

「ほぉ、ほぉ、ほぉ……」

 ジョンのノラを見つめる表情が僅かばかり変化する。

 それを目の当たりとした上でも彼女は更に言葉を続ける。全ては今に語ったのと同じ調子である。あくまで声の調子は普段と変わり無い。平然としていて、特に何を挑む訳でもない。

 けれど、言葉の端々は的確にジョンのツボを突いていた。

「駄目なら仕方ないニャ。ノラ一人でも頑張るとするニャ」

「なんだい、おやまあ、言ってくれるじゃないか、君ぃ……」

「どうしたニャ?」

「いいだろう、いいだろう。そこまで言うなら協力してやろうじゃないか。この僕の頭脳が他の何もかもより如何様に優れているか、その証明を、実践を持って華麗に示してあげようじゃないか」

「ジョンはそれで良いのかニャ?」

「ふふん、後で泣いても知らないさね?」

 自身も彼女に乗せられていると理解していながら、それでも、ジョンは啖呵を切るが如く言い放った。

「そこまで言うならお手並み拝見だニャ」

「フフンッ、困難であればあるほど燃えるのが僕のミッションっ!」

「じゃあ、そういう訳でノラとジョンの二人追加でお願いするニャ」

 吼えるジョンを傍らに置いて、ノラが族長へ向き直る。そして、人差し指と中指を立てて言うのだった。その表情のにこやかなるは、今まで以上の出来栄えである。ニコニコと溢れんばかりの笑みを湛えてのことであった。

「そうか、協力を感謝する」

「僕が協力するんだ、あぁ、大船に乗ったつもりで居るが良いさ」

 一方でジョンは只管に驕る限りだ。

 自らの魔力が枯渇していることを億尾にも出さぬ態度だった。

 ともすれば、自然と族長の意識も彼へと向かった。本人からすれば孫娘を助けてくれた礼を述べるついでだったのだろう。しかし、ここへ来て妙に自身気な相手の姿にその瞳を大きくする。

「何か良い案でもあるのかね?」

「まだ無い」

「なんだ、無いのかニャ……」

「まあ、そう慌てることなかれ。しばらく考える時間をくれたまへよ。この程度の困難、僕にしてみれば困難の中には入らないのさ。すぐに絶妙な良案を提示して見せようじゃまいか」

 語る調子に濁りは一片として見えない。

 意気揚々とジョンは述べてみせる。あまりに自信満々だから、何か言いかけた族長やその下に付く者達もまた、彼の姿を前に口を閉ざし様子を伺ってる。この自分達より遙かに小さい子供に何ができるのかと疑問に思っている風だった。

 そうした頃合の出来事である。

「大変だ!」

 石積みの下水道、その角を曲がり大慌てで駆け寄って来る者があった。ガツンガツンと足の掛ける規則的名音が大きく路内に響いて届けられる。今までの静けさに対してあまりに大きな音だ。

「何事だ?」

 族長を筆頭として誰も彼もが音源を振り返る。

「族長っ! 聞いてくれ、大変なんだっ!」

 薄暗がりの中、下水道を駆け寄ってきたのは同じ亜人の男だ。割と若い男にあって、今にジョンやノラ達の背後へ立っている余名と同程度に思える。声も大きく一帯へ反響させて、顔は恐怖に引き攣っていた。

 あまりに仰々しい様相を目の当たりとして族長も緊迫した声を上げる。

「だからどうしたと言うのだ?」

 ともすれば、返されたのは今し方にジョンが語ったとおりの展開であった。

「マクレーンの連中が攻めてきやがったっ!」

「なんだとっ!?」

 途端に場は騒然とする。

 それまで口を閉じていた男達も互いに驚愕を口とする。ちょろちょろと流れる下水の水面に波風を立てんがほどの騒動となった。これまでの静寂など微塵も無い。硬い石壁に人の声は良く響いた。

 族長の足元にある少女などは、急に狼狽を始めた大人達を見つめて、ガクガクと身体を震わせ怯えている有様だ。

「やっぱり来たねぇ……」

「ジョンの言うとおりになったニャ」

「こんなの当然さ」

「むぅ……、これは手を打たねば……」

 族長は駆け寄ってきた男からの報告を受けて唸り声を上げる。

「塀の外には軍隊がずらり並んでやがる」

「街はどうした?」

「既に街の中にも入り込んでいて、俺達も大分被害を受けてしまった。族長っ! なんとか街の囲いを立ち直さないことには、こりゃ、にっちもさっちもいかねぇよっ! 敵に何もかも奪われちまうっ!」

「ああ、その通りだな……」

 必死に問いかける男の言葉に、族長は深々と顎を引いて頷いた。それまでの穏やかな表情は一変して苦渋に満ちたものとなる。一層のこと彼の孫娘が悲壮な表情を浮かべるが、それに対応する余裕すら見受けられない。

 他の男達もまた、彼を囲うように円陣を作り、口々に大変だ、大変だと騒ぎ始めている。場は即座に対策を練るよう動き始めて、ああでもない、こうでもないと意見が飛び交い始める。

 そんなだから置いてきぼりのジョンとノラだ。

 ややあって、族長は傍らにぽつねんと立つ二人を思い起こす。

 聊か慌てた様子で、そちらの側へと向き直る。

「すまないが、私には仕事ができてしまった。悪いが、先に失礼させて貰いたい」

 そうして、深々と頭を下げて言うのだった。彼が口を開けば同様、彼を囲っていた男達もまた謝罪の言葉を口々に述べて頭を下げる。どうやらこれ以上を二人に構っている余裕は無さそうだった。

「そういうことなら急ぐニャ。ノラ達のことは気にしなくて構わないし」

「ありがとう」

 交わす言葉は二、三の短なものだ。

 一頻りの礼を口とすると、ジョンとノラを残して他の亜人達は足早に走り去るのだった。その焦りようと言えば大したものだ。僅か数瞬を経れば、その姿は薄暗い下水道の先へと霞み見えなくなってしまった。

 残された二人はその背をぽつんと眺めて立つ。

 段々と遠ざかる足音は、やがて、亜人の優れる耳にも聞こえなくなる。

 そうして、先方が十分に遠ざかり見えなくなった頃合である。

 ぽつりとジョンが口を開いた。

「まったく、これまた随分と慌しいものさね?」

「だって戦争ニャ?」

「ふん、この程度の小競り合いで戦争だなんて片腹痛いね」

 亜人達の消えて行った方向を眺めながら、ジョンは溜息混じりに語る。

「……ジョンは妄想が酷いニャ」

「…………」

 そうして、しばらくを佇んだ二人であったが、ややあって、地上へ戻ることを決意する。いい加減に汚水の放つ、否応無い強烈な臭いに耐えかねたのだった。その点に関しては二人とも意見が完全に一致していた。

 今し方に来た道を戻るよう進み、腐臭と生温い空気の満ちる地下を後とする。

◇ ◆ ◇

 地上に出た二人を待っていたのは、マクレーンの兵と戦う少女の姿だった。

 路幅も狭い裏路地を思わせる場所での出来事である。

 如何様な少女かと言えば、腰下まで伸びた真っ赤な髪の毛と、非常に値の張りそうな衣服が特徴的な少女である。世界では一般に貴族と呼ばれる特権階級層の好んで纏う出で立ちだった。彼女が一歩を踏み出すに応じて、革張りの靴の裏鋲がじゃりじゃりと地面と擦れて硬い音が響く。

「くっ、なんの……、この私に挑もうなどとは百年早いですわっ!」

「へへっ、小娘風情が何を偉そうにっ!」

 相手は大柄な人間の男だった。

 少女の二倍はあらんと思われる巨漢の持ち主だ。そして、その身長を越える巨大な斧を軽々しく振るっている。ぶおんぶおんと風切り音を伴って放たれる手の早い斬撃を前に、どうやら少女は苦労を強いられている風だった。

 そんな姿を二人は建物の影から見守る。

「喰らいなさいっ! 烈風陣《エラ・ボイド》」

「ぬぅんっ!」

 少女の腕より魔力の奔流が迸る。

 しかし、それは男の前に生まれた目に見えない壁に遮られて一切の効力を失う。パキンと乾いた音を立てて、予期した効果は発動しなかった。男の身体は宙を舞うことなく、また、本来の機能として身を切り裂くこともなかった。

 相手の顔にニタリと厭らしい笑みが浮かべられる。

「どうした? 不意を突かれなければどうということはない」

「その鎧……、抗魔力付与が成されていますわね」

「あぁ、俺のとっておきだぜぇ? こいつのおかげで幾百もの戦場を駆けて来れたって訳だ。ただ獲物を振るっていたって魔法使いの奴らにはかなわねぇ。だったら、こっちも頭を使うしかねぇんだよな」

「物に頼って情けなくはありませんこと?」

「そういうことは俺に勝ってから言うんだなっ!」

「誰が負けるものですかっ!」

「ははは、この期に及んでよく言う。最後はお前が負けるんだよっ!」

 男が斧を振り上げる。

 少女は次に訪れるだろう斬撃を避けるよう、前面に守護魔法を展開しつつ、大きく後方へと距離を取る。小柄な体躯の正面に魔方陣が描かれて、迫る刃を弾かんと淡い光を帯び始める。薄い紫色の発光が少女の身体を薄く照らし上げる。

 しかし、全ては彼女の想定を超えていた。

「甘いんだよ、貴族のお嬢ちゃん」

「っ!?」

 男の斧が地面と平行に振るわれる。

 その切っ先は少女より遙か遠く触れることは叶わない。

 しかし、振るわれた凶器の先より何かが放たれる。それは目に見えない衝撃波となって少女の身体を襲った。何も無い空間を白波が立ったかと思えば、その沿線上に立つ少女の足をを切り裂く。

 ブツリと肉皮の切れる音がした。

 それと同時に、鮮血がビュっと柔肌下より飛び散る。

「っ……」

「俺達人間は物を使ってなんぼの生き物だろう?」

「そ、その斧は……」

 自然と少女の膝は地に着いて、ただでさえ低い視線が尚のこと低くなる。

「どうだ? いいだろ?」

「くっ……」

 悔しげに少女の顔が歪む。

「さぁて、それじゃあ美味しく頂くとするかねぇ……」

 他方、男は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 舌なめずりなどして、ゆっくりと少女へ近づいて行く。斧を構えたまま、けれど、向かうは一向に勇み足だ。ご馳走を目の前として、沸き立つ心を抑え切れぬといった具合だろうか。

 そんなだからノラが飛び出したのも仕方無いことなのかもしれない。

「ちょっと待つニャっ!」

 少女と男の様子を物影より伺っていた彼女は自慢の爪を前に突き進んでいった。ジョンが止める間もない。肩へ手を置こうとしたときには、既に、彼女の姿は少女と男の間にあった。大した勢いだろう。その足の蹴った地面は大きく窪んでいる。

「ちょっとちょっと、こんな状況で勘弁して欲しいさ……」

 思わずジョンの口から呟きが洩れる。

 けれど、舞台に立ってしまったノラが戻ってくることはない。

 ただ、自分のときと同じだと思うと、ジョンはそれ以上の言葉を口とすることができなかった。だから、仕方なく彼女へ連なるよう、少女の側へ回りマクレーンの兵へ敵対するよう位置を取る。

「あ、貴方達がどうしてここにっ!?」

「ノラも混ぜるニャ!」

 ノラは少女を背に置いて庇うよう立つ。

 ただでさえ低い身の丈を尚のこと低くして、敵軍兵に挑むよう両足を開く。両手の爪を胸の高さで構えて、すぐにでも相手からの攻勢に応じられるよう備える。大きな瞳は瞳孔を縦に切らせて、ジッと敵の動きを凝視する。

 その姿は人間より獣としての彼女の在り方を如実に示していた。

「何だテメェは。亜人の分際で俺様の楽しみを邪魔するってのかっ!?」

「手を引かないと痛い目に遭うかもしれないニャ」

「何が痛い目に遭うだぁ? 上等じゃねぇか。お前らみたいな獣臭い連中はこの俺が世の為人の為、この場で叩き切ってやる。俺達の統治する町に亜人なんて奴隷以外に必要ないんだからな」

「好きなように言うが良いニャ」

「上等だコラっ!」

 ノラの言葉に挑発されて男は即座に動き出した。

 少女にそうしたのと同様、大きな斧が大地と水平に大きく振られる。

 けれど、一度目の当たりとした攻撃である。ノラはそれを見事に回避した。ダンと音を立てて地面を蹴る。大きく身を空へ躍らせて、一挙に男との間を詰めた。小柄な彼女である。加えて、人間に勝る亜人の身体能力を持ってすれば、数歩の距離は容易だった。

 そして、宙空での僅かな間で体勢を整えた彼女は両手の爪を一閃させる。

 ガキンと硬いもののぶつかり合う音が辺りに響いた。

「テメェ、俺の一刀を防いだか……」

「ニャっ、想像以上に強いニャァ……」

 爪と斧とが軋みあって乾いた音を上げる。

 その交差を跨いで二人の視線が絡み合っていた。

 一方が一方の二倍以上という身長差もあって、二人の向き合う姿は非常に印象的なものである。振り下ろされた斧の刃を両手の爪でノラが押し上げ受け止める形だ。傍目には恐ろしく脆く危うい様相に映るだろう。

「歯向かうって言うなら、容赦しねぇぞコラっ!」

 叫びを上げて男が斧へ力を加える。

 これ以上は堪らんとばかりに、ノラはその切っ先を地面へ譲り落とすと、我が身を後方へ退けた。ドスンと低い音を響かせて大地が震える。重量のある敵の獲物が砂利で舗装された地面へ深々と突き刺さった。

「チィ、すばしっこいばかりが能の畜生が……」

「想像していたより大変かもしれないニャ」

 たらりノラの頬に汗の一滴が垂れる。

 そんな彼女の後ろにあって、膝を突く少女が声も大きく吼えた。

「貴方、頭を下げなさいっ!」

「ニャ?」

「早くっ!」

 反射的に後ろを振り返ったノラ。その視界の隅には巨大な火の玉が映る。叫ぶ相手が何を考えたのか早々に理解して、彼女は慌てて膝を折り地面にしゃがみ込んだ。三角の耳もぺたんと髪に沿うよう折り畳んで小さくなる。

「火爆弾《エサ・クァベ》」

 それと時を同じくして、頭上を轟々と音を立てて燃える火球が敵に向け飛び進んだ。起動式の発動に合わせて、少女の正面に生まれた業火が放たれたのである。凄まじい勢いで男に向けて直進する。

「ちぃっ!」

 マクレーン兵は斧を地面から引き抜き、大慌てで斜め後ろへと飛び退く。

 少女の放った火の玉は彼の脇を通り、彼女の腕の向けられた延長線上へと飛んでいった。やがて、誰の物とも知れぬ建物にぶつかると激しく爆発、然る後に周囲一帯を巻き込んで炎上を始めるのだった。

 周囲一帯の気温がむわっと上昇する。

「くそ、あぶねぇ、これだから魔法使いはいけすかねぇ……」

「ありがとうだニャっ!」

 一転して男とノラ、二人の意識が少女へと向けられる。

「あ、貴方の為ではありませんわっ! それよりも、今は目の前の敵を倒すことに集中するべきです。私の邪魔をしないよう、もっと隅の方で大人しく引っ込んでいて下さいませんことっ!?」

「そういうことならノラも手伝うニャっ!」

「亜人如きに何ができましてっ!?」

「ノラが前衛を努めるから、そっちは後方から魔法をお願いしたいニャ」

「貧民が貴族である私と共闘すると言うのですの!?」

「今は敵を倒すことが先決ニャ?」

「くっ……」

 ノラの言葉に少女の顔が歪む。

 けれど、今この場では的を射た発言だから、少女も返す言葉を失う。文句が言いたいのだけれど、上手い件(くだり)が見つからなくて悩んでいる風だ。そして、そうこうしているうちに場は動いていく。

「それじゃあ、行くニャっ!」

 少女の戸惑いを是として受け取ったノラが、本人の声を待たず地を駆ける。

 向かう先は再び斧を構えた敵軍兵である。

「糞が、まとめてぶっ殺してやろうじゃねぇかっ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいっ! 私はまだ了解した訳ではありませんわよっ!?」

 少女は声も大きく吼えるが、既にノラは男と爪を交えている。

 そんなだから、彼女もまた仕方なく次なる術を唱えることとなった。ブツブツと文句交じりに呪文を口として、両腕で大きく印を描く。それは今し方に唱えたのと同様の呪文である。

「邪魔をしたら承知しませんわよっ!」

 そうして、彼女の腕からは再び炎の玉が放たれた。

「火爆弾《エサ・クァベ》」

「ありがとうだニャっ!」

「ぬぉおおおっ!?」

 少女の火球が再び男の身体を掠めた。

「一気に攻めるニャっ!」

「当然ですわっ!」

 足を痛めた少女に敵を寄り付かせまいと、ノラは敵の行動を後衛より一定の距離で縛り付ける。男は魔法を使う貴族の少女を先に始末しようと躍起になった。しかし、彼の想像する異常に亜人の前衛は優秀だ。なかなか上手くいかない。しばらくして、ノラを退けぬことには何も叶わぬと理解したのか、一転して彼女を相手に攻勢へ出る。

 対して、機敏なノラは男からの攻撃を上手いこと交わし続けた。少なくとも速さという点では彼女に圧倒的な利があった。しかし、魔法によって守られた鎧は強固にあり、自ら決定打を放つことはできない。

 もしも一対一での決闘あったのなら、結果は分からなかっただろう。

 しかし、今は二人での共闘である。

 ノラが時間を稼いでいるうちに、絶えず魔法を完成させては放つ貴族の少女。当初は二人を相手にしても勝り思えた男であった。けれど、時間の経過と共に段々と絶妙な連携を始めた二人を前として、ゆっくりと勢いを失っていく。

 ちなみに、そんな争いを眺めて溜息を吐くのはジョンである。

 全く何もしていない。

 応援すらしていない。

 一人、ぽつねんと争いの場を眺めていた。

 何か思うところが多分にあるらしく、ぶちぶちと愚痴らしきものを溢している。けれど、渦中にある二人には伝わることも無い。奮闘を見せるノラと少女を眺めて、羨ましそうに、悔しそうに、憎々しげに、ただ視線を向けていた。

 やがて、交戦を始めてより聊かの時間が経つと、優劣は完全に逆転していた。

「こ、コイツらぁ……」

 段々と後ろへ追い遣られていく男を前に少女が声高々吼える。

 斧や鎧には傷一つ無い。

 しかし、汗の滲む顔には積もり積もった疲弊がありありと見て取れた。

 対して、ノラは余裕の様相である。後方の少女にしても疲労の色は見えるが、男ほどではない。依然として闘志は失せていなかった。攻めの手も先刻と比較して全く色褪せていない。

「さぁ、そろそろお終いですわよっ!」

 少女の両腕に篭められる魔力量が増してゆく。

 淡い緑色の光が彼女の全身を世界から浮き上がらせるように包む。

 その光景から今までにも増して強力な一撃が予想された。足に受けた怪我の為に動き回ることは難しいが、魔法を放つ分には然したる問題もない。少女の口調は至って強気である。非常に生き生きと感じられた。

 また、ノラにしても背後より届けられる威勢を受けて、自分達の勝利を確信する。

「ノラもまだまだいけるニャッ!」

 鋭く尖った爪が容赦なく男の手元へと繰り出される。

 小柄な体躯を生かして懐へ深く飛び込んだ一撃だった 。

「ぬぉっ……」

 疲労の為だろう。予期せぬ接近を許した彼は、大慌てで後方へ飛び退き距離を取る。

 斧の柄を立てとして、その巨漢はノラの一撃により弾かれた風に距離を得る。

 すると、それまで近接していた両者の間に大きな間隔が生まれた。

「さぁ、喰らいなさいっ!」

 そこへ少女が畳み込みを掛ける。

「ニャっ!?」

 全身から発せられる魔力を感じて、ノラが大慌てで身を引かせた。

 それと時を同じくして少女が始動式を口とする。

「爆火壁《ドノ・ハーユ》」

 両手の平が向けられた先には男の姿が在る。

 その足元の地面が唐突にも融解を始める。まるでぐつぐつと煮立つように表面を泡吹かせて大地が沸騰を始める。予期せぬ反応を足元に捉えて男はバランスを崩した。とは言え倒れるまでは行かず、慌てて立つ場を退こうと地を蹴る。

「無駄ですわっ!」

 少女が意気揚々と吼えた。

「っ!?」

 それと同時に彼の全身を炎が覆った。

 煮沸していた足元から巨大な炎の柱が吹き上がったのである。

 男の身の丈の二倍にも三倍にもなる非常に大きな柱だ。

「ぬぉおおおおおおおおっ!?」

 堪らず男の口から野太い悲鳴が上がった。

 しかし、それすら掻き消す勢いで炎は燃え上がる。

 爆ぜる火壁の勢いに当てられて、ノラは慌てて男の下より距離を取る。ぴょんぴょんと跳ねて少女の下まで舞い戻った。幾分か間隔が開いていたにも関わらず、その髪の一端がちりちりと焦げていた。

「よく燃えてるニャ……」

「フフン、この私に逆らうとどういう目に遭うか、これで理解できまして?」

 ノラの言葉に応える少女はとても得意気だった。

 やがて、炎の壁は一時(いっとき)を燃え続けた。

 悲鳴が収まってしばらく、少女は男の絶命を想定して魔法の行使を終える。

 彼女が小さく腕を振るうに応じて、それまでの猛りが嘘のように炎が収まる。僅か一瞬の出来事であった。本人の幾倍、下手をしたら二桁倍に及ぶだけの高さを持った火の壁がしゅんと消えてなくなる。

 そして、その後に残った光景を眺めて少女は驚愕に目を見開く。

「なっ!?」

 そこには依然として果てぬまま残る男の姿が合った。

「こ、こいつぁ効いたぜぇ……」

 地面に膝を突いて、身体の露出した部分を庇うように身を丸めていた。大凡は鎧に付与された魔力によって耐えたのだろう。炎の壁と比較すれば薄すぎる金属の守りではあるが、そこに与えられた力は少女の一撃にも増したものであったらしい。

「鎧がなかったら死んでたな。ああ、こんがり焼かれて死んでただろうよ……」

 周囲に火の気が失われたことを理解して、彼はゆっくりと立ち上がる。数少ない露出部位だろう顔は、しかし、炎に爛れた形跡など微塵として見受けられない。僅かに黒く煤に塗れている程度だ。どうやら損傷は微々たるものであったらしい。

「くっ、大した鎧ですわねっ!」

 少女が吼えると同時に再び呪文の詠唱を始める。

「糞、またかっ……」

 男は慌てた様子で身を起こし立ち上がった。

 同時に安定を取り戻した大地を蹴って彼女より大きく距離を取る。

 今まで以上に距離が開いて、ノラは相手を追いかけるべきか現状待機すべきか頭を惑わせる。下手に突っ込んで少女より放たれる魔法へ巻き込まれるのは旨くない。後衛の守護を念頭に動いてきた彼女だから、あまり手深く攻めるのは得策でない。

 ただ、男の手には依然として斧が握られている。

「糞ったれがっ!」

 ノラが戸惑っているうちに男は跳躍を繰り返し十分な距離を得た。

 そして、唾を撒き散らして声も大きく吼える。

「折角のご褒美だってのに、こんなガキ共を相手に時間を掛けてる暇はねぇんだよっ! 延々と時間を掛けて待ってたんだ、他の奴らに奪われないうちに俺も行かなきゃならねぇってんだ」

「な、なんの話だニャ?」

「女と金と酒に決まってるだろうが、このクソガキ共がっ!」

 どうやら今し方の魔法が物理的にも精神的にも効いたらしい。男の顔からは闘志が失われて感じられた。他に何か目的があったのだろう。手にした斧の位置を少しばかり低くして声も大きく吼える。

 ただ、ノラや少女にしては意味不明な話だった。

「これ以上をやるというなら、ノラは躊躇しないニャ」

「畜生が、覚えてやがれっ!」

 男は油断無く斧を両手に構えながら、じりじりとゆっくり後退を始める。

「逃げるのですのっ!?」

「五月蝿ぇっ! テメェらみたいなガキを相手に時間を持ってかれて堪るかっ!」

「それは先刻と言っていることが違わなくって?」

「黙れクソッたれっ!」

 語る調子はノラの出張る前とで百八十度だけ異なっていた。溢れんばかりの下心は失せて、今は屈辱に歪むばかりである。額へは血管すら浮かべて、はち切れんばかりに怒鳴るものの、二人との距離は段々と離れて行く。

 やがて、マクレーンの兵は怒り任せに一頻りの愚痴を吐き散らす。

 二人は敵軍兵の態度に戸惑いを浮かべつつ現状維持。

 ともすれば、双方の間隔は段々と広まって行く。

「お、おお、覚えてやがれっ!」

 やがて、男は十分に距離が離れたことを確認すると踵を翻す。物影に隠れるよう二人の視界より姿を消した。そして、がしゃんがしゃん荘厳な鎧を鳴らして、足早に争いの場より逃げ去って行くのだった。

 傍目にも見事なまでの逃げっぷりである。

「……これは勝ったのかニャ?」

「ふん、逃げ足ばかり優秀ですわね」

 足に怪我を負った少女を放置できなくて、ノラは男の追跡を諦める。

 一方で魔法使いの彼女は少しばかり悔しそうに顔へ皺を作った。

 ともあれ、共に無事に窮地を脱したことを理解してフゥと僅かばかり安堵の息を吐く。身体の緊張も抜けて、凝り固まっていた身体が弛緩した。張っていた肩も緩んで、自然と互いに視線が合う。

「とりあえず、窮地は脱したようだニャ」

 男の気配が遠ざかったことを確認して、誰に尋ねるでもなくノラが呟く。

「べ、別にあの程度の戦いなど、窮地でも何でもありませんわっ!」

 それに少女が慌て調子で吼えて応える。

 ともすれば、そんな彼女達の前に現れる者が一人。

「流石は僕の下僕だ。良くやった」

 それまで延々と立場を失っていたジョンである。脅威が去ったことを理解して、物影より現れた次第であった。流石に二度も痛い経験をした彼だから、今回に関しては大人しく身を潜めていたのである。幾ら我が強いとは言っても、己の力量を見誤るほどに馬鹿な男ではなかった。

「ノラはジョンの下僕じゃ無いニャ?」

「だって、出番がなかったんだもん」

「それはジョンが弱いから仕方の無いことニャ」

「…………」

 ジョンの無事な姿を眺めてノラはハフゥと再び溜息を吐く。

 そして、ジョン自身もまた一山過ぎたかと一心地である。何でも無い。今更ながら自身の無力さを実感するのであった。今の彼は彼が十分に弱いだろうと評価するノラと比べても尚のこと弱い。それが殊更に彼の脆弱さを際立たせて本人に伝えるのだ。

 ノラは周囲に脅威が失われたことを確認して少女へ振り返る。

 三人が立っているのは、背の高い建物の影に囲まれた、人気も少ない裏路地である。幾らかを歩めば大きな通りに出るだろう。耳には雑多に悲鳴やら怒声やら喧騒が届けられる。しかし、多少だけ入り込んだその場では人目も皆無である。同じ街にあっても周囲より隔離されて感じられた。

 おかげでジョンとノラは若干の落ち着きを持って少女に向きなおる。

「助かって良かったニャ」

「っていうか、出て行くなら出て行くで僕にも声を掛けてくれないさ?」

「ニャ、ごめんなさいニャ」

「まあ、次からそうしてくれればいいんだけどさ……」

 ノラの傍らにあって、ジョンもまたフゥと小さく溜息を吐く。

 ここ数刻、溜息ばかりの彼である。

 ともすれば、何よりも強烈に反応したのは渦中にあった少女である。ふと冷静になって、二人の姿を視界に納めた。きっと、何か思うところがあったのだろう。即座のこと声を上げる。

「ちょ、ちょっと、貴方達、何故にここに居るのですの!?」

 慌て調子に二人の下へと駆け寄り尋ねる。

「そんなの居るから居るに決まっているだろう?」

「ジョン、それは何だか凄く学術的な物言いだニャ。変だニャ」

「その通りです! 私が聞いているのはそんなことではありません」

 極めて冷静な二人を眺めて、少女は激昂の一途を辿った。

「屋敷の牢屋には鍵が掛かっていた筈ですわっ! それに壁や格子だって魔力的に強化されて、絶対に壊すことはできないよう作られていました。それこそ街の外壁となんら遜色ない技術が使われていましてよっ!?」

「それだったら答えは一つだろう? そんなこと言うまでも無いじゃなさ」

「な、なんですってっ!?」

 ジョンの言葉に少女は我を忘れて怒り上がる。

 それを止めたのは丁度、間に立っていたノラである。両腕を双方の側へと伸ばして、小さくピョコピョコと上下に動かす。彼女なりの牽制らしい。顔は右を見たり左を見たり忙し気だ。

「まぁまぁ、今は喧嘩をしている場合じゃないニャ。落ち着くニャ」

「ですがっ!」

「それよりも怪我の様子を見るニャ。そのまま放っておいたら大変ニャ」

「っ……」

 冷静な指摘を受けて少女が聊かの落ち着きを取り戻す。

 今更ながら、自らが敵軍兵より受けた怪我を思い起こす。夜風に晒されて痛む傷口の疼きを感じて、その眉が痛みからか皺を刻む。太股は自身の拳幅だけ裂けて、口からはトロトロと赤いものが流れ出していた。放っておけば膿んで酷いことになるだろう。治癒魔法をかけねば痕が残るのは言うまでも無い。

「……ま、まずは礼だけ、言っておきますわ」

 ふと僅か冷静さを取り戻して少女の言葉が勢いを落とす。

「別にお礼なんていいニャ。ところで、何か回復魔法を知っているかニャ?」

「……ありませんわ」

「だったら、代わりになるものをあげるニャ」

 少女の言葉を待って、ノラは自らの鞄を漁り始める。肩紐を掛けて背負っていたそれを地面に下ろして、ゴソゴソと中身を漁る。そして、ジョンと少女の注目する中でなにやら木製の筒と、淡い黄色の布生地を取り出した。筒には皮を紐で縛り上げた蓋がなされて、内側になにやら湛え思える。

「はい、生薬と包帯だニャ」

「…………」

 ノラはそれを少女へ両手に掴んで差し出す。

 対して、差し出された少女はポカンと口を開いて間抜け面を晒した。それこそ訳が分からないといった風である。それまでのキリリと引き締まった表情は見る影も無い。驚愕の一色だった。

「あ、貴方、自分のやっていることを理解していまして?」

「ニャ? それはどういう意味かニャ?」

「いや、だって、その……」

「何かニャ?」

「それは、その……」

 少女はごにょごにょと言い難そうに言葉を続ける。

「だって、私は貴方達を牢屋へと放り込んで……」

 驚愕に次いでは困惑。

 眉がハの字に曲がり、口はきゅっと窄まり動く。

 けれど、ノラは何を気にしたことも無い。いつもどおり、マイペースに語る限りだった。両手に乗せられた二つがずいと少女へ尚のこと突き出される。顔に浮かぶのは穏やかな笑みに他ならない。

「それはそれ、これはこれだニャ。困ったときはお互い様だニャ」

「…………」

 自分を見つめる瞳に嘘偽りの無い色を確認して、少女は以降の言葉を失った。

 敵軍兵の手から救われただけでなく、そう多くないだろう自らの手持ちを相手に分け与えるとは酔狂極まる。この亜人は何者だろう。そんな疑念とも尊敬とも知れぬ落ち着かない感情が彼女の内に渦巻き始める。

 そして、そんな彼女の内心に構うことなく当人は言葉を続ける。

 考える時間すら与えない。

「さぁ、早く手当てをするニャ。大変ならノラとジョンも手伝うし」

「おいおい、何故に僕まで手伝うのさ」

「あまりゆっくりできる状況じゃないニャ?」

「いや、まあ、それはそうだけどさぁ……」

 彼女の言葉にジョンもまた、少女の下へと歩み寄る。

 彼にしてみれば、頼まれても非常に面倒な作業である。しかし、同様にノラの手により助けられた過去があるから、どうしても断ることができなかった。拒否をしようにも、どうしても言葉が続かなかったのだ。

 他者に助けられたことなど生まれて数度と無いジョンである。物心付いてより唯我独尊を貫いてきた男である。向けられた好意の数は片手に数えるほど。対して、恨み辛みを向けられたことは数え切れない。それこそ世界中を敵に回してでも自分を肯定し続けていたのである。

 だから、出会って数刻という僅かな期間ながら、ノラと言う存在は彼にとって想像以上に大きなものとなりつつあった。それこそ彼自身ですらも認知できていない領域のことである。

「で、僕はどうすればいいの?」

「じゃあ、ジョンは薬を塗って欲しいニャ。ジョンの方が指が細くて痛くしないニャ?」

「あぁ、君のその手じゃあ人間の肌に薬を塗るのは難しかろうさね」

「ありがとうだニャ」

 ノラの差し出した生薬の詰まるビンを受け取ってジョンは頷く。

「べ、別に自分でできますっ! 貴方達の厄介になるつもりはありませんわっ!」

 そうして、ああだこうだ言い合いながらも無事に少女は応急処置を始める。負傷者は大いに喚きたてたけれど、ノラが無理矢理にその太股へ張り付いて、強引にも治療を始める運びとなるのだった。

「ところで、今ってどういう状況になっているのさ?」

 手渡された生薬を少女の肌に塗りながらジョンが問いかける。

 すると、相手は傷口へ触れられる痛みに頬を引き攣らせつつ、ぽつり、ぽつり、彼の問うたところを語り始めた。どうやら、観念したらしい。二人からの治療を苦々しくも受け入れつつである。

「包囲を続けていたマクレーンが、遂に街へと軍を進めたのですわ」

「外にはもっと沢山の兵が居るって聞いたけど?」

「街の塀は一部が破られた限りですわ。全軍が進入するには穴が小さ過ぎます。とは言え、今も拡大の一途を辿っているでしょうから、いつ雪崩れ込んで来ても不思議ではありませんわ」

「その穴っていうのはまだ奮闘中?」

「ええ、でなければ今頃は街中が敵軍兵で溢れていますわ」

「なるほど。っていうと、持ちこたえて今晩が山ってところかい」

「くっ……、悔しいですが訂正できませんわ……」

 淡々と語るジョンに対して、少女は弱々しい調子で応えた。薬を塗る指が傷口へ触れる度にビクン、ビクンと身体を震わせる。加えて、敵軍に手痛い思いをさせられた為か、何やら大きく気落ちして感じられた。

 その姿は先刻まで自らの倍を超える身の丈の男を相手に立ち振る舞っていたとは思えぬ弱々しさがあった。中身が二十過ぎのジョンとは異なり、彼女は正真正銘に見た目相応の人間なのだろうと二人は理解する。

「ジョン、どうするニャ?」

「それを今考えているところさ」

「……何の話ですの?」

「天才のジョンが街を救ってくれるそうだニャ」

「君、何気にそれって嫌味だったりしない?」

「そうかニャ?」

「まあ、別にいいけどさ」

「ちょっとお待ちなさい。話が見えてきませんわ」

 勝手気ままに話をする二人を前にして少女が口を窄める。

 彼女からしてみれば二人は依然として犯罪者の亜人だ。自分の知らぬところで勝手に動かれては業腹だと思うのは、その性格を鑑みれば当然のことだろう。けれど、今は悠長にお喋りをしている時間もない。

「とりあえず、この場で長々と過ごすのは得策じゃない。さっさと包帯を巻いて場所を変えるとしようじゃないか。また敵兵に見つかったら面倒なことになる。ノラの奮闘も何処まで続くか分からないしね」

「分かったニャ」

「ちょっと、何かを知っているというならば洗いざらい吐いて貰いますわよ?」

「それじゃあ、ちゃっちゃと包帯を巻いてしまうニャ」

「だから人の話をっ……いたっ……」

「あ、ごめんだニャ」

「べ、別に、この程度の怪我など、どうということありませんわっ!」

 そうして、ジョンとノラは手早く少女の手当てを済ませるのであった。

 幸いにして太股の怪我は浅く肉を裂いたのみにあり、痛みこそ大したものであっても、歩くのに支障は出なかった。また、ノラ提供の生薬は頗る優れて、三人は手当ても早々に、足早く場を逃れることができたのであった。

◇ ◆ ◇

 街は酷い有様だった。

 特に周囲を囲う塀の破れた近辺は至るところで火の手が上がっている。また、他の外郭近辺にしても常に外との競り合いが絶えない。街の周囲は東西から挟み込むように囲われて、そこへ大挙する軍勢は時間の経過と共に段々と数を増していた。そう長く持ち堪えられるとは思えない。

「頑張ったところで一晩が精々といったところさね」

 何気ない調子でジョンが言う。

 ともすれば、喰い付いたのは貴族の少女である。

「何を偉そうに勝手なことをのたまってますのっ!?」

「だってそうじゃないか。この有様を眺めれば誰の目にも明らかさ」

「確かにこのままだと先は長くなさそうに感じるニャ……」

「くっ……」

 三人は今、背の高い建物の最上階にあって、そのテラスに身を潜めていた。割と街の中心に近い場所に位置する建造物が故に、まだ敵軍の手は至っていない。しかし、それも明日まで持つかどうかといったところだ。

「ならば、このようなところでうだうだ言っていられませんわっ!」

 何故にこのような場所にいるかと言えば、現状を把握せんと少女が先導しての移動であった。二人が共にあるのは彼女が依然としてジョンとノラを犯罪者として見ているからである。少女曰く、私と共に来なさい、とは強引な物言いだった。

 ノラは怪我をした少女が心配で率先して歩みを向けた。

 そして、彼女と離れては身に危険が及ぶジョンだから、彼にしては選択の余地が無かった。結果として、三人共々、天上より眼下を見下ろしては現状の把握に努めている次第である。

「ちょっと待つニャ。一人で行ってどうにかなる問題じゃないニャ」

「ならば貴方達も付いて来なさいっ!」

「さ、流石にそれは抵抗があるニャ。行くにしてもせめて作戦とか……」

「私はスチュアートの末裔ですわよっ!? 成せば成りますわっ!」

「そういう根性論ってスチュアート的に大嫌いなんだけど」

「……どういうことですの?」

「ま、まあまあ、とりあえずは作戦を立てるニャ」

 口を尖らせて不平不満を溢すジョンと、彼の物言いの一つ一つを拾っては青筋を立てる少女。ノラは両者の間を取り持つように必死で言葉を続ける。それがこの場に至ってからも、至るまでも、延々と続けられてきたやり取りだった。

「それで、ジョン、何か良い案は浮かんだかニャ?」

「僕の魔力が戻ってくれば、この程度の塵粒共なんて物の数に入らないんだけどなぁ」

「だから、夢物語はいいから現実を考えるニャっ!」

「何を言っても無駄ですわ。この痴呆は病気ですわよ、病気」

「本当だって言ってるだろっ!?」

「例え本当であっても、今に使えないなら何の意味も無いニャ」

「ぬっ、そ、それはまあ、その通りかもしれないけどさ」

「やはり、勝利はこの手で自ら切り開く他にありませんわっ!」

「だ、だから、それも絶対に無理だニャっ!」

 議論は堂々巡りだった。

 金属で造られた背の低い柵を越えて、強い風が三人の頬を撫でる。それに乗って鼻腔を擽るのは煤けた空気の焼ける臭いである。遠く人の声は絶えることなく四方八方より悲鳴や怒声が届けられた。まだ建物近辺では被害も出ていない。けれど、既に敵軍兵に進入された側より多く人が避難してきており、付近は騒然としていた。建物の根っこの部分など人が隙間無く犇き合っている。

 三人がこの場まで移動できたのは一重に少女の用いた浮遊魔法が故である。

 ちなみに、ジョンは全くとして知らないが、現在、この世界において空を飛行する魔法とは、非常に難易度の高い魔法である。それを自分を含めて、他二名を伴い行使した彼女であるから、現代においては並以上の魔法使いの証明であった。

 けれど、それに対して一切を触れない二人だから、聊か少女はキレ気味である。

「とりあえず、もう少し真面目に対案を考えるニャ」

「なんだよ、君ってば随分と真面目キャラじゃないかい」

「失敬だニャ。ノラはいつだって真面目だニャ」

「てっきり馬鹿キャラだと思っていたのに、僕の信用をどうしてくれるのさ」

「ジョン、それは普通に酷いニャ……」

「貴方達っ! 考えるのならば遊んでいないで早々に結論を出しなさいっ!」

「そういうなら君も悩みたまへよ」

「貴方と一緒にしないでくださいましっ! とっくに悩んでいますわよっ!」

「そうかい? とても悩んでいる風には見えなかったさ」

「こ、この亜人は……貴族をなんだと思っていますの……」

 有体なジョンの物言いに少女が拳を握る。

 ほんのりと光を帯びて見えるのは少女の我慢の限界が近いことを示していた。このまま談義を続ければ、近いうちに二人は空を飛ぶ羽目となるだろう。それを理解してノラは必死に言葉を続ける。

「まあ、ほら、とりあえず現状を把握するニャ」

「しかし、現状を把握するといったって、見ての通りじゃない?」

 直接敵軍兵から被害を受けている部分は一割に足るかどうかといったところだ。所々火の手が上がっているものの、全体からすればごく一部である。しかし、全ては街を囲う塀の大半が機能しているからに他ならない。他に穴が開けば、ただでさえ苦労している防衛は困難を極めるだろう。

「これは正直言って、街を放棄するのが無難かもしれないね」

 ぼそりとジョンが言う。

「なんですってっ!?」

 噛み付いたのは他でも無い貴族の少女である。

「命あっての物種だろう? 今ならば街を囮として多くを逃すことができる」

「この街をみすみす敵軍へ与えると言うのですのっ!?」

「一緒に心中するよりはなんぼか良い選択だとは思わないかい?」

「誰が良いなどと思うものですか、そのような愚行は私が許しませんわよっ!」

「愚行かね?」

「ええ、愚行に決まっておりますわっ!」

 吼え重ねる少女はジョンの言葉など聞く耳持たぬといった具合である。全身を覆う淡い魔力の発光も語るに応じて強く輝いて思える。この街に対して並々ならぬ想いを抱いているのだろう。

「しかし、そうなると打てる手は随分と少なくなるね」

「何かあるのかニャ?」

 期待の眼差しを向けてノラが問う。

 何だかんだで少女もまた無言に顎で促す。

 二人からの注目を浴びながら、ジョンは脳裏に思い浮かぶ案を口にした。それは今に語った一つと合わせて、彼自身の脆弱な能力を持ってしても選ぶことことができる、数少ない対案である。

「街を捨てるに次いで無難なのは、多分、死ならば諸共作戦じゃない?」

「なんだか凄い物騒な作戦名だニャ……」

「私には今し方に口にした案と大差なく聞こえるのですけれど、説明を下さらない?」

「いやもう、本当、そのまんま、街に火をつけて川に毒を流して、皆で笑いながら……」

「却下ですわっ!」

 けれど、それも少女に一刀両断、切って捨てられた。

「駄目かい?」

「当然ですわっ!」

 それこそジョンに向けて魔法を放たんとする勢いである。

「他に良い案は無いのかニャ? ジョンは天才じゃなかったかニャ?」

「いや、だって、今の僕って亜人だし、魔法使えないし、女だし……」

「こんな場面でいじけないで欲しいニャ」

「やはり貴方のような亜人の言葉など聞くだけ時間の無駄でしたわね。やはり己が道は己が力で切り開くものですわ。私はスチュアート家の人間として、この街を自らの手で守り抜く義務があるのですっ!」

 少女がジョンから眼下へ広がる町並みへと視線を移す。

「ど、どうするニャ?」

「そんなもの決まっていますわっ!」

 その足が空へ通じる柵へと掛かる。

「貴方達はそこで事の成り行きを眺めているが良いですわ。私は私の義務を果たしに行きます。そして、見事に街を守り抜き、貴方達を再び牢獄へと突っ込んであげますから、覚悟していなさい」

「流石にそれは無茶だと思うニャっ!」

「私の辞書に無茶などと言う言葉はありませんわっ!」

 そうして、言うが早いか少女は柵を蹴り空へと舞う。

 多少だけ高度を下げたかと思いきや、すぐに少女の身体は大地と水平方向に動き始める。両手両足を前後に伸ばして、凄まじい勢いで遠方へと飛び進むのだった。数度だけ瞬きをする間に、その姿は指先ほどまで小さくなってしまう。やがて、小さな点となって、街の塀に程近い喧騒の只中へと突っ込んでいった。

「あら、行っちゃったよ……」

「ジョンが変なことばかり言うからだニャ」

 そんな彼女の姿を見送って、二人はそれぞれ呟きあう。

「で、君はこれからどうするの?」

「えっと……ノラは……街を助けたいと思うニャ……」

「具体的には?」

「それは、えっと、その、なんというか……」

「僕としては早急に街を離れることをオススメするよ」

 顔を向き合わせて二人は今後を巡り言葉を交わす。

 けれど、現状、個人の力ではどうしようもないのだから、今更、何か新しい発見がある訳でもない。逃げるか残るかの二択。そして、その何れを選んだとしても、その後を生き長らえるには聊か根拠が不足する昨今である。

 ノラは戸惑いを隠せないまま、えっと、あっと、などと言葉を濁す限りだった。

 そんな彼女を正面に置いて、ジョンは既に街から逃げ出す算段を考え始めていた。彼としては、仮にも命の恩人だろうノラであるからして、むざむざ死に向かわせるのは如何ともし難いと感じている節がある。

 それ故の猶予だった。

 普段の彼ならば他の誰など相手にせずさっさと行動に移していただろう。

 自らの急激な弱体化と相まって、出会ってより数刻ながら、ノラの天真爛漫な振る舞いが彼へ若干の変化を与えているのだった。生来の唯我独尊を貫くにしては、聊か角が取れて思える気遣いである。

「どうするのさ?」

「え、えぇと……」

 両の獣手をぐりぐりと捏ね繰り回しながら焦り始めるノラ。

「何か手があるというのなら、僕だって手伝うことも吝かじゃないけれどさ」

「こういう頭を使う仕事はジョンのものだったニャ?」

「悪いけど、さっき挙げた二つ以外じゃあ他に案は思いつかないね」

「ジョンは嘘吐きニャ……」

「別に嘘じゃないだろう? ちゃんと案を挙げたさ」

「で、でも……もっと凄い案が欲しかったニャ」

「ねぇ、どうして君はそこまで街に拘るのさ? 何か思い入れでもあるの?」

「別に拘ってる訳じゃないニャ。思い入れも無いし。でも、このままだと沢山の同胞が死んでしまうニャ。それに人間だって沢山死んでしまうニャ。それはなんだか凄く良くないことのような気がするニャ」

「人間も心配なの?」

「……駄目かニャ?」

「いや、別に駄目って訳じゃないけどさ……」

 それより自分の心配をしたら? とは視線で訴えかける彼の最後の良心だ。今の発言で大凡、ノラの性格を掴んだ彼は自身の身の振りに一喜一憂する。今後を確実に生きて行くには彼女の助けが非常に大きな意味を持つ。しかし、この山場を乗り越えることができなければ今後も何もあったものでない。

「どうしたもんか……」

 二対ならぬ三対、四対と皿の多い天秤を前にジョンは唸り声を上げた。

 そんな頃合だ。

 不意に彼らの頭上を巨大な何かが凄まじい勢いで飛び抜けて行く。

「んぁっ!?」

「ニャっ!?」

 深い陰りが差したのは一瞬のこと。

 轟と音を立てて、大気をびりびりと震わせて、それはかなり近いところを飛んでいった。現在、二人の居る建物は近辺で最も背の高い建物であるが、その頂点を掠る勢いである。有り余る風圧で尖がった屋根の先端が圧し折れて、地上へと放物線を描き落下していく。魔法で強化された建造物がまるで粘度のようにもげていた。

 その強風に当てられた二人は堪ったもので無い。

 テラスの柵は容易に折れて、傍らに立っていた二人は容赦なく地上へ向け投げ出される。脇腹をどしんと殴られたような衝撃があった。そして、気づけば足場は失われて、向かう先にはそれまで自分たちが見下ろしていた景色がある。それまで居た建物は遙か後方に在って、それぞれかなりの勢いで放り出されたことが伺えた。

 それこそ通り過ぎた何かを確認する暇もない僅かな間の出来事である。

「ぬぁあああああああっ!?」

「お、お、落ちるニャアアアアアっ!」

 予期せぬ浮遊感に二人は絶叫した。

 肉体は凄まじい勢いで風を切って中空を進む。

 建物は九階建てである。そして、割と一フロアの背高い作りとなっているから、まともに落ちては亜人と言えども絶命必死である。瞬く間に迫る地上を前として、ジョンは自らの無力さを呪った。

 目の前にはまた別の背の高い建物が迫る。

「うぉおあああああ、こんなところで終わるなんて嫌だぁああああっ!」

 自然と叫び声も大きくなる。

 脳裏には壁に叩きつけられぺしゃんこに潰れた自らの姿が浮かんだ。

 しかし、一方でノラは諦めていなかった。

 空中に在りながら、運良くもすぐ傍らを共に落下していたジョンの身体を腕に抱き寄せる。手首を取って、無理矢理に自らの胸の内へと引き寄せたのだ。そして、主に頭部を抱きかかえるよう右腕をきつく締める。

「ジョン、ちょっと痛いかもしれないけど、我慢するニャっ!」

「な、何さっ!?」

 そして、彼女は目の前に迫った別の建物の壁へと両足を立てた。

 一瞬だけその身が地面と水平に直立する。

 膝をクッションにして、圧倒的な勢いを危ういところで殺す。コキッと間接が小気味良い音を立てて鳴いた。両足の触れた面では積み上げられた石が僅かにひび割れて、少しばかり凹みを見せる。

「ちょっとチクチクするかもニャっ!」

「う、うぉあああっ!?」

 次いで、彼女はその強靭な爪を建物の外壁へと突き立てた。

 僅かばかりの引っ掛かりを得て、本来よりも幾分が落下の勢いが失われる。ガリガリと切っ先の固いところを削る音が頭上から絶え間なく届けられる。自然とノラの表情が苦悶に歪んだ。

 ジョンはそんな彼女の腕に抱かれて何もできないまま揺られていた。

 二人の落ち行く先には建物に隙間無く隣接して植えられた樹木があった。十数本からなる人の手によって整えられた観賞樹である。その只中へと、ジョンとノラは身を進ませるのだった。

 ガサガサと激しく木の葉を散る。

 バキバキと音を立てて枝木が折れる。

「ち、チクチクするさぁあああっ!」

「チクチクだニャァァアアアっ!」

 堪らず悲鳴が上がる。

 けれど、それも僅かな間である。

 すぐに木の葉を抜けた二人は尻から大地へとぶつかるのだった。

「んぎゃっ!」

「ニ゛ャっ!」

 短い悲鳴と共に永遠とも思われた落下が終わる。

 僅かばかり間を置いて、二人に触れ折れた葉が、その頭上よりハラハラと舞って散った。かなりの量の木の葉が、痛みにのた打ち回るそれぞれの上へと積もる。時折、太い枝が落ちてきては更なる追い討ちをジョンたちへ与えた。

 しばらくは共に使い物にならなかった。

 声にならない声を上げて、我が身へ訪れた衝撃に必死で耐えるのだった。

「い、痛いニャ……、凄く痛いニャ……」

「痛い……、痛いって、……なんだよこれ、僕が何をしたって言うんだっ……」

 幸いであったのは周囲に二人の他、誰の姿も無かったことだろうか。

 もしも街へ入り込んだ敵軍兵にでも見つかったのなら、無抵抗なまま拿捕されていただろう。また、街民に見つかったとしても、現状、亜人が中心となった暴動の最中にあるのだから、ただでは済まない。

 そうして、ジョンとノラはそれからしばらくを痛みにのた打ち回るのだった。

 やがて、どちらとも無く痛みから復帰を始めると、それぞれの状況を確認し始める。

「ジョン、だ、大丈夫だったかニャ?」

 両膝を地面に突いたまま、腰を擦りながらノラが言う。

「び、微妙なところさね……もう少し優しく着地できなかったのかい……」

「ニャ、それだけ軽口が叩けるなら、きっと大丈夫ニャ」

「強がりだって、理解してくれよ、痛いんだよ」

「きっと、命があっただけマシだニャ」

「ま、まあ、その点に関しては異存ないけどさ……」

 それまで横たわっていた身を起こして、自らの身体を確認するようジョンはゆっくりと立ち上がる。全身、あちらこちらが打ち身似による為かズキズキと痛んだ。けれど、立ち歩けないほどではないと理解する。

 そして、それはノラもまた同様であった。

 目立った怪我が無いことを確認しつつジョンの下へと歩み寄る。

「ところで、さっきのは何だったニャ?」

 樹木に遮られた頭上の空を眺めてノラが言う。

「なんだか凄い大きいのが通り過ぎていったニャ」

「ああ、一瞬だけちらり見えたけど、あれは竜じゃないか?」

「竜かニャ? 龍じゃないニャ?」

「竜と龍は種別が全く別物じゃないか。まさか知らないと?」

「どっちもおっきなトカゲだニャ」

「はぁん、大した理解もあったもんだ。龍が聞いたら怒るだろうさ」

「っていうか、それってジョンが言ってたやつかニャ?」

「さぁ、それは分からないけど……、ただ、それっぽい姿が見えたような気がする」

 パンパンと服を叩いて服についた埃や木の葉を落としながらジョンが応える。ノラに同じく頭上を仰ぐが、生憎と樹木が茂り何を確認することも叶わない。はらはらと舞って落ちる木の葉が拝める限りである。

 ただ、耳には絶えず悲鳴や怒声、そして、出所の知れない鳴き声や咆哮が伝えられていた。街の混乱も段々と極まってきて思える。目には見えなくとも、自分達の置かれた場所が安全とは遠くかけ離れていることは理解できよう。

「とりあえず、これからどうするニャ?」

「まずは現在位置を掴もうじゃないか。敵軍兵に囲まれて終わりだろう」

「分かったニャ」

 早々に二人は行動を開始した。

 周囲の様子を伺いつつ、立ち並ぶ樹木の合間より顔を出す。

 ともすれば、そこは戦乱の只中にあった。

「うっわ……」

 思わずジョンが口を開く。

「大変なことになってるニャ……」

「とんでもないところまで飛ばされたみたいさね」

 阿鼻叫喚の地獄絵図に一歩を踏み込んでしまった風である。亜人と人間が入り乱れて、誰も彼も凶器を手に声を上げている。そこらかしこで争いが起こっていた。数人の小規模なものから数十人の競り合う大規模なものまで、そこらかしこで暴力の応酬である。

 加えて、マクレーン軍、亜人、人間の三つ巴が成り立っており、ある場所ではマクレーン軍が優勢であったり、またある場所では人間が優勢であったり、そしてまたある場所では亜人が優勢であったり、場合によっては二者が結託して他を攻めていたりと、千差万別の態を見せている。

 とは言え、全体を通して見れば今は街の人間勢が優勢が思えた。次いでマクレーン軍が徐々に勢いを増し始めており、その間で段々と亜人が虐げられ始めている。

 また、喧騒の中には魔法を使える者も決して少なく無い。右へ左へ火の玉が飛んだり、氷の氷柱が飛んだり、傍目にも酷い有様だった。二人が落ちた樹木の合間は、数少ない一時(いっとき)ばかりの安全地帯であったらしい。運が良いのか悪いのか、判断に困る状況だろう。

 そして、そんな中を力無い女子供、年寄りが嘆き彷徨い走っている。家々には火の手が上がり、ぽつりぽつりと煙が上がり始めていた。絶え間ない悲鳴と怒声で、その場に立っているだけで頭が痛くなりそうな具合である。

「と、とりあえず逃げよう。こんなの相手にしてられない」

「ニャ、でも、放っておいたら大変なことになるニャ」

「亜人の僕や君が出て行ったところで余計に話がややこしくなるだけだと思うさ」

「でも……」

 今すぐにでも逃げ出さんと語りかけるジョンにノラは渋る。

 両足は地面に杭でも打ち込んだが風に頑なだった。

「じゃあどうするって言うのさ」

「それは、えっと、そのぉ……」

 両手をこねくりまわしながら、ノラは困った風に眉を曲げる。

 そんな彼女の姿を眺めてジョンが堪らない風に声を大きく上げる。

「ああもうっ、魔力さえ、魔力さえあったならこんなのどうにでもなるのに……」

 酷く悔しそうだった。

 そんな彼の姿を眺めてノラが更に申し訳なさ気に顔を俯かせる。

 そして、刻一刻と変化する現場は二人に猶予を与えない。今後に戸惑う二人の姿はすぐに他者の目へと止まった。今し方にマクレーンの兵を打ち破り一仕事を終えた街の人間である。嬉々として凶器を振るい、その刃に付着した血液を地面へと振り払う。

 向かう先に手頃な獲物を見つけて、表情が歪に歪んでいた。

「ちょ、ちょっと、ノラ、見つかっちゃったぞっ!」

「ニャっ!?」

 街民達は互いに声を掛け合い二人の下へと駆け寄り始める。

 慌てたのは二人である。

「どうするニャっ!? どうするニャっ!?」

「君、彼らを守りたいんじゃなかったのっ!? 精一杯守って来ていいよっ!」

「ジョン、酷いニャっ!」

 どうすることもできない。

 慌てて今来た道を戻らんと樹木の合間へ首を引っ込めようとした。

 しかし、二人が動き出すに先んじて場は一転する。

 それは空から降って来た。

「で、出たニャアアアアっ!」

 ノラの叫び声と時機を合わせて土埃が舞い上がる。僅かばかりの夜明かりを遮って、周囲一帯を殊更に暗く陰りに落とす。同時に周囲一帯へ鼓膜が痛む程の声量を持って声が届けられた。地面から足を伝って、腹に響く野太い調子である。

「人間共が儂の庭先で何を騒ぎ立てている……」

 巨大な龍だった。

 人間丸呑みにできるだけの大きな口がグワと開いて言葉を発する。鼻頭から尻尾の先まで、人間を幾十人と繋いでようやっと達せられるだけの巨漢の持ち主であった。それこそ、尾の一薙ぎで数件の家屋を破壊できるだけの大きさがある。

「うわ、出たし……」

 これにはジョンも声が洩れる。

 二人に狙いを付けた人間達は、龍の姿を一目見て、まるで蜘蛛の子を散らすように踵を返す。そして、我先にとその場より退いて行く。怒声の全てが悲鳴に変わって、男も女も、子供も大人も変わりなく逃げ出す。

「ふん、脆弱な人間共が……」

 それを龍は尻尾の一振りで打ち殺す。

 バチンと何かの弾ける音がしたかと思えば、数十人とあった人間達があらぬ方向へと飛んでいった。そこらかしこに血肉が飛び散る。円弧を描いた一撃の、その延長線上にあった建物の壁が一面真っ赤に染まった。無残にも引き千切れた肉体の部位達が四方八方へと転がり行く。

「他愛ない、不甲斐無い、下らない。この程度でくたばってしまうとは……」

 その様子を眺めて流石のノラも一歩を後ずさる。

「こ、ここ、こ、これはノラもジョンの案に賛成だニャ」

「助けるんじゃなかったの?」

「も、もう死んじゃったニャ……」

「まあ、そりゃそうだけどさ……」

 ノラの呟きに相槌を打ちつつ、ジョンは目の前の龍に目を向ける。

 そして、ふとあることに気づいた。

「お前は……」

 その姿には見覚えがあったのだ。

 白銀に輝く全身の鱗と、大きく頭頂部に二本並んだ角。龍の中にあっても非常に特徴的な種族である。そして、極めつけは今に相手の立つ場所だ。この近辺で白銀の龍と言えば、彼は自然と結論を得た。

「なんてこった、やっぱりミーちゃんじゃないか……」

「っ!?」

 嘆くように呟いたジョンの言葉に龍が反応した。

 それまで他方を向いていた顔が彼の側へと向けられる。ズシンと歩みが動くに応じて地面が大きく揺れた。まるで地震である。その響きを全身に感じて、流石のノラも恐怖から震え上がる。

「貴様……、何処で聞いたか知らぬが、その名で儂を呼ぶとは良い度胸だ……」

「じょ、ジョンっ、なんだかとっても怒っていらっしゃるニャっ……」

「ああ、とりあえず逃げるさっ! 悔しいが、今の君と僕じゃあ絶対に敵わないっ!」

「分かったニャっ!」

 言うが早いか共に揃って踵を返す。そして、先程に抜けたばかりの樹木の合間へと身を隠すよう駆け出した。その先には背の高い建物がある。二人は樹木を盾として、建造物の背面へ回りこむよう進路を取った。

 しかし、相手はそれを一笑に付すと口上を続ける。

「この儂から逃げられるとでも思っているのか? 亜人の子供よ……」

 口がものを語る以上に大きく開かれる。

 かと思えば、二人の逃げ出した側へと向かい勢い良く炎が噴出された。

「ぬぉおぁああああああっ!?」

「ニャァアアアっ!?」

 二人は間一髪のところで樹木の陰となる建物の脇へと滑り込んだ。その背を焼くようにして大量の火の粉が舞い上がる。木々は一瞬にして焼け落ちて、地面に埋まる根すら焦がし露出させていた。

「あ、あ、熱いっ! 熱いぞぉおおおっ!」

「熱いニャァっ! 死んじゃうニャァっ!」

「ふん、逃れたか……」

 十数本ばかりの観賞樹は全て失われて、隣接する建物の壁も解け爛れていた。分厚い石の壁も何のそのである。全ては容易に溶解して溶岩のようにどろどろと流れ落ちる。建物の内側では、こんがりと焼けた人間数名の姿があった。一瞬の出来事にも関わらず、皮膚を干物状に干乾びさして、椅子に座ったままの状態で絶命している。周囲では直接に炎へ晒された訳でも無いのに、その熱量から自然発火した家具の類がメラメラと火の手を上げ始めていた。龍の吐いた炎がどれだけ高熱であるか容易に想像できる光景である。

「じょ、ジョンっ、どうするニャっ!? どうするニャっ!?」

「いやもう、こりゃ逃げるしかないだろっ!? っていうか、無理、これ無理っ!」

 二人は焼けた建物を後方に見送り足を駆けさせた。

 けれど、龍の足はそれにもまして早い。

「儂から逃げられるとでも思っているのか? 脆弱な亜人共よ……」

 その背中越しに龍の腹に響く声が届けられる。

 咄嗟のこと、振り返ったノラの目に映ったのは、建物を粉砕して歩み寄る龍の姿である。人間数十人で手を繋いでも囲いきれるかどうかといった巨大な建物を、まるで砂で出来た城を崩すように押しのけて近づいて来る。

「ニャァアアアっ! 来たニャっ! 来ちゃったニャっ!」

「くぉ、なんてこったいっ!」

「ジョンが変なことを言うから龍が怒ったニャっ!」

「いや、だって、仕方ないだろうっ!? 咄嗟のことだったのだから」

「というか、そもそもなんで龍が来るニャっ!?」

「大凡はさっき本人が言ってたとおりだろうさ。自分の庭先で人間が騒いでいるから様子を見に来たってところだろう。あぁ、放っておけばイーペイロスもマクレーンも関係なくファーレンは全滅だろうさ」

「この龍は戸建ての庭持ちなのかニャっ!?」

「そんなの僕が知るかいっ!」

 二人は必死に足を動かしながら言葉を交わす。

 そして、その後ろからは龍の巨漢が迫る。

 両者の間には多少だけ間がある。大凡は追う側が戯れの思いもあっての距離だろう。時折放たれる炎は二人の尻を焦がすように、その身を覆わないよう加減がなされていた。要は都合の良い暇潰しの相手。人間が道楽に森で獣を狩るようなものだろう。

 そうして、ジョン達と龍の追いかけっこは、街を舞台にとして他者を巻き込み、延々と続けられることとなった。