金髪ロリ魔王ラノベ

第四話

 遂に収録の日がやって来た。

 髭を剃り、歯を磨き、入念に身だしなみを整えて、山田はネカフェを後とする。フロントに代金を支払い、チェックアウト。エレベータに階を下り、同店舗の収まる雑居ビルから真夏の空の下へ。

 既に気温は三十五度を越えている。

 即座に汗の滲む感覚を覚えながら、彼は収録スタジオへと向かった。

 ここ数日で覚えた道を歩み、二度ばかり電車を乗り換えてのこと。

 辿り着いた先は昨日と変わらぬ態を晒している。通りに面した玄関口から、電話の置かれた限りであるホールを越えて、廊下の先、目的の一室へと向かう。その間に誰と会うことも無かった。

 時刻は午前十時五十五分

 朝の身支度に想定以上の時間がかかり、ギリギリでの到着だった。

 ドアノブに手を伸ばし、ガチャリ、一息にドアを開ける。

 抜けた先、見慣れた大部屋には既に人の姿があった。

「来たか」

 彼を迎え入れたのは見慣れた音響監督とそのスタッフ、それに監督である髭ロン毛と同作の声優である天才声優少女、加えて、どことなく見覚えのある女性声優が一人。

 つい先日までは十数人が集っていたことを思えば、静かになったものだ。

 打ち合わせスペースである大部屋から続く小部屋、収録室や機器室にしても、人の姿は見当たらない。時間的に考えても、これが全てと言わんばかりの様相。

「あれ? こんだけなのか?」

 流石の山田も疑問に首をひねる。

 収録を行うにしては声優が余りに足りていない。

「そうよ! こんだけよ! 悪いっ!?」

「いや、なんでお前が怒るんだよ……」

 ツカツカと歩み進んで、彼は人の集まりへと合流する。

「こうして来て貰ったところ悪いのだが、またしても面倒なことになった」

「……ああ、なんとなく分かるんだけどさ」

「話が早くて助かる。声優が足りてない」

「マジでコイツしかいないの?」

「少しばかり無茶が過ぎたようで、プロダクションに圧力を掛けられてしまった。おかげでレギュラーでやってくれていた者達までもが、今日は休みが欲しいとのことだ」

「いやいやいや、ちょっと待てよオッサン! なんだよそれ!」

「そうよ。何をやったらこんなことになるのよ」

「あ、あの……今日のお仕事って……」

 天才声優少女は元より、他に残ったもう一人の女性声優も不安気だ。

 年は二十代。大学生程度に思われる。すぐ隣に立つ売れっ子タカピー中学生声優を考慮して、僅かな発言にも極端に萎縮する様子から、デビューより間もない新人に思われた。恐縮に恐縮を重ねて混乱気味だ。

「まさか、ここまでとは私も想定外だった。すまない」

「謝罪はいらないわ。それよりも、今後のプランを教えなさい」

 他方、この後に及んでも元来の調子を失わない天才は大したもの。

「流石にこの状況では収録も不可能だ。私はこれからプロダクションとの交渉に入ろうと思う。度重ねて申し訳ないが、収録は数日ほど延期させて貰いたい」

「またかよっ!?」

「具体的には?」

「みっ……、三日だ。三日でなんとかする」

 流石の髭ロン毛も顔色が悪かった。

 伊達に全財産を突っ込んだプロジェクトでない。これに失敗したならば、その人生はホームレス一直線。めでたく山田と同じネカフェ難民の仲間入りだ。四の五の言っていられない状況だろう。

「……間に合うのかしら?」

「ディスクだけは、絶対に出す。なんとしてもだ」

「そう……」

 どうやら髭ロン毛は、周囲から潰されに掛かられているようだった。その歯に衣を着せない物言いが、権力者の反感を買ったのかも知れない。いずれにせよ、今作を当てなければ先が無いことは容易に窺えた。

「納得して貰えるだろうか?」

「……分かったわ。目処が付いたら連絡を頂戴」

「ああ、分かった」

 受け答えする天才声優少女は、凡そ中学生らしからぬ厳かな物腰を伴ってのこと。山田も少なからず圧倒されていた。これが年収数千万を誇る現役社会人の威力かと。というのも、ネットで彼女の推定年収を調べたのだ。納税の長者番付に載っていたのだ。

「あの、そ、それじゃあ私は……」

「あぁ、すまない。もしも来て貰えるようなら、連絡先を交換できないだろうか? こちらの勝手となり大変に申し訳ないのだが、事務所を通さないで直接連絡を取れるようにしたい」

「は、はい、分かりました……」

 残るもう一人の女性声優と連絡先を交換する髭ロン毛。

 互いに端末を取り出して、手慣れた調子にピッピピとやる。

 二人共、手にしているのは最近に発売されたばかりの最新機種だった。

 その様子を眺めて、山田が口を開く。

「あのさ、俺、その、端末とか無くしちゃってて、どうすればいい?」

 つい先日、新品を購入したばかりの彼である。しかしながら、購入の翌日、騎士団の面々に自宅を襲われた際、衣服と一緒に消失させていたのだった。以後、購入してもまた焼かれるのがオチだと、所有を完全に諦めていた焼失系男子である。

「はぁ? アンタ、なんでこの七面倒なときに無くすのよっ」

 これに食い付いたのが天才声優少女だ。

「しょ、しょうがないだろっ、色々あったんだから」

「まったく、本当にどうしようもないキモオタね……」

「顔は関係無いだろっ!?」

「分かった。そういうことならば、三日後の同じ時間、直接ここへ来て欲しい。あと、何か連絡の取れるアドレスがあれば、一応、教えて貰えないだろうか。確認の手間はあるだろうが、万が一に備えて覚えておきたい」

「お、おう……」

 言われて、大学のメールアドレスを伝える山田だった。

 そして、一頻りやりとりを済ませたところで、改めて髭ロン毛が一同に向き直る。その表情は平素からの強面を、けれど、少なからず申し訳なさ気に歪めてのこと。目の下にありありと付いたくまが、彼の昨今の多忙を物語って思える。

「こうして集まってくれたところを済まない。だが、絶対、絶対にこの作品は世に出してみせる。完結させてみせる。だから、どうか私と共に最後まで歩んで欲しい。この通りだっ!」

 深々と頭を下げるのだった。

「だから、謝罪をしている暇があったら、さっさと工面してきなさいよ」

「そ、そうだよ! プロダクションってとこに行くんだろ?」

「あぁ、分かった。そして、ありがとう。君たちにはとても感謝している」

 なんとも湿ぼったいやりとりだった。

 こうして、山田の二度目の収録は、三度に渡り延期の運びとなった。

 面々に頭を下げた髭ロン毛は、二人に言われるがまま、早々にスタジオを後とする。駆け足に大部屋を去り、契約する各々の声優プロダクションへと向かっていった。

 また、監督が居なくなるに応じて、音響スタッフも部屋を出て行く。

 残されたのは声優二名と、声優候補生一名。

 誰にも先んじて口を開いたのは、天才中学生声優だった。

「本格的にやばいわね」

「や、やっぱりそうなのか?」

 応じるのは山田である。

 残る一人は恐縮しきった様子に話を聞く限り。

「ええ、私も噂には聞いていたけれど、これは流石に難しいかもしれないわ」

「難しいって、おい、そんなの俺が困るし。なんとかなんないのかよ?」

「アンタが困ったところで状況は変わらないわよ」

「お前、権力者の娘なんだろ?」

「幾ら私の両親が大御所だからって、今回の話はそれ以上のところで動いているのよ? 一介の声優が何を言ったところで、話なんて通じる筈が無いのよ。それこそ、スポンサー連中を顎で動かせるくらいの手合いを持ってこないと」

「なんだよおい、やっぱり金持ち連中の面倒かよっ」

「そういうことよ。あらかじめ言っておくけれど、三千万円くらいじゃどうにもならないんだから、アンタも変なことは考えないでよね? 監督に迷惑が掛かるわ」

「ああもう、だから金持ちは嫌いなんだよ。無駄にプライドばっか高くて」

「その点に関しては私も同意かしら」

「あぁ? その中にはお前も含まれてんだぞ?」

「こ、このキモオタ、せっかく人が同意してあげたのに……」

「クソっ、こんなところでジッとしてられるか! 俺のアニメがヤバいんだ!」

 言うが早いか、駆け足に大部屋の出入り口へと向かい行く山田。

「あ、ちょっとっ! 何処行くのよっ!?」

「お前らでどうにもならないなら、俺がなんとかするしかないだろっ!?」

「アンタに何ができるのよ! っていうか、アンタのアニメじゃないわよ!」

「うっせっ! ブサメン舐めんな!」

 少女の側を振り返り、彼は吠えた。

「何でも、何でもできるようになりたかったんだよ! 俺は!」

「ちょ、ちょっとっ! どういう意味よっ!?」

 そして、相手の反論を待たずして、一室を後とするのだった。

 スタジオより駆け出すのだった。

◇ ◆ ◇

 青空の下、山田は全力疾走。電車に乗ることすら忘れて、ひたすらに足を動かした。路上、歩行者を追い抜かし、自転車を追い抜かし、自動車を追い抜かし、周囲の目を忘れて、無我夢中で走り抜けた。

 向かった先は都内に居を構える某レストランだ。

「おいぃぃいいいい、コックっ!」

「なんだ、また貴様か」

 カランコロン、乾いた鈴の音と共に店内へ。

 迎え入れたのはエプロン姿の巨漢。キッチンを挟んで先に立つ姿は昨日に変わらずある。店内に客の入りは四分といったところか。お昼時を過ぎて、店内は静けさを取り戻して思える。

 そこへ喧しく闖入者の入店だ。

「金くれ金っ! 今度は一億くらい!」

「今度は何が起こった。まるで訳が分からぬ」

「いいから金だよっ! 金っ!」

 完全に狂気の沙汰。強盗と大差ない物言い

 このコックで無ければ、速攻、警察を呼んでいただろう。

「よく分からぬが、他の客に迷惑だ。奥へ来い」

「お、おうっ……」

 興奮冷めやらぬ山田をキッチンの奥、バックルームへと呼びつける。簡素な事務机や中身の知れない段ボール箱に埋められた一室だ。コンビニのそれと比較しても大差ない六畳一間である。

 そこでコックはパイプ椅子を彼に勧めて、自らもまた同じものに腰掛ける。

「それで、今度は何が起こった?」

「声優が足りなくて、やばいんだよ」

「声優?」

「そうだよ、声優っ! アニメの声っ!」

「……貴様は声優だったのか?」

「わ、悪いかよっ!?」

「いや、なるほど、人手不足が深刻だと言うことか」

「そうなんだよっ。だからっ……」

「しかし、前にも言ったが私は三千万も揃えることができないぞ」

「けど、集めないと、集めないとヤバいんだよっ」

「……なるほど」

「まだ九話目だから、これからもキャラとか増えるだろうし、そうなったら更に人手が必要になるし、今の状況だと、プロダクションってのも相手にしてくれねぇとかっ! あああもうっ、どうすりゃいいんだよっ!」

 天才声優少女に偉そうなことを言った手前、けれど、完全に人頼みの阿呆である。

「悪いが私に言われても助けにはなれぬぞ」

「俺の肉なら幾らでもくれてやるから。好きなだけっ! だから手伝ってくれよ!」

「……その提案は非常に魅力的だ。あぁ、とてもとてもな」

「だったらっ!」

「しかし、流石に声優やらアニメやらとなると、私にしても門外漢が過ぎる」

「ぐっ……」

「何か当てはないのか?」

「当て? そんなもんある訳がないだろっ!? 俺だって、つい先週くらいになったばっかりだし、そんな知り合いがいるなら、お前なんか当てにするより、もっと先に向かってるんだか……」

「どうした?」

「いや、居るっ! 居るわっ! 一人、凄いのが居るわっ!」

「ほぉ、そうなのか」

「アイツだったら、アイツだったら、きっと一人で二役くらい余裕だろっ!」

「ならば相談に行けば良かろう。急いでいるのだろう?」

「いや、そうなると、ちょっとお前に教えて貰わないとっ!」

「私がか?」

 山田が思いついた当てとは、他の誰でも無い。

「騎士団って、何処にあるんだよ?」

 魔王ロリータだった。

◇ ◆ ◇

「日本における奴らの拠点は、ここだ」

「マジかよっ……」

 その日の晩、山田とコックが向かった先は、ロシア大使館だった。

「なんで大使館なんだよっ!?」

「知るか。こういった場所である方が、この国で活動するには何かと都合が良いのだろう。昨晩、私が魔王の肉を削いだのも、この場所だ。ここの地下に魔王は監禁されていた。少なくとも昨晩までは」

「……なんか、想像以上にヤバいんだな。騎士団ってのは」

「貴様であっても、正面から挑んでは難しいだろうな」

 建物の周囲にはあちらこちらに警察官の姿がある。正面の道路には警察バスまで待機して、夜中であるにも関わらず万全の構えである。近所に派出所があるのに加えて、道路脇にまで屋根付きの簡易駐屯所が設けられているほど。

 まさか一般人が中に入れるとは思えない厳つい門構えだった。

 これは背の高い塀の先に建てられた建物そのものにしても同様。来る者を威圧する外観。六本木にほど近い都内の一等地に在りながら、広々とした庭を備えるだけの大豪邸である。地方ならまだしも、都心部にしては有数だろう。

「行くぞ」

「え? あ、お、おいっ、行くってそんないきなりっ!」

 ここへ来て、向かう先に怯え始める小心者。

 他方、コックは普段からのエプロン姿に淡々と足を運ぶ。

 真正面から正門へ。

 当然のこと、警備に当たる警察官に止められた。

「おいっ! そこの二人っ、止まりなさい!」

 周囲に立っていた警察官が大慌てに集まってきた。道路に止められてたバスからも、数名、警棒と拳銃に武装した集団が降りてくる。非常に物々しい警備態勢だった。民間の警備員ではなく、歴とした警察官による護衛。山田にしては、これが大使館というものかと、非日常に冷や汗をたらり。

 けれど、エプロン姿のコックは問答無用。平素からの口調を崩さず、警察官の群れを前としても言ってのける。

「サイ・フリンにアポがある。通せ」

 まさか、そんな物言いが通る筈も無い。

 周囲に集まった警察官達の顔が険しくなる。

 しかし、それ以上の揉め事に発展することはなかった。

「通してあげて下さい。私の客人です」

 通りに面した門が開き、その先から人が一人、現れた。

「あ……」

 見覚えのある相手を目の当たりとして、短く声を上げる山田。

 これに対応するのはコックだ。

「悪いが、落ち着いて話がしたい」

「分かりました。では、こちらへ」

 突然のことに慌てる制服達を尻目、門を抜けて建物の側へ。一路、歩みを敷地内へと移す山田とコックだった。一歩を踏み込めば、警察官達も追い掛けることは不可能。何を語ることも叶わず、その光景を眺める限りだ。

 そして、三人がある程度を歩んだところで、ギィ、バタン。再び門は締められて、道路と敷地とは背の高い壁に分断されることとなる。集まった制服達にしては、大人しく警備に戻る他ない。

 門を無事に越えた山田とコックとは、スーツ系イケメン、サイの案内に従い、大使館内へと場所を移した。夜中ということもあって、建物の中は静かだった。カツカツと一同の歩み足音だけが、淡々と響いて聞こえる。

 空調の整えられた館内に、肌へ浮かんだ汗を引かせていく二人。

「こちらへどうぞ」

 通された先は、応接間を思わせる一室であった。

 もちろん、髭ロン毛の事務所やコックのレストランとは比較にならないほど、高級感溢れる一室である。調度品の一つをとっても、絨毯やらソファーやら照明器具やら、どれも値の張りそうな品々が並ぶ。事実、それら一つで山田の一年分の生活費に等しいほど。

 一般庶民にしては酷く落ち着かない空間か。

 けれど、部屋の主であるスーツ系イケメンは元より、コックにしても落ち着いたもので、素振りは平素と変わらず、非常に堂々としたもの。結果、彼一人だけた浮いた形となる無様だった。

「さて、お話とはどういったご用件でしょうか?」

「話があるのはコイツだ。私ではない」

「そちらの彼ですか?」

「ああ、そうだ」

 二つ一組が互いに対面するよう並んだ一人掛けのソファー。山田とコックが隣り合う形で腰掛け、その反対側にスーツ系イケメン、サイが腰掛ける。両者の間には足の短いガラステーブル。

「お前、要件も伝えてなかったのかよ?」

「まさか馬鹿正直に伝えては、ここまで通されることもなかったろう」

「……それはそれは、なかなか物騒なお話ですね?」

「詳しくはコイツから聞け。私も詳しくは知らん」

「では、説明して頂けませんか? 山田さん」

「な、なんで俺の名前を知ってるんだよ……」

「調べさせて頂きました。殴り合うだけが能ではないのですよ」

「っ……」

 コックの歯に衣を着せない物言いが聞いたのか、早速のこと圧力を掛けられている山田だった。個人情報を奪われて涙目である。

 他者とのコミュニケーション経験が圧倒的に不足する引き籠もりだ。交渉事においては海千山千を思わせる、流暢な物腰のイケメンを相手として、まるで勝てる気のしない口下手だった。仰(のっ)けから早々に圧倒されてしまう。

「べ、別に今更、名前を知られてたって関係ねぇよっ」

 とは言え、既に自宅まで潰されているのだ。

 冷静に考えて見れば何ら問題は無い。

「して、どのようなご用件で?」

「アイツを返してくれ。こっちも金は返すから」

 短く応じて、肩に掛けたままの鞄から札束を取り出す。とさり、ソファーとソファーの合間に置かれたテーブルへ、無駄に三つ詰んで置いた。つい先日に貰ったばかりの三千万円である。

 売ると言ったり、買うと言ったり、なんて自分勝手な男だろう。

「アイツというのは、彼女、魔王を指してのお話ですか?」

「他に誰がいるんだよ?」

「そうですね。おりませんね」

 愚直にも真正面から問い掛ける山田。

 これに対して、サイは演技なのか素の反応なのか、とても渋い顔を見せる。

「申し訳ありませんが、それにはお答えできません」

「な、なんでだよ! 金は返すって言ってるだろっ!?」

「物の値段は須く時価です。そして、今の彼女には、三千万以上の価値が付いていると考えて頂ければ、私の言葉もご理解が叶うと思いますが」

「だったら、幾らあればいいんだよ?」

「そうですね……」

 問い掛ける山田に、サイはうーんとわざとらしく悩んでみせる。

 そして、おもむろに答えた。

「十兆円、ご用意できますか?」

「は、はぁあっ!? ふざけんじゃねぇよっ! なんだよそれ!」

「別にふざけてなどいませんよ。魔王の身柄は我々の主、王の悲願なのです。ならば、我々の組織規模に釣り合うだけの金額を要求するのは、当然のことではないですか?」

「だからって、十兆円ってなんだよ! お前、小学生かよっ!?」

「用意ができないというのであれば、このお話は無かったことにして下さい」

「できる訳ないだろっ!? なんでそうなるんだよ!」

「では、どうすると言うのですか?」

「このっ……」

 思わず膝の上に拳を握る山田だった。

 まさか相手が冗談を言っているようにも思えない。どのような理由があろうとも、魔王ロリータを彼に返つもりはないらしい。山田もこれを理解して、どうしたものか、必死に思考を巡らせる。

 けれど、どれだけを考えたところで、良い案など浮かばない。

 だから一つ、結論は既に決まっていた。

「おい、コックさ」

「なんだ?」

「お前、ここで会ったのか?」

「ああ、そうだが?」

「そっか……」

 覚悟を決める山田。というより、考えるのが面倒になったのだろう。

 その物言いを受けてはサイの顔にも緊張が走る。

「……ここは他国の大使館ですが、よろしいのですか?」

「それは、ほら、あれだよ……」

 日本史上初めて、国内設置の大使館を爆破した男として、新聞の一面を飾るのも悪くはないのではないかと、本気で考え始めている阿呆だった。今の彼の思考を締めるのは、如何に自らの生の充実を図るか、その一点である。

 この後に及んでは、幸福方面での実現は難しいのではと、テロリズムに胸が躍る反社会主義者の心持ち。男だったら死ぬまでには一度デカイことがしたい症候群だった。

「……イケメンは死ね」

 次の瞬間、山田がソファーテーブルを蹴り飛ばした。黒檀に作られたそれは、けれど、中央にへし折られて、左右に分かれて部屋の隅まで吹っ飛んでいった。壁にボコリ、大きな凹みを作り止まる。とてもヤクザな光景だろう。

 衝撃に札束が宙を舞い、室内には紙幣の紙吹雪。

 これを受けてサイは咄嗟に立ち上がり、今し方まで腰掛けていたソファーを越えて、大きく後方へ飛び退いた。油断無く身構えて、臨戦態勢である。

「なるほど、ではこちらも相応の対応を取らせて頂きますね」

「お前、自分で自分がイケメンだって、意識してるんだな? マジで死ねよ」

「さて、どうでしょう?」

 パチンとサイが指を鳴らす。

 応じて、部屋の窓ガラスを割って人が大勢、部屋に侵入してきた。

 騎士団の構成員だろう。

 数にして十数の老若男女、国籍人種、目色肌色を隔てぬ一団だった。

「くっそっ、やっぱり沢山いやがるのかよっ! ゴキブリみたいにわらわらと!」

「明確な意思を持ち騎士団に敵対した以上、生かして逃しはしません」

「うっせ上等だ畜生! こちとら半分死んだようなもんだ!」

「で、私はどちらの味方にすれば良いのだ?」

「俺に決まってるだろっ!? 肉っ! 好きなだけくれてやるから!」

「ふぅむ……」

「調理人、我々騎士団は貴方を歓迎する用意がありますよ」

「うぅむ……」

 山田とサイ、双方から語り掛けられて、深く悩み見せるコックだった。

 顎に手を当てて、真剣な表情。

 その間、場は二人の一挙一動を伺うよう、ピタリと静止である。

 緊張の瞬間。

 ややあって、何かを決めたよう、その顔が山田を見つめる。

「私は調理人。その存在意義は全て、未だ見ぬ調理が為に在る」

「っ!?」

 次の瞬間、彼はエプロンの下から包丁を取り出し、投げつけていた。

 サイの下へ、マグロ包丁がすっ飛んでいく。

「くっ……」

 どうやら次なる状況が、今まさに確定したらしい。

「よっしゃっ、行くぞコックっ! アイツはどこだっ!?」

「この屋敷の地下に幽閉施設が存在する。そこだ」

 山田とコックのコンビ対サイ率いる騎士団の図が出来上がった。

 包丁の投擲を契機として、部屋へ突入してきた一団が、二人へ一斉に攻勢を仕掛ける。いつだか山田の部屋が全壊した際と同様、問答無用の集中砲火であった。火の玉やら氷柱やらビームもどきやら、実にいろいろなものが一挙に飛び向かう。

 対して、彼とコックとは早々に部屋の出口へと掛けた。

 ドアを開ける手間すら惜しみ、正面から蹴り破ってのこと。

 先導するコックに山田が続く形だった。

 その背後、廊下の壁に立て続け着弾する脅威の数々。これを間一髪交わしたところで、二人は勢いをそのまま、廊下を駆ける。

「こ、こっちでいいのかよっ!?」

「問題ない」

「おしっ!」

 小心者の山田にしても、脳内麻薬がビンビン、行け行けゴーゴー状態だった。

 残り時間が減るに応じて、昨今、段々と過激さを増してきている。

 もしも声優云々、一生懸命になれるものを得ていなかったのなら、或いは気球に乗って、都内全域に炭疽菌など、散布していたかも知れない。

「魔王の拿捕は王の悲願ですっ! 今まさにこちらへ向かわれているという状況下、絶対に奪われてはなりませんっ! ハリスは情報統制にまわって下さいっ! ケリーは対外対応ですっ! 間違っても警備を内へ入れてはいけません! 早急に場を収めるのです! 全ては我らが王の為にっ!」

 肩越しにサイの叫ぶ声が響いた。

 応じるよう、数多の足音が二人を追いかけるよう続く。

 つい先刻までは物静かだった大使館内、いざ、真夜中の大運動会が始まった。あっちでズドン、こっちでズドン、両者の移動するに応じて、建物の壁が吹き飛んだり、ガラスが割れたり、随分な騒動だ。

 基本、先行して走る山田とコックへ、追っ手が攻め掛ける形。

 しかし、二人にしてもやられてばかりではない、コックはエプロン下に備えた包丁を、山田はそこいらに置かれた壺や絵画など調度品の類いを投げつけながらの応戦。特に音速を超えて飛来する後者は、追っ手にとって相当の脅威足り得た。

「なにが悲願だよっ! ロシアはいつから王政になったんだってんだ!」

「王とは奴ら騎士団のトップに位置する者の職の名前だ」

「またその職かよっ! いい加減にしろよなっ! 魔王だとか勇者だとか、王様だとか、どこのロールプレイングゲームだよっ! 今日日(きょうび)、小学生だってそんなごっこ遊びしねぇっ!」

「しかたあるまい。王の称号はこの世に一つしか確認されていない。それを崇めんとする者が出現するも世の通りだ。その力は封をされる以前の魔王と対しても対等か、それ以上という話だ」

「はっ! あのクソガキなんて知ったことか!」

「貴様の目的に対する、その情熱と勢いは、羨ましいものがあるな」

「うっせっ、お前にうらやましがれても全然うれしくねぇよっ!」

 無駄に軽口を叩き合う山田とコック。

 背後より迫る矢やら剣やら弾丸やらから逃げながらのこと、

 階段を下り、角を曲がり、下へ、下へと向かっていく。

 途中、待ち伏せするよう、何度か騎士団の構成員が現れた。これを二人は無理矢理にどつき倒して、一路、地下室を目指す。大半は先導するコックの手により、ミシリ、顔面を拳骨に一撃である。

 なので、山田は後ろへ向かい、ひたすらに物を投げる係だ。

 投げられるものは何でも投げていた。

 綺麗に整えられていた建物内は、けれど、追いかけっこが始まって数分と経たぬ間に、それこそ台風でも内に暴れ回ったが如く荒らされる羽目となった。火の手が上がったのか、火災報知器がサイレンを鳴らし始める有様だ。

「おいっ! まだかよっ!?」

「うむ、そろそろだっ」

 やがて、二人の前へ重厚な作りの金属扉が現れる。

 最先端の電子ロックが為されたそれを、コックはヤクザキックに一撃で破る。

「行くぞ。この下だ」

「おっしゃっ!」

 扉の先は階段になっていた。凡そ一般的な中学高校の階段と同程度の幅を備えている。作りも非常にしっかりとしたもので、これまで駆け抜けてきた廊下と違わず、高級感のあるものだった。

 二人は二段抜かし、三段抜かしで一気に駆け下りた。

 これに騎士団の面々もまた続く。ただ、階段を下り始めたあたりから、その攻勢が勢いを弱める。どうやら、この先を踏まえては、派手な真似も御法度らしい。恐らくは魔王ロリータの存在が故だろう。

 そして、階段を下った先、もう一度だけ扉を蹴り破り、目的の場所へ。

 辿り着いたのは二十畳ばかりの広々とした一室であった。

 その中央に山田は目的の相手を見つける。

「あっ……」

 地下室は今し方まで居していた応接室と大差ない装飾に作られていた。ただ、棚やらソファーやらテーブルやら、絨毯や照明を除いた調度品は一切合切が退けられている。唯一、キングサイズのベッドだけが、どんと部屋の中央に置いてある。

 その上に魔王ロリータの姿はあった。

 右手に手錠が嵌められて、伸びる鎖がベッドの縁へと続いている。自らの力に引き千切ることもできない様子で、手首には赤いものがじんわりと滲んでいた。完全に繋がれた犬である。

「いたっ! おいっ、クソガキっ!」

 これに構うこと無く、山田は彼女の下へと駆け寄る。

「あぁ? 貴様、わざわざ何しに来た。この私を笑いに来たか?」

「ちげぇよっ! 攫いに来たんだよっ!」

「はぁ? 遂に狂ったか? まさか、この騒動も貴様が……」

 山田が見つめる先、魔王ロリータの右足は根元から先が失われていた。

 どうやらコックの言葉は本当であったらしい。これで、彼は自らの食した油淋鶏が、本当に彼女のもも肉であったと確証を得る。赤いものを滲ませた包帯に患部をぐるぐると巻いた姿は、酷く痛々しいものだった。

 思わず、自らの所行に胸をチクチクと刺せる人身売買野郎か。

「いいからっ、クソっ、こんな鎖っ……」

 何を説明する暇もない。

 彼は彼女の手に掛けられた鎖を両手に持ち、力一杯に引っ張った。

 応じて、ガシャン、鎖は千切れて、手錠とベッドとの繋ぎが断たれる。

「お、おいっ! なんのつもりだっ!? 私を馬鹿にしてるのかっ!?」

「話は後でするからっ、とにかく一緒に来いってんだよっ!」

「それに何故にコックが居るっ!? どういうことだっ!?」

 予期せぬ相手の乱入に驚きを隠しきれない魔王ロリータだった。状況を説明しろと喚くばかりである。

 ただ、それだけの時間は無い。

 すぐに部屋へと押しかけてきた騎士団の面々。地下室唯一の出口を塞ぐよう、ずらり並ぶのだった。そして、一同の合間を抜けるよう、最後にやって来たのがスーツ系イケメン、サイ・フリンである。

「大した行動力ですね。貴方は」

「そこ、どけよ」

「いいえ、それはできません。もしも帰ると言うならば、彼女を置いていって下さい。こちらとしても、無駄に消耗することは避けねばなりません。今ならばまだ、貴方達には猶予を与えることができます」

 他の面々より一歩を前に出た位置で語り見せる。

 やはり、この場に置いては彼がリーダー的存在なのだろう。

 コックの話では、騎士団という組織において、上から二番目だという。

「こんな小さいガキを拉致ってレイプして楽しいのかよっ!?」

「こんな小さなガキを拉致って私たちに売りつけたのは貴方でしょう。それにレイプなどしておりません。また、その足を切断したのは、今、貴方の隣で何食わぬ顔をしている調理人です。今のところ全ては貴方たちの行いですっ」

「くっ……」

「うむ、とりつく島も無いな」

「お、お前が足とかちょん切るからだかんなっ!? 可哀想じゃんかよ!」

「そもそものきっかけはお前だろう? 私は相乗りしたまでだ」

「ちげぇよっ! お、俺じゃねぇしっ!」

「貴様だろうがっ! いきなり人のことを売りおってからにっ!」

 魔王ロリータ本人からまで責められる始末。

 この場で一番の悪である山田だった。

「う、うっせぇっ! 悪くて悪いかっ!? 黙れよ畜生っ!」

 これ以上の問答は自らの立場を悪くするばかりだと理解。早々に議論を諦めて、実力行使に移る山田。おもむろにベッドの上に座っていた魔王ロリータへ腕を伸ばし、自らの脇に抱え上げる。

 丁度、大きな旅行鞄を脇の下に抱えるような形か。脇汗に湿った山田のシャツが肌に触れては、思わず顔を顰める少女だろう。

「なっ、おいこらっ! なんのつもりだっ!?」

「お持ち帰りすんだよっ! ちょっと大人しくしてろっ!」

「誰がお前などに食われてやるかっ!」

「だから騒ぐな動くなよっ! っていうか、もう既に食っちまってるよ畜生っ!」

「い、意味が分からんっ! 誰が貴様なぞにくれてやるものか!」

 じたばたと両手片足を暴れさせる魔王ロリータ。とは言え、今は外見年齢相応の身体能力を持つ限り。抵抗らしい抵抗にもならない。これを無理矢理に脇へと抱え込んで、山田は今一度、出入り口前に陣取るサイへと向き直る。

「どうやら、口で言っても無駄のようですね」

「分かってるなら、そこどけよな」

「いいえ、頷けない相談です。王の訪問直前というこの時分、侵入を許したばかりか、魔王まで強奪されたとあっては、目も当てられません。この命に代えても絶対に阻止してみせます」

「何が命に代えてだよ。できもしないことをぬけぬけと……」

「それは自らの目で確かめれば良いでしょう」

 どうやら、伊達や酔狂でこの場に立っている訳ではないらしい。

 いよいよ本格的に喧嘩が始まろうという雰囲気があった。

 相手の表情は真剣そのもの。

 だが、山田が一歩を踏みだそうとしたところ、不意に外野より響く声。

「なんか、大変なことになってるみたいだね……」

 出入り口を固める騎士団一同。その後ろより何者かが発した声だった。

 応じて、面々は道を空けるよう、左右によって通路を作る。そうして生まれた空間を、声の主は歩み来た。十数名からなる人垣を、海を割るモーゼが如く、悠然と抜けてのことである。

「だ、誰だよお前……」

 その姿を目の当たりとして、サイも即座に一歩を下がる。

「王っ! ご到着になられましたかっ!」

「ああ、ごめんね。ちょっと時間が掛かっちゃって」

「滅相もありませんっ! わざわざのご足労を感謝致しますっ」

 酷く恐縮した様子でサイは床へ膝を突く。同時に頭を深々と垂れた。

 他の騎士団構成員にしてもこれは同様だ。

 それこそ文字通り、まるで中世ファンタジーの映画に眺める、王を前とした騎士の有り様。十数名からなる一団が恭しく従う姿は、事情を知らない山田にして圧巻。こいつら何だと思わざるを得ない。

「いや、だからさ、前から言ってるけど、そういう風に気を遣ってくれなくてもいいんだよ。僕と君らとは対等な関係だって言っただろう? こっちとしても、その方が気楽って言うかさ」

「まさか、そのような振る舞い、決して許される筈もありませんっ!」

「だからさ、それを止めて欲しいんだけど……」

 これに王と呼ばれた男は困り調子で言葉を返す。

 語る声色はとても穏やかなものだった。

「王は我らが王です。これは騎士として当然の勤めです」

「まあ、君たちのそれは今に始まったことじゃないし、とりあえず目先の問題を解決するとしようか。僕が留守にしている間に、随分と楽しいことになってるし」

「我々の力が及ばぬところ、大変に申し訳ありません……」

「別にいいよ。調理人に加えて、未確認の職が一人、だっけ?」

「はい。無用の心配だとは思いますが、お気を付け下さい」

「なるほど、なるほど……」

 王と呼ばれた男の視線がサイより移り、対する二人へと向けられる。

 この一連のやり取りを目の当たりとして、山田は何とも言えない反発心を胸中に抱いていた。

 理由は非常に単純なところにある。

「な、なんでだよっ!? なんでお前みたいな不細工がイケメンにちやほされてんだよっ!? おかしいだろっ!? おかしくないかっ!? イケメンだけじゃないしっ! そっちの美少女とかっ! そっちのイケイケ女とかっ! あきらかに狂ってるだろっ!?」

 遅れて登場した王は、山田の目から見ても明らか、不細工な男だった。

 黄色人種であることに加えて、流暢な日本語から、彼と出身を同じくするのは間違いない。アジア人だ。イエロー・モンキーだ。ジャパニーズだ。それが同じアジア人に加えて、黒人やら白人やら、人種のヒエラルキー上位に位置する者達から、一様に崇められているのである。

 同じアジア人の不細工として、これは非常に面白くない光景だった。

 その姿格好こそ上等なスーツ姿。一着を用意するにも、山田の学費一年分に相当するだろう。しかし、同じスーツでもサイと比較しては、垢抜けない理系の新卒リーマンを思わせる様相だ。お世辞にもカッコイイとは言えない。見た感じ二十代中頃。坊ちゃん刈りのスタンダードもやし系ブサメンだった。傍目、貧弱なガリガリ坊やである。

「いや、君の言わんとすることは理解できるよ。僕も相応だ」

「だったらっ!」

 王も山田の物言いに口元を笑わせる。

 自らの外見を理解した上での発言だろう。

 ただ、その瞳は全く笑っていなかった。

「けれど、それとこれとは話が違う。落とし前は必要だ」

 容赦なく彼を捉えて、決して逃すまいと答える。

「僕の仲間たちが、随分と世話になったようだね」

「いや、ちょっと待てよ、俺はただコイツを返して貰いに来ただけでっ……」

「事実がいずれにせよ、君が何を語ろうとも、僕は彼らを信じる」

 王様の態度は有無を言わせぬものがあった。

 伊達に王などという職に就いていないと、言外に語ってみせるよう。

 これを受けてはコックも思わず言葉を続ける。

「たしかに、先に手を出したのは貴様だな」

「おいぃっ! コックっ! なんでそういうこと言うんだよっ!?」

「なるほど、随分と口達者なようだね」

 王と呼ばれる男が、山田とコックへ向かい一歩を踏み出す。

 一足数十万の高級ブランドシューズが、カツン、乾いた音を立てた。

「僕の敵は君らだ。そして、これは無条件なんだよ」

 外見こそ不細工。物言いこそ穏やか。

 けれど、胸の内に秘めた仲間に対する想いは、とても熱い様子だった。

 これを受けては彼の脇下からも声が上がる。魔王ロリータだ。

 彼女はその手に山田のシャツの裾を引っ張り、声も大きく叫びを上げた。

「おいっ! この人さらいっ!」

「なんだよっ!? 今は取り込み中だぞクソガキ!」

「やり合うな! 逃げろっ! 幾ら貴様でも王を相手に勝機はない!」

「はぁ? コイツってそんなにヤバイのかよ? この場の誰より弱そうじゃんか」

「馬鹿言うな、この場で間違いなく最強だっ! だから逃げろ。何が何でもっ!」

「な、なんだよ、最強とか、どこの小学生だよっ……」

 非常にらしくない魔王ロリータの発言を受けて、山田も焦りを増させる。猪突猛進の過ぎる少女が、しかし、こうまでも警笛を鳴らすのだから、これは相応の相手だと彼も理解できた。

 しかし、逃げるとは言っても、出口は相手に押さえられている。

「逃がさないよ。絶対に」

 更に一歩を踏み出す不細工な王様。

「うっ……」

「おいっ! 人の話を聞いているのかっ!?」

 魔王ロリータの物言いが効いたのか、これまでの勢いを失う山田。

 何やら悩む素振りを見せる。

 ただ、結論はそう考えることなく、身の内より沸いて出た。

「う、ぅっ……、うっせぇっ! 俺はっ、俺には収録があるんだよっ!」

 少女を抱えたまま吠えてみせる。

 彼には他の何にも代えがたい目標があるのだ。

 目的があるのだ。

「逃げる!? 逃げるに決まってるだろっ! 俺はこんなところで、ごっこ遊びしてる暇なんてないんだよっ! ハーレム野郎は後ろの女共と乱交セックスしてりゃあいいじゃんかよっ! この金髪ロリータは俺のだっ!」

 そして、駆け出すのだった。

 前に向かって。

「いいや、僕は君たちを逃さない」

 都合、正面からぶつかり合う羽目となる山田と王様。

「どけよぉおおおおおっ!」

 大きく振り上げた握り拳を、相手の顔面目掛けて進ませる無法者。声を上げるに応じては、口の端から涎を垂らしながら。酷く気色悪い姿格好での突撃だった。

 他方、対するスーツ系ブサメンはと言えば、その場に立ったまま彼を迎える。争い慣れしているのだろう。なんら動じた様子もなかった。これは周りを囲う騎士団の面々にしても同様である。

 両者が交差したのは一瞬の出来事だった。

「おうふっ!」

「ギャッ」

 当たり負けしたのは山田だった。

 短い悲鳴を上げて、部屋を転がる。

 抱いていた魔王ロリータも一緒だ。

 悲鳴は二人分。

 山田は王様に腹を殴り飛ばされたのだった。

 大きく宙を舞い、部屋の隅まで吹っ飛んだ。壁に背をぶつけて、どすん、床へ身体を横たえる羽目となった。山田の肉体がクッションとなったのか、少女にしては損傷も軽微といったところ。

 部屋が閑散としていたおかげで、他に物へぶつかり痛い目を見ることも無かった。

「ってぇ……」

 自らが打ち負けたことを理解して、大慌てに立ち上がる山田。

 その片腕には、執念、未だに魔王ロリータを抱いている。

「なるほど、たしかに大した耐久力じゃないか」

「こ、この野郎っ……いきなり殴りやがってっ」

「先に殴り掛かってきたのはそっちだろうに」

「うっせっ! 先に脅してきたのはそっちだろっ!」

 山田の戦意は未だ、衰えては居なかった。

 殴打されるに応じて、大きく凹んだ腹部。けれど、痛みは早々に失われて、内蔵の破損も既に治癒されている。例によって不思議パワーが働いた結果、怪我は無かったことにされた様子だ。

「ならば僕も、相応にやらせて貰う」

「何が相応だ、この不細工、かっこつけてんじゃねーよ!」

「同族嫌悪ってやつかな。君に言われると、僕も少なからずカチンとくる」

「はぁ? 俺のが圧倒的にマシだろっ!? 生意気言ってんじゃねーよ!」

「……そうかい」

「あ、いまイラってしたな!? 俺の方が下だとか考えただろっ!?」

「よく分かったね……」

「ふざけんなっ! マジふざけんなっ! 俺のがぜってぇーマシだっ!」

 ハイテンションな山田の文句を受けて、少なからず顔を堅くする王様。

 だからだろうか、次いで打って出たのは王様だった。

「悪いが、無事に帰れるとは思わないで欲しいなっ」

 床を蹴って駆け出す。

 数秒と掛からず、数メートルの距離はゼロとなる。

「っうぉ!?」

「まさか無条件に治癒を繰り返すということもないだろう」

 再び拳が向けられた。

 同様に腹部に対する一撃。

 えぐり込むように拳骨が打ち込まれた。

「っ!?」

 悲鳴を上げる余裕もなかった。

 皮膚を割いて肉をえぐり骨を砕いての一撃。腹部に大きく穴が開いていた。打ち付けられた拳の先が、背中から窺えるほど。口からは血液が溢れて、正面に立つ王様や、脇に抱えた魔王ロリータにひっかかる。

 今し方と比較して、殊更に力の込められて思える腹パンだった。

 そして、これは彼へ過去に無い反応を与える。

「い、痛ぇ……、は、はら、腹がっ……」

 これまでであれば、瞬きする間に元通りとなった患部。全身が灰と散っても、数秒の後には元在った形を取り戻していた山田の肉体。

 それが今回に限っては、なかなか治ろうとしなかった。

 王様の腕を腹部にうずめたまま、もぞもぞと蠢く患部の肉は、必至に修繕の方向へ進もうとする。けれど、なかなか上手く進まない様子で、変化は非常にゆっくりとしたもの。これまでの勢いと比較しては、数十分の一といった具合。

「な、なんだこれ……痛ぇっ、い、痛ぇえよぉっ……」

 想定外の出来事に山田も戦く。

 背を丸めて悲鳴を上げる。

「どうやら、許容量以上を与えれば、打倒することができそうだ」

 呻く彼の姿を眺めて、王様が淡々と呟く。

「これなら問題はなさそうだね」

「痛ぇっ、お、おいっ、ちょっとこれっ、ど、どうなってんだよっ……」

 自らの腹へ突き刺さったままの腕を呆然と見つめる山田。

 ずぷり、これが引き抜かれるに応じて、彼の腹部からは大量の血液が噴き出した。まるで噴水のよう。周囲一帯を真っ赤に染める。

 ただ、それでも魔王ロリータを抱えたままなのは、執念。

 自由な左手は耐えがたい痛みから、大慌てに患部へ向かった。腕が引き抜かれるに応じて、少しばかり治癒の勢いが増した。ただ、それでも今までと比較しては十分に遅い。

 数秒、数十秒。

 その間を山田は延々と、痛い、痛い、呻き続けるのだった。

 王様はこれを黙って眺めるばかり。余裕からくる態度だろう。相手の力量を推し量るよう、真剣な眼差しに彼の癒え行く肉体を確認していた。

 完全に傷がふさがるまで、凡そ一分弱を必要とした。

「……なるほど、大した職だね。仲間が苦労するのも理解できる」

 傷跡が見えなくなった頃合、王様が呟く。

「こ、この野郎っ……お、俺の腹に、穴なんて開けやがって……」

 強がってみせるも、山田の足はガクガクと震えている。

 痛みは絶対だった。

 ただ、王様も無傷では済まない。運悪くも大腸をかすめたらしく、その拳はしくしくと糞の香りが漂っていた。握ったままの指には、びちり、脱水過程の途中にある大便が付着している。

「じょ、上等じゃねぇーかっ!」

「何がだい?」

「この糞野郎がっ! 絶対に俺は逃げてやるっ、逃げてやるっ!」

「いいや、誰が逃がすものか」

 なけなしの勇気を奮い、挑むような口調で山田は口上を続ける。

 その意識が向いた先は王様を挟んで入り口の側に立つコック。

「おいコックっ! お前、俺の肉が欲しいんだよなっ!?」

「うむ、くれ」

「俺が死んだら肉はやれないぞ! 分かってるよな!?」

「ああ、理解している」

「よっしゃ! だったら逃げるぞっ! そこの肉を確保だ!」

「承知した」

 僅かなやりとりに、けれど、全てを理解してエプロン姿の巨漢が動いた。予期せぬ挙動を受けて、場の誰もは出遅れた。王様が山田を圧倒していた為、多くは気を緩ませていたのだろう。

 結果、コックは即座に目的を達する。

 部屋の出入り口周辺に詰めかけた集団の内一人、十代中頃を思わせる少女を胸中に収めていた。片腕に身体の自由を奪い、もう片方の手で包丁を握っては、その切っ先を相手の首下へと突きつける。

「なっ……」

 短い悲鳴は誰のものか。

 数秒の間に人質を手に入れた山田とコックだった。

 一挙に場がざわめき立つ。包丁を突きつけられた当人はと言えば、驚愕から硬直。周囲を囲う面々にしては、一様に憤怒の形相だ。ああだこうだと非難の言葉が飛び交う。

 誰一人として動けなかった。

「調理人、気は確かい?」

 これは王様も例外でない。

 けれど、それを必至に押し殺しての問答。

「私の目的はヤツの肉を手に入れること。それ以上でもそれ以下でもない」

「ならば私が拿捕した後、君に彼の肉を進呈しよう。代わりに仲間を解放するんだ」

「……なるほど」

 王様の提案を受けて、素直、納得の表情を見せるコック。

 この男は本心から、山田の肉さえ手に入れば他はどうでも良いらしい。

「お、おいこらっ! コックっ! なに迷ってんだよっ!?」

 想定外の反応に慌てる肉の提供元

「もちろん、君の自由も保障する。これまでの行いには目を瞑る」

 悠然と語る王様。

 場は甚く混乱していた。

 コックの意向は騎士団の側へ傾きつつあった。

 ただ、これを一言の下、覆すのが魔王ロリータである。

「ならば、私の肉も付けてやろうっ!」

 山田の腕に抱かれたまま、けれど、凜とした声を響かせてのこと。

「コイツらの狙いは私の消滅だ。まさか、囚われて肉を得ることもできないだろう。仮に得られたとしても、今に残る肉が精々。この脆弱となった肉体の肉に過ぎない。こんなものが吸血鬼が肉体だとは、まさか、調理人として考えているとは言わないだろうな?」

「ほぅっ……」

 コックの瞳が見開かれる。

「どうするんだ? このままでは魔王となった吸血鬼の肉は失われる。今後、少なくともお前の生きている間に手に入る可能性は、それこそこの星が隕石に打ち砕かれるほどのものだろう」

「確かにその通りだ! ああ、私はまだ新なる吸血鬼の肉を調理しておらぬ!」

「ならば話は早い。決まっただろう?」

「うむ。そのようにしよう」

 魔王ロリータの案内に従い、大きく頷き見せる巨漢エプロンだった。

「くっ……」

 一方、問答で負けた王様はと言えば、悔しそうだ。

 人質の存在は、騎士団という組織において、絶大の威力を誇った。

「よっしゃ! んじゃあ、そういう訳だから道とか開けろよなっ!」

 魔王ロリータを脇に抱えたまま、一番役に立っていない男が吠える。

 彼らを囲う面々は、これに抗うことができなかった。

 調理人に包丁を突き立てられた少女は為すがままである。

「おらっ、どけよっ! そこどけよっ!」

「君は、魔王をどうするつもりだ? 君もまた、彼女に因縁のある者なのか?」

 しっしと手を払う山田に王様が問い掛ける。

「んなもん、声優して貰うに決まってるだろ? 他に使い道なんてねーよ」

「……声優?」

「おいこら、貴様、いったい何の話をしているんだ?」

 ならば答えた彼の言葉を耳としては、問うた王様に加えて、話題に挙げられた魔王ロリータまでもが首を傾げる。コイツは何を言っているのだと。

 けれど、これに構わず山田は自らの道を行く。

「ほら、邪魔すんじゃねぇよ。手とか出したら、コックが酷いことするからな?」

「……分かった。如何に魔王とは言え、仲間の命には代えられない」

「あと、後とか追ってきたら、やっぱりコックが酷いことるすからなっ!?」

「承知した。だが、彼女の安全は絶対に保証して貰う」

「お前らが俺らを追ってこないって約束するなら、そうしてやんよ」

「……分かった。君の言うことを飲もう」

 大人しく道を譲る王様。

 これに準ずる形で、他の騎士団構成員もまた、同様に身を引いていく。山田達を囲うよう詰めかけていた十数人からなる集団は、わらわらと移動を進める。

 部屋の出入り口へ向けて空間が生まれた。

 これを歩んで、山田に魔王ロリータ、コック、そして、コックに拿捕される形で騎士団メンバーの少女。三人プラス捕虜一人は、しめしめと地下室を脱出するのだった。

 地下室を脱した後は、その足で大使館を逃れる。

 警察の包囲も王様の号令により下げられて、一同は夜の闇に紛れるよう、場を後とするのだった。

 一連の出来事は、決してニュースの話題に挙がることはなかった。

◇ ◆ ◇

 大使館に繰り広げられた山田とコックに発する騒動。

 その一部始終を遠く、建物の屋上より眺める者の姿があった。手には双眼鏡。コンクリートの足下に身を転がせて、数百メートル先の様子を、真剣な表情に見つめている。

「あの野郎っ、何を考えてるんだっ……」

 勇者イケメンだった。

 魔王ロリータが同所に拉致されて以後、延々と同所を張っていたらしい。

 双眼鏡の先では、今まさに大使館を脱した山田達の姿がある。

 彼は一連の様子を苦々しげに、憤りと焦りの表情で眺めていた。

 その姿は全身黒一色。整った顔立ちと相まって、まるでビジュアル系のバンドメンバーを思わせる出で立ち。熱帯夜も手伝い、額にはじんわりと汗が浮かんでいる。

「……追っ手が、無いだと?」

 双眼鏡は山田と山田に抱えられた魔王ロリータの姿を追っていた。

 その後ろへ騎士団の追っ手が続かなないことに首を傾げる。

 ただし、それも即座に解決か。

「……なるほど、人質を取ったか」

 隣を走るコックの腕中、見知らぬ女性が抱かれていることで解決した。

 移動を続ける山田達の動向を追い、彼もまた移動を開始する。数日前に同じく、建物の屋上から屋上へ。大きく跳躍を繰り返して夜の空を跳んで跳ねての運動会。十分な距離を取った上での尾行だった。

 やがて、小一時間の後である。

 勇者イケメンが見つめる先、途中で人質を解放した山田達は、どことも知れない飲食店へと足を向けた。恐らくは今晩の宿と決めたのだろう。山田と彼の抱える魔王ロリータ、加えて、エプロン姿の大男も同伴である。

 状況としてはコックのレストランに思われた。

「……糞、アイツらと一緒なのかよ」

 その様子を最後まで確認して、双眼鏡の主は、小さく声を上げた。

 酷く忌々し気な声色だった。

◇ ◆ ◇

「事情を説明しろ。この人攫い」

 開口一番、酷く不機嫌な調子に魔王ロリータが言った。

 場所は都内某所、コックがオーナーを務めるレストラン。その二階に位置する応接室である。山田と魔王ロリータは現在、住所不定無職。大使館を後とした面々は、他に行き場も無く、自然とそこへ流れ着いたのだった。

 ちなみにコックが人質にとった少女はと言えば、この場所へ至る前に解放している。もちろん、今に居するレストランとは十分に距離を置いた地点においてである。特に危害を加えることなく、五体満足での放流だった。

「だから言っただろ? 声優を探してるんだよ。声優」

「いきなり声優とか言われても分かるか!」

「分かれよ。馬鹿なヤツだな」

「な、なんだとぉっ!?」

 山田と魔王ロリータ、言い合う二人が腰掛けるのは、向かい合わせに設置された三人掛けのソファー。各々顔を合わせる形で言葉を交わしている。彼の隣には、依然としてエプロン姿のコックが腰掛けていた。

 ソファーに挟まれて置かれた足の短いテーブルの上には、人数分の紅茶が並ぶ。アイスティーだ。ミルクティーだ。帰宅後、早々にコックが用意した一杯である。それなりに値の張る品らしい。良い香りが室内を満たしていた。

「声優が足りないんだよ。お前、声は最高だったじゃんか。手伝えよ」

「はっ、何故に私が貴様に助力せねばならん」

「危ないところを助けてやっただろ?」

「その危ないところへ送り込んでくれたのは誰だ? あぁ?」

「そっちだって、初めて会ったとき俺のこと吹っ飛ばしただろ?」

「初めてあったのとき? なんだそれは」

「お前、お、覚えてないのかよ? 歌舞伎町で包丁抜いてやっただろがっ」

「あぁ……無駄に細かいことばかり覚えているな。みみっちい男だ」

 山田からの問い掛けに答える魔王ロリータはとても偉そうだった。

 一本しか残っていない足をぞんざいに広げての着席。両手はソファーの背もたれに乗せるよう、横に大きく投げ出して。柄の悪いヤクザ者を思わせる態度だろうか。ただ、外見は幼い白人少女であるからして、なかなか可愛らしい。

「いいから手伝ってくれよ。こっちは余裕が無いんだよっ」

「それで私にどんなメリットがある? 言ってみろ」

「そりゃお前、えっと、アニメに出られるんだから、周りからちやほやされるんじゃないのか? ほら、エンディングの最後にスタッフロール流れるから、そこにお前の名前が載ったりするだろうし」

「ふんっ、話にならないな」

「あと、金も貰えるかもしれないぞ。金。そうすりゃ、お前だって洗濯機とか買えるから、いつまでも同じスウェット着ることもなくなるだろ? なんだよ、いいんじゃんか。メリットありありじゃんかよ」

「だからっ、洗濯機は持っていると言っただろうがっ! そこから離れろ!」

「なんだ、今代の魔王は洗濯機も持っていないのか?」

「いやマジヤバイよコイツのスウェット。くせぇんだわ。もう無いけど」

「臭い? なるほど、発酵させてみるのも悪くは無いな……」

「こ、このクソ野郎共が……」

 極めてマイペースな二人を相手に、握り拳を奮わせる魔王ロリータだった。

 彼女としては、既に山田やコックから提案されるべき事柄が決まっていた。脳内に予定されていた。この状況で二人が切ってくるカードは他にありえないと、十分な当たりを付けていた。

 だというに、どれだけ待っても、それを口としない。

 おかげで、結局、自ら提案を挙げる羽目となる彼女である。二人より提案させて有利を得ようという作戦は、けれど、早々に失敗だった。故に続く言葉は、殊更に声を荒げたものとなる。

「この首輪を外せっ! そうすれば考えてやらないでもない!」

 少女が吠えるように言った。

 耳喧しい声を受けて、二人の視線がその首下へと向かう。

 そこには確かに首輪が一つ。

「首輪? あぁ、アイツに嵌められたヤツか」

「力を封じている、だったな」

「そうだ。これを外したならば、協力もやぶさかではない」

「本当か?」

「嘘を言ってどうなる」

「いや、だってお前、俺に嘘付いたし……」

 完全に信用を失っている魔王ロリータ。

「いいから外せっ!」

「……速攻で暴れるつもりだろ? で、逃げるだろ?」

「ふん、そこまでは知らんなっ」

「ほらみろっ! やっぱり逃げるつもりじゃんかよっ!」

「外すのか? 外さないのか? そもそも、この首輪を外さねば、そっちの調理人が欲する肉は得ることができないだろうに。今この状態で解体したところで、得られる肉は禄に力の通わぬそれよ」

「むっ、それは困るぞ。首輪は外すべきだ」

「だからって、逃げられたら下も子もないだろ?」

「ならば無理矢理にでも拿捕しておけば良い。現状の魔王であれば、仮に首輪を外したところで我々にとって驚異足り得ない。どうとでもなる」

「いや、俺としては前向きに協力して貰えないと困るんだけどさ……」

「ならばその声優とやらを先に済ませば良い。肉はその後でも構わぬ」

「……それもそうか」

「おい、誰が協力すると言った? まだ私は何も言っていないぞ?」

「は?」

「耳が不自由なのか? 私はお前に口で使われるほど安い女じゃないんだよ」

「なっ……」

 大使館を脱するに際しては一致団結。伊達に命を危機に晒していない。けれど、いざ危地を逃れてみれば、やはり、三者それぞれ思うところを異にする面々だった。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。

 主に山田が一番に立っていない。

「だ、だったらどうすりゃいいんだよっ!? 協力しろよっ! アニメしろよ!」

「いやなこった。アニメなど下らない」

「このクソガキっ……」

 少女の助力を当然と考えていた彼だから、憤りや焦りも相応のものだ。

 後先短い生命が所以の短気である。まさか普通では居られない。

「じゃあ、首輪はとらねぇぞ! ずっと犬っころしてろよっ!」

「なんだとっ!?」

「この犬っころがっ! バター犬させるぞ、バター犬っ!」

「こ、この私を捕まえて畜生呼ばわりとは、良い度胸じゃないかっ」

 売り言葉に買い言葉、段々と熱を帯び始める二人だった。

「まあ落ち着け。吠えたところで事態は改善などしない」

「だ、だって、コイツが協力しないってっ……」

 これを危ういところで諫めにかかるコック。平素からの淡々とした調子で、怒れる不細工を宥める。

 その姿を見つめる山田は、とても物言いた気だった。

「仮に首輪を外したところで、貴様や私ならば、現状の魔王を相手に苦労することはないだろう。まずはこれで、私は肉を確保することができる」

「俺の声優はどうすんだよっ!」

「その上でお前は魔王との交渉に臨め。まさか、この者にしても我々を相手に逃れられるとは思うまい。そして、あの女の逃した時点で、騎士団の王は行動を始める」

「王って、あのブサメンのことか?」

「そうだ。騎士団の王は仲間の存在を重んじる。何かしら反応があると考えて間違いないだろう。その間、この魔王にしても、まさか我々に囚われている訳にはいくまい」

「だからどういうことだよ?」

「私やお前にも言えることだが、特に魔王にとって、時間は有限ということだ。騎士団の王は魔王を追っている。それこそ数十年という期間を、延々と追い続けている」

「なんだよお前、あのブサメンにストーキングされてるのかよ……」

 コックの言葉を耳として、山田は視線を少女へ向ける。

「はっ、本来の力を取り戻せば、取り戻しさえすれば、何ら問題は無い」

「無い物ねだりしてどーすんだよ。っていうか、捕まったらどうなるんだ?」

「知らん。だが、十中八九で殺されるだろう。王の血縁が今代の魔王に殺されたという話は有名だ。或いは拷問の上、未来永劫を苦痛の中に置かれるか。いずれにせよ、ストレスで肉が傷むのは確実だ」

「マジか! こいつ人殺しなのかよっ!? なにそれふざけんなよ!」

「貴様も既に十分な数を殺してるだろうがっ!」

 素っ頓狂な声を上げて驚く山田に対して、コイツにだけは言われたくないとばかり、吠えて応じる魔王ロリータ。両者の価値観はてんでばらばらだ。

「否定をしない。つまり、交渉の余地は十分にある、と言うことで良いのだな?」

「……ふん、下らないことを」

 確認するよう問い掛けるコックに、プイと顔を逸らし見せる少女。

 どうやらこのエプロン野郎は、山田の為にお膳立てしてくれたようだった。

 ここまで話が進んで、ようやっと彼も状況を理解する。なんだ、そういうことなら先に言ってくれれば良いじゃんかよ、とは心中に呟かれた愚痴。他者の機微というものに極めて疎いが所以の引き籠もり系ブサメンだった。

 Fラン在籍とは言え一応は大学生。多少の知性は持ち合わせている。

「じゃあ、ど、どうすれば協力してくれんだよ?」

「それが人にものを頼む態度か? あぁ?」

「ぐっ……」

 山田が自らの置かれた状況を理解するに応じて、途端に態度を大きくする魔王ロリータ。殊更に横柄な格好でソファーに座り直すと、彼に向かい口を開く。状況はようやっと、彼女が望んだ形に落ち着いた。

「そうだなぁ、貴様が私の言うことを聞くならば、手伝ってやらんこともない」

「なんだよっ。なにすりゃいいんだよっ!? 金かっ!?」

「金? そんなもので動くか阿呆が」

「じゃあ何が欲しいんだよっ!」

 要領を得ない回答を受けて、一層のこと声を荒げる山田。

 対して魔王ロリータは身体を動かした。

 今に座り直したソファーから、けれど、殊更に浅く腰掛けるよう動く。

 そして、何を考えたのだろうか、一瞬のこと身体を浮かせたかと思えば、両手にスルスルと下着を脱ぐ。黒いワンピースの下から、白のパンツが抜き取られて、ポイとソファー脇に投げ捨てられた。

「お、おいっ、なんのつもりだよ……」

 予期せぬ相手の反応に驚く素人童貞。

 これに構わず魔王ロリータの奇行は続いた。

 残る一本の足に身を僅かばかり浮かせる。

 かと思えば、次の瞬間、ブリブリと尻穴から糞が飛び出した。長い長い一本糞だった。相応の時間を貯めて思える。何日ぶりのお通じだろうか。臭いもかなりのもので、途端に応接室は臭くなる。

 勢い良く飛び出したそれは、ぼとり、音を立てて床に落ちた。

 ソファーとソファーテーブルの間、僅かな隙間を床にである。多少ばかりとぐろを巻いて、大凡、二十センチほどの長さ。所々に未消化のトウモロコシや海藻の類いが見て取れる。汁気は余り無く、少しマッチョな感じ。

 勢いが些か足りず、尻とソファーとの間には、床に落ちきらなかった便が、ぐちょり、擦れては広がる。

「ちょっ!?」

「ぬっ……」

 これには山田に加えて、コックもまた顔を引き攣らせた。まさか、応接室に排便されるとは思わなかったのだろう。後者にしては自らの事務所だ。即座に浮かぶのは誰が掃除をするのだという想い。

 対して、少女は何を気にした風も無く、悠然と言い放つ。

「食え」

「は?」

「食え。床に這いつくばって、ひと欠片と残さず食え」

「ふ、ふざけんなっ! なんでいきなりウンコすんだよっ!」

 尤もな意見だった。

 これにはコックも同意の様子。コクコクと首を縦に振るう。

「嫌なら知らん。声優でも何でも勝手に探せばいいだろ」

「だからって、なんでウンコなんだよっ! 意味がわかんねぇよ!」

「貴様ほど私のことを舐めてくれたヤツは初めてだ。これでもぬるいわ」

「だからってウンコはねーよっ! ソファーでウンコすんじゃねーよっ!」

「ウンコウンコと連呼するなっ! こっちも恥ずかしいだろうがっ!」

「だったらするなよっ!」

「いいから食えっ! でなければ手伝わん。一切合切だっ!」

「こ、このっ……」

 魔王ロリータの意思は頑なだった。

 山田の眺める先、床上に落ちた一本の糞は出したてほやほや。

「テメェ、マジでくせぇよ、畜生がっ……」

「どうするんだ? 食うのか? 食わないのか?」

「クソッ……」

 文字通り、糞である。

 過去、スカトロ系のアダルトビデオで抜いた経験も皆無の彼だ。仮にエロ方面であっても、苦手分野とする一つである。しかし、これさえ食べれば、彼は自らの求めるところを手に入れる。残すところ二ヶ月と少しの人生。果たして糞の一本を許さぬことが、どれほどの価値を与えるだろう。

「じょ、上等だっ……」

 彼に勇気を与えたのは、数日前の出来事だ。アラフォー風俗嬢との身の毛もよだつような性交。タバコの脂や歯垢、歯周病に彩られた濃厚なベロチュー。肥溜めに勝る悪臭を強制する顔面騎乗。抜いた瞬間、竿が子宮出血に真っ赤と染まった生挿入。

 一連の経験が彼の精神を強固なものとする。彼に人糞を食する決意を与える。

 見た目だけを思えば、まだ目の前に座る相手は美少女だ。そして、見た目とはこの世の大半を決するだけの重要な要素。声優を手に入れる為ならば、アニメを完成させる為ならば、その一歩は踏み出されるのだった。

「絶対に、絶対に言うこと聞けよ!? 嘘だったら、マジぶっ殺すからなっ!?」

「いいから、ほら、早く食えよ。冷めるだろうが」

「くそっ! くそっ! マジくそっ!」

 すっくと勢い良く立ち上がる山田。

 おもむろにソファーテーブルを脇へと蹴飛ばしては一歩を前へ。

 ええいままよと、その手を床へと伸ばし、むんず、糞を手に掴み取る。出したてホヤホヤの暖かな糞だ。手の平を通じて、人の体温の暖かさを伝える。腸液のおかげだろうか、表面は少しばかりヌメヌメと。

 それを一息に、なけなしの決意を殺さぬよう、勢い任せに口へと運ぶ。

「うぉおおおおおおっ!」

 大きく開いた咥内へ、力任せに糞を突っ込む。

 咥内を抜けて鼻へ香るのは、濃厚な便臭。鼻が曲がりそうなスカトールの臭い。口に入りきらなかったものは、べちょり、口の周りに潰れ付着してのこと。これが殊更に強い香りを伝える。

「んんんぅううううううっ!」

 うなり声と共に、もっちゃもっちゃ、咀嚼。

 口の中に形が崩れたところで、んぐっ、喉を鳴らしては、一気に飲み込む。ビクリ、喉元が大きく膨れては、今に喰らったばかりの糞を胃へと送る。食道にペースト状のそれをなすり付けながら送る。

 咥内には苦くしょっぱい味が、強烈な尾を引いて残る。

 糞まみれの顔からは、床に残る糞にもまして香る悪臭。潰されたことで、より強く臭気を発している大便だろう。眦にはうっすらと涙が浮かんでいた。人間、辛いことがあると、例えそれが食糞中であっても、流れるものらしい。

「う、ぅぇ……」

 今にも吐き出しそうな山田。

 その様子を眺めて、魔王ロリータは甚く楽しそうに言う。

「吐き出したら、やり直しだからな」

「このクソガキっ……うっぁ、く、くせぇ、マジでウンコくせぇ……」

 山田の顔色は真っ青だった。

 明らかに調子がおかしい。相当に堪えて思える。

 無事な片手を膝に付き、背を酷く丸めて、呼吸をするにも苦しそうだ。

「おい、まだ残っているぞ。ちゃんと全部食えよ」

「……いつか、いつか覚えてろよ……絶対にぶっ殺してやるっ……」

 容赦ない少女からの注文に、本気で殺意を覚える山田だった。

◇ ◆ ◇

 結局、山田は魔王ロリータの糞を全て食べきった。

 それもこれもアニメに向ける情熱が所以。彼は少女の大便に勝利した。

 以後、応接室の掃除やら何やら、部屋から糞の香りを除去するには小一時間を必要とした。作業もまた魔王ロリータの命令により、山田の手により行われる羽目となった。彼にしては踏んだり蹴ったりだろう。

 現在、時刻は午前四時十二分。夜明けもほど近い頃合のこと。

「おい、そっちも約束、守って貰うからな……」

 今にも死にそうな顔で山田が言う。

 語る調子には、これまでの勢いが感じられない。

「こっちを向いて喋るな。息がウンコ臭いんだよ」

「誰のウンコだよっ! 誰のっ!」

「知るかボケ」

「こ、このクソガキっ……」

 ここへ来て、山田の怒りは最高潮だった。

 胃の中には約三百グラム、憤怒の現況が消化過程の最中か。

 歯と歯の間には、歯垢に混じって未だに臭うモノがチラリ。

「ほら、さっさと首輪を外せ」

「……もしも逃げ出したら、マジでぶっ殺すからな?」

「分かっている。お前もいちいちくどい男だな」

「お前は前科があるんだよっ! ったく、本当にどうしようもねぇなコイツ……」

 渋々といった調子、ソファーへ腰掛けた少女の元へと向かう山田だった。

 テーブルを迂回して正面に立ち、両手を相手の首元へと向ける。

「ってか、外すって、どうすりゃいいんだよ? 金属じゃねぇか」

 言葉通り、首輪は金属製であった。成人男性の親指より一回り太い程度か。人間の力で引っ張っても取れるとは到底思えない。それががっちりと首の肌にめり込むよう、嵌められている。

「いいからさっさと取れ。やってやれぬ訳が無い」

「取れなくても約束はちゃんと守れよな……」

 渋い顔で首輪へと指を掛ける。

 傍らに佇むコックは、特に何をするでも無く、少女とは対面のソファーに腰掛けて、成り行きを見守る限り。

 山田はやけくそ気味に指へと力を込めた。

 ならば、パキン、乾いた音が響くに応じて、首輪が外れた。

 丁度、鍵穴の設けられた輪の結合部が、圧力により弾けた形だ。

「ぉ……」

 これに時を同じくして、魔王ロリータの足が瞬く間に生え始める。肌に撒かれた包帯を突き破るよう、植物の成長を早送りのビデオに眺めるよう。数秒の間にニョキニョキと伸びては元通りだった。

「ふん、手間を掛けさせてくれる」

「すげぇ。マジで取れた」

「腹立たしいことだが、そうでなければ私を圧倒できる筈が無い」

 しげしげと首輪を眺める山田を前として、少女は酷く不機嫌そうに言った。

「これで私も肉の供給が約束された訳だな。素晴らしい」

 コックも満足気だ。

「まあ、取れたなら取れたでいいわ。いちいち突っ込むのも面倒だし」

「ならば以後は口を開くな。本気で臭うんだよ。あと近づくな」

「はぁーはぁー!」

「息を吐きかけるな!」

 魔王ロリータの拳骨が山田の顔に突き刺さった。大きく後方へと吹っ飛び、そのままソファーへと身を埋める羽目となる。コックが支えたので、ソファーそのものは多少を軋んだ程度でひっくり返らず済んだ。

 どうやら、デタラメな身体能力も復活した様子だ。恐らく、今の一撃には自らの力を確認する意味も含まれていたのだろう。彼が意図して息を吹きかけずとも、何かに付けてぶん殴っていたに違いない暴力系ロリータである。

「て、テメェ、いきなり何すんだよっ!」

 大急ぎに立ち直った山田の抗議。

 顔面に生まれた痣は例によって瞬殺だ。

「息が当たっているんだよ!」

「当てたんだよっ!」

「なお性質が悪いわ!」

「貴様ら、これ以上私の店を荒らすな。いい加減に調理するぞ」

 日を跨いで随分経つというに、騒々しい三人だった。

 ただ、延々とそうしても居られない。

 軽口を幾度か交わしたところで、少しばかり語調を正した魔王ロリータが言う。

「おい、私はここを出るぞ」

「出るって、お前、他に行く宛てなんてあるのかよ?」

「そいつの店ということは、騎士団の連中にも場所は割れている筈だ。相手は数が多い。まさか、延々とこの場に留まっていては、都合の良い的だろうが。翌日にでも早々に攻められるぞ」

「あ、あぁ、確かに……」

 言われて頷く山田。彼もまた追われる身なのだ。

 伊達に相手は他国の大使館を我が物にしていない。一介の学生からすれば、途方もなく巨大な権力の塊だった。まさか、悠長に構えていられる相手ではなかった。逃げるならば早いほうが良い。

「じゃあ、またネカフェでも行くか……」

「そういうことだ。さっさと支度をしろ」

「なんでお前に命令されなきゃならないんだよ?」

「いいから早くしろ」

「このクソガキが……」

 苛立たしげに呟きながらも、大人しくソファーより腰を上げる山田だ。これに習うようコックもまた立ち上がる。前者にしては特に持ち物らしい持ち物も無いので、向かうとすれば、すぐにでも出発が叶う。支度らしい支度と言えば、コックがエプロンの下に包丁を仕込んだ程度か。

 魔王ロリータ先導の下、歩み早にレストランを後とする三人だった。

 一行が向かった先は近隣に所在するネットカフェである。

 明け方の来客。金髪碧眼の外人童女、エプロン姿の巨漢コック、不細工な日本人男性、その並びは極めて妙な組み合わせ。受付の店員にしても、思わず首を傾げるほど。関連性がまるで感じられない。

 もしも騎士団の面々が、付近の宿泊施設へ聞き込みを始めていたのなら、一発でアウトだろう。けれど、こればかりはどうしようもない。一行は何を恥ることもなく、堂々とチェックインを済ませては、各々個室の案内を得るのだった。

 全員、フラットシートのごろ寝スペースである。

 色々と話すべき事柄はあるだろうが、ひとまずは身体を休めようという算段だった。既に時刻は午前五時を回っている。空は明るい。伊達に一晩を寝ずに過ごしていない。特に山田とコックは昼からずっと動きっぱなしである。

 店員が気を利かせたのか、席は三人、一列に並んだ形だった。

 フロントから、ズラズラと首を揃えての移動である。

「あー、マジねみぃ。もう朝じゃんかよ……」

「うるさいやつだな。気持ちの悪い声を耳元であげるな」

「うっせぇな。ちょっと良い声だからって威張るなよ」

「別に威張ってないだろうが。僻みったらしい男だな」

「貴様らが騒ぐと私まで追い出されてしまう。大人しくしろ。眠いんだ」

「私だって眠いんだよ。いちいち命令するな」

「だったら静かにしろよクソガキ」

「黙れよ。お前こそ静かにしろ。このクソキモがっ」

「く、クソキモってなんだよっ、おいっ!」

「クソキモはクソキモだ。あー、クソキモい!」

「てめぇ……」

「だから静かにしろと言っている。他の客に迷惑であろう」

 ああでもない、こうでもない、喚き合いながらのフロア移動。既に夜は明けたが、活動を始めるにはまだ早い、そんな微妙な時間帯。騒がれる側にしては、非常に面倒な夜明け直後の一時。既に十分迷惑な一団だった。

「あ、おい、そこじゃねぇか?」

「うむ、そのようだ」

「ふんっ、これ以上をお前らに構っていられるか」

「そりゃ俺の台詞だってーの」

 ややあって、多少を歩いたところで目当ての案内を見つける。三百七から始まって、八、九と並んだ個室。床にビニール製のマットを敷いたタイプの空間。靴を脱いで上がり、横になることができるタイプだ。

 目当てのブースを見つけた山田たちにしては、歩みも尚早くして移動。

 バタン、バタン、バタン。

 お休みの挨拶も無く、個室へと上がり込み、寝に入る三人であった。

◇ ◆ ◇

 山田達がネカフェ難民を満喫している頃合のこと。彼らが逃げ出して以後、某国大使館の一室では、サイと王様が顔を向き合わせていた。

 建物は酷い有様だ。あっちに穴が空いていたり、こっちの壁が崩れていたり。かろうじて火は付いていないが、そこらじゅうに焦げた跡が残る。本来であれば、新聞の一面を飾っても不思議ではない様相を晒している。

 その只中に在って割とまともな地下室。小一時間前まで、魔王ロリータが監禁されていた部屋での語らい合いである。

「留守中を預かる身にありながら、誠に申し訳ありませんでした」

「いや、別にいいよ。建物なんて修理すればどうとでもなるしね。それよりも君らさ」

「仲間を幾名か、討たれました」

「そっか……」

「はい。申し訳ありません。全ては私の不甲斐なさが所以であります」

 二人の他には他に誰の姿もない。

 王様とサイを除いた面々にしては、絶賛、建物の修理中であった。既に業者を呼んではいるが、それでも立地が立地である。周囲からの目を避けんとして、ビニールシートを被せたり何をしたりと、必至の工作だった。

「でもまあ、君が無事で良かったよ。仮に魔王を捉えたとしても、僕らが全滅していたなんて、それこそ目も当てられない。それくらいだったら、僕は魔王を追うことを諦めるだろうから」

「そんなっ、魔王打倒は王の悲願ではありませんかっ!」

「これ以上の被害を出してまで追い掛けても、とは思うんだけどね」

「……ですが」

 落ち着いた笑みと共に語ってみせる王様だった。

 先刻に山田達へ見せた厳しい表情は、完全に形(なり)を顰めて思える。

「僕は王だからね。君たちを守る義務がある。とは言っても、別に職に振り回されているつもりはないよ。ただ、こうして集ってくれた君たちだからこそ、僕もまた、その期待に応えないとならないと、思うだけだから」

「ならば私は王の騎士です。王に尽くすのが何よりの使命です」

「使命だなんて堅苦しいものは要らないよ、前から言ってると思うけど。それに今の君の職は騎士じゃなくて公爵だったろうに。騎士だったのはもう何年前になるのか、すまない、忘れてしまったけれど」

「いいえ、王の前ではいつまでも騎士でありたいと考えております。故にこれは王が仰るに同じく、職に振り回されているつもりは毛頭ありません。人生の目的とでもいいましょうか。或いは、趣味とでも称しましょうか」

「流石にその趣味は正直どうかと思うけれどね……」

「言わないでやって下さい。私にとっては何より大切なことなのですから」

 苦笑気味に答える王に対して、サイは酷く真面目な表情だった。

 今に口とした敬いを確たるものと示して思える。どうやら彼は心底から王様のことを大切に想っている様子だった。それが如何なる理由に基づいたものかは、当人のみぞ知るところ。ただ、一朝一夕に育まれた関係とは、到底のこと思えない。

「魔王については完全に僕の私怨だ。君たちは無理をしないで欲しい」

「王の悲しみは我々の悲しみにございます」

「だから、それが良くないって言ってるんだけどね……」

「後一歩です。後一歩で、長年の悲願が達成されるのです」

「分かってはいるけど、君たちが怪我を負ってまで達する目的じゃないよ」

「王のお心遣い、誠に嬉しく思います」

「そう思うなら、少しは自分を大切にして欲しいんだけどね」

「今回の一件に限るのでれば、舞台がこの屋敷であったことからも明らか、先方より仕掛けられた形になります。魔王を巡る問答にしては、是が非でも譲れないところにありました」

「そうなのかい」

「はい」

「まあ、今後は危ないことはできるだけ避けるように。相手は腐っても魔王だ」

「承知致しました」

 今一度、深々と頭を下げてお辞儀を返すサイだった。

「しかし、これはニュースになるね。門の前の警察も増やさないと」

「情報規制は行いましたが、多少は話題に挙がると思われます」

「仕方ないか。大使館が壊れちゃったんだし」

「はい。この度の失態、どのような罰でも頂戴したく申し上げます」

「過ぎたことは仕方ないし、むしろ君らは良くやってくれたよ。魔王に加えて、あの調理人も一緒に居たんだろう? 僕としては残る一人の正体不明が気になるけど」

「正体不明に関しては、配下の者が鑑定した結果、旅人、とのことです」

「……旅人、かい?」

 サイの言葉を耳として、王様の目が見開かれた。

 かと思えば、途端にスゥと細められる。

 明らかに僕はそれを知っていますと言わんばかりの態度だろう。

「ご存じですか? 私は初めて耳としましたが」

「さて、どうだろう……」

 しかしながら、問い答えるつもりは無いらしい。彼は早々に変化を引っ込めて、言葉の尻を窄めるに終える。

 非常に思わせぶりな態度だった。もしも魔王ロリータや山田が相手であれば、言いたいことがあるならハッキリ言えよとばかり、食って掛かっただろう。

 ただ、サイにしては素直に従い、話題を変えるべく言葉を続ける。

「ところで、挨拶の順番が逆になり申し訳ありませんが、長旅の上、ご足労をありがとうございました。こちらの屋敷は酷いことになってしまいましたが、別所にホテルを用意しております。どうぞ、ご案内をさせて下さい」

「あぁ、ありがとう。いつも助かるよ」

「いいえ、騎士として当然のことです」

「これは騎士も関係無いと思うんだけどね……」

「では、本日よりメイドにでもなりましょうか」

「い、いや、騎士のままでいいよ。騎士のままで」

「承知致しました」

 そうして、二人は適当なところで話を切り上げる。

 足並みを揃えて、ゆっくりと地下室より地上階へ向かうのだった。