金髪ロリツンデレラノベ 第二巻

エピローグ

部屋の掛け時計は夜の12時を指し示していた。

ベッドの上には長い金色の髪が散らばっている。一日の平均気温が25℃を越えることもあるこの時期だが、エアコンによって整えられた空調は完璧だ。掛け布団などを用意する必要もなく、エリーゼはその小さな身体を大の字に広げて、シーツの上で仰向けに横になっていた。少女の突然の来襲によって無駄に苦労が耐えなかったここ2日間での出来事が、精神的な影響を持って彼女の身体に倦怠感を与えていた。

けれど、すぐにでも寝付けると思っていた本人の思惑とは裏腹に、身体を横たえた時刻から数えて既に1時間以上が経過しているにもかかわらず、その意識が闇に落ちる事は無かった。

「…………」

意識して眠ろうと思うと逆に眠れないものである。

彼女の下僕である雅之は普段よりも随分と早い時間に自室へ戻っていった。きっと、今頃は夢の中だろう。そして、普段ならば彼が自室へ去った後でも、明け方までリビングに残り、ゲームを続けているのがエリーゼのここ一週間での日課となっていた。だが、今日ばかりは疲労を感じずにはいられなかったのだろう。それから暫くの後、ゲーム機のコントローラをソファーの上に放り出して自室戻った。それが夜の11時だった。

だが、自室に戻ってからの彼女は、それから幾ら目を閉じて横になっていても眠りに落ちる事は無かった。

「…………糞」

蚊が鳴くような声で小さく悪態をついた。

どうして自分が眠れないのか。

エリーゼはそんなことに腹立たしさを感じていた。

別段、彼女としても、ただ眠れないだけで、そこまで苛立ちを感じる事は無い。問題なのは、自分が寝付くことの出来ない原因が、自身の下僕に起因していることにあった。

それというのも、昼間に少女が口にした言葉が未だに頭から離れないからである。気にする必要など無い、何を馬鹿なことをほざくのだ、と自分に言い聞かせ忘れようとしても、なかなか上手くいかない。

そして思考は堂々巡りを繰り返す。

その無限ループは人が眠れなくなる典型的な例であろう。

「…………この私が下僕如きを庇う筈が無かろうが。あの馬鹿は何を言うか」

尽きることの無い自問自答に鬱憤は段々と溜まってゆく。少女の口にした言葉と、自身の口にした言葉との終らない競り合いが繰り返される。雅之曰く、客観的に考えれば両者のいずれも間違ってはいないように思われる。どちらが答えであるかの判断はつかない。ただ、正解があるのだとすれば、それはエリーゼ本人の中だろう。しかし、エリーゼ自身がその結論を出せないというのだから、終わりが見えないのも当然だ。

「糞、眠れんっ!」

ガバッと勢い良く身体を起こす。

ベッドの上で両足を投げ出した格好のままボゥッと虚空を眺める。明かりの無い室内にあって、暗闇に慣れたエリーゼの目には、雅之の母が使っていたと思われる物品の数々が映っては通り過ぎていった。手に持てる小物は持ち去ったのだろうが、動かす事の叶わない家具等はそのままになっている。

「…………」

やけに静かに感じる夜だった。

掛け時計の秒針がいやに大きな音をたてて時を刻んでいる。普段では意識して耳にしない限り認識することもないその単調なリズムが、睡眠にありつけない今のエリーゼにとっては憎らしいことこの上なかった。

思わず、その針軸を打ち抜こうと腕を上げる。

「…………」

腕に込められた魔力に応じて、紫色の淡い光がその細い腕の周りに現れた。指先の向けられた先にはペンギンの絵で飾られた安っぽい掛け時計がある。

しかし、腕に力を込めて狙いを定めたところで、ふと脳裏に雅之の怒る顔が思い浮かんだ。

「…………だから、なんだというのだ、貴様は」

そして、終らない葛藤がエリーゼの中で再び始まる。

かれこれ1時間以上に渡って続けられている脳内会議に、当の本人もそろそろ限界だった。

「ったく、私にどうしろというのだっ」

眠りたくても眠れないストレスに遣る瀬無い疲労を感じながら、ゆっくりとベッドから降り立つ。

部屋には元から設置されている家具以外に、新たに追加された調度品の類は置かれていない。荷物といえるような物を一切持たないエリーゼが寝泊りしているので、その光景はやけに殺風景だった。

「………水でも飲むか」

自分の胸よりも些か高い位置にあるドアノブを捻って部屋を出る。素足で廊下を歩くペタペタという小さな音が、夜の静まり返ったマンションの一室に響いた。

キッチンに着いたエリーゼは、冷蔵庫から取り出したペットボトルのお茶で口を潤す。寝る前にお茶を飲めば、含有するカフェインの効果により一層眠気が飛ぶということを彼女は知っているのかいないのか。ゴクゴクと喉を鳴らせてラッパ飲みだった。そして、2リットル入りのボトルに8分目程度あったお茶の嵩を半分までに減らして、ボトルを元に戻すとキッチンを後にした。

部屋の外は気温、湿度共に高く、肌にねっとりと纏わりつく空気が不快だったが、それでも、喉を潤して少しは気分転換になったのだろう。多少の落ち着きを取り戻して自室へと向った。

だが、そんなとき一枚のドアを前にしてエリーゼの足がふと止まった。視線の先にあるのは雅之の部屋であった。ドアと壁の隙間からは光が漏れてくることもない。眠りについている事は明らかだった。

「…………」

一体何を考えているのか。真意の窺い知れない表情でエリーゼは木製のドアを見つめる。

そして、おもむろにドアノブを捻り、室内へと足を向けた。

部屋の中は静かで、エリーゼがやってきたことに反応を示すものも居ない。ベッドの上からは雅之の寝息が小さく聞こえてきていた。小奇麗に片付けられた部屋は暗がりにあっても、足を運ぶには問題ない程度である。彼女は相手を起こされないよう静かに進んだ。

ここの家主は布団をベッドから蹴り落とし、間抜けそうな顔をして眠っている。一体どんな夢をみているのか、口の端からはだらしなく涎が一筋垂れていた。

「…………」

ベッドは部屋の南にある窓に接しておかれている。エリーゼはその横に立ち、幸せそうに眠る自身の下僕を言葉無く眺めた。主である自分が眠れずに苦労しているというのに、下僕であるお前が眠っているとはどういうことだ。などと、雅之からすれば理不尽であることこの上ない理由で憤りを覚える彼女は、しかし、だからと言って手を出すわけでもなく、叩き起こそうともせずに、ただ静かにその様子を眺めていた。

この場にあって、なおも彼女の思考を占めるのは少女の言葉だった。

「………フン、このような下僕如を庇うなんて有り得ん話だ。あやつも下らないことばかり言う。それは勝手な妄想だ」

眠る雅之を見つめながら、自身に言い聞かせるようにして、それまで幾度と無く頭の中で反芻した言葉を口にした。ただ、それはまるで親に怒られた言い訳をする子供の様でもあった。

「この私が人肌恋しくなったとでも言うのか?」

音の無いその部屋には、エリーゼの部屋と同様に、時計の秒針が時を刻む音だけが規則正しく響いていた。こちらの部屋に設置されている時計はアザラシの絵柄で飾られている。サイズや作りからして、エリーゼの部屋にあった時計と同系列の品に違いない。

「…………」

自室の時計を打ち抜かなくて良かった。

カチコチと規則正しく音を鳴らす掛け時計を前にして、そんな事をふと思うエリーゼは、しかし、なぜ自分がそう思うに至ったのか、その理由が分からずに、また困惑の表情を浮かべるのだった。

そして、そのまま特に何をする訳でもなく無くその場に立ち、横たわる雅之に視線を落としていた。時折何か、小さく呟きながら、分針がその角度を幾らか変化させる間の時間を、ただただゆっくりと眺めていた。

時間の経過と共に月の位置が替わり、閉じられたカーテンの隙間から射す月明かりが、エリーゼの腰まである長い髪を眩く照らし出した。サラサラと揺れる絹糸のような髪の一本一本が淡い光を纏い光っている。そんな神々しい光景だった。

「ファミリーか…………」

強く握れば壊れてしまうような、白く小さな手が、眠る雅之の頬を優しく撫でた。その表情には憤怒の色など無く、随分と穏やかなものであった。

「…………まさか、このような奴が成ってしまうとはな」

ひんやりとした感触に小さく唸る声が漏れたが、起きる気配はなかった。それだけ疲労が堪っていたという事だろう。寝返りをうち、そっぽを向いただけで反応は収まった。

その様子を彼女はただ、静かに眺めていた。

「ふん、まあいい」

踵を返したエリーゼは部屋を後にする。

「…………」

一度だけ後ろを振り返って眠る雅之を見つめる。だが、それも僅かな間である。

部屋の扉はパタンと小さな音を立てて閉じられたのだった。